2012.1.14 【敗戦処理開始】その二 《今回の離脱症状と入院までの流れ》
離脱症状がメインっぽいので間話にしようかと思ったけど、日記の方にしました。
○離脱について(忘れないうちに書いておく)
目を閉じると意識があるままに夢を見ているような状態。まぶたの裏に映像が流れる。映像にストーリーがあるならまだしも、内容は支離滅裂。しかも幻聴による音声付き。
たまらず目を開くと今度は天井の模様が文字や変なものや人の顔に見えたりする。さらに、天井の隅っこに監視カメラが見えた。
脱水症状のくせに汗をかく。布団をかぶると暑いのだが、たまらず布団をはぐと今度は寒い。離脱症状による不眠で二~三日眠ることができず、自分は本当におかしくなってしまったか、頭が狂ってしまうのではないかと不安になってますます眠れない。
離脱症状による汗で体臭がひどく、臭いは布団にまで移ってしまい、息をするたびにくさくてえづいてしまう。えづいてせっかく飲んだ水を吐いてしまう。吐いてしまうと胃液の苦さでさらに吐き気をもよおしてさらに吐く。二~三時間ごとにこんな発作があった。
便も水のような下痢である。うっかりすると漏らしそうになる。腸がやたら活発に動いて腹がぐうぐうなるが、なかなかガスが出ない。ガスが出ると今度は下着が臭くなる。
布団の中はますます臭くなるが、離脱症状がつらいのと脱水症状・栄養失調で身体がつらいのと、布団から出ると寒いの三拍子がそろってしまっているので布団から出るのはトイレに行く時だけ。
たまに起き上がって座ってみるが、なんだかたまらなくなってまた寝る。
生への執着が残っていたのだろう。救急車を呼ぼうかとも思ったが、なんとか自分の足で歩いて病院に来た。通常であれば一五分ほどでつく道のりを三〇分近くかけて歩いてきた。
離脱症状で震える手で、やっとの思いで診察券を出して、K先生に診てもらう。
入院させたいけど一晩待ってくれとのこと。絶望的な気分になる。
一晩って、これ以上眠れなかったらおれ、死んじゃうよ。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。
点滴して管理するのに個室に入れたいけど次の日にならないと空かないんだ。眠剤を一晩分出すから、明日また来てと。
家に帰る気力も体力もわかず、病院の待合室で茫然自失としていたら断酒会のNさんに声をかけられた。話をしているうちに車に乗せてもらい、ソバ屋でそばをごちそうになる三日か四日ぶりに食物を口にした。その後、好意に甘えてコンビニに寄ってもらい、自宅に送ってもらった。
母親にまた入院保証人をお願いするメールを送ったあと、臭い布団に横になって、ひたすら夜になるのを待つ。
眠剤を飲んで寝てしまいたかったが、母親が来た時に寝ていてはまずいし、Mスリーは無理に起こすと見当識障害が出ることが自分でわかっていたのでなんとか我慢してやり過ごす。この時点でもう酒は見たくもなかった。
二〇時頃に母親が来てひとしきり説教されたが、保証人を引き受けてくれた。引き受けてもらって少し安心して眠剤を飲んだ。腹の中が空っぽになっていたので、その状態で薬を飲んで大丈夫かいなと思っているうちに眠りに落ちた。
次の日、朝の四時頃に目が覚めてしまったが、起きて驚いた。なんと、ほんの少しだけ食欲が戻っていたのだ。K先生と眠剤のおかげだ。と、つくづく実感した。やっぱり医療の力ってすごい。
前日買っておいたお粥を無理矢理流し込んだ。
入院当日の朝七時頃に風呂に入って、前日の剃り残しだらけのヒゲを剃る。
なんとかかんとか上半身だけ洗う。入院するのに臭すぎるのもみっともない。知ってる看護師がたくさんいるんだから。
風呂から出たら母親から電話があり、なんと迎えに来てくれるとのこと。ひじょうに助かった。八時頃に病院に着き、診察券を投入し、K先生に呼ばれるのを待つ。
五番目ぐらいだった。いろいろしんどくてきちんと数えることすらできなかった。
ようやく診察してもらって入院手続きをして病棟へ。病棟から迎えに来た看護師が誰だったかも覚えていない。身体よりも精神の方が疲労してよっぽどひどい状態だったのかもしれない。
五号室に入り点滴。そのときに面倒を見てくれたのはYさんという看護師だった。
「食事はどうする?」
と聞かれて、
「治療するために入院したのだから、ここは無理して吐いてでも食べなきゃ駄目だ」
と思って食べてみたら、すごくゆっくりだけど食べることができた。
その後は自分でも驚くやら呆れるやらといった快復力で回復し、一週間たった現在はピンピンしている。
医療の力がなければ回復することはなかったであろう。
なんともまあ、我ながらアルコール依存症ってのはみっともないものですね。




