2012.1.16 【第二種戦闘配備】その四 《これでいいのだ》
アルコール依存症になって二年半で、ようやく自分自身の現状を受け入れるようです。
一一時四五分
病棟の外に出て人生について、ここの食事について考えついたことがあった。
筋肉少女帯の「これでいいのだ」からヒントを得た。詳しくは食事後に書くが、キーワードだけ忘れないうちにメモしておく。
アルコールによる呪縛を医療の力で解いてもらった僕は
白い服の人々に礼を言って病院をあとにした。
これからはどこへだって行ける。
この二本の足さえあれば地の果てだって行ける。
寒風吹きすさぶ中 僕は歩きながら思った。
学生時代あのまま順調に宮廷と呼ばれる大学を卒業して
大手社員や官公庁、あるいは医者になっていたとしたら、
勘違いしたエリート意識を持った鼻持ちならない人間になってしまっただろう。
今はアルコール依存症という病気になってしまったが、
もし、エリート街道と呼ばれる道を歩んでいたとしたら、
現在よりも自分の人間性は低くなっていたかもしれない。
アルコールによって失ったものは数多く、得られなかったものもたくさんあるけど、
大好きだったお酒は敵になってしまったけど、
これでいいのだ。
そうだ、
これでいいのだ。
退院する時、したあともこの考えを持ち続けることができれば最高だ。
一三時一五分
昼食後、K君と院内一周ウォーキングをする。身体は温まったけど息が切れて体力が大分落ちていると話していた。彼はまだ二八歳と若いし、毎日歩いていればおれよりも体力の回復は早いだろう。
一四時一七分
風呂から上がり、ドクターペッパーを飲んで一息つく。ドクターペッパーを飲んでいると変態扱いされることがままあるが、この味がわからないのでは人生の一割ぐらい損してるぞ。
風呂は熱く、まるで熱湯風呂だった。おれとWさんしか入っていなかったが、お湯が動くごとに熱いのなんの。だがそれが良い。
病棟内の空気にも通じるものがあるが、万事ぬるいのは駄目だ。ピリッとした環境に身を置かないと体も心もなまるし、自分に甘くなってしまう。
一五時二〇分
食事について。
少々ぬるく、量も少ないが、管理栄養士が頭をひねって献立を考え、調理場の職員が汗をかいて作り、寒い中を運んでくれて、配膳係の職員が各患者の条件に合わせた配膳をしてくれル食事。
多品目で栄養バランスがとれていて、カロリー計算までしてある食事。
これを認識したらかっこんで食べるなんてできなくなる。残すなんてとんでもない、目が潰れる。
一八時二五分
夕食が済んで麦茶を入れて一息ついたところ。
今日の午前中はビデオプログラム。これで三回目だ。午後は熱湯風呂。久しぶりに熱々の風呂には入れて気分が良かった。精神患者の奴らのあとに入るとお湯は汚れてるし、減ってるし、ぬるいし、碌なことがない。
だから芯からヌルい奴は嫌なんだ。少々のことで暑いだの寒いだの熱いだのぬるいだのと騒ぎやがる。
そうだ。散歩していて自分のアルコール三原則の改訂を考えていたんだっけ。忘れないうちに書き留めておこう。
アルコールとは天使の格好をした悪魔であり甘い言葉で誘惑する。
時には飲酒衝動という攻撃も仕掛けてくる。
誘惑に負けたり、攻撃を弾き返さずに受けてしまってはいけない。
そうすると奴は悪霊のようにとりついて決して離れることはなく、
自分一人の力だけでの浄化は不可能になる。
誘惑や攻撃に負けたままであったり、
自分一人だけの力でどうにかしようとすると
身体・精神を蝕まれて全てを破壊される。
そして最後には命をも奪われる。
以上のように自分にとってアルコールは敵であり、
破壊者でしかなく、闘わなくてはいけない相手なのだ。
一八時四〇分
日記に飛び込んできた一言。
「アルコールはまるで悪魔だ」
から始まって、
「悪魔のように誘い込み、悪霊のようにとりつき、そして全て破壊する」
となって、今の時点で前頁の文章にまで発展した。
だいぶ敵の正体が見えてきたが、自分は一生涯を賭けて戦わなくてはいけない敵なので前頁の文章を書いたことで自己満足してはいけない。
敵の正体を見極め、油断することなく戦いを続けなくてはいけないのだ。
なんと言っても奴はおれの日常生活の至る所で囁きかけてきたり攻撃を仕掛けてきたりするのだ。
心して闘わないとうっかり負けてしまうかもしれない。
敗者復活戦があるにしても負けるのは嫌だ。油断禁物だ。
今度は退院後にどうやってこのモチベーションを維持できるかを考えよう。
一九時二五分
一月一二日に反撃を開始してから五日目にして敵の正体がやっと見えてきた。入院してから一一日目。アルコール依存症を本格的に発症してから約二年半。依存症の初期から考えたら一八年だ。ずいぶん時間を無駄にしたようにも感じるが、ここでいろいろ気がついて、認識して、決意を固めていなかったら自分のこの先の人生は悲惨で惨めなものになっていただろうし、入院を決意しなければもうこの世にいなかったのかもしれない。
親が死ぬ時に安心して死ねるように頑張らなくては。
せめて、親が安心して逝けるようにしないと。
これは現在でも行動原理・行動規範の一つであります。




