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【08】 AM11:30

 上空でホバリングしていた大型のヘリコプターが一機ずつ、現場に降りてくる。

 近づいて見ると、高さ10m、幅2mくらいの短冊状のコンクリートの塊、つまり『仮設堤防』は、その両端が厚くなっていて、その両端に20mくらいのロープがぶら下がっている。

 強烈なヘリのダウンウォッシュの下で、地上の施設部隊員たちは7人一組になり、1人がヘリを誘導しつつ、降りてきた両方のロープを3人づつが捉まえ、パイルの上に立てた柱の方に引き入れる。

 さらにヘリが降下して仮設堤防が柱に近づく。

 仮設堤防の両端の厚い部分には、パイルの上に捻じ込まれた柱が刺さる穴が開いているようだ。地上の隊員たちはロープで位置を調整しながら、柱を仮設堤防に差し込む。

2mくらい差し込まれたところで、地上からの合図でヘリの牽引が切られ、ドンッと激しい音を立て、最初の仮設堤防が地表まで刺さる。

 見ていた三班の何人かは『おおっ』という歓声を上げたように見えたが、ヘリの立てる爆音で、菜穗子には隣にいた森保の歓声がようやっと聞こえる程度だった。

 しかし施設部隊の隊員たちは、一枚目の成功を喜んでいる暇などない。次のヘリの誘導で手一杯だ。

 と、野澤から皆のタンマツにメールが入る。

 『本田さんと森保以外は拠点に移動』

 『森保の安全確保も含めて、本田さん、あとはよろしくお願いします』

 そして『こっちに来い』的な引き揚げの仕草をして、拠点のあるマンションに向かって小走りし出す。声が出せるような状況だったら、さっき来た時みたいに号令かけるんだろうな、などと菜穗子が思っていたら、野澤がさらにメールで、

 『全員駆け足!』

 と追い打ちをかける。

 国家公務員になって、『駆け足!』ってメール送られるとは思わなかったよ、と菜穗子はちょっと悲しくなる。


 拠点に戻ると涼井班らしき人たちが、マンションの屋上から仮設堤防設置の様子を撮影していた。野澤と榊原ユカリが班長の涼井らしき人と(不謹慎なまでに)楽しそうに話し出す。

 しかしマンションの屋上に戻って、こうして廃工場(すでに『跡』だ)の現場を見ると、裸眼でもはっきりその状況が菜穗子にも見てとれた。

 ちなみに千代田線直上のダミーの爆発物に対しても、別の施設部隊の一団が、土嚢を積んで万一に備えているようだ。

 「まあ、千代田線直上の方や足立市場裏がビンゴなら気休めなんだけどね」

 涼井らしき人との談笑を終えた野澤が説明する。

 本部を置いているマンションの屋上でもヘリの爆音は気になるが、なんとか会話はできる。

 「爆発物の回りを直接覆っている土嚢で、爆発の衝撃と、その反作用で流れ込む水のチカラを弱めて、ちょっと離れた所に積んでいる土嚢で流れ込む水を堰き止める」

 「上手く行くんですか?」

 「上手くいくなら森保が怒ってなかった。流れ込む水を堰き止めるには、回りに家が多すぎる。家の中は水は素通しだから。10軒くらいマジックのように一瞬で消えてくれれば話は別だけど、現状では、必要な分の土嚢を積むスペースすらない」

 野澤はちょっと怖い顔をして、菜穗子の顔を覗き込んで付け足す。

 「ホントに気休めなんだよ。というかお役所仕事的な言い訳。対策は取ってました、っていうジェスチャー。ただし水の勢いは弱まるから、オレたちはじめ、千住西地区にいる各種公務員たちが撤退する時間は作れる」

 野澤の話は常にぶっちゃけ話だ。あけすけ過ぎる。でも、なんで私にこの話をするんだろう、と菜穗子が思い、しかし背後に人の気配を感じて振り向くと、怒りに満ちた南田が立っていた。この人も悪い意味で粘り強い。というかしつこい?

 「仮設堤防を吊した自衛隊のヘリ、40分以上、ここでホバリングしてましたよね」

 「で? それで?」

 あしらうように野澤が答える。薄ら笑いしながら、『よくオレに挑戦してきたな』、みたいな顔で。

 「フライングまでして、木更津からヘリ部隊を呼ぶ必要なかったですよね」

 その南田の発言に、野澤は呆れた欧米人のように両手を広げて、

 「そういう野球解説者のする結果論みたいな話、しててムナシクない?」

 とここでいったん言葉を切って、野澤は南田の顔をじっくり見た。

 「オレたちがやらなきゃいけない仕事は、この街を海に沈ませないことだって分かってる?」

 南田は答えられない。

 「そう思ってないなら、ネット裏で好きなだけ試合を観て、解説しててよ。ただし」

 野澤は、菜穗子がビビルくらいの薄ら笑いを浮かべて言い放った。

 「オレのチームの一員じゃ無くなる。オレもそう思ってお前に対応する。もう、現場に来てもらうこともない。解説者だったらモニターの向こうで見てるだけでいいんだから」

 言いながら、野澤の笑いが止まらない。

 「まあ、今日は最初からそういう扱いだったけどさ。坂本さんっていう新入りが来て、その対応をさせれば少しは変わると思った。けど、全然変わらないね」

 またぶっちゃける。だから私とバディを組ませたのか。

 「今日じゃなくてもいいからさ、自分のスタンスが今のままでいいのかゆっくり考えてよ」

 今のスタンスのままでも本省に帰れないぞ、っていう脅し?も込めて野澤が話を畳みにかかる。

 「で、考えが変わったなら教えてね、扱い変えるから。まあ、今日はこういう状況だから逆に普段言えないような踏み込んだ話ができて良かった」

 これでこの話は終わり、じゃあ南田君サヨナラ、っていう仕草を野澤がして、タンマツで別部署と話し出した。

 どういう話のまとめ方だ!

 今回も南田は打ち拉がされた表情で引き下がる。

 しかし南田さんて打たれ強いのか弱いのかよく分からない人だな、と言うのが実は菜穗子の一連のやりとりに対する感想だったのだが。


 涼井班と打ち合わせをしていて、野澤と南田の話は脇では聴いていたけど、それに加わっていなかったユカリが『解かってるのかなこの子』、という表情で菜穗子に話しかける。

 「坂本さん、南田君の言いたいことの趣旨って、結局解った? いつも悟朗さんに言いかけては緒戦で言い負かされて、黙らされて、全体像が見えなくてイライラしない? と言うか私はイライラしてるんだけど」

 「そう言えば南田さん、朝のミーティングの後の野澤さんと本田さんのやりとりでの中で、野澤さんが『9時半からおおっぴらに動けます』って言ったのを聴いた後に、不機嫌になったような気が」

 ユカリがもうちょっと詳しく、というような表情をして菜穗子に先を促す。

 「その後、『フライング』だとか『災害派遣』がどうのこうのとか言って、私が『ヘリで現場に向かうのは速いほうがいいですよね』的なことを言った後に・・・」

 ユカリがさらに先を促す。

 「そうだ、『君、ホントに公務員』とか、『僕たちは法律に則って行動しなきゃイケナイ』とか一瞬怒られて、その後、『ヘリコプターを借りることがそんなに問題なんですか?』って質問したら、ヘリを借りるのは問題ない、って謝られて」

 そうだ、その後、南田さんは、『環境省に戻りたいんだったら、野澤さんたちの仲間と思われるな』、って言ったんだ。さすがにそれは明らかに『野澤さんたちの仲間』であるユカリさんには言えないけど。

 「なるほどね、国土交通省に戻りたがってる南田君が言いそうなことだわ」

 あちゃ~、言ってないのに伝わってる。

 「今、全体像が見えた」

 ユカリが、すべて納得、という表情を浮かべた。

 「ん~。聴きたい? 私としては、爆破予告時刻までちょっと時間があるから話したくはあるんだけど」

 「聴きたいです」

 「そう、坂本さん、話す前に確認。これから『菜穗子』って下の名前で呼んでいい? 私がしたら悟朗さんたちは皆、そう呼ぶけど」

 ユカリさん、あなたはアメリカ人か! て言うか、それは私の方が「Call me “Naoko”」て言うところだよね。

 などと心の中で問答して菜穗子が詰まったところでユカリが畳みかける。

 「ここは重要なところ。軽い気持ちで外部にツブヤいたりされたら悟朗さんどころか温暖化対策委員長の首が」

 と首を切られるジェスチャーをする。

 その仕草が、あまりに野澤がした、北千住署のお偉いさんの首が切られる仕草とそっくりだったので、野澤さんとユカリさんって付き合ってるだけじゃなくて本当は夫婦なの? もしくは姓は違うけど、実は血を分けた兄妹なの? などという無駄な妄想が再び菜穗子の中で沸き上がる。

 それはさておき、女性として憧れ始めているユカリさんに下の名前で呼ばれるのは正直嬉しい、と菜穗子は思い、

 「はい、今日配属なのに、皆さんに『菜穗子』って呼ばれたらすごく嬉しいです」と答えた。

 しかしユカリが訊いているのは『私たちサイドの人間って思っていいのよね』という重たい問いかけだ。しかし菜穗子はそこまで考えが至らない。

 「う~ん、そう言うことじゃないんだけど」

 ユカリは古畑任三郎みたいな仕草で(こういう比喩を思いつく時点で私はお祖母ちゃん子なのかな)、眉間に手を当てる。それを見て『何か困ってるのかな?』などと、菜穗子は自分のニブさがそうさせていることに全然気がつかない。

 「ともかくこれからする話は外部では絶対にしないで」

 菜穗子は夢中でうなずく。


 「菜穗子が出勤したのって8時半くらい? その時、悟朗さんの服ってアロハに短パンだったよね」

 そうだった!

 「悟朗さんも私も、北の丸公園の本部の隣にある宿舎に住んでる。すぐ出勤できるように緊急対策班の班長以上は義務、そうじゃない人もなるべく宿舎に住むのが望ましいから、家が近い人以外は、ほとんど宿舎に住んでる」

 その辺の話は挨拶回りの時にも聴いていた。菜穗子の実家は西東京市で、小一時間くらいしか通勤に時間がかからない。都心に通勤する勤め人の中では比較的近い方なので、その時はわざわざ実家を出る必要は無いよね、と軽く聞き流していた。

 「朝の8時に犯行を予告されて、すぐに緊急招集がかかって、悟朗さんは私服のまま8時10分頃には本部に出勤して、すぐに自衛隊出動の根回しをしてたんだと思う」

 ユカリは次々と仮設堤防をパイルに刺し落としてゆく大型のヘリを指さして、

 「あのヘリって木更津駐屯地の第1ヘリコプター団の所属」

 次ぎに仮設堤防を設置している施設部隊を指さして、

 「一方、仮設堤防が保管されているのは、朝霞にある施設部隊駐屯地。もちろん実際の設置を行っているのも朝霞の施設部隊」

 そこでユカリは指を南東から西に動かしながら、

 「つまりヘリは、東京湾の南東にある千葉県木更津から、いったん、この現場の西にある、東京と埼玉の境にある朝霞駐屯所まで飛んでいって、そこで仮設堤防を吊り下げて、後戻りする感じで、ここ、北千住まで飛んでこなきゃいけない」

 「つまりは時間がかかる、ということですか」

 「そういうこと。朝霞で仮設堤防をヘリに吊り下げるのだって準備が必要だし、さらに朝霞でヘリに吊り下げる担当とは別に、仮設堤防を設置する担当は一般道を通ってここに来てもらう必要がある」

 ユカリは自分で話しながら、さらに納得したようだ。

 「つまり南田君が言いたかったのは、自衛隊に対しての正式な出動要請の前に、本田さんを通じて木更津と朝霞にスタンバイを根回ししたのが、南田君的には横紙破りでフライング過ぎる、っていうこと」

 南田、最低、っていう苦い顔をしてユカリは話を続ける。

 「で、それに続いてのさっきの結果論。仮設堤防を吊り下げたヘリが全機到着して、仮設堤防の設置が可能になったのは、確か10時45分頃。でも爆破される場所が特定されて、廃工場とか隣の家とかが撤去されて、パイルが全部打たれて、仮設堤防の設置が実際に可能になったのは11時半頃だから、40分以上は余裕があった、フライングしてまでスタンバイを根回しする必要は無かったって言いたかったわけだ、南田君は」

 そこでユカリは菜穗子の顔を覗き込んで突然、質問する。

 「菜穗子もそう思う? 40分以上、上空で待たせる必要なかったって」

 「今日の状況でそれは無いと思います。爆破される場所が特定できればすぐにでも仮設堤防設置したかったわけですよね。あらかじめいつ爆破場所が特定されるかなんて誰にも解るわけ無いですから、なるべく早く来てもらうのが当たり前だと思います」

 菜穗子のその言葉を聴いて、ユカリが唇の端で笑った。

 私、正解した?

 「お役所以外だったら、誰でもそう思うよね」

 あっ、『こっちの方が合理的だとか勝手に現場が判断して、勝手にルール変えられない』って南田さんが言ってたのはその事だったのか。

 「どっちが大事か、ということよ。緊急対策班の一員として、この街を海に沈ませないことが大事なのか、官僚のルールを守って、自分だけは出世して、高い給料貰って、安定した生活をして、楽な老後を送るのか」

 ユカリは、バカじゃない?っていう仕草をして、

 「彼が思い描いている安定して安全な未来なんて、日本どころか、世界中探しても、今はどこ無いのに」

 そしてユカリは菜穗子の両肩に手を当てて、諭すように話す。

 「菜穗子、あなたもすぐに直面すると思う。南田君的な事なかれスタイルで行って環境省に戻るのを優先するのか、私たちみたいに、ヨソの省庁どころか自分の出身の省庁を敵に回してでも、目の前の状況が少しでも良くなることを優先するのか」

 それは、菜穗子にとって、出向の内示を受けた時から、『温暖化対策委員会』の様子を見てからじっくり考えようと、考えるのを止めて先送りにしていた問題だ。もちろん自分の与えられた仕事にベストを尽くそうとは思っていたが、それが環境省にとって嫌がられる内容だったらどうすべきなんだろう。まだこの『緊急対策室』で自分がする仕事が何かも分かってないのに。

 菜穗子が困っている顔だったので、

 「初日から厳しい事を言ってゴメンね。まあ今、直面してるわけじゃないから、実際に仕事しながら考えて。まあ南田君の言動が余りに不愉快だったからついつい口調がキツくなっちゃったかな」

 ユカリが柔らかい表情に戻して謝る。

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