第十四話「初陣~前編」
享禄3年(1530年)8月
晴景の元から佐渡侵攻軍が出発してからおよそ一月半。
与板城へ向けて上条定憲らの反為景連合軍が迫ろうとしていた。
その数は約2,000。
当の本人達ですら知れない事であるが、これは本来の歴史で集めた兵より1,000以上も少ない数である。
その理由としては、戦が長引けばこれから秋にかけて年貢の徴収に支障が出る為、人手を残さざるを得なかった事。
そしてもう1つ。本来の歴史では共に蜂起していた宇佐美定満が、為景側に付いている事にあった。
その歴史の変貌を知るすべは無く、上条らは与板への進軍を続けるのであった。
-上条定憲-
ククク、予想通りよ。
あれから念を入れて物見も放ったが、与板の周辺の領民は明らかに減っている。
これは勿論あの小倅めが佐渡へ兵を出している影響であろう。
恐らくあの様子だと急ぎ兵を集めても200も集まるまいて。
後は為景が来る前に如何にして与板を落とすかだが、10倍の兵力差に城を守る将は小僧。我らの勝利は間違い無きものよ!
やはりあの時すぐに準備する様に伝えて良かったぞ。
秋を目前に控え兵糧も兵も集まりにくく、準備に一月半かかったがな。
直江の軍は佐渡へ渡り、更にそこから戦をするとなれば、三月は帰って来れぬであろう。
もし急ぎ伝令を出して兵を引いても、佐渡からの距離を考えれば間に合わんわ。
帰ってきた時にはその軍も取り込んでやり、収穫後に更に兵を募ればわが軍は7,000にもなるであろう。
それだけの兵があれば、如何に戦上手の為景であろうと討ち果たせる。
ついにわれの、上条定憲の天下が来ると言うものよ!
・・・・・・
われらの軍は与板へたどり着き城を包囲する。
本陣では大熊政秀殿、長尾房長殿、それに揚北の本庄や色部らが集まっておる。
揚北は安田らの押さえの意味もあり、数が少ないがしょうがない所よ。
色部などは息子と意見が違ったのか、己の手の者だけしか連れて来て無いが、急な戦であるし来ただけマシと言うものよ。
将が集まった所で、その色部が発言をする。
「上条殿、まずは与板へ降伏を求めてはいかがか?長尾の倅めが臆病者ならば、我々は労せずに与板を手に入れられますぞ?」
ふむ、一理ある。
これからわれらは為景めと対するのだから、兵は温存するに越したことは無い。
それに家臣に戦を任せて城に篭るような臆病者、十分に降りる可能性はあるわ。
周りを見回すと、房長殿や政秀殿も頷いておる。
「よかろう。わしらは寛大じゃから、降伏すれば憎き為景めの小倅であれ、助けてやるとしようか。」
ワッハッハッハッ・・・
そう言うと、皆から笑い声がこぼれた。
与板の包囲が完了し、案を出した色部が一騎で大手門へと近寄り、降伏を勧告する。
ククク、どう応えるか見物よ。
「与板城の者に告ぐ!貴殿らは完全に包囲されておる!兵力差は見て解るであろう!
この上は無駄な抵抗を行わずに我々に降伏するが良い!寛大な我々は、貴殿らを悪く扱わない事を約束しよう!!」
色部の勧告に対して、周囲は静まり返る。
そしてそれに対する返答は・・・・
ヒュヒュヒュヒュッ・・・・パシパシパシパシッ!!
おびただしい数の矢をもってであった。
何故だ!?あの数は200どころでは無く、見る限り1,000近くにもなるでは無いか!!
本陣に動揺が広がる。
だが混乱するわれらを、更に混乱させる出来事が起こる。
それは櫓の上に現れ、我々に対して言葉を発する老齢の男。
「これはこれは上条殿に長尾殿、いつかの戦では共に戦いましたが、どうやら今回は敵味方に分かれてしまった様ですなぁ。」
宇佐美房忠!!!???
何故、春日山で隠居していた筈の奴がここに居る!?
春日山にも手のものを送っていたが、奴を含め誰かが動いたなどと言う知らせは聞いておらんぞ!?
われはたまらず、奴に向かって声を荒げる。
「おのれ房忠!ようも恥ずかしげも無く戦場に立つとは、どう言うつもりか!?貴様は定実様に仇なす為景に組しようと言うのか!?」
われの声に対し、房忠は冷ややかな眼をし、そしておもむろに語りだす。
「ふん、恥ずかしげも無くか・・・。それはこちらの言葉よ定憲!!」
歳に似合わぬ大声をだす宇佐美の姿に、われや兵達に動揺が走る。
「為景殿は越後を治める為、涙を呑んで定実様より権威を頂いている。・・・悪戯に乱を起こし敗れ、為景殿に仕えてから初めてその事がわかった。この房忠一生の不覚よ。」
そう言葉を発する宇佐美めの目元には、光るものが見えた。
「それに引き換え貴様は、自分が不利になればすぐに為景殿に膝を折り、そうして置きながら今また悪戯に越後に動乱を持ち込む。ただ自分の良い様にしたいだけではないか!!」
その言葉にわが軍に動揺が広がる。
特に為景と共に戦う機会が多かった揚北の者などは、宇佐美から視線をそらす事しか出来ないでいる。
「じっちゃん、ありがとな。父上の事を解ってくれて。」
そう言って姿を現したのは歳若い武者。
府中や春日山で幾度かは見た事がある顔。
それは長尾の小倅であった。
奴は櫓よりわれらを見下ろすと、おもむろに声を張り上げる。
「上条定憲!長尾房長!大熊政秀!それに揚北の奴等も聞いているか!!お前たちが誰に対して弓を引いたか、父上に代わって俺が、長尾晴景が教えてやる!!命が惜しくない奴はわが城を攻めて来い!!!」
どっ・・・・堂々たる名乗り、これが初陣とは思えないような肝の据わりよう。
だっ誰だ!?奴めを戦に出ず城に篭るだけの臆病者と申したやからは!?
話が違うではないか!?
-長尾晴景-
じっちゃんの言葉には、不覚にも俺の胸まで熱くなった。
おかげで柄にも無い、熱い叫びをしちまった。
じっちゃんは俺の初陣の目付け役も兼ねて、親父殿より派遣された。
春日山より精鋭100人を連れてだ。
軒猿衆による情報封鎖はしているが、これ以上を動かせば上条達に気づかれてしまう可能性もあるから精一杯の数だ。
それに俺が密かに雇用していた屯田兵、これは佐渡攻めには参加させていなかった。
屯田兵達は実綱達が出発したと同時に、上条達にその存在を知られないよう、城の中から一歩も出さずに修練を重ねた。
その数は400。
貧困から一向宗に走る者も多いと聞き、軒猿衆に越中・加賀方面で、長尾家で働き口があるという噂を流すことで集めた。
そしてわざわざ遠くで募兵した彼らは、越中より船でここまで運ばれて来た。
彼らの分の兵糧もコツコツと溜め込んだものに足して、佐渡攻めの物である様に見せて集めた。
情報を完全に操作していることもあり、上条達は屯田兵と言う存在自体知らないんだから、奴らはどこから兵が沸いてきたのかと思った事だろう。
そして領民兵と俺や景家達で約200、
全部合わせればその数は約700だ。
これで2,000対700。城攻めには3倍以上の兵力が必要と聞くが、それを割っちまったぜ?
しかも城を守るのは、親父殿を相手に半年以上篭城戦をした、あの宇佐美房忠だ。
さぁどうする、上条よ?
長尾晴景の初陣となる“上条の乱”はこうして幕があがった。
その様相は上条達が思い描いていたものと、大きく異なるものであった。
晴景君、ついに初陣です。
兵力に差はありますが、晴景君には篭城戦の名手が付いています。
このまま為景の到着を待っても勝ちですが・・・