主人公は物語の冒頭から振られる
あの子のことが好きだった……。
俺こと海田紫音は、小学一年生の頃に仲良くなった幼なじみを、五年生から徐々に意識し始める。
所謂初恋というやつだ。
幼なじみは年を重ねるごとに、どんどん可愛らしくなった。それに比例するかのように、俺の気持ちも年々強くなっていく。
そして、高校二年生に上がる少し前。
春休み期間中のある日、家から徒歩五分程の公園で、藍色と茜色が入り混じる空の下、勇気を出して幼なじみに想いを伝えることにした。
「ずっと前から桜のことが好きでした。俺と付き合ってください!」
オレンジ色に照らされ、魅力の増した彼女は、俺の告白に目を見開いて驚愕したが、直後に申し訳なさそうな顔をする。
「……ごめんなさい。あたしの中で、しおくんはただの幼なじみです。これからも幼なじみでいてください」
こうして俺の初恋は、六年間の秘めたる想いをあっさりと断られ、彼女――姫川桜の前に撃沈する。
この時は、何とも形容しがたい苦しさが、無遠慮に胸中を駆け巡っていた。
不思議と涙は流れず、されどその分かなり落ち込んだ。
恋は甘くて苦い――その通りだった。恋をしてるこの六年は甘酸っぱかったのに、失恋した今はどうしようもない苦さに苛まれてる。
正直、このまま元通りの関係を持続するのは、精神的に厳しそうだ。
俺は海のように広い心は持ち合わせてないし、物語の恋に破れたライバルみたいに、強固な精神構造もしてない。綺麗さっぱり割り切る――なんてことは無理に等しいのだ。
こう考える俺の心は狭いのだろう。
だけど、曲げられない。大人にはなれない。
この場合、桜への想いを一刻も早く捨て去るのが得策だと思った。
いつまでも想い続けるのは意味がない。叶わない恋はどれだけ努力しても叶わないから。
想いを消す決意はしたが、当分この暗い気持ちは引き摺るに違いない――俺はこの時、そう思っていた。
俺が振られて早くも一週間が過ぎ、二年生に進級して数日が経過した朝。
「お兄ちゃーん。起きる時間だよー!」
一つ年下の義妹――海田未来が、ベッドの前まで来ると、可愛らしい少し高めの元気な声で、優しく揺すって起こしてくれた。
「女神……未来毎日ありがとな」
俺は心地のよい声で目を覚まし、ベッドから起き上がると、未来の黒髪ロングで艶のあるサラサラした頭に手を乗せ、撫で撫でしながらお礼を言った。
「――め、女神? お、おお、お兄ちゃん!? なんで、なでりゅの?」
可愛い……。
未来は頬を赤らめさせ、焦って見事に噛んでる。
「良い子で、可愛いからだよ」
「か、かわ!? ふにゃあ」
俺の言葉に照れていた未来だが、撫でられるのが気持ちいいのか、大きな瞳が特徴的な目を細くさせて、リラックスしていた。
未来は同年代女子の中では背が高い。顔は美人系だけど、俺には可愛さ満点に映る。
不思議だ。
「お兄ちゃん、その辺で。もうすぐ朝食できるよ」
「了解」
「……それと、もう大丈夫なの?」
未来が気遣うように、声のトーンを少し落として心配してくる。
「ああ、大丈夫だよ。何も心配いらない。気持ちの整理はもう少しかかるかもしれないけど、だいぶ落ち着いたから」
未来には、桜に告白したことを教えた。俺が普段よりも暗い雰囲気だと察して、理由を聞かせてほしいと言ってきたからだ。
最初は言わないスタンスを取っていたものの、粘られた挙げ句、途中から涙まで流され「わたしには何もできないの?」と訊かれた。
未来を泣かし続ける罪な行為は、俺の精神が許容できる筈もなく、観念して大人しく話したのだ。
話した結果、俺の為に悲しみ「つらいよね、苦しいよね。でも大丈夫。わたしが側にいるから」「必ずお兄ちゃんを想ってる人が現れるよ」などと慰めの言葉をくれた。
ホント、最高にできた妹だよ。
でも最近未来が変なんだよなぁ……。抱きつく頻度が妙に多くなったり、隙あらば甘えてきたり、一体どうしたのだろうか。
未来はスタイル抜群だし色々と柔らかいから、抱きつかれると少しだけ意識しそうになるんだよな。
女神である未来に邪な気持ちを抱かないように頑張ってはいるのだが……。
未来と出会った当初を思い出すと、今の俺と未来の関係は奇跡に近いとつくづく思う。
昔は仲良くなるのに苦労したなぁ……。
俺の親父の再婚相手で、今のお袋の連れ子が未来だ。
最初は警戒心の所為か、なかなか心を開いてくれなった。それでも根気強く接していたら、少しずつ心を開いてくれて、今のように仲睦まじい兄妹になれたんだ。
親父もお袋も、俺たち二人が物心つく前にパートナーを病気で亡くしたらしい。
俺と未来は物心つく前から片親だったこともあり、もう一人の親への抵抗感は少なかったが、接し方には戸惑いがあった。今では初々しかった良い思い出だ。
俺は産みの親の写真は持っており、その写真を見る度、感謝している。亡くなった母が産んでくれたお蔭で、未来と今のお袋に会うことができた。
産んでくれた母は、きっと親父と俺の幸せを願ってくれたに違いない。だからこうして暖かみのある、良い家庭環境になったんだと俺は思ってる。
「本当に? それなら良かったよ!」
未来は心配そうな顔から一転して、可愛らしい笑顔を見せてくれた。
「心配してくれてありがとな。着替えて行くから先に下りててくれ」
俺がそう言うと、未来は不思議そうに首を傾げる。
「大丈夫だよ。待ってるから。ほら! 早く着替えないと!」
ベッドに座った未来はそのまま促してくる。
何がどう大丈夫なのでありましょうか? 未来さんや。
俺のストリップショーに需要なんて一ミリもないよ?
「お兄ちゃん着替えるって言ったよな。着替えをそこで見とくのか?」
「な~に言ってるのさ。今更お兄ちゃんの着替えなんて気にしないよ。それともわたしに見られて恥じらっちゃうお年頃なの?」
ベッドに座ったままの未来は真顔だ。
えっ。そういう問題だっけ? しかも謎の挑発までされた。
まぁいいか。別に全裸になるわけでもないし。
大丈夫……だよな?
着替えてる途中、妙に熱っぽい視線を感じたが、たぶん気の所為だと思う。
「着替え終わった……ぞ? 鼻なんか押さえてどうかしたのか?」
「な、なんでもないよ!? ちょっと顔洗いたくなったから洗面所に行ってくるね!」
「――お、おい!」
俺が呼び掛ける前に、音速か? ってほど超スピードで行ってしまった……。
やはり俺の妹は最近変である。
暫し唖然としていたが、このまま突っ立てるわけにもいかず、朝食を食べるべく、ダイニングへ向かった。
食卓の椅子には、既にスーツ姿の親父が座っており、エプロンを着たお袋は、もう朝食の準備を終えそうだ。
どちらも四十代の筈なのに、二十代後半にしか見えない。
劣化しないとか、最早七不思議レベルだ。
「おはよう」
挨拶をすると、俺は親父の対面の椅子に座った。
「おはよう紫音」
「おはようしーくん」
俺はお袋からしーくんと呼ばれている。前に一度しーくん呼びが恥ずかしくて「しーくんと呼ぶのは勘弁してよ」と言ったら、泣かれそうになったので即座に諦めた。
外見と性格も未来と似ていて、罪悪感が半端ではないのだ。
「あら? しーくん、未来はどうしたの」
味噌汁のおたまを手に持ったお袋が、俺の部屋へ起こしに行った筈の未来が、まだこの場へ来てないことに疑問を抱いたみたいだ。
「顔を洗いたくなったらしくて、呼び止める間もなく猛ダッシュで洗面所まで行っちゃったよ」
「洗面所?」
お袋は、味噌汁を茶碗に注ぎながら首を横に傾げる。
やっぱりそうなるよな。俺も変だと思ったし。
「うん。俺が着替えたら一緒に下りようと思ってたみたいなんだけどさ、何故か鼻を押さえたまま部屋を出ていったんだよ」
「あの子ったら……まったく」
「未来は何をしてるんだ……」
二人は何か察したようで、呆きれたような顔をする。
この少し後、未来が遅れて来て、俺の右隣の椅子に座った。
俺の方を見ると、少し頬を赤らめる。
未来の顔事態は、割と赤くなる頻度が多いこともあり、放置することもしばしばだ。
親父とお袋が未来に視線を向けていたが、本人は何のことだか不明という表情で、そのまま朝食を食べ続けていた。
「お兄ちゃん。そろそろ行こうよ」
朝食を食べ終えて、ソファーでテレビを見ていたら、未来に後ろから肩を叩かれたので、登校することにした。
「そうだな。行ってきます」
「行ってきまーす!」
「気をつけて行くのよ」
両親に見送られ、玄関を後にした俺達は歩を進めるのだった。
俺と未来が通う山並高校は徒歩十分程と、まあまあ近いので毎日歩いて登校している。
「また一緒に登校できて嬉しいよ! お兄ちゃんが中学を卒業しちゃって、別々に登校だったから寂しかったんだ……」
未来……なんて嬉しいこと言ってくれるんだ。
「俺もだよ。これからは毎日一緒だからな」
「うん!」
花開く春らしい満開な笑顔で返事をする未来。
やはり俺の妹は女神だな。異論は認めん!
「未来。まだ入学して間もないけど、友達はできたか?」
是非ともこれは聞いておかねば。男友達はいらんが、女の子の友達はいてほしいからな。
「できたよ。その子ハーフでね、お人形さんみたいに凄く可愛いんだよ!」
おーそうかそうか。でもな、未来も絶対負けてないぞ! 見てないけど確信できる。なんせ未来は俺の女神だからな。
あれ? ハーフってうちのクラスにもいるぞ。物凄く美人でモテまくりの女子が。知り合いだけどその子の妹か?
まぁ今は知らなくてもいいだろう。
「そうか。良かったな」
未来との登校は会話が弾んで、あっという間に学校へ着いた。
校門から入ると、まず見慣れた校舎が目に入ってくる。そこそこ大きくて立派だと俺は思う。
一年と二年では、当然靴箱の場所も教室も違うので、未来とはここで暫しのお別れだ。
「じゃあ、またな未来」
「バイバイお兄ちゃん、またね!」
お互いに手を振り返して未来と離れた俺は、靴を仕舞って、上靴に履き替えてから教室へ向かった。
同クラスには俺が失恋した幼なじみの桜もいる。あの後は一度も話していない。
そりゃそうだよ。振った振られたの関係になってしまうと、いくら共に過ごしてきた幼なじみだとしても、そう簡単に修復できるわけないし、このまま疎遠になることも十分考えられる。
俺は未来のお蔭で、少しは整理できているが、未練を完全には無くせていない。六年間の恋は伊達じゃないのだ。
笑えないことに。
唯一の救いは俺の席が窓際の一番後ろで、桜がドア側の一番前の席ということ。
そのお蔭で、話したり顔を合わせたりする機会が作られない。
二年B組普通科の教室。ここが俺のクラスだ。
俺は後ろの引き戸から入室して席まで一直線に向かい、そのまま座る。
直後、隣から元気な声が掛かった。