4.5 鈴蘭店主が思うに、息子に彼女が出来たかもしれない。
その日、彼の営む古書店に可愛らしいお客さんがやって来ました。
年の頃は、彼の息子と同じくらいでしょう。
肩より少し上の辺りで切り揃えられた綺麗な金髪が少し波打っていて、ツリ気味の目元に空色の瞳が印象的な、いわゆる『美少女』というのが、その少女に対する店主の第一印象です。
その少女が、店主の方にツカツカ歩いて来て口を開きました。
「すみません、店主さんでいらっしゃいますか?」
「え!?あ、はい、そうですが」
そのしっかりとした口調に、思わず丁寧な言葉で返してしまいました。
「お忙しいところ申し訳ありません。こういった本を探しているのですが」
少女が持っていたメモ用紙には、難しい言葉が並んでいます。主に機械や設計に関する本の名前がありました。
「これ、お嬢さんが読むのかい?」
「はい、もちろん」
店主はポリポリと頭をかくと、こちらにどうぞと少女を目的の本があるレジ近くに案内しました。 その一角にあるのは図鑑や論文、古い研究書、技術書など、専門的な事の書かれた本ばかりです。
「一応ここにあるんだけど……」
そう言ってメモに書いてあった本を一冊少女に手渡すと、彼女は頬を染めて嬉しそうに受け取りました。礼を述べて本をペラペラとめくり文字を追う空色の瞳は、とても輝いています。
「これです、わたくしの探していた……」
嬉しそうにその本を抱き締めると、少女は本の値段を店主に尋ねました。
が。
値段を聞いて、少女はその場に崩れ落ちます。
「わ、わたくしの微々たるお小遣いでは、とてもではありませんが手が出ません……」
音で表すなら『ガーン……』と言ったところでしょうか。
「ご、ごめんね……それ初版本だから余計に値段上がってて……」
古書にしては少し高いくらいで一般的な値段なのですが、子供の出せる金額ではありません。
見ず知らずのお嬢さんをそこまで落ち込ませてしまうなど思ってもいなかった店主は、うなだれた彼女にどうすれば良いのやらと慌て始めます。
「いえ……わたくしが甘かったのです……よい勉強になりました……お手数をおかけいたしました……」
そう言って、少女は抱き締めていた本を体から離し、名残惜しそうに見つめてから店主の手に戻しました。
来店した時の姿はどこへやら。ショボショボと萎れた花のように腰を曲げながら、少女は出入り口の方に歩いて行きます。 その姿があまりにも哀れで、彼女を呼び止めようとした時。ちょうど入り口の方から声がしました。
「父さん、裏で干してた本持ってきましたよ」
店主の息子が、店の裏で陰干ししていた本を台車に乗せてゴロゴロと引っ張ってきたのです。
「あれ?えっと、マルネさん?」
「……アスガルさん?どうしてここに……?」
目を丸くしているマルネに、アスガルは首をかしげながら言いました。
「どうしてって……ここ俺の父の店ですから」
「え?」
「え?って。前に言ったじゃないですか。鈴蘭に住んでるって」
「え、ええ。でも、ああ、ここは鈴蘭と言う名の古書店だったのですか?」
「はい。……いったい何を見てこの店に入ってきたんです?」
「何と言われましても……看板の『古書店』の文字と、入り口から見えた書籍の山を見て、つい」
「つい、って、何か探してる本があるんですか?」
「はい。図書館はもちろん、街中の本屋さんを探して、やっとここで見つけたのです」
どうやら少女は息子の知り合いであったらしく、先程よりも少しだけ元気のある声で会話を始めたその姿に、店主は安堵しました。
けれどそれも束の間。少女は、次の瞬間にはしおしおと萎れて、その声も影を帯びたものとなってしまいます。
「……けれど……わたくしは甘かったのです……さようなら、アスガルさん……」
悲しそうな声で呟くように言いながら、少女はペコリと頭を下げたかと思うと、トボトボと店を出て行こうとします。その、なんとも哀愁漂う後ろ姿に、彼の息子は、ただただ戸惑うばかり。
困惑の表情で少女と自分の方を交互に見つめてくる息子に、父である店主は苦笑いを浮かべて、店を出ようとしている少女に声をかけました。
「ちょっと待って……マルネちゃん?」
疑問符つきで呼ばれた自分の名前に、少女は力無く「はい……」と答えて振り向きます。悲しげに眉を下げ、心なしか揺らいで見える空色の瞳に、店主は今彼女を呼び止めて良かったと感じました。
「少し話を聞かせてくれないかな」
少しばかり困ったように首をかしげるマルネに、店主は優しく微笑みました。
「へぇ空飛ぶ機械……ねぇ……」
店主は興味深そうに呟いて、あごを手でさすります。
現在、彼はカウンターの奥の椅子に腰掛け、それとは別に椅子を二つ準備してアスガルとマルネを座らせています。
店を出て行こうとしていたマルネを呼び止めた店主は、落ち込んだ顔の彼女に問いました。
なぜ、こんなにも難しい本を、まだ少女である彼女が欲しているのかを。
この年頃の少女が読むには難しすぎるその本は、縁の無い者なら一生読むことは無いであろう、機械の専門書です。
一体、こんなものを読んでどうするのか。
彼女が店で、メモに書いてある本を探していると言ったときから、店主は気になっていたのです。
最初、マルネはその質問に少しだけ戸惑う様子を見せていました。「それは、その……」と、なにやら遠慮したような態度を見せる少女。言いにくいことでも聞いてしまったのだろうかと困り始めた店主に、助け船を出したのは他でもない彼の息子でした。
「もしかして、空飛ぶ機械を造るために読んでるんですか?」
その言葉に、マルネは驚いたように目を丸くしています。そして、なぜそれを知っているのだ、と逆にアスガルに聞き返しました。
その質問に彼は、むしろなんでそんなことを聞くのだ、といった表情で首をかしげながら言ったのです。
「一つ上の学年に、空飛ぶ機械を造るんだって言って歩いてるいる人がって……学校中の人が知ってますよ」
その言葉に、マルネは「言って歩いてなどいません!」と反論しましたが、アスガルに「でもよく廊下や裏庭で喧嘩してるときに大声で言ってますよね。あれは言って歩いてるも同じです」と
返されてしまい、グゥの音も出なくなってしまいました。
仲良さげに言い合う息子と少女の様子を見ながら、店主は耳馴れない言葉を頭の中で反芻します。
空を飛ぶ機械。
機械と言うからには、お伽噺に出てくるような魔女の箒のような物ではないのだろう。最近街中を走るようになった自動四輪車に羽をつけて飛ばすのだろうか。いや、大人四人集まっても持ち上げられないようなものを、ただ羽を付けただけで飛ばせるわけがない。
などとぐるぐる考えているうちに、店主の口からはポロリと言葉が漏れていました。
へぇ空飛ぶ機械……ねぇ……と。
「はい、それを造って空を飛ぶのが、わたくしの夢なのです」
照れたように頬を染める姿も可愛らしいもの。
『夢』と言う言葉を口にする時、大きなつり目にしっかりとした意思を宿している姿は、幼いながらに凛としています。
ただひたむきに真っ直ぐに、まず自分に出来ることを。
夢を叶えるために今の自分に出来ることは何かと考えた結果、本を読み、必要な知識を蓄えることだと思ったのだと、彼女は真剣に言います。
店主は、そんな彼女の話を感心しながら聞いていました。
若い頃、彼にも夢がありました。叶えたくて仕方がなくて、勉強もしました。けれど彼がその夢を見つけたのは、焦がれたのは、彼女よりもずっと大きくなってから。少なくとも、義務学校を卒業しようかという頃だったと記憶しています。
結局、色々な事情もあって叶えることの出来なかったその夢を諦めて、彼は家業であったこの古書店を継ぎました。
「すごいなマルネちゃんは……おじさんが同じ年の頃は、遊ぶばっかりで、将来やりたいことなんて考えてもいなかったよ」
感慨深げに言ったあと、改めてマルネが欲している本の名前が書かれたメモ用紙を見ました。いつの間にかクシャクシャになっていたそれは、マルネがショックを受けた際に握り潰してしまっていたようです。
カウンターの上に置いて手でシワを伸ばしながら、店主は紙の上に並べられた文字を眺めています。どれもこれも難しい名前の本ばかりですが、先程彼女に手渡した本をはじめ、数冊はこの店にも置いてあるものでした。
「マルネちゃん、これ読んでみなよ」
そう言って店主が差し出した本は、先程マルネが諦めたもの。
「……え?」
「このお店の中でなら、ここに座って読んでていいよ」
「良いのですか!?」
「父さん!?なに言い出すんです?!」
子供二人が同時に声を出します。 片や驚きと喜びの声。片や驚きと不満の声。
売り物のタダ読みを許すと言葉にした店主本人は、ただニコニコと笑っています。その表情は、今の言葉を撤回する気が無いことを息子に悟らせるに充分であったようでした。アスガルはといえば、それ以上に言葉を発さず、ただ眉を寄せながら父である鈴蘭店主を睨むばかり。
息子から向けられている、どこか責めるような視線など何のその、店主は笑っています。
「いいじゃないかアスガル。読むだけ読んで、記憶に残せるかどうかはマルネちゃん次第だ……あ、その代わり立ち読みはダメだよ?他の人の邪魔になるからね、読む時はここに座って読むこと……どうかな?」
「ぜひ、はい……ぜひ読ませてください!」
店主の提案に、マルネは、それはもう嬉しそうに頷きました。けれど次の瞬間、はっとしたように眉を潜め、アスガルの方をちらりと見やります。
先程、マルネの喜びの声とほぼ同時に息子が発したのは不満の声。ハッキリと反対した訳ではありませんが、アスガルが店主の提案に乗り気でないことはその表情からも一目瞭然です。
そんな彼を遠慮がちに見つめる少女の視線に「う……」と息を詰まらせ、父の頑として譲る姿勢を見せない笑顔に圧倒され。こうなってしまうと、アスガルに選べる道など一つしかありませんでした。
「……父さんがいいなら、いいですけど……」
諦めの表情で反対はしないと口にする息子に、店主は一層笑みを深め、マルネは飛び上がって喜びます。
「ありがとうございます!アスガルさんのお父様、本当に……アスガルさんも、ありがとうございます!」
感無量といった顔で店主の顔を見るマルネ。店主の手を握りお礼を述べたあと、今度はアスガルに向かってペコペコと頭を下げています。
そんな中、店主は小さな声で呟きました。
「……おとうさま、かぁ」
実は、彼は……いえ、正確には鈴蘭店主夫妻は、長年、息子の他にも娘を欲していました。けれど、幾年経てどもアスガル以外の子供には恵まれず、半ば諦めてもいたのです。
可愛い年頃の女の子に「お父様」などと呼ばれ、まるで念願叶ったかのような気分に浸っていると、彼の息子は冷ややかな声で呟くように言いました。
「……なに鼻の下伸ばしてるんですか……気持ちの悪い」
息子から気持ち悪いと言われてしまった店主はといえば、「気持ち悪いなんて、人に言っちゃいけないよ……」と遺憾の声を発しながら、自身の顔をさすります。特に鼻の下辺りを。
そんな父から視線をはずすと、アスガルはマルネに向き直りました。
「で、マルネさん、今日は本読んでいきますか?」
「はい、ぜひ!」
目を爛々と輝かせているマルネに、肩を竦めながらも目元を和らげ、アスガルは頷きます。
「そうですか、ごゆっくり。……父さんは干してた本一緒に片付けますよ」
「え、お父さんもう少しマルネちゃんとお話ししたい」
店主は息子に抗議を試みますが、アスガルはそれを許しません。
「ダメですよ、俺じゃ届かない棚の本もあるんですから」
「……はい」
息子に手を引かれながら名残惜しげにマルネの方を見やると、彼女は嬉しそうに本を両手に抱えてパラパラとページをめくり始めます。その耳には、自分と息子のやり取りなど聞こえていないかのようでした。
一瞬で周りの声など遮断してしまうほどの集中力。この年でそれを身に付け、内容の難しい専門書を熟読し始めるその様子に、末は学者か研究者かと、まるで本当の親であるかのように彼女の未来を想像します。
「……父さん、いい加減にしてください」
一方、こちらは本当の息子。
母親譲りの綺麗な深い青の目が、呆れたように店主の顔を見ていました。そして、ヤレヤレと首を振ったかと思えば、台車に乗せていた虫干し済みの本を数冊店主に手渡して、さぁ早く片付けろと急かします。
そんな、自分よりずっとしっかりしている息子を見て、店主は思うのです。
口調といい、性格といい、顔といい。この子は本当に妻に似たな……と。
「本日は、本当にありがとうございました!」
日暮れも近くなった頃。マルネは帰る前に、店主とアスガルに頭を下げました。
「いやいや、またいつでもおいで」
店主が笑ってマルネの頭を撫でると、彼女は気持ち良さそうに目を細めます。 それに気を良くしたのか、ますます目尻を下げた店主。今度は息子の方を見て言いました。
「じゃ、アスガル、マルネちゃんを送っておいで」
ニコニコと笑う笑顔には、有無を言わせぬ力があります。
元より反対する気の無い様子のアスガルが、頷こうと首を縦に振りかけた瞬間、マルネが慌てて顔の前で手を振って言いました。
「い、いえ、そんなご迷惑をお掛けするわけには……わたくし一人で帰れます!」
これ以上の迷惑はかけられないと訴える少女に、店主は首を振り、きっぱりと言います。
「だーめ。もうすぐ日も暮れるし、危ないからね……さ、アスガル」
ニコニコと笑う店主の、否を認めない笑顔。
彼の息子は知っているのです。人の良い顔をした父は、その実お人好しではあるものの、一度こうと決めたらなかなか意見を変えない人でもあるということを。
「わかりました、行きましょうマルネさん」
「で、ですがアスガルさん」
「父さんはこういうの言い出したら聞かないんです」
父の言いつけに従い、歩き出そうとするアスガルと、渋るマルネ。
困った顔で自分を見る少女に、少年は少し考えてから耳打ちをします。
「送らないと俺が家に入れませんから、助けると思って送られてください」
その言葉に、マルネは眉尻を下げながらも頷き、もう一度店主に頭を下げると、二人並んで店を出ていきました。
道に影が少しずつ伸びていく中、小さな背中を二つ見送りながら店主はポソリと呟きます。
「すごい子だなぁ……空飛ぶ機械かぁ……」
まだ具体的な構想があるわけではないのだろうけれど、たぶん本気で考えているのだろうなぁと思うと、ため息が出ます。
幼い時分に見る夢は、必ずしも叶うとは限りません。本人の努力、経済的な問題、家庭の事情。理由はそれぞれ違えども、夢を叶えるというのは、それなりに難しいことなのです。
いつか大人になって、現実を知って。その時彼女はどうするのだろうと、彼は薄紅色に染まる雲を眺めながら思いました。
あの雲は、時間と共に空に合わせて色を濃くし、やがて夜と同じ色になってしまう。
それは、仕方の無いこと。
それは、どうしようもないこと。
子供たちの姿が通りから見えなくなったところで、店主は店の中に入りました。
「あ。そう言えば、あの子が何処に住んでるのか聞いてなかったな……アスガル大丈夫かな。日暮れまでに帰ってこられると良いけれど」
まぁ、送り出してしまったものは仕方がないと、店主は残っていた仕事に取りかかります。虫干しし終わった本は息子と一緒に片付け終わりましたが、実は本日買い取った本の整理がまだ終わっていなかったのです。その中に、なかなか珍しい本があったため、店主は密かに読みたいと思いながら今日の作業を進めていました。
本を書棚に直している最中、彼は一冊の本を手にとって作業を止めます。
その手の中にあるのは、外国の文字で綴られた本でした。そのページを一枚ずつめくりながら、店主は目を細めています。
昔々……と、お決まりの言葉で始まる物語。難解な外国語で綴られた本を、店主は楽しそうにめくるのです。
彼が時間を忘れて本を読んでいるのを見つけた妻が、呆れたように、けれどどこか懐かしそうに微笑み、その背に声をかけるのは、彼らの息子が帰ってくる少し前の話。
孤児院近くの、ラントンの家でもある八百屋の前まで来ると、マルネはアスガルに声をかけました。
「アスガルさん、この辺りで結構です、もうすぐそこですから一人で帰れます」
「そうですか、それじゃ」
あっさり引き下がってくるりと体を反転させたアスガルを、マルネは慌てて呼び止めます。
「あ、アスガルさん!」
「?どうしました?」
「……あの、今日は本当にありがとうございました」
「俺は何もしてませんよ」
「いえ、本当に……嬉しかったのです……空飛ぶ機械のことも、笑わずに聞いてくださって」
顔を赤らめモジモジしながら言うマルネに、アスガルは首をかしげました。
「よくわかりませんけど、すごいと思いますよ?いつか空飛ぶ機械が造れたら、それこそ歴史的発明です……俺にはきっと何年かかっても考えつかない事ですから、笑ったりしませんよ」
その言葉にマルネは嬉しそうに笑い、もう一度呟くのです。
「それじゃ」
またも体を反転させようとするアスガルを、マルネはもう一度呼び止めます。
「ま、待ってください!」
「?」
「あの、ですね……その、よかったら、名前、ですが、その……マルネと呼んでいただけませんか?」
「?……呼んでますよ、マルネさんでしょう?」
「や、あの、……わたくし、お恥ずかしい話なのですが……友達と呼べる人がほとんどいないのです。こと、男の子の友達は皆無と言って過言ではありません。初めて、なのです……わたくしの話をバカにせず聞いてくださった男の子は……。ですから、もしよろしければ……」
お友達になっては下さいませんか。
ただ真剣に言うマルネの顔は火照って赤く、本気であることが窺えます。 なんだかその顔の火照りが移ってしまったようで、顔を赤らめ視線をさ迷わせると、アスガルは頷きました。
「はい、わかりました……マルネ」
その言葉を聞いてマルネは飛び上がります。嬉しそうにアスガルの手を握ると笑いました。
「ありがとうございます、アスガルさん!」
「いや、ありがとうって……俺も、アスガルで構いませんよ」
「わ、わかりました……アスガル……さん」
「今、『さん』てつきましたよ」
「な、なんと言いますか、その、気恥ずかしいと言いますか、男の子を呼び捨てなどというのは…その、慣れないもので……すみません」
「……まぁいいです、別に。それじゃぁマルネ、また明日……学校で会うかどうかは分かりませんけど、また」
「はい、学校で会えずとも、鈴蘭にうかがいます!」
そう言って大きく手を振るマルネに手を振り返すと、アスガルは今度こそ体の向きを反転させて帰りました。
後日。鈴蘭店主がいつも通り店で働いていると、友人で八百屋の店主をしているアジムという男が、鈴蘭にやって来ました。
本を買うついでに、『そういえばこの間、八百屋の近くをおまえさんの息子と女の子が歩いててな……』という話をして帰ったのです。
話によれば、声までは聞き取れなかったものの、大層可愛い女の子が顔を赤らめ真剣な顔でアスガルに話しかけ、彼が頷くと、その手を取り嬉しそうにしながら跳び跳ねていた……のだそうです。
その話に父はニヤつきながら、息子もお年頃になったもんだなぁと思うのです。 彼には、その『大層可愛い女の子』に心当たりがあります 。
空飛ぶ機械を造るのだと言ったあの女の子。
彼女を送って行ったあと、いつの間にか息子は彼女の名前を呼び捨てにするようになったのです。
なので、父がこう考えてしまうのも少しは仕方のないことなのかもしれません。
息子に彼女が出来たかもしれない。
ちなみにその日の夕飯の時に『マルネちゃんとうまくいってるのかい』と聞いてきた父に息子が怪訝な顔をしたのも、母がなんの話だと説明を要求したのも、詳しい話を聞いて息子が夕飯のスープを吹き出しかけ、その日の出来事を父母に説明するはめになったのも。
それはまた、別の話です。