第五話「長尾為景と宇佐美定満」
永正11年(1514年)5月
為景派の軍は小野城を総攻撃し、宇佐美房忠は岩手城まで後退する事となるが、もはや援軍の当ても無く、敗北は時間の問題であった。
為景は宇佐美房忠に対して降伏の使者を出すが、それと同時に房忠の息子の宇佐美定満に対しても書状をしたためていた。
-宇佐美定満-
もはやこの戦の敗北はまぬがれまい。父上は良く戦ったが、為景殿の力はそれを上回っていた。
さぞ無念であろう。
私の元に為景殿から書状が来ており、父との交渉に当たって間に入って欲しいとの事であった。
父は『為景と話す事などない!』と言っているが、このまま攻められれば宇佐美の家は断絶する可能性もある事や、為景殿の書状にあった『負け戦に付き合わされる兵や民の事を考えろ』と言う言葉から、やや態度を軟化させている。
……それにしても為景殿の政戦両方に向ける視点の広い事よ。
私は為景殿と同い年だが、父に付き従うばかりだと言うのに。
若くして責任を負わされると責任感につぶされる人間も多いと言うが、それに耐えられる者ならば斯様にも器を大きくするものなのだな。
為景殿は父との交渉の前に私と話がしたいと言っておる。
きっと私にも責任を背負わせるつもりであろうな。
その期待に応えるのも悪くはないが、為景殿の本心を諮ることが先であろうな。
道一丸の不意に発した言葉から、為景と定満の会談が実施される事になる。
これは史実には存在しなかった事であり、歴史の歯車が大きく変わり始めている。
-長尾為景-
「よう、定満。久しぶりだな」
「為景殿、こうしてゆっくり会うのは先(上杉顕定と)の戦以来ですな」
俺の前に宇佐美定満が来ている。どうやら書状を出した甲斐があったってもんだな。
もっともこれでまだ第一歩なわけで、俺がこいつを説得できるかで、無駄な人死にが減るかどうかが決まる。
いつもながら、まったく面倒な事ばっかり背負わされるぜ。
「定満、単刀直入に言うぞ。俺は宇佐美を潰したくねぇ。流石に房忠を無罪放免と言うわけにはいかないから、隠居させてお前が後を継いで降伏して欲しい」
これが俺の計画。親父(房忠)が駄目なら息子(定満)に降伏させよう計画だ。
房忠だって宇佐美の家を潰したくは無いだろうし、自分が直接膝を折るわけじゃないから面子も立つってわけだ。
定満はある程度話の内容を予想していたのか、すぐに切り返してきた。
「・・・挙兵した我々に対して大変過分な沙汰ではありますが、先に1つ質問をさせて頂きたい」
「何だ? 言ってみろ」
「為景殿はどうして守護や関東管領を蔑ろにしてまでも、実権を握ろうとされるのか?」
まぁ、そう来るわな。
宇佐美は定実殿を蔑ろにしている様に俺を見ているわけで、それが挙兵の理由だしな。
「俺が蔑ろにしたわけじゃない。奴等が蔑ろにしているんだ」
「……しかし臣下であるならば、ある程度の事は「俺が言いたいのは民を蔑ろにしているってことだ」 !?」
定満に口を挟ませず、俺は俺の思う事を話す。
そう、房能も顕定もあまりにも民を蔑ろにしていた。
定実殿は未だ何かをしたわけではないが、上条辺りが守護の親族として権威を握れば同じ事になるだろう。
それが俺の戦う理由だ。
「守護に関東管領、肩書きは立派だが本人たちはいったい何をした?
房能は守護不入(守護が国人や荘園に対して口を出さない事)を犯し、無駄に越後国内を騒然とさせたばかりか、それでも忠実な守護代であった親父を見殺しにして、挙句の果てに俺にも謀反の嫌疑をかけやがった」
「……」
定満は何も言えねぇでいる。
この辺りの流れは定満も良く見ていたから思うところがあるだろう。
「上杉顕定もそうだ、守るべき関東の地を放っておいて、わざわざ越後まで攻めてきやがった上に、一年以上も関東に帰らず越後に居て、やった事が自分の弟の復讐だけだ。
守るべき民を蔑ろにして自分の利益や権力の為に動く。俺はこれが許せねぇ」
そうだ、あいつらは結局自分の権力を強める事や、その権力を持って他人を虐げる事しかしねぇ。
それも自分の力じゃなくて受け継いだ肩書きだけでそれをする。
そいつを俺は許せなかった。
「だからと言って力を持たねぇ奴が何を言っても変わりはしない。だから俺は定実殿を蔑ろにしていると言われても力を持たなきゃいけねぇ。
……もっともそれを理解してくれたのは義父殿(高梨政盛)ぐらいなもんだがな」
それが俺の戦う理由だ。
だが一番の理解者であった義父殿は死んじまった。
だからこそ、それを狙ったかのように挙兵した上条と宇佐美が許せなかった。
しかし結局いけすかねぇ上条の野郎はとっとと降伏しやがるし。(他の手前もあるからあんまり厳しい沙汰もできねぇ)
逆に好ましいと感じる宇佐美が最後まで反抗するんだから、どうにもままならねぇもんだぜ。
「為景殿は修羅の道と解りながら、あえてその道を行かれるか……」
ようやく口を開いた定満だが、修羅の道とはよく言ったもんだ。
だがこれから俺が歩むべき先を思えばしっくり来る。
「あぁ、誰かがやらなきゃならねえからな」
俺がハッキリ言い切ると、定満は視線を落とした。
「(為景殿の志のなんと大きい事…… それに比べて私は父に従うばかりで良いのか?)」
定満が何やら考えているが、俺はこいつを高く買っている。間違った答えは出さねぇだろう。
しばらくすると定満は考えがまとまったのか、すっきりした顔で俺を見返した。
「納得いく答えを貰えた以上は、私もそれに答えるとしましょう。父の説得はお任せください」
そして定満は俺の前に跪いて、二の句を告げた。
「これより宇佐美の家は為景殿と共に歩く事を約束します。為景殿の覇道を邪魔するものは、宇佐美の敵ともなりましょう」
「あぁ、頼りにしてるぜ、定満」
どうやら俺の賭けは成功したらしい。
房忠も軍略家としてはずば抜けた所があるが、定満は若いだけあってより柔軟性がある。それを得られた事は嬉しい事だ。
だがそれよりも俺と同い年の理解者が得られたこと。
俺は宇佐美の臣従以上にそいつが嬉しかった。
そこでふと、俺の頭に名案がよぎった。
「あ、ついでに俺の妹を嫁に貰ってくれねーか? そうすれば和睦の体裁になるだろ?」
「……そう言う大切なことは先に言ってください!!!」
……今思いついたとは言えねーな。
これより先、長尾為景と宇佐美定満は義理の兄弟となり、臣下を越えてお互いに信頼しあえる関係となる。
そしてその関係は為景が没した後の世代に対しても続いていき、長尾晴景やその弟妹達は定満の事を”もう一人の父”と称するに至るのであった。
また、宇佐美を討たずに済んだ事は、この後の為景にとって大きな意味を持つのであるが、この時の為景は知る由もなかった。
-道一丸-
どうやら宇佐美との戦が終わったようだ。
話に聞く限り、宇佐美の当主を息子の定満が継いで、叔母さんが輿入れする事で、わりと平和的な解決がなされたらしい。
いや~、一族郎党ほぼ討ち死にとかならなくて本当に良かった。
宇佐美定満の事を抜きにしても、それだけ死人が出るって事は、現代人の俺からすれば嫌な事だからね。
そんな事を考えながら遊んで(体力づくりも兼ねてるよ!)いると、母が声をかけてくる。
「道一、為景様が帰ってきましたよ。会わせたいって人を連れてきたから支度しなさい」
「はい、かかさま!」
親父殿が誰かを連れてきたらしい。
タイミング的にもきっと宇佐美定満だろうな。
ついに上杉四天王の一人に会えると思うと興奮するな~
「ととさま、お帰りなさいませ!」
俺は親父殿に駆け寄り挨拶すると、親父殿の後ろから男性が出てくる。
「おう、道一。こいつが今日からお前の教育係になるからな!」
親父殿は男性の肩を叩きながら紹介してくる。
驚き見上げる俺に対して、男性は言った。
「ほほう、良い面構えの子ですな。はじめまして、宇佐美房忠です」
……まさか父親の方が来るとは!?
この話の長尾為景はキレイな為景です。
史実の為景はもっと畜生だと言う人も居るかと思いますが、毘沙門天による謙信の父親なんだから義理堅いに違いないフィルターの影響だと考えてください。
ついでに宇佐美定満を義理の兄弟にしてしまいました。
義理の兄弟と言うと北条氏康と綱成みたいな関係ですね。
これはもちろん後々大きな意味があります。
そして戦国転生物の定番(爆)教育係ですが、宇佐美定満じゃなくて親父が来ました。
現役バリバリの若者で現在の宇佐美家の当主を教育係にするほど越後も余裕が無いという事で。