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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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短編集

永久地獄

作者: 俺

「…お前は甘い。きっと、本当の地獄を見たことがないんだろうな。」

「ほ、本当の地獄…?」

「そうだ。そこは血と凡る叫び声に塗れ、並のヤツなら一瞬で正気を失い狂気に侵される。そしてそれ以外のほんの一握りのヤツらは、正気を保ちながら狂気をも飼い慣らし殺戮兵器と化す。…この俺のようにな。」

「…!!」

目の前の男の呼吸が、見る見る荒くなっていくのが分かる。

俺はその様子を観察しながら、更に男の心を乱すべく話を続けた。

「本当の地獄とは、そういうところだ。お前には、それを見る勇気と覚悟があるか?…あるはずがないよな。あるなら、こんなふうに小賢しいことなんてしないだろうからな。」

男はうんともすんとも言っていないが、俺の言葉に何一つ間違いがないことは、立つのもやっとな程の腰の引け具合を見ればすぐに分かる。

「本来ならそんなもの、見ないに越したことはない。だが、今は違う。その光景の悲惨さ、凄惨さを知らないばかりに、その事実がお前を脅かし、そして殺すんだ。そう、お前がお前自身をな。」

並々ならぬ殺気に圧され、銃口一つさえ向けられていないのに萎縮しきっている男に、一歩近付きながら俺は言った。

この男の怯えようからして、戦場に慣れていないのは想像に難くない。

「な、何を言ってる?ど、どういう意味だ?」

俺から逃げるように後退りして腰を抜かした男は、認めないとばかりに泣き叫んだ。

しかし、それは悪足掻きというものだ。身も蓋もなく言ってしまえば、無駄な行為でしかない。何故なら、もうこの男に逃げ場などないのだから。

男の様子とは極めて対照的に、至って冷静に俺は吐き捨てた。

「これはゲームでもなければ、勿論夢でもない。紛れもない現実だ。そして現実では、俺のようなヤツも含め人殺しから真の英雄は決して生まれない。」

あんなに激情に駆られ、まるで蝮のように執着し続けてきたのが我ながら嘘のようで、自分のことなのに不思議に思ってしまう程だ。

しかしその一方で、床に転がった汚物でも眺めるような冷めきった眼差しで男を見下ろしながらも、やはりこの胸糞悪い卑怯者をただ殺すだけではなく、“本当の地獄”を少しでも味わわせてからあの世へ送るべきだという気持ちはどんどん強くなってきていた。

そう簡単に楽になどさせてなるものかと固く誓った心に素直に従って、俺は更に続ける。

「殺される覚悟もなく、戦場の非情ささえ何も知らず、知ろうともせず、それなのにそんなお前が気軽なゲーム感覚で戦争に介入してきた。そしてボタン一つで手軽に幾つもの命を愚弄し、上手くいったから次もやれると調子づき、自分は強いと勘違いさえするようになった。…自分が死ぬことなど、微塵も考えずにな。」

そう言ってゆっくりと大袈裟に銃を構え男の眉間に向けると、案の定、男の肩は見事に大きく跳ねた。顔は最早真っ青を通り越して土気色になり、顔中に脂汗をかいている。

ようやく散っていった仲間の、親友の、最愛の存在の敵を討てると思うと、笑みを溢さずにはいられなかった。

そして、そんな俺の顔を見て先程までより更に怯えに拍車がかかる目の前の男の様子が愉快で堪らなかった。

「…そんなヤツが、英雄になどなっていいはずがない。ここまで言えば、もうさすがに分かるよな?」

「ま、待ってくれ!聞いてくれ!何かの間違いだ、俺じゃない!話せば分かる!そ、そうだ、本当は他のヤツに命令されてたんだ。そうしなきゃ殺すって。な?俺は悪くない!寧ろ被害者なんだ、仕方なかったんだ!だから、命だけは!どうか、頼む!」

白々しい。嘘にもなっていないような、幼稚な虚言だ。この男は、俺が何も知らないとでも思っているのだろうか。

大方、最早そんなことを考える余裕すらないからなのだろうが、それにしてもすべては自業自得、因果応報、自らが招いた結果だ。どちらにしろ愚か、そして浅はか過ぎて、反吐を通り越して笑いが出る。

この男に、選択の余地などない。否、あったとしても与えない。断じて、与えてなるものか。

最後の最後まで、この卑怯者らしい想定通りの命乞い。寒気がする程、とても醜い。

とは言え、どんな者にも死に際には多少の慈悲を与えるべきだと、それこそ甘い考えを持つ俺は、最大限の蔑みを含んだ眼差しと声でその旨を伝える。

「お前に今から、覚悟を決める時間を三秒くれてやる。そしてその後、お前がしてきたことに対する報いを受けてもらう。最も、馬の糞よりも安い価値しかないお前の命がたとえ百の束になったとしても、償えるわけがないがな。精々想像を絶する苦しみに悶えながら、文字通り本当の地獄を旅するといいんじゃないか?きっとお前なら、楽しめるかもな。つまり、死ね。」

「い、嫌だ!頼む、何でもする!助けてくれ!」

男の恐怖は、最高潮に達したようだ。全身を大きく震わせ、目玉が溢れ落ちそうな程瞳を見開いて喚き散らし、尚も慈悲を乞うている。最早、醜いという言葉ですら足りない程の醜悪さだ。

もしかしたら俺は実は自分でも信じられない程の優しさの持ち主だったのではないかと、自らを疑ってしまう程だったが、最後に気紛れにもう一度だけ男に問うてやることにした。

最もそんなのはとんだ茶番で、どんな受け答えをしたにしろこの男が辿る運命に変わりはないのだが。

俺は更に男の顔に銃口を近付け、再び口を開く。

「最期の言葉は、それで良いのか?三秒を越えてしまうが、特別にもう一度だけ聞いてやる。他に言うことはないか?そうだな…。たとえば、お前が遊び半分で殺してしまった者達への懺悔や謝罪の言葉とか。」

「悪かった、俺が悪かった!もうしないから、だから…!」

「じゃあ、死ね。」

その言葉を引き金に、乾いた発砲音が辺りに鳴り響く。それとほぼ同時に、恐怖に目を見開いたまま男は息絶えた。

少しも心の籠っていない、自らの保身の為だけに発した、何の意味も価値もない謝罪の言葉を断末魔に。


誰にも見つからないように、またもし突き止められても簡単には辿りつけず、いざとなれば立て籠れる場所を男が探し出してわざと選んだ為だろう。戦場や居住区からはそう遠くはないが地下奥深くに位置するここは、驚く程静かだ。当然、人の往来はない。恐らく、先程までのやり取りや銃声を聴いた者もいないだろう。それ程に、ここは地上とは隔絶された空間だった。

以上の点からして、自分の身の安全はかなり気にしていたようだ。その点から見ても、やはり小心で卑怯な男だったことに全く間違いはないようだ。

そしてそこまで図ってか図らずか一見頑丈そうなこのシェルターに目をつけ、そのまま利用していたのだろう。

しかしこの軍事用シェルターは造られた後、大して使われることもないまま投棄、そして長年放置されていたらしく、外見に反して内部の経年劣化はだいぶ進行していた。それ故、老朽化の激しいこのシェルターには大した手間もかけずに易々と侵入することができた。

身の守りを優先していた割にそんなことにも気付かず、それ故調べず、それ故知らず、それ故対策を施さなかったのだから、やはり取るに足りない人物だったのだろう。そんなくだらない存在にいとも容易く次々と命を散らされていった仲間達を思うと、尚のこと腸が煮え繰り返るだけでは足りない程の憤りを感じざるを得なかった。

目の前に転がるこの男の生前の様子は、データにあったこと以外はろくに知らない。知る由もなければ、増して知りたいわけでもない。というよりそもそも、邪悪で極悪なこの男のことなど俺が知りたいと思うはずがない。

たとえ俺の見ていない時期や場所でこの男がどんなに称賛に値する人物だったとしても、俺には何の関係もないことだ。俺にとって大切なのは、目の前で沢山の命を愚弄し、それだけではなく侮辱し、玩具としか思っておらず、またそうとしか扱っていなかったこと、ただその事実だけだ。

だから精々死後は己の愚かさや浅はかさを嘆き呪いながら、その身が朽ち果てるまで孤独に苦しめばいい。

そうだ、俺はやった。殺されてしまった仲間達の無念や恨みをこんな形で晴らすことはできないまでも、きっと少しは喜ばせることができたはずだ。生きる価値などない卑劣な男にこの上ない苦しみを与え、もし生まれ変わったら二度とあんな思考や行動はできないだろう程に痛めつけた上で復讐を果たしてやったのだから。

倫理的、道徳的に正しくないことは、重々理解している。血で血を洗うから、争いがなくならないのだということも。だから、俺には許しを乞う資格はない。そのつもりもない。それだけのことを、俺はしたのだから。

そもそも今回のことも含め、俺の人生は決して許されないことに塗り潰されている。だから俺も今まで手にかけてきた命や罪の分だけ、必ず報いを受ける。たとえそれが一秒先の未来だとしても、その覚悟はある。

しかし今は、今だけは、見るも無惨な屍を目の前に渇いた笑いと涙が溢れて止まらない。


紛争地域に生まれた俺は、物心がつく頃には戦闘の英才教育施設にいた。家族のことを含め、その前のことは何一つ覚えていない。教官は“お前らはここで生まれた”の一点張りだったが、実際は子供が幼い頃に親が金欲しさに売り飛ばす場合がほとんどだと後から知った。

しかし成長するにつれ、いない親のことなどどうでもよくなった。何故なら、そこにはもう家族の絆を超えるかけがえのない仲間達がいたからだ。

虐待など当たり前の厳しい環境の中で、それに耐えきれず命を落とす者がいることは最早日常茶飯事だった。“経験を積む為の実戦演習”という名目で戦場や潜入任務に駆り出されることもしばしばだった俺達には死というものが常に身近にあり過ぎて、慣れていくのが当然の感覚だった。自らがその運命を辿る可能性さえ、受け入れていた者が大半だったと思う。裏切り、見捨て、殺す。俺達の日常は真っ黒だった。

しかし仲間の死にその場でショックを受けたり悲しいと思っても、泣く前に命令があれば冷静に淡々と任務をこなす。それは、もしかしたら自分でも気づかないうちに感覚の慣れが心を麻痺させていたからかもしれない。決して忘れるわけではないが、引き摺ることなどほとんどしなくても日常を普通に過ごせる程には余裕があった。

しかしその一方で、だからこそ同じ境遇に身を置き、共に死線を潜り抜けてきた仲間達との絆はとても固かった。その存在は何にも替え難く、絶対に失いたくない大切な宝物だったのだ。相反し、矛盾しているのに同居するこの感覚には、自分でも戸惑う程だった。

やがてその中でも、誰にも言えない秘密でさえどんなことでも話し合い、分かち合える親友ができた。そして誰よりも愛しく大切でどんな時でも支え合い、分かり合える恋人ができた。

しかし、すべてを失った。否、奪われた。卑怯かつ、卑劣極まりない一人の男によって。

その時俺は、自分の心のどこかで何かが壊れる音を聞いた気がした。

そして、誓った。この悲しみ、やるせなさ、そして憤りは決して、断じて忘れない。そうだ、この男だけは絶対に許さない。誰が何と言おうと、許してはならない。たとえ何があっても、自分が死ぬようなことがあっても必ずこの手で断罪してやる。どんな手を使ってもだ。他の誰かの手になど渡すものか、渡してなるものか、と。

たった一人の正体不明のハッカーによる大規模軍事介入、そんな事実が世界中に広まるのにそう時間はかからなかった。情報の乏しい環境にいた俺でさえ、自らに災いが降りかかる前から噂に聞いて知っていた程だ。

それを耳にした当時は戦場に警戒心さえ抱いたがまだ他人事の段階で、その愚か者を自分から積極的にどうにかしようなどとは思っていなかった。

しかしあの時から何かに取り憑かれたように狂気的に、俺は一人の存在に執着するようになった。

自己顕示欲、思考の愚かさ、浅はかさ、軽率さ、幼稚さ、興味の対象以外への極端な無関心故の詰めの甘さ、そして到底英雄になどなり得ない器の小ささ。そういった側面が浮かび上がれば浮かび上がる程、人の形をしているのかも怪しいその外道に対して吐き気を催す程嫌な気分になり、絶望の底無し沼に沈めてやりたい衝動に襲われた。

しかしこれからはもう、そんなこともない。すべてが、終わったのだ。

そうだ、皆、俺はやった。ついに、ついにやった。ようやく、あの時の誓いを果たした。男が死んだところで何一つ返って来くるわけでもなければ、増して戦争の一つさえ終わることはない。それでも、これでやっと俺達は前に進める。そのはずだ。

「…ふはっ…はは…!かははははは…!!」

燃えカスのような笑いと共にいつか仲間達と夢見た眩しい未来が、氷の欠片のような涙と共にいつか仲間達と過ごした大切な思い出が、空気の中へと溶けていく。


硝煙と鉄が錆びたような嫌な臭いが混ざり合う無機質な空間を後にし、まさしく満身創痍、疲労困憊の状態で地上へと出る。

そう遠くない場所に大きく枝を広げた樹を見つけ、誘き寄せられるようにふらふらと近づいていき、日陰になっている根元に腰を下ろした。

雲一つない青い空から覗く太陽の容赦ない笑顔は、不快感を催すには充分だった。しかしこの大木の太くて丈夫な幹が、知らないはずの母の懐に抱かれているかのような心地よい錯覚を与えてくれたので、穏やかな気持ちになるのにそう時間はかからなかった。

俺は深い温もりの中で葉の隙間を潜る光を見つめていたが、最終的には大した抵抗もなく幸福感の波に呑まれ、浚われていった。

瞳を閉じれば、散っていった仲間達の顔が浮かぶ。決してよかったとは言えない人生だったが、それでも今あの日々の夢の続きを探しに行こうとする俺は満足した顔をしていると思う。

「友よ、永久の地獄でまた会おう。」

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