06.思考錯誤
「ようやく会えたね、かーくん」
柔らかな美声の主である所の天使さんは俺の感覚器官の三つを全く同時に震わせた。
呆然としていた状態でもその美声はカクテルパーティ効果のおかげかはっきりと鼓膜を震わせ、視界に映る圧倒的情報量を有する存在を脳に刻み込む作業で目と脳内を震わせ、奇妙なほど確信を持ててしまう嫌な予感で脊髄を震わせた。
それはもう見事なガクガクブルブル、喧々諤々である。
とにかくともかくとりあえず、ブレイクタイムが欲しくてたまらなくなりましたので、
「西野先生、転入生の机がないので取ってこようと思います。
その間に質問タイムとか交流の時間を設けてはどうでしょう?
自分は後で色々と聞こうと思いますので、全然気にしないでください。
それにこういうのって気付いた人間がやるべきですよね?」
机の件は西野先生か委員長が言い出す分野だろうけど、口を挟ませてもらう。
本音を建前と提案でコーティングして懇願する。
気付いた人間こそがやるべきという委員長から頂いた正論を早速用いさせてもらったし、筋も通っているはずだ。
あちゃーすっかり忘れてた、と苦い顔をする先生と委員長にもう少し早めに提案しておくべきだったか、と謝罪の念が湧くが、それはそれでクラスの交流と成り得ると思った判断は、あの時点では正しかったと思う。
そして言わずにいて正解だったと心底思った。
「あーそうだな、ちょっと頼めるか」
よし、やっぱり正論は強い。
「あいあいさー早速行きますすぐ行きます」
「あっ、ちょっと待ってください。それならボクも一緒に行かせてください」
おい馬鹿やめろ。
お前の動向に影響を受けざる得ない校長と西野先生の方を見て何か言おうとしないでくれ!
「いやいやいや、付いてこられたら意味ないから。
勿論クラスメイトとの円滑円満な交流を持たせる目的が果たせないって意味で」
「ボクが急にやってきたせいっていうのは理解してるつもりですし、本当は自分一人でやるべきというのも理解してます。
けれどこの学校を案内してくれる人が必要なので、手伝ってはもらいたいんです」
さっきの俺の提案を否定しない寄り添うような正論を吐きやがる。
文句なしの優等生かこんちくしょう!
「ふむ、素晴らしい自立心だ。
ならばオルテンシア君の学校の案内も含めて彼にしてきてもらおうか」
「あーオルテンシアさんの案内はまだしてなかったんでしたっけ。
そうですね、互いに了承済みっぽいし、一斉に質問攻めにするよりは、ある程度情報をやり取りをさせて整理をつけた方が早くクラスに溶け込めるかも知れませんね」
西野先生、俺は転入生と行くとは一言も言ってません。
けどその後の台詞には反論不可だ。言ってる事が正しすぎる。
周りを見渡せば現実に帰ってきているのは委員長のみで、他は未だにぽかーんとしっぱなしだ。
しかしその現実帰還組である委員長はぽーっとしながら転入生から目を逸らして固まっている。
正直しょうがない、たかだか十数年生きただけでアレに見惚れない、呑まれない人間は居ないだろうと確信できる。
目を逸らして整理をつけようとしている委員長はとんでもなくすごい御仁だ。
「そのようだね、互いに時間が必要のようだ、では頼まれてくれるかね?」
周囲を見回し、状況を鑑みた校長は、有無を言わさぬ様子で言ってくる。
いやいや、一生徒であるか弱い子供に威圧を使わんでくださいって。
持ち前の反骨心を初出してやろうか!とも思ったが、断ればどうなるか分からない状況で軽率な行動はし辛い。
朝に散々このクラスの皆大好きだぜアピールをしておいて転校とかになっちゃうのは、ねぇ?
一応言っておくとフリじゃない。
一息だけついて、
「分かりました。パンフレットに載ってるぐらいの案内でよければやります。
鍵を取りに行ってから案内しようと思うので、それまで転入生には待っててもらった方がいいかもですね」
「ふむ、確かにそちらのほうが都合がいいかも知れん。
一時限目は出席扱いにし、色々とこちらでも都合が合うようにしよう。
では西野君に君も、行こうか」
「そうですね、じゃあ皆、オルテンシアさんと仲良くして、あんまり騒がないようにな」
そうして教室を出て行く校長と西野先生と俺。
一人の視線を背中に感じたが、気のせいだと思い込んで振り返りはしなかった。
俺は西野先生と校長の後ろに付いて思案にくれていた。
ブレイクタイムは取れたが、さて何を考えるべきか。
HR開始時間が8:20、HRが10分間、移動と準備に費やす休憩時間の15分間があり、一時限の開始が8:45。
チャイム以降の問答で5分を費やし、職員室の行き帰りで10分弱となるから、考える時間はその十分間になる。
その時間内に準備なり覚悟なりを決めないと、案内中に転入生とタイマン中に潰されてしまうと思う。
マジであのオーラ半端ないし、何か仕掛けてこられたりしたら太刀打ちできない。
ならまずは情報収集か。
「あの、校長先生。オルテンシアさんについてなんですが、出会った時どんな印象でした?」
「ふむ?何か聞かれるだろうとは思っていたが、出会ったときの印象かね?」
「そうです、話の取っ掛りになりそうな部分だけとりあえず聞いておこうかなーとおもいまして。
些細なことでいいんで、何か感じる部分とかあったら聞きたいんです」
「うむ、それぐらいだったら話せるか。
外見の印象は恐らく万人の共通見解と言っても過言ではないだろうから省くとして。
内面的な部分は礼儀正しく、謙虚で、朗らか。欠けたる部分が無いように感じたよ。
完成された人間性とでも言うのだろうか」
なにそれこわい。
欠けたる部分がないとか、恐ろしく欠けた意見を臆面もなく言われるってなんだよ。
「ただそうだね、明るい印象とは別に伝わってきた感情がある。
私との挨拶が終わり、教室に向かおうと告げた時の彼女の表情は、とても気色に溢れたものだった」
長年教育に携わってきた人間の評だ、信じていいと思う。
しかし嬉し楽しの表情か、なら要件は陰を纏うようなものではない?
「それじゃあ鍵を取ってくるから、ちょっと待っててくれ」
思考に沈みこもうとしたが、どうやら片道が終わってしまったらしい。
「あ、はい、わかりました。校長先生、ありがとうございました」
「うむ、よろしく頼むよ」
そうして二人は職員室に入っていった。
扉の脇に退き、考え事を整理する。
歩いてる途中に気がついたんだが、俺はそもそも何で距離と時間を置きたかったんだ?
…
それは本能的に危険を察知したから。
なら今まで呼ばれたことのない愛称で呼ばれた事から危険を悟ったとして、彼女からはどういう危険を感じた?
……
曖昧だけど、あいつは俺の日常を確実に乱す人間だ。と感じた。
ではそれがもし本当だったとして、根本的な問題、彼女はどうして俺の日常を壊しに来たのか?
………
そこが微塵もわからない。
俺の成績表は五段階で三と四のオンパレード、突出した特技があるわけでもなく実績もない、中身も一般的な学生と自負しているし問題を起こしたこともない、両親も極々普通のサラリーマンと専業主婦で親類縁者も取り立てて飛び抜けた人はいない。
目をつけられる謂れが本気で思いつかない。
ここまで挙げて、あれ?俺の自意識過剰じゃね?とか思い始めました。
実はクラスメイト全員の名前を先に資料か何かを貰って覚えていて、愛称を勝手に付けていた。
そしてどこかの世界にトリップしていなかった俺にだけ、とりあえず愛称を披露する事にしたお茶目さん、という可能性はある。
というか、俺に心底心当たりがないから、その線が濃厚なのかね。いまいち納得できんけど。
うーん、ならこの学園のなにかが目的?
確かにこの学園は日本どころか世界でも珍しいモデルケースの学園ではある。
学生の半分に届く多くの特待生枠、最高水準のデータと機材と人材を惜しみなく投入した環境、あらゆる国を対象とした交換留学制度、街一個が学園の為に存在すると言っても過言ではない規模等など、国内外の注目度はかなり高い。
だけどそのどれも彼女が必要としているとは思えない。
ここはあくまで教育機関の一種で、教育という面おいて彼女は修了してしまっている。
通う必要性までを考えるなら、ただの興味本位ぐらいしか俺は思いつかない。
何らかのスパイとかならわざわざ天才が来る必要なんてないしな。
ならそれを一番の要因として考えるとして、後は校長の一言が気になってくる。
学園に来たときではなく、教室に向かう段階で嬉しそうな表情をした。
こうなるとやっぱり誰かに会いに来たのか?と想定するわけで。
あの教室には一般的な学生より深い事情を抱えた人間が多く在籍している。
と、俺はそう勝手に睨んでる。
だとすれば、そこらへんも怪しくなってくるか。
「すまん、待たせたな。教材データを端末に追加していたら遅れてしまった」
「いえ、授業の始まる直前に出ようと思ってましたし、丁度いい時間です」
煮詰まった所で西野先生が登場したので考え事を打ち切って答える。
そうか、とにやりと笑みを浮かべる西野先生。
さすがに休み時間中に連れ出そうとは思ってませんよ、と肩を竦める俺。
「水戸先生には連絡しておくから、ゆっくりと、しかし授業時間内に戻ってくること。
それじゃあ頼むな」
「うぃす、適当適切にやらせてもらいます」
そう言って西野先生と別れ、教室に向かう。
正直わからない事だらけの現状で物を考えようというのが無駄だとはわかっているのだが、心構えだけはしておきたいわけで。
色々な可能性を思い浮かべては消し、ああだこうだと思考錯誤しつつ、ざわつく廊下が次第に静かになっていく様子をぼんやり眺めながら、俺はゆっくりとラスボスがいる教室に戻っていくのだった。