3-1
目の前では、公爵家嫡男で主席合格の国務官、しかも王立魔法学院の客人が、頬を押さえて深くうつむいている。
(おお怒ってる、怒ってるよこれぇ!)
リザは寄り添うようにして立っているレティーへ顔を向けた。
「……こっ、公爵の息子ってのだけは、冗談? だよね。だって服は庶民派だし、あたしの実家まで知ってたんだよ!」
ひそひそと声を潜め、シャイアに聞こえないよう訊ねる。
わかっている。これは逃避だ。
終わった。人生終わった──という絶望から目を逸らしたいだけである。
案の定、レティーは儚い希望を打ち砕いた。
「リザ、怖いわ、そんな錆びた歯車みたいな動きでふりむかないでちょうだい。──間違いなくてよ。エンディル公に似ていることもそうだけれど、その息子さんは今回の試験で最年少の受験者であり合格者だった。十六歳で受験したそうだから、年齢も合っているわ。最年少合格者の名前は、シャイアディード・ヴェスティアティ・エンディル」
シャイア。その名前が、絶望の闇に塗りこめられたリザの脳裏にこだまする。
「……。……。……どうしてそれを先に言っておいてくれないのよ────っ」
「……最初は同名の別人だと思ってたんだもの。それに情報は武器だわ、見返りもなく簡単に開示したりはできなくてよ」
言い終え、つんと顎をそらす。
「レ ティ ー。アンタってヤツはぁ……」
恨みがましく見あげても、レティーはまぶたを閉じてそしらぬ顔だ。
小面憎い様子に首を絞めたくなるが、そんなことをしている場合ではない。早急に対処しなければならない現実へ、リザはおそるおそる目を向けた。
至急案件対象は、まださっきと同じ姿勢のままだ。
これはアレだろうか。「父上にも殴られたことがないのに!」というお坊ちゃん育ち的動揺驚愕で固まっているのだろうか。
まずい。ならば次に来るのは、お坊ちゃん育ち的爆発だ。「商人の娘風情が、公爵家嫡男のボクに暴力を働いてタダで済むと思うな! そこに直れ──!」などとマジギレして、殴る蹴るの一つや二つはしてくるかもしれない。
リザは思わず、握りしめた手をを胸の前で構える。臨戦体勢というより防御体勢だ。男女で取っ組み合いの喧嘩をしても勝負にはならないが、かといって、素人相手に魔法を使うのは卑劣である。男がか弱い女性に手をあげるのも十分に問題行動ではあるものの、一発ぐらいは食らってあげないと、相殺にならない。手を出したのはリザであり、謝る気もないからなおさらだ。覚悟した上での構えだった。
固唾を飲んでシャイアを見守っていると、彼はおもむろに顔をあげた。
「……それで? この学院の客への対応は暴言暴力の挙げ句、徹底抗戦ということか?」
リザを見やり、冷ややかに指摘する。
凍るような眼差しでさえ色香が漂う男にたじろぎつつも、リザは本意を伝えようと口を開きかけた。
ところが、先んじて動いたのはレティーだった。リザの前へ歩み出る。
「申し訳ありません、わたくしが考えなしでしたわ。幾重にもお詫びをいたします。ですからどうか今回のことを、リザともども、お許しいただけませんでしょうか」
丁寧に頭を下げる。
「レティーが謝ることないでしょ!」
カッとなったリザは、目前に立ちふさがるレティーの左肩をつかんで後ろへ下がらせようとした。
レティーは左腕をあげ、リザを制する。
「あなたに謝罪する気はあって?」
「ない!」
台詞の途中で、リザは返答した。
さもありなんというふうに、レティーはこっくりとうなずく。
「でしょうね。でも、わたくしは謝罪するわ。パーティでならともかく、学院にお仕事でいらっしゃっている国務官の方にするお話しではなかったもの。……わきまえられなかったわたくしに非がある」
毅然と言い放ったレティーの態度に、リザは怯む。どう考えても、考えなしなのもわきまえていないのもリザの方だった。
だからといって謝る気には到底なれない。先に罵詈雑言を吐いたのはシャイアである。まず相手が謝罪するのが筋ではないか。
気持ちを持ちなおしたリザは、レティーをキッとにらむ。
「じゃあ、好きにすればいいよっ。けどだからって、勝手にあたしの分の謝罪までしないでよっ」
「……あなたがわたくしのことで暴発したんだから、しようがないでしょう」
「っ! べっ、別にレティーのことだけじゃないわよっ。この男、ホントに爵位爵位ってうるさいから」
「その言い様は、あなたにも何か仰ったの」
レティーの平坦な声が、リザの首筋に寒気を覚えさせる。あわてて首と手をふった。
「え、いや、たいしたことは……」
鋭いうえに、頭のいいレティーをごまかすのは至難の業だ。次の瞬間には、正解にたどりついているのだから。
「……。あなたのことを爵位狙いの商人の娘だとでも、仰ったのかしら」
リザは唾を飲みこんだ。
やはり当ててきた。怖ろしいヤツ! という思いが顔に出る。
レティーはにっこり笑って、客人に向きなおった。
リザの背に悪寒が走る。
「お客さま。わたくしから端を発した諸々については、本当に心からお詫びを申しあげます。とはいえ、リザが暴発したのは、それ以前にお客さまの不用意なお言葉があったためとも考えられますわね。そのお言葉は、初対面のよく知りもしない相手へ投げかけるには、ずいぶんとひどい侮辱ですわ。なにより、彼女は貴族の奥方程度に納まるような器ではございません。いずれ国を背負って立つ魔法使いの一人になる娘ですもの」
「まあ、わたくしには敵わないでしょうけど」とリザを見やりながら付け加える。
「あ、あ、アンタねえ……」
いろいろと言いたいことはあるが、今一番にツッこまなければならないのは──。
(アンタまで喧嘩を買ってどーする!?)
しかもリザのことでだ。特にその件については経緯が経緯なので、庇われるのも微妙なのである。
頭に血が上っていたリザは、冷静にならざるを得なかった。優雅に頬笑んでいるレティーが、内心では烈火のごとく怒っているのを感じとったからだ。我慢していた怒りが、ここに来て噴出したのだろう。このままレティーを放置すれば、顔は笑顔で口は婉曲に毒を吐きまくるに違いなかった。すぐさま止める必要がある。
しかし止めようにも、リザはレティーほど場を収めることや宥めることに長けていない。どちらかといえば、逆の立場である方が多いのだ。焦って手をつかねているうちに、レティーが視線をシャイアへ据えなおした。
「お客さ──」
「わああああ──────っ」
しょうがなく意味不明の声をあげて、レティーの毒舌を封じるしかなかったのである。
それでは、また来週~。




