第三十八話「家督継承」
天文5年(1537年)5月
訓練中に晴景の元に急報が来たる。
長尾為景倒れる。
戦国時代の幕開けを象徴する巨星達、その多くは既に亡くなっているのだが、為景もまた落ちようというのか?
晴景は急ぎ春日山へ向かうのであった。
-長尾晴景-
まさかあれだけ元気そうだった親父殿が倒れるとは。
俺は訓練を切り上げ、一人春日山へ急ぐ。
虎千代はまだ馬に乗れないので、籠で春日山へ急がせる。
景家には後片付けを任せた。
馬を走らせながらも、俺の脳裏を親父の思い出が駆ける。
『使った銭は全て貸しだぞ?全部返し終わるまでは、お前に家督は譲らねぇからな!』
『言っとくが嫁を取らないって選択肢は無しだぞ。それとも衆道……』
うん、何でこうむかつく思い出ばっかり思い浮かぶのだろう。
人間、楽しかった事はすぐに忘れるけど、恨みは一生忘れないって言うからなぁ~。
『おぉ、道一は父の活躍が聞きたいんか?よし、話してやろう!』
本当に子供っぽくて。特に於虎を側室にしてからは夫婦揃って悪戯っぽくて。
『よし、良いだろう。お前がそんだけ言うって事は、何か思う所もあるんだろうよ』
俺の事を信頼して、多くを聞かずに任せてくれて。
『……まぁ、お前も俺に似てるからな』
そんな父上が俺は大好きなんだ。
もしもこのまま亡くなるのだとしても、最後に一目でも会いたい。
だから早く
早く
早く!!
俺は戦の時でも出さないほどの速さで春日山へ急ぐ。
・・・・・
春日山に着いた俺は親父の休んでいる部屋を聞きだし、その場へ急ぐ。
バタバタバタ
急ぐ俺を止める者は誰も居らず、一直線に部屋に辿り着く。
「父上!!」
俺は勢い良く襖を開ける。
するとそこには……
「ほら為景様、あ~ん」
「お姉さま、そろそろ於虎に代わってください!」
「(ハムハム)おぉ~なんだ? どうした晴景」
バタンッ!
思わず勢い余ってずっこける俺。
そこには起き上がり、母上と於虎に粥を食べさせられている父上の姿があった。
「父上、倒れたと聞きましたが?」
「おぉ~、倒れたぞ」
何でも無いように言う父上。
「なんで倒れた人が元気に粥食べてるんですか! 大体年甲斐も無くイチャイチャして!!」
俺は悲しみの行き場が無くなり、思わず怒鳴ってしまう。
「あら晴景。夫婦はいつまで経っても夫婦ですよ。あなたも夕子さんにして貰えば良いじゃない」
「お姉さま、晴はそう言うの恥ずかしがるから多分やってませんよ。」
そんな俺を母二人は楽しそうに話す。
その様子に俺の毒気は抜かれていった。
「それで父上はどうして倒れたんですか?」
「まぁここ1・2年くらいずっと腹の上のほうが痛ぇと思ってたんだが、最近血を吐く様になっちまってなぁ。そんで今日の昼飯食ってたら突然眩暈がして倒れちまったぜ」
なるほど、恐らく胃がやられていたんだな。
血を吐いたって事は胃潰瘍か胃がんか…… がんじゃ無きゃまだ長生きできるな。
その為にはストレスを減らして、食事を改善させなきゃならないが。
何で詳しいって、現代で俺が一回目に死んだ原因が胃がんだったからな。
「父上、御自愛ください。俺は父上が無くなるものだと思って……」
俺は父にまだ生きて欲しい思い、素直な思いを口にする。
「晴景、父が死ぬくらいで泣くな。お前にはこれから越後の…… いや今は更に越中と佐渡の民の未来がかかっているんだ」
だが、父上はかえって厳しく俺を諭す。
そして続けて俺の予想だにしない事を口にする。
「晴景、今この場で長尾家の家督をお前に譲る」
それは俺に家督を譲ると言う事。
突然の宣告に、俺は気が動転する。
それは自分の肩に、長尾家とそれに従う武家や民達の命運が乗るという重圧。
「しかし父上、俺は父上が居るからこそ自由にやれました」
「良いんだよ自由にやれば。お前が間違った時は誰かが止めてくれる」
何でも無いように言う父上。
それは俺から家督を継いだら間違えてはいけないと言う重圧を減らしてくれる。
「俺には定満が居た。お前にも直江や柿崎の坊主が居るだろう? そう言った臣下を越えた友人は何より得難いもんだが、お前はすでに手に入れている」
父上は叔父さんを心から信頼している。この前の一向宗の件にしてもそうだ。
そして叔父さんはその期待に答え続けた。
『晴景が理由も無く僕達に死ねって言うわけが無いからね。それが一番良いと考えた上で言ってる事なら、僕達はきっと従うだろうね』
景綱のあの言葉が不意に思い出される。
俺達は父上と叔父さんみたいな関係じゃ無いかも知れないけど、お互いを信頼している事に変わりは無い。
「それにお前には弟妹も居るし定満も居る。……俺が家督を継いだ時には支えてくれたのは義父殿くらいだったからな」
そうだ、この人は俺より若い時に父を戦で無くし、そこから誰に弱音を吐く事も無くやって来たんだ。
それに比べれば俺の置かれた環境は優しすぎる。
そこには今日までついに気づく事が無かった父親の愛情を感じた。
だから俺はここで退いてはいけない。
「長尾家の当主の座。謹んでお受けいたします」
「あぁ。お前なら大丈夫だ」
―長尾家の突然の当主交代はこうして行われた。
急激な交代劇である為、国内に多少の混乱が見られた。
だが晴景を支える者たちや、予め近々家督を譲る事を相談されていた宇佐美定満らの尽力によって、謀反や一揆が起こることは無かった。
-長尾為景-
晴景に家督を譲ったのは良いが、おかげであいつは人の食生活にまで口出ししてきやがる。
何でも西洋の医学の知識らしいが、胃に負担をかけるものを減らせと言われた。
酒はダメ。塩辛いものは控えて。なるべく良く噛んで食べる。
今までとは真逆の様な食生活でうんざりだぜ。
『少しでも父上に長生きして欲しいのです』
まぁそう言われちまうと、俺は何も言い返せねぇ。
虎千代を始め俺の子もまだ小さい奴も多いし、孫の成長も出来れば見たい。
この世に未練がある以上は、晴景の言う事に従ってやるのも一興だ。
それにしても俺が倒れたって聞いた途端にどいつもこいつも見舞いに来やがる。
中には俺が元気そうで残念がる様子が見える奴もいる。
まったく、世代が代って野心が再燃する奴も多い事で。
しかし、今日の見舞いの客は特別だ。
「晴景殿、元気そうで何よりじゃ」
「わざわざ春日山まで来てくれてすまねぇ、定実殿」
“越後守護”上杉定実殿。わざわざ府中から春日山まで見舞いに来てくれた。
「定実殿、俺はずっと言いたかった事があるんだ」
「どしたのじゃ? あらたまって」
俺はこの機に、胸に秘めていた事を定実殿に伝えたいと思った。
長尾家の当主じゃない、ただの為景になってようやく言える言葉。
「すまなかった。定実殿を担ぎ出して守護にして、政治の道具として使っちまった」
それは定実殿に対しての謝罪だ。
俺は頭を下げ、そのまま言葉を続ける。
「それが解っていたのに、俺は定実殿を最後まで神輿から下ろせなかった…… 定実殿は本当は……」
「顔を上げてくだされ、為景殿」
俺は罵倒される事も覚悟していたが、定実殿は頭を上げろという。
顔を上げて見る定実殿は、優しげに微笑んでいた。
「わしも為景殿にずっと言えなかったことがあるんじゃよ」
定実殿が言えなかったこと?
俺に対する不満か何かか?
そう思っていた俺だが、実際に定実殿の口から出た言葉は、
「ありがとう、越後を守ってくれて。越後を強い国にしてくれて」
俺の予想と真逆の言葉であった。
確かに今の越後は多くの鉱山と、干拓による農地の拡大でより裕福な国へと姿を変え続けている。
大体は晴景達が頑張ったおかげだが、あいつ等を後見した俺の実績とも言える。
「上条一人抑えきれぬわしに、政治も戦も無理じゃったろう。そうすればあの上杉顕定や、一向宗に越後は食い物にされていたかも知れぬ」
確かにそうなった可能性もあるし、定実殿がしっかりしなければ上条や上田長尾等が実権を取り合って内乱に近い状態が続く可能性だってあった。
まぁそうなれば誰もが定実殿を政治的に利用しようとして、定実殿は今以上に立場が無かったかも知れないな。
「だからわしに代わる守護代として、長年働いてくれてありがとう」
俺は定実殿の言葉に胸が熱くなる。
へっ、歳をとるといけねぇ。眼まで霞んできやがる。
「そうじゃ、お主と飲もうと酒を持ってきたんじゃが…… 息子に禁止されとるんじゃて?」
「いや、定実殿から誘われたら俺は断れません」
この一杯くらいは許せよ? 晴景。
「「乾杯!!」」
―こうして長尾為景は表舞台から身を引く事になる。
この後、隠居した為景は宇佐美房忠や上杉定実らと共に子供達の教育へ参加したり、越中の宇佐美定満や北信濃の高梨澄頼の元へ出かけたりと悠々自適に過ごす。
彼が表舞台に再び出て来る時。それは長尾家がかつて無い苦境に迫られた時である。
と言うわけでまだまだ死にません!(爆)
今回は”死ぬ死ぬ詐欺第一弾”の母の時とはまた違ったテイストでお送りしました。
これで本当にしばらく為景は出てきませんので、少し最後に見せ場を作りたかったので。
あとこの話だけは『虎千代育成編』のくせに虎千代がちっとも出てきませんが、勘弁してください。




