第三話「今後の方針2~一所懸命と義理と人情」
永正10年(1513年)
この年、為景を支えていた一人の男が亡くなった。
高梨政盛。為景の義父であり、先年の上杉顕定との戦いでも大活躍をした武将である。
実の父に続いて、目をかけてくれた義理の父にも亡くなられた為景は大いに悲しんだ。
志に燃えるとは言え彼もまだ25歳。父親2人を無くすにはまだまだ早い歳であった。
そんな為景の元に追い討ちをかける様な出来事が9月に起こるのであった。
-長尾為景-
「殿、安田実秀殿より連絡。宇佐美・上条、挙兵し安田城に迫っているとの事です」
俺の耳に、聞きたくもねぇ情報が飛び込んでくる。
「わかった、出陣の用意をしろ!!」
「はっ!」
俺が一言言うと、使いのものはすぐに走り出す。
……どうして皆、解らねぇんだ。今のこの時代は実力があるものが収めなければ、何もかもが奪われる。
越後を護る為には誰かが引っ張らなきゃならねえ。俺は親父の背中を見て育ち、そう思って生きてきた。
それなのに、宇佐美房忠と上条定憲の野郎共め、俺に対して挙兵するなんてな。
“守護”上杉定実の権威を蔑ろにする“守護代”為景を討つだぁ?
宇佐美は本心から言ってるかも知れねぇが、上条の野郎は守護の甥の立場から権勢を振るいたいだけだろうに……
それにしてもいつかは来るとは思っていたが、義父殿が亡くなった時期を狙いやがるとは……
義父殿が居なければこの俺を討てると思ったか?
それとも、この俺が悲しみに暮れて組み易くなっているとでも思ったか?
この俺を舐めやがって!
良いだろう、宇佐美よ、上条よ。
いや、誰が反乱しようが俺は構わねぇ。俺の邪魔をする奴は全部ぶっ潰すだけだ。
この後、為景が討伐に出るのを待ち、“越後守護”上杉定実が春日山城を占拠するも、為景の前に敗れる事になる。
後に永正の乱と呼ばれるこの戦は、為景の越後支配を決定づける物となった。
史実では1年にも及ぶこの乱の爪痕は大きく、また為景の心を荒める出来事であった。
-道一丸-
「かかさま、少し外に出かけてきます」
俺は母に声をかけて、表に出て行こうとした。
「道一、気をつけるのよ。父上も戦をしてますし危ないですから」
「わかっています。あまり遠くには行きません」
優しい母の声に見送られ、俺は春日山に向かい飛び出していく。
親父殿はまた戦に駆り出されている。
俺は相も変わらず体力づくりの日々である。今後、親父殿みたいに戦に駆り出されるにも、体力が第一だからな。
まぁ風邪くらいはひくが、史実の晴景はこの時期から病弱であったと言う説もあるし、普通に生活できている俺は一定の成果を得ていると言って良いだろう。
だから俺は今日も春日山(戦で危ないから今は少し遠めだけど)を庭に、鍛錬に励むのである。
それにしても越後は(親父殿にしてもそうなんだが)国人の力が強い。
現在は親父殿の傘下に居たとしても、常に成り代わってやろうと言う連中が多過ぎるくらいだ。
そもそも国人とは、それぞれの土地に根差し収めていた地侍達である。
彼らは一所懸命の精神で代々土地を受け継ぎ、勢力を保持し続けていた。
だが、この一所懸命の精神こそが今の戦国時代を作ったと言っても良いだろう。
土地が余っていたときならいざ知らず、土地の領有者が決まってしまえば、土地を増やす為には誰かから奪うしかない。
源氏に平氏、奥州藤原氏など明確な敵があれば簡単だ。強い方に味方して恩を着せれば、敵の土地を分捕って良いんだからな。
しかしそれが一旦世が治まってしまうと、今度は隣人との争いになる。
何年、何十年、何百年にもおよぶ隣人との小競り合いを、守護などの力ある者が仲裁できる内は収まっていた。
だが争う者達が仲裁者よりも力を持ってしまったら?
その結果が戦国時代なわけだ。
また、戦があれば褒賞(土地も含む)が貰えるとなれば、武士達は戦を求めることになる。
まるで現代の死の商人(武器・兵器商人)にも通じることだな。
さっきも言ったが、戦になったとき力ある者に付くのは、それだけ土地を守れるし、恩賞を貰える機会も増えると言う事。
親父殿も国人ではあるが、飛びぬけて力があるからこそ国人達も従うのだ。
では、力が無くなったらどうなるのか?
答えは歴史が証明している。滅亡しかない。
幸いにも上杉家はそんな事は無かったが、美濃の斎藤家、近江の浅井家、そして甲斐の武田家でさえも最後は国人衆に裏切られて滅亡している。
だからこそ、これを変えなければならない。
国人衆に頼っているばかりではならないのだ。
織田信長は津島を中心とした商業に力を入れて、銭で兵士を雇い常備兵を備える事で、国人衆に頼らない体制を作り上げて飛躍した。
現在の越後では残念ながらこれを真似する事はできないだろう。
……それを解消する案もあるのだが、今の俺に口出しできる問題でもない。
ならばどうすれば良いかと言えば、上杉家の歴史が証明している。
一所懸命に対抗するには、義理と人情があれば良いのだ!
簡単に言えば貰った土地よりも、主君から貰ったという事実こそが大切だと言う義理の精神を植えつけるのだ!
江戸時代、貧乏生活を続ける上杉家に対して、離反するものは少なかったと言う。
これは上杉家の財政を圧迫させる要因でもあるんだが、何で皆してそんな貧乏生活に付き合っていたんだろうか?
無論、浪人になるよりはマシと言う事もあるだろうが、何よりも上杉家が義理を通したからこそ人情でそれに応えたのではないか?
上杉謙信が後世で義将と呼ばれるのも、むしろこの江戸時代の上杉家から来るイメージも大きいんじゃないかと、俺は思っている。
義理が大切な例は他にもある。北条家の御由緒六家もそうだ。
北条早雲と志を共にし、誰かが大名になったらそれを支えると誓った友たち。
中には歴史に名を残さずに消えていった家もあるが、大道寺氏、多目氏などは小田原征伐に至るまで、北条家を支え続け、また北条家も彼等を重んじている。
中国で言えば三国志の劉備の義兄弟もそうだろう。
関羽は曹操の元での良い待遇を蹴ってまでも劉備の元に戻り、また一説では曹操への義理も忘れずに赤壁で見逃している。
粗忽者である張飛にしても義兄達へ敬意を持ち、命を懸けて戦っていた。
義理を果たせば人情で応える。それが人間ってもんだ。
と言うわけで俺の戦略の第一歩として有力な武将(となる子供達)とは、今の内から親睦を深めなければいけない訳だ。
子供と言う立場を使えば警戒心も薄れる。それを利用して仲良くなれば、人情にうったえられると言う訳だ。
さて、その為に最初が肝心だ。いったい誰との親睦を深めれば良いだろうか?
・・・・・
よし、やはりまずは上杉四天王と言われる人物からだろう。
今の現状を確認するぞ!
柿崎景家 春日山城からわりと近い柿崎城にいると思うが、現在生まれたばかりの0歳! 年齢的に無理!
直江景綱 俺と同い年だが、おそらく春日山から遠い与板城の辺りに居るだろうし、距離的に無理!
宇佐美定満 現在親父殿と敵対している宇佐美房忠の息子。反乱が治まるまであと1年以上は戦的に無理!
甘粕景持 不明(色々な説があって良く解ってない)もう色々と無理!
……うん、無理だ!!!
ご都合主義的に宇佐美房忠の反乱前から定満を引き込むとかも考えましたが、どうせ家督を継ぐか、謙信が出てくるまでは大きな改革は難しいので、晴景には盛大に悩んでもらっています。
まぁこの後は割とありがちな展開に繋がりますけどね!