3.7 八百屋の三男坊と廃工場探検隊。
ラントンには、友達がたくさんがます。
明るく活発で、行動力があり運動神経の良い彼は、男女問わず人気者。
「おーいアスガルーー!」
そんな彼には、義務学校に通うようになってから新しい友人がたくさん出来ました。
アスガルもその一人で、ラントンとは性格も趣味も全く違うのに、妙に気が合うのです。
「ラントン、カシュ、おはようございます」
「……おはようアスガル」
登校して自分の席に荷物を置いたアスガル。そのそばに穏やかに挨拶をしながらラントンと一緒に近づいてきた男の子は、カシュと言う名のラントンの幼馴染みです。 大人しく良識のある彼は、小さな頃から行き過ぎてしまう事の多いラントンの歯止め役。大人しい性格や本が好きなところなどがアスガルと似ていて話が合うようです。
「なぁアスガル、今日学校終わったら廃工場に行ってみないか?」
朝一番にそう言ってきたラントンの顔は、心なしか輝いています。
「廃工場、ですか?」
「ああ、東の方にある廃工場だ!…………何ヵ月か前につぶれた工場なんだけどな……この間、三年生が忍び込んだらしいんだけど……」
両手の甲を前に向けて垂らすと、目を半開きにしてアスガルにその顔をぬぅと近づけて……
「……出たんだと」
何が、とは言いません。言いませんが、それだけで何が出たのか伝わったようで、近くにいるカシュは耳をふさいで何も聞いてないふりをしています。 どうやら彼はその手の話題が苦手なようです。
「出たって……幽霊とか……ですか?」
「おう!」
そんな友人の様子を見て、アスガルは確認とばかりに何が『出た』のか口に出します。
頷きながら楽しそうに答えるラントンに、いやいやと頭をふっているカシュ。その二人を見比べてイタズラでも思いついたような顔で、アスガルはニヤリと笑って言いました。
「面白そうですね」
その一言にラントンは嬉しそうにアスガルに詰め寄ります。
「だろ?行ってみようぜ!」
「……そうですね、行ってみてもいいかもしれません」
その言葉を聞いて愕然として、うなだれるカシュ。
「そんな……アスガルは反対してくれると思ったのに……」
そう言いながら顔を青くしています。
「もちろん、カシュが」
「いよおおおし!言ったなアスガル!その言葉は行くのに賛成ってことだな!」
カシュが行きたくないならやめておきましょう……と続けようとしたアスガルの言葉は、テンションの上がったラントンの声で遮られてしまいました。 一方で、カシュは泣きそうな顔をしています。
「やったぜ!カシュと賭けてたんだ、アスガルが賛成したら一緒に行くって!」
そうだったのかと目を丸くして友人たちの顔を見れば、そこには輝かんばかりに嬉しそうな顔と、この世に絶望しているかのような悲しそうな顔。 カシュの表情を無視してラントンは楽しげに言うのです。
「じゃ、今日家帰ったらすぐ公園に集合な!」
楽しそうに鼻唄を歌っているラントン。 これから授業だというのに元気なものです。
「なんか、すみません」
楽しそうに手をふりながら自分の席に戻っていく友人の後ろ姿を見送り、アスガルはポリポリ頭をかいて、隣でうなだれているカシュに謝ります。
「いいんだ……アスガルのせいじゃないし……うう、賭けなんかするんじゃなかった……」
授業開始の鐘が鳴り、同時に先生がやって来ました。
その日の授業中、いつもはとても姿勢の良いカシュが悲しそうな顔をして背中を丸めながら座っているのを見て、アスガルはイタズラ心でラントンの案に乗ったことをほんの少しだけ後悔するのでした。
さて、学校から帰り公園に集合した三人は廃工場にやって来ました。
一人はとても楽しそうに。
一人はそれなりに楽しそうに。
一人は逃げ腰になりながら。
けれど廃工場は高い塀で囲まれ、唯一ある大きな門には鍵がかかっています。 それを見てカシュは嬉しそうな顔をします。
「鍵がかかってるよ!これじゃ入れないね!」
カシュが、「さぁ帰ろう!」と今日はじめて元気な声を出したのも束の間、ラントンはニヤリと笑います。
「と、思うだろ?それがだな……」
彼は錠に手をかけるとゆっくり動かし。
カチャ
簡単に開けて見せました。
「な、なんで!?」
「ここの鍵バカになってんだ!簡単に入れるぜ!」
カシュが驚いて声をあげると、ヘラヘラと笑いながらラントンは答えます。 喜んだ分、カシュの落ち込みようと言ったらそれはもう筆舌尽くしがたいものでした。
煤けた廃工場の中、三人の子供が歩き回っています。
入り口付近は広く開けていて太陽の光も入る倉庫なのですが、先の方に進んで行くとだんだん薄暗くなっていきました。奥へと続く扉を開いて進めば、そこにはガラスの代わりに板の嵌め込まれた窓があり、その隙間から差し込む僅かな光だけがたよりの埃臭い空間が広がっています。
工場内は大きな機械こそ残っていませんが、何かの欠片や用途の分からない道具等が辺りに転がっていました。好奇心のままに駆け回るラントンのたてる物音や足音に、アスガルの背中にピタリとくっついて離れないカシュは何度もビクついています。 そして何より……。
「カァシュゥゥゥ」
「うわあああああああああああ!」
先を歩くラントンがカシュを驚かそうと変な声を出すものですから、たまったものではありません。
怖がりなカシュはアスガルの服を後ろからしっかり掴んでいて、驚くたびにそれを引っ張るものですから、彼の首もとはどんどん絞まっていくのです。絞められるたびに『うえっ』と苦しそうな声をあげているのですが、アスガルの声は後ろからあがるカシュの叫び声にかき消されてしまっていました。
小さな灯りを手に、なんやかんやと賑やかに工場内を進み、奥へ奥へと歩いて行くと、ラントンは大きな両開きの扉を見つけます。
「おーい、こっちにも部屋があるぞ!」
「もぉやめようよ帰ろう!絶対良くないものが出てくるんだ!もうやだよ !」
「お、落ち着いてくださいカシュ……首……しまってるっ……」
いつになく騒ぐカシュは、アスガルの服を後ろから思いっきり引っ張ります。 その様子が見えていないラントンは、ケラケラと笑いながら扉に手をかけました。
「大丈夫だって!」
ギィィ
音をたてながら、少し重い扉を開けると、暗い工場の中に光が差し込みます。
「うわ、まぶしっ」
「うわっもうやだ!」
「ぐえっ」
しばらく目をつぶっていた彼らですが、やがて明るさに目が慣れてくるとキョロキョロと辺りを見回します。
そこは工場内と違って、天窓のガラスもそのまま嵌め込まれていました。そこから差し込む太陽光のお陰で部屋は明るく不気味さの欠片もありません。それだけではなく、工場には似つかわしくない綺麗なソファーとテーブルまで置いてあります。
「なんかここだけ雰囲気違うな……綺麗だし」
「……ほ、ほんとだ……怖くない」
カシュは恐る恐るアスガルの背中から顔を出し辺りを見回すと、あからさまにホッとした顔で胸を撫で下ろしました。 ……けれどその前で。
「も……ダメ……」
ドスンと音をたててアスガルが倒れ込みました。 その首元はカシュに引っ張られた服が食い込んでいます。
「おい、アスガル!」
「わ、アスガルごめん!」
泡こそ吹いていなかったものの、明るい室内で倒れた彼の顔色は幽霊に勝るとも劣らない青白さであったといいます。
「……あれ?」
アスガルの目を覚ますと、心配そうにしている二人の友人の顔がその目にうつりました。
「お、目が覚めたみたいだな!」
「アスガル!よかったぁ……」
「俺……あれ……?」
部屋の中にあるソファの上に寝かされた体を起こすと、ゆっくり辺りを見回します。
「おい、大丈夫か?お前さっき部屋に入った瞬間カシュに締め落とされたんだ」
「ご、ごめんよ、アスガル……僕怖くて、つい力が入ってしまって……」
申し訳なさそうに頭を下げるカシュの顔には安堵の色が浮かんでいました。
「大丈夫ですよカシュ……それよりこの部屋……」
泣きそうな顔をしている友人に笑いかけると、アスガルは部屋の中を見回します。自分の寝ているソファも部屋の奥にある立派な机と椅子も、工場の物というには不釣り合いに見えるのです。
「扉に付いてた外のプレート、よく見たら工場長室って書いてあったぜ」
だから良いもん揃ってんだなー……と呑気に言うラントンは、奥に置いてあった立派な椅子の方に歩いていくと、遠慮なく腰かけてふんぞり返りました。 彼の歩いていく先を目で追っていたアスガルは、ふと一点に目を留めます。
そこにあったのは、壁掛けの大きな絵。
ラントンの座る椅子の真後ろに飾られたそれを、じっと見つめています。
「知ってる絵なのか?」
その視線を追って絵を見たラントンがそう尋ねると、アスガルは首を振りました。
「いいえ、全然」
数匹の動物が、酒を飲んで踊っている、不思議な絵。
「なんか、面白い絵だよな…… 学校で習う絵とは全然違って」
義務学校には絵画という授業もあるのですが、ラントンはその授業が嫌いでした。 銅像や人の顔をそっくりに描かなくてはいけないという繊細な作業が、彼は苦手なのです。 けれどこの絵は、いわゆる模写とは違って自由に描かれています。
「面白いですね……」
色鮮やかな絵の具で描かれたその絵が、とても気に入ったらしく、アスガルはずっとその絵を見つめていました。
「……だな」
頷いて、ラントンは思います。
学校の授業でもこういうの描かせてくれれば楽しいのに、と。
日も傾いてきた頃、三人は廃工場を出ました。
帰り道、大きく伸びをしながら歩くラントンは言います。
「結局幽霊出なかったな~」
「いいよそんなもの出なくて!」
ラントンが口を尖らせれば、カシュも口を尖らせて言います。
「……幽霊話は、たぶん上級生が流したデマでしょうね」
アスガルは綺麗な工場長室を思い出して言います。
きっと、あそこを見つけた誰かが、自分達以外の誰も入り込まないようにと流した嘘の噂なのだろうと。
ラントンが「そういえば……」と部屋の様子を思い出してみれば、何ヵ月も放置されたようには見えないほど綺麗な状態で。 その話に、カシュは安心したように胸を撫で下ろし、ラントンは不満とばかりにますます口を尖らせるのでした。
それでも今日、幾つか確かめていない部屋もあったので、後日改めて廃工場探検をしようと言い出すラントンに、少しだけ眉をひそめるも幽霊がでないならと頷くカシュと、工場長室みたいに絵があるかもしれないと快諾するアスガル。
彼らがこの後、何度も廃工場に入って色々な部屋に入り込むのも、ラントンとアスガルが入り込んだ部屋で絵を見つけるたびに興味深そうに見るのも、カシュがその絵が入り口付近の部屋から最奥にある工場長室に向けて、すべて繋がった物語になっているのに気づいて、みんなで最初の部屋から見て回ったのも。
それはまた別のお話です。