01.前段階
中学一年生というのはどういう時期だろう。もちろん男女の違いはありつつ、適当にまとめてみる。
子供ながらに大人に憧れ始めたり、将来が光り輝く眩い素晴らしいものだと勘違いし始めたり、男女の違いにどぎまぎし始めたり、優劣の差を意識し始めたり、とにかく何かが始まる年だ。
納得できない方々には大雑把に、青春真っ盛りな時期と言ってしまえば丸く収まるのだろうか。
とはいっても今はまだ四月の下旬、入学式から二週間ほどしか経過していない。
何かが始まっていることに気づけるほどの余裕はないだろう。
いくら順応が早い子供とはいえ、環境に対する慣れとはまだまだ縁遠い。
「具体的にいえばまだまだ寝れる時間があるのに、小学校時のやたらと健康的な生活習慣を崩せない、とかさ」
AM6:30
アラームが設定された遥か前の時間を指す置時計に目をやり、今だ使われた事のないアラーム機能を解除。
一度目が覚めると眠気がどこかに飛んで行く割と嬉しい体質なので、潔く二段ベット下段から抜け出して顔を洗いに行く。
部屋に備え付けられたユニットバスに向かい、顔を洗って歯を磨き、寝癖の有無をチェックして手と水である程度形を整える。
そして寝巻きのまま食堂へ。
そう、食堂である。
ここは学園の敷地内ギリギリにある男子学生寮、更に言うならビジネスホテルクラスの設備を完備した全国でも稀に見る学生寮なのである。
と、ここでこういう風に紹介をしておけば、この学園が特殊であるという受け入れ態勢が整うだろうという打算があるので心積りをよろしくお願いします。
「なんて自分で言い聞かせなきゃいけない程、まだまだ非日常だよな」
独りごちている間に食堂に到着。
いくつもの長テーブルに簡素な丸いすが置かれた広いTHE食堂には人っ子一人いない。
そういう時間を狙ってきているので当然なのだが、やはり物寂しい風景である。
が、あと三十分もすれば人で溢れかえってどうしようもなくなるので、一人静かにご飯にありつける方が幸せな自分としては、朝練の生徒と通常生活の生徒の間隙であるこの時間帯は逃せない。
「すいませーん、美味しい朝ごはんください」
カウンター越しから第二陣の準備をして厨房に引っ込んでいるであろう寮監殿に呼び掛ける。
「あーはいはーい、ちょっとだけ待ってねー」
イエス、今日は良い朝です。
返ってきた若い女性の柔らかな声に小さくガッツポーズをする。
「はい、お待ちどうさまー。うん、やっぱり君だったんだ、毎朝早起きでえらいわー」
見た目二十代前半のおっとり美人が食事の乗ったお盆を持ってきてくれた。
「小学生の時の習慣が抜けないだけですよ、きっとすぐ自堕落です」
「あらそうなの?でもそういう習慣って抜けないからきっと習慣になったんだと思うわよー」
「そうですかね?でもこうやって椿さんと話せる時間が作れるなら俄然続けますけどねー」
「くすっ、本当に君はおませさんだわー。うん、この台詞言ってみたかったのよねー」
「言われてみると若干気はずかしいですね。と、忙しいのに時間取っちゃってすいません」
「いいのよーこうやって食べてくれる人のことを知るのは今後の活力になるのよ?」
「真摯ですね、いい大人のお手本ですよ本当。じゃあ美味しくいただかせてもらいます」
「はーい、それじゃあ今日も一日頑張ってねー」
「はい、椿さんも」
そう言って美人寮監の椿さんと別れる。
白いご飯とお味噌汁、漬物と焼き魚、海苔という見事なテンプレートを前にして手を合わせる。
五人いる寮監の個人的に一番の当たりである椿さんを引けたことに対する感謝、もとい今日も美味しい朝ごはんに預かれることに感謝する。
「いただきます」
手を付け始めるとそこは成長盛りの子供なわけで、10分もせずに完食いたしました。
「ごちそうさまでしたー、良く噛む習慣つないといけないのに、ままならんなぁ」
こうも美味しいとかき込んじゃうよねーと諦観を滲ませてお盆を持って返却口に行く。
そうして返却口傍にある洗い場で食器を丁寧に洗う。
定食屋では置きっぱなしで回収、またはローラーに乗っけて厨房の洗い場にまっしぐらというのが普通なのだろうけど、ここは教育機関の一端であるわけで、自分で洗い物をしてからの返却と相成るわけだ。
一応洗浄機に突っ込まれるから洗わなくても衛生面では心配要らないのだが、洗い物は寮則で決まっており、守らなければ数度の注意の後に食事抜きとなる非常に厳しい罰則もある。
洗い終わった食器をお盆に乗せ、返却口のローラーに乗せて流す。
そしてカウンターに寄り、
「ごちそうさまですー美味しかったです」
とお礼を言って食堂を出る。
戻る間にもまだ人とはすれ違わない。
HRの開始が8:20。
この寮の食事受け取り終了時間が8:00。
となると部屋着で食堂に行くとして7:30、制服で行くとして7:50ぐらいだろう。
そして現在の時間7:10である。
だいたいの部活の朝練開始時間は6:30なことからして、間の一時間程廊下は無人である。
「思わず駆け抜けたくなるな」
もちろんそんなことをして、眠れる若獅子達を呼び起こして怒りを買いたくないので、粛々と部屋に戻る。
そうして部屋に戻ってきてまずやることは軽い筋トレとストレッチである。
幼少からの習慣でこの時間は軽いジョギングを行なっていたのだが、さすがに校内、学校近郊でそれをする勇気はない。
だから代わりの運動として筋トレとストレッチをお隣の邪魔にならない程度でするようになった次第。
20分程こなして、シャワーを浴び、髪を乾かして制服に袖を通す。
そうする頃にはバタンバタンとドアが開く音が聞こえ始める。
制服に着替えたらもうすることもないので、昨日の夜の内に仕度を済ませたカバンを手に取り、俺もバタンと音を立てて出発する。
制服と私服が半々の生徒に紛れつつ、いや紛れるというのも変な表現なのだけれども、廊下を歩く。
と、すぐ近くで扉が開き、見知った顔が二名出てきた。
二人とも別クラスではあるが、何度か食堂でも話している割と仲の良い奴らだ。
「おっす伊藤君にモーリー」
「おはよう、今日は良い天気になるみたいだよ」
「ふぁーっ、とと、うっすー」
丁寧な返しをしてきてくれたのが美術の特待生である伊藤君で、欠伸混じりに気軽な挨拶をしてきたのがモーリーこと日本人とイギリス人のハーフであるチャラ男森君だ。
「用意早いね、日直?」
伊藤君は俺が手にもったカバンを見てにこりと爽やかに訊ねてきた。
いつも早起きでこのぐらいの時間なのだが、部屋を出る時間は個々人でもちろんばらつきがあるわけで、伊藤君とは朝あんまり会わなかったから齟齬がある。
「いんや、いつもこれぐらいなんだ」
「まじか、その時間俺にくれ。まだまだ寝たりねぇ」
「モーリーは時間やってもその分無駄に使うだけだろうが、意味ねぇよ」
「俺に対してはやけに厳しいなおい」
「はは、森君は遅くまでテレビとかラジオとか聞いてるもんねー」
「ああ、伊藤には悪ぃとは思ってんだけどな。迷惑かけないようにはしてるし勘弁な」
「仲いいねーそしてその心構えはチャラ男としてかなりの高評価だ」
「チャラ男ゆーな」
一見正反対の二人、まあ一見どころか中身もだいぶ違うのだが、どうやら上手くやっているようだ。
そして食堂と玄関の分かれ道まで来た。
「それじゃあ学校で」
「またなー」
「おう、んじゃまた学校でーああそういえば、今日の当番椿さんだぜー」
うを、まじか!という声を背で聞き、俺はそのまま学園へ向かうのであった。
学校までは歩いて10分弱ほど。
まあこの段階で学園の大きさを理解してくれると嬉しい。敷地内でありながら歩いて10分かかる距離。
「これもまた非日常ってね」
まだ日常に定着していない通学路を歩きながら、運動部の掛け声なんかを聞く。
そろそろ朝練終了の時間だからだろう、やたらと声を出している部がちらほら。
部同士で互いに競い合ってるようにも聞こえる。
そんな中陸上部の掛け声が聞こえてきたのでそちらに目をやる。
陸上部は走り込みを主とした朝練を行なっており、その参加は有志としているのでさほど人数は多くない。
少し遠いが、その中にこれまた見知った顔を見つけたので手を振ってみる。
どうやら相手も気付いてくれたようで、控えめに手を振り返してきてくれた。
「真希ちゃんは足も綺麗だけど、心も綺麗だねー」
聞こえてないことを良いことに本心をさらけ出して、浮ついた心を隠す気もない軽い足取りで玄関口へ。
下駄箱へ付いてみたら早くも我クラスのマスコットキャラが定着しつつある理央いたので声をかける。
「理央、おはよう」
「あーおはよぉー、早いねー」
「理央こそはやいじゃないか、そういや日直だったっけ」
「そーだよ、まだねむねむだよぉ」
欠伸を零しながら癒やし系ショタマスコットの名に恥じぬ雰囲気を垂れ流している。
まあそういう所を突かれるのが苦手な奴なので、温かく見守るに徹する。
じゃないと、彼の目の端に水滴が溢れそうになるだけで女子達の非難轟々を買うことになる。
男子一名がそれを実践してしまい、入学一週間目にしてクラスメイトの前で土下座を晒すことになったのは良い思い出。
「俺もねむねむだよ、教室に着いたら一緒に寝ようかな」
「うん、寝よー寝よー」
なんて美少女のようで美少女ではないかなり美少年の理央ときゃっきゃうふふしながら、俺達は教室についた。
1ーEというプレートの下にある扉を開け、まだ無人だった教室に人の気配を灯す。
花瓶の水を入れ替えてくるという理央と別れて席につく。
自分以外誰も居なくなった教室を窓際最後列の自分の席から見渡す。
今日もまた平穏無事な一日が始まるのだという平和な予測を胸に抱き、それこそがいいのだと想い、机に両腕をあずけて頬を乗せる。
優しい日溜まりに心地よさと僅かな眠気を感じながら、目をつぶる。
「きっと今日はいい日になる」
胸に抱いた予測を確信のように言葉に込めて吐く。
そう、この時の俺は確かに平穏だったのである。
だらだらと日常を書きました。日常がひっくり返る今後に対する溜めですね。