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第二話「今後の方針1~自分を鍛えるが吉」

幼少編の間は前半が為景(親父)視点、後半が晴景(主人公)視点が多いです。

謙信が生まれるのは晴景が21歳のころだから、どうしても為景の出番が増えます。

永正7年(1510年)6月

 “関東管領” 上杉顕定率いる軍は、ほんの10ヶ月前とはその姿を大きく変えていた。


 10ヶ月前、8,000の兵を率いて越後へ進軍する顕定に対して、揚北衆の再度の反乱や上田長尾家の房長が顕定側につくなどがあり、不利と見た為景は越中まで落ち延びて再起を窺っていた。

 その間、上杉顕定は越後に残り、弟の無念を晴らすかのように為景についたものを粛清していたが、それはかえって為景側に付く者を増やす事につながったと言えよう。

 揚北では元々為景よりの中条や志田等が反抗を続け、長尾房長も再度為景側につく素振りを見せていた。

 更に雪で越後の地が覆われたのを待ったかのように、関東では北条早雲や長尾景春らが動き始めていた。


 そんな中、為景の義父である信濃の高梨政盛の力も借り、佐渡を経由して越後へと帰還した為景の軍に対して、上杉顕定方の軍は連敗を重ねていた。

 関東の情勢が危うい事も相まって、ついに顕定は関東への帰還を決意するが、それに付き従う兵はわずか1,000足らずであった。



 そして長森原において為景の軍はついに顕定の本陣を捉えるのであった。





-長尾為景-

 ようやくだぜ、上杉顕定よ。

 こうなっちまったら“関東管領”だろうが何だろうが関係ねぇ。

 如何に生まれが良かろうと、大軍を率いようと、最後の瞬間に死んじまったら関係ねぇ。




 ……俺は親父が死んだときからそれを解っていたが、あんたは最後まで解ってなかったみたいだな。

 まぁだからこそ弟の敵討ちなんぞの為に越後まで出てきたんだろうがなぁ。




 と、そんな事を考えていたら伝令が本陣に入ってきたな。

 顔を見る限りどうやら良い報せのようだが。


「殿!高梨政盛殿より伝令! 政盛殿自ら上杉顕定めの首を獲ったとの事です!!」

「おぉ~!」「やったか!」「我々の勝利じゃ!」


 さすがは義父殿!自ら大将首を上げるとは、俺もまだまだ敵わねぇな!!


 残念だったな顕定よ。命さえ残っていれば再起も計れただろうに。

 弟の復讐の為の粛清なんぞに時間を取らずに、さっさと関東まで引き下がってりゃこんな事にならなかったのになぁ。


 関東ならあんたに地の利もあっただろうが、ここは越後。俺の庭だぜ?


 俺は周りの皆を見回し、そして高らかと声を上げる。


「よ~し!皆、勝ち鬨を上げろ!!」

「「「えい、えい、お~!!」」」


 さて、愛しい我が家(春日山城)に帰るとするかねぇ。

 しばらく会ってねぇが、道一丸もでっかくなってるんだろうなぁ~





 “関東管領” 上杉顕定による越後侵攻は、こうして為景の勝利に終わった。

 だがこの後の敵は身内である越後の中にこそ居た。

 何故なら為景はあくまでも守護代であり、越後の中で特に有力な国人の一人に過ぎないからだ。

 為景の越後統一への戦は、むしろこれからが本番なのであった。







-道一丸-

 俺は越中より帰還した女房衆らと共に春日山城にいた。

 話に聞く限りではどうやら親父殿が上杉顕定を討ったらしい。



 俺?何もしてないよ。

 だってまだ2歳(数え年)だもの!

 いくら転生してきたからって介入のしようが無いだろうが!



 ……まぁこれから先いくらでも介入する機会はあるんだがな。



 俺はまだ赤ん坊で動けない頃に、とにかく今後どうするかを考える事にした。

 そして動けるようになってからは、とにかく身体を動かして鍛える事にした。



 病弱であったと言う長尾晴景の身体であっても、ある程度は鍛錬で改善するだろうと見越してのことだ。



 前に転生先で考えた上杉定実のように、さぁこれからって時に死んじまったらたまらんからなぁ。

 何より史実では家督を謙信に譲り渡してから5年ほど(定実と3年しか差がねぇ)で晴景は亡くなってるもんな。



 ……俺が考える中で上杉謙信が天下を取れなかった大きな理由の1つは、何より信頼できる親族衆が居なかった事にある。

 もちろん信頼とは能力的な部分と、自分に反抗しないかって2点だ。


 仮にそんな武将が居れば、謙信は越後をそいつに任せて関東で思う存分働くか、逆に関東の統治を任せて諸将の離反を押さえて支配圏を徐々に広げることが出来たはずだ。

 

 能力的には長尾政景なんかは信頼できたはずだが、家督相続の際に反乱を起こして、その後も野心を捨て切れなかったというんじゃ、心から信頼できたとは言えないだろう。


 現に越後には武田信玄から何度も調略を受けており、大熊朝秀・北条高広・本庄繁長などが反乱を起こしているんだから、政景にしても何時裏切るとも知れないだろう。



 だからこそ、俺がその役目に入る事が理想だと思っている。



 有力な親族衆として謙信の背後を護り、戦の天才である弟には思う存分戦働きをしてもらう。

 それだけで上杉家の天下はグッと近くなるだろう。



 ……けして俺が前線に出るのが嫌なわけじゃないよ?



 謙信が前線に出るとしたら、越後の反乱や武田信玄の押さえとなる役目になるし、自分が関東を抑える役になったとしたら、北条氏康と真っ向から調略合戦をして関東の諸将の支持を集めなければいけない。


 だから俺も戦働きの為に知識を増やし、経験を積まねばならないだろう。

 その為には優れた師が必要なのも解っているが、どこかに転がっていないもんかな?


 あぁ~、誰か山本勘助でも拾ってこれないかな。本当に。

(山本勘助は犬猫みたいに落ちていません)



 まぁとにかく、今後の方針としてまず一番に挙げられるのは俺自身の成長ってことだな。


 謙信に家督を譲るにしても、別に謙信と険悪な仲になる必要なんてないんだ。

 優秀な兄弟として仲良く支えあっても良いじゃないか!




 そう、豊臣秀吉を天下人にした豊臣秀長みたいにな!




 まぁ兄と弟の立場は反対だがな!!




 まだ見ぬ弟よ、兄ちゃんはお前の為に頑張るからな!







 こうして体力づくりに張り切る道一丸であったが、彼はまだ知らない。

 これから20年の後に生まれてくるのが、弟ではなく妹だと言う事実に……

自分が考える上杉家が天下を取れなかった理由その1です。

他の方の小説(なろう内の歴史物は楽しんで読んでいます)でも書かれていますが、謙信が居る所では無敵でも謙信が居ないところでは・・・?と言う点ですね。

特に越後の場合は有力国人の集まりであり、信○の野望の様に「はい、お前この城に配置ね!」とはいかないのが現状ですし、如何に能力が高い将が居たとしても、完全に謙信が背後を任せるには至らなかったと考えます。

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