断酒ノート№1 2012.1.13 【逃げちゃダメだ】 その二 《自己パターン分析》
過去をほじくり返します。
八時〇五分
いままでの退院後の行動パターンを振り返る。
○一回目のあと
退院後、通院のみで断酒継続できていたが、
仕事が忙しく、通院しなくなって
小スリップ→大スリップ→連続飲酒→仕事クビ→脱水症状→内科に入院
→点滴が外れたその晩にアルコール性せん妄とそれにともなう徘徊→精神科に転院。
○二回目のあと
退院後に、院内例会に参加してケンカになる。
「生活もしなくちゃいけないから仕事も探さなければならない。
例会参加が原則と聞いているがみなさんどのようにしているのか」
と質問を投げかけてみたところ、
「生活なんか二の次だ!まず断酒!それしかない!」
「いやあの、おっしゃりたい心意気はわからないでもないのですが、
ゴハンを食べなければ死んでしまいますよね?」
「断酒!だんしゅ!ダンシュだ! 他のことなんてどうでもいい」
こんなじいさまがいて
「断酒会ってのはどんなもんだか見てやろうじゃねーか」
とおもってS支部に行ったら、ちょうど合同例会で人数が多くてビックリ。
んで、次週の火曜日にE支部に出向いてみたら温かく迎えられて、すっかり毒気を抜かれてしまった。
断酒会に通っていた半年間は通院も例会もきちんとしていたのだが、
現場の責任者に任命されたのがまずかった。
忙しさ、休みづらさを理由に通院もしなくなり、例会にも出席しなくなり、
機会飲酒から常習飲酒へと変わっていき、
仕事もうまくいかなくなったのとパワハラから鬱になり酒量も増えた。
会社を辞めたとたんに連続飲酒になり、
記憶が飛び飛びになるぐらいに酔っているのに車を走らせて事故を起こし、
現行犯逮捕された。
その後留置場で一ヶ月過ごし、保釈でシャバに出たその日に酒を飲んでいた。
逮捕歴がついてしまったし、前科者になるのがほぼ確定していたので、
やけっぱちになって連続飲酒。
裁判の陽はヒゲはぼーぼー。目はうつろな状態で被告人質問を受け、判決を言い渡された。
母親と話し合い、例の精神病院に入院しようということにしたが、
裁判が金曜日だったので月曜日までビジネスホテルでやり過ごすことにした。
日曜日に被害者宅に謝罪に向かい、ホテルに戻ったところ
「謝罪が済んだ」
という達成感からビールに手が伸びてしまっていた。
前の晩は飲まないでいられたのに。
そして次の日月曜日に三回目の入院へ。
○三回目のあと
このときは震災のすぐあとで、いつもの開放病棟が閉鎖病棟になっていて、
アルコールプログラムもまともなモノは行っていなかった。
そのために自分でも何か勘違いをしていたのだと思う。外泊を繰り返してアパートの部屋を片付けることが第一目標だった。
「前に半年は断酒できたんだ。その気になればいつでもやめられる」
という悪魔の囁きか自分の甘い考えがあったのだ。
退院後はお金がないので機会飲酒しかできなかったのだが、派遣で仕事が見つかり、初めての給料でプレミアムモルツを買って(他にも買ったが)機会飲酒の頻度が増えていき、常習飲酒となった。
一二月三日から四日の土日でスイッチが入った。というか壊れて連続飲酒となった。
仕事の方も初めのうちは体調不良で休む旨を連絡していたが、無断欠勤をしてあっさりクビ。
「もうどうにでもなーれ」
「いつ死んでもいいや。どうやって死のう」
そんなことばっかり考えて飲んでた。食をとって少し元気が出て、体内のアルコールが薄い時はゲームをやったりテレビを見たりもしていた。
しかし、連続飲酒がひどくなり、食欲がなくなり、脱水症状を起こして
「また繰り返してる。もうこんなの嫌だ」
と思っていつもの精神病院にすがりついて助けてもらった。
どれだけ自己分析しても、飲まれるときは飲まれる。
アルコール依存症ってのは、とかく難儀なものです。




