隙間風
冬の空気が頬を刺して、引き上げたマフラーとポケットに埋めた指先の僅かな温もりを奪う。いつも通りの学校までの道にいつもと違う風が抜けた気がしたのは、きっと隣の隙間のせい。
朝の澄んだ冷ややかさに辟易しながら、通い慣れた道を歩く。ここはこんなに静かな道だっただろうか。なんて、ぼんやりと考えながら。別に何の物音もしない訳ではない。両脇の家々からは朝の忙しさが漏れ、少し先の大通りからは排煙と人混みの余韻。しかし普段なら聞き逃してしまうだろう小鳥のさえずりを拾える静寂が、此処には確かにあった。
理由は明快。
今日は登下校の同行者、いわゆる腐れ縁といった分類のアイツがいないから。昔からアイツはうるさい奴だった。喋り好きというか何というか、とにかく喋り続けないと死んでしまうといわんばかりにひたすら喋り続ける。それは教師の笑い話だったり、今日の天気の事だったり、気に入りの芸人についてだったり。俺にはあまり興味のない、つまらない話がほとんどではあったのだけど。何故か耳を傾け、相槌を返してしまう自分がいた。アイツと違って俺は人と喋るのが得意でなく、相槌も短く「ああ」とか「へぇ」と返すだけの愛想の無いものだったけれど、アイツはいつも楽しげに笑っていた。
それが、今日はない。
ただそれだけの事でどこか淋しく感じている自分がいた。いつもはあっという間の通学路もひどく長く思えて、吹き抜けた冷たい風にマフラーをもう一度引き上げた。
本当は知っていた。アイツがたまに泣きそうな顔をしていたことも、その原因が俺だということも。そしてそれに気付かないふりをする俺に、アイツが気付いていたことも。
アイツと俺は腐れ縁で、それ以外の何者でもなくて。
だから俺は、その安全な距離感に甘えていたんだと思う。
朝、家を出るときにメールで欠席すると聞いた。
『風邪ひいたから、休む。ごめん。』
話す時よりずっとずっと短く、悲しくなるくらい平坦な言葉。勝手に頭の中でアイツの声に変換されて再生されるそれは、いつも笑ってるアイツからは聞いたこともない弱々しい声で、俺は昨日のアイツの後ろ姿を思い出した。
『好き』
昨日の帰り際、アイツは泣きそうな顔で言った。
そして何も返せずにいる俺を残して走り去っていった。俺はただ、その後ろ姿を泣きそうな気持ちで見つめる事しかできなかった。
いつの間にか、気付かないうちに止まっていた足。目の前の大通りを行き交う無数の人、人、人。その喧騒はどこか遠くて、通り抜ける風はただただ冷たくて。隣にあいた隙間を埋めてはくれなかった。
驚くくらい自然に、ゆっくりと振り返る。頭では、このままでは始業のチャイムに間に合わなくなってしまうなんて考えているくせに、アイツのことを考えると学校に向かう事すら馬鹿らしく思えてきて。
「バカは風邪、ひかない、だろ」
小さく呟いた音は、どこにも跳ね返ることなく朝の冷たい空気に溶けていく。今来た道を、ゆっくり歩いて来たいつもの道を、冷たい風を切って走りだした。
風は冷たく頬を刺すのに、空気は冷たく指先を凍らせるのに、緩んだマフラーも直さないままに、見慣れた道を駆け抜けた。
本当は、ずっと前から気付いてたんだ。
アイツの気持ちにも、この気持ちにも。
(隣の隙間を埋めてください)
end