④「二人の旗」
賑わいが行き交う大通りで、石畳を叩く音だけが嫌に大きく聞こえた。
蒸気で薄く白んだ王都の通りを、王都治安局の制服に身を包み、腕章を巻いた男が先導する。数歩後ろにレオンたち、さらに後ろに私とセラ。
手錠をしているわけではない。それでも、周囲の好奇の目は明らかに私たちを捉え、背中に刺さる。
セラは視線を気にもとめず、通りの目地や壁の継ぎ目、露出したバルブを見回しながら歩いている。
通り沿いの甘味処の前を通ったとき、セラの足が止まった。
「ここのかき氷は、削った氷がきめ細やかでキレイ」
視線は、ガラス越しに見える氷を削る機械に注がれている。刃が氷を噛み砕き、細い粒が器に落ち、甘い蜜の匂いが風に乗って喉の奥をくすぐった。
なんてことない感想だが、そのキレイという音の響きが、自分の指先へと視線を落とさせる。
地下でオーロラを立てたのも、門前でキラキラな鎖を形にしたのも、この手だった。
綺麗だった。後悔もない。それは偽りのない事実で、けれど、それと同じ分だけ別の事実が胸を刺す――正しくはなかった。法の上では。
正しさより先に、成立が欲しい。その飢えが、まだ残っているのが分かって、吐き気に似たものが込み上げた。肩から下げた術式ノートが入っている鞄を撫でる。指先に紙の手触りが伝わってくる気がした。
「おい、立ち止まるな」
最後尾の治安局員が低い声で淡々と言い、歩幅が詰まる。
セラは氷削り機を見たまま、返事とも独り言ともつかない声を落とした。
私は小さく息を吐いて、セラの背中に掌を当てて押すと、抵抗なく一歩踏み出した。止まりかけた治安局員も、それに合わせて歩き出す。
治安局の建物は石造りで、壁に沿って蒸気管が走っていた。内へ入ると乾いた空気に、インクと紙の匂いが混じる。
すぐに殺風景な部屋に通されて、私たちは並んで椅子に座らされた。
しばらくして、腕章の男が紙束を持って戻ってきた。
「ケナードだ」と短く名乗り、対面に着席する。
「では改めて、供述の突き合わせを行う、まずは――」
机の上に置いた紙に指を滑らせて、先にレオンへ視線を向けた。
レオンは咳払いひとつで姿勢を整え、都合のいいところだけを切って並べる。口だけはキレイだ。よく回る。あの夜明け前の日に、私に責任を押し付けた時と同じだ。
一段落したところで、ケナードは視線を落として記録を確認し、今度は私に水を向けた。冷たい瞳が、射抜く。
「次に、アーデル・クロイツァー」
「記録では、レオンハルトのパーティーの一員になっているが」
名前が出たところで、私は背筋を伸ばし、逃げずに答える。
「追放されました」
「なぜ?」
ケナードの手が止まり、眉が寄った。追放という言葉は、嫌な気配を一緒に運んでくる。
「あいつらのは、動けばいい。私の綺麗は、成立しているかだからです」
レオンが鼻で笑いかけて、リーナに肘で止められる。
「安全率を取るようにと言ったが、聞き入れなかった。結果――壊れかけた。だから切られた」
私は一息で、伸ばさずに答えた。自分の声が、思ったより落ち着いて聞こえた。嘘ではないが、全部でもない。
沈黙が落ち、セラが机の角をなぞる音だけが響く。
レオンが何か言いかけた気配がしたが、ケナードは視線を動かさずに、ペンを走らせてから、紙を一枚めくった。
その後、拘束術式やゴーレムを止めたことなどを、確認された時、扉がノックされ、白衣に身を包んだ研究者風の男が入室してきた。
薄い水晶板が詰まった木箱を抱え、ケナードの横へ立った。声は落としたまま、唇だけを動かす。
ケナードが頷きながら水晶板を取り出し、研究者は隣に着席した。
「運搬手順を確認する。段取りと安全化――君たち、どこまでやった」
レオンの顔が一瞬だけ固まる。すぐに作り笑いに浮かべようとするが、口角が上がりきらない。
研究者が続けて、淡々と事実を並べた。
「それと、使用術式が甘い。安全弁を省いている」
研究者の言葉を受けて、ケナードは、短くまとめた。
「つまり、管理が甘い」
言い訳が、形を変える。足りなかったのは手順じゃなく条件だったみたいな顔を作るために。
「事故は想定外だ。急な依頼で時間が——」
「落としただけで暴走ってのは——」
レオンが言い訳を重ねたところで、ケナードは手のひらを向け、言葉を被せた。
「どちらにせよ、この場では判断できない。言い分は受け取る。調査待ちだ」
その一言で、レオンが言葉を噛み殺した。
「話は変わるが」
視線がレオンから外され、私とセラへ刺さる。声は同じなのに、矛先だけがこちらへ向かう。
「ゴーレムを拘束した魔術の残滓は、魔力濃度が非常に高い」
「知っての通り、個人の特定は不可能だが、昨夜王都の各所で観測された未確認の発光現象でも、同濃度の残滓が確認されている」
胃の奥がひゅっと縮んだ。地下の湿気。鉄の匂い。光の帯が張り付く。
「暴走を止めたことはお手柄だが、それはそれ、これはこれだ」
部屋の中の音が消えた。外の蒸気の鳴る音すら遠くなる。救ったことと疑われることは別で、功績と相殺にならない。
偶然の一致で白を切る――いや、セラの濃度は異常だ。
待てば待つほど、疑いは私たちへ向かう。一度向けられたものは、簡単には離れない。
背中に悪寒が走る。疑いが育てば、次は拘束だ。
「セラ・レーヴェン」
「心当たりは?」
ケナードが紙束を一枚めくり、私を通り越してセラへ刺さった。
名が呼ばれ、セラは机の角をなぞったまま、ゆっくり首を傾げる。
「きれいだった」
セラは視線を机の木目から水晶板へ移し、その淡い揺れを眺めたまま言う。
ケナードが目を細め、眉間にしわが寄る。指が机を一度叩き、乾いた音が響いた。
まずい流れだ。私はセラを見てから、自分の指先を見た。
あの光を立てた手。あの線を引ける手。手のひらにある唯一の武器。
罪と言われても、後悔はない。美しい線は、誰かの首を救える。
「術式を譲渡します」
言葉が、室内に落ちた。
自分の声が、思ったより落ち着いて聞こえたのが少し嫌だった。
私が魔術師として持っている全て――それを、いまこの場で切り売りする感覚。掌の内側がじわりと汗ばんで、指先だけが冷える。
「術式?」
ケナードが意図を測るかのような表情で問う。
術式の言葉に反応して、研究者の目がわずかに輝く。
「再発防止です」
私は言い切って、息を吸った。
「自動で排熱・減衰させる論理構造――安全弁になります。魔導管の詰まりを防止する」
私は、研究者の男に向かって話す。狙うならこっちだ。
研究者が堪えきれない風に、声を漏らした。
「本当なら……素晴らしい技術だ」
ケナードの視線だけが研究者へ向いて、すぐ私に戻った。
「それで? 何を求める」
机の上の空気が硬くなる。私は一拍置いて、乾いた喉を舌で押し潰してから言った。
「拘束は避けたいです」
研究者が私とケナードを見比べ、言葉を慎重に選ぶ。
「応用次第では、今回のゴーレムのような事件を防ぐことも――」
「期待は後だ」
ケナードが短く遮ってから、研究者へ紙を一枚だけ滑らせた。二人の口は動くが、音は私に届かない。
短い相談が机の上で進み、終わるまでの数秒が、やけに長く思えた。やがてこちらへ戻る。
「この場では判断はできない。だが、提案としては受け取る」
私は頷いた。王国の術式を、個人の一存で受け取るわけがない。受け取るなら時間がいる。
そこから先は、細い確認がいくつか続いた。私は必要なところだけ答え、余計な言葉は削った。
セラは横で、机の角をなぞっている。レオンたちは、黙って損得の計算をしている気配だけがある。最後にケナードがペンを置き、全員へ向けて言った。
「本日は治安局に滞在してもらう。牢ではないが、保護兼監督だ」
案内されると、宿泊区画は思ったより普通だった。
部屋が中庭に沿って用意されており、簡素だが清潔に整えられていた。
ただ、外へ出る通路の手前には詰め所があって、治安局員が二人、椅子に腰を落としていた。
夕刻には食事も提供されて、治安局外に出る際に申告と許可が必要なこと以外は、不自由はなかった。
夜、私は中庭に出ていた。昼の熱がまだ残っているのに、風は冷たく、草の匂いが薄かった。セラが先にいて、中庭の中心に立って王都の空を見上げている。
私はベンチに腰掛けて、膝の上にノートを閉じたまま置いて、空を見上げた。
「王都は、あんまり星が見えない」
セラが、ぽつりと言う。好き嫌いの報告ではなく、観測の報告。
彼女の髪が風で揺れる。星の少なさを見上げたまま続ける。
「一番高い山」
「キレイな景色」
間を置いて、彼女は続けた。
「空が割れる色、見たい」
「……割れる?」
「ぱきって境目ができて、そこから色が落ちる」
「オーロラみたいに、もっと。全部を使って」
彼女の語彙はいつも抽象的だ。けれど、私にはその意味が分かる気がした。言葉の向こうに、彼女の目標があるのだ。
欲しがり方が、私と同じだ。成立するまで手を離さない。笑いかけて、笑えなかった。その代わりに尋ねた。
「……世界中の魔術を、集めるってことですか?」
セラは頷く。頷き方が軽い。
「集めたら、誰も見たことない色になる」
世界中の魔術。誰も見たことがない景色——それは、私が求めていたものだ。
膝の上に置いた術式ノートを撫でた。自分の飢えに気づいた。もっと単純で、みっともないほど素直な欲望だ。
あの地下の帯が、序章にすぎないのなら——紙の上の正しさでは届かない場所。結論は驚くほどすんなり出てきた。
立ち上がり、セラの隣に並ぶ。手が届かない、少しだけ遠い距離。
「私も行きます」
「オーロラ以上の景色を探しに」
セラは星を見つめたまま何も言わない。
しばらく経ってからこちらを見る。淡い金の目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「じゃあ、二人の旗を山頂に立てにいこう」
それだけ言ってまた空を見上げる。
旗。子どもみたいな言い方なのに、妙に具体的で、可笑しかった。返事の代わりに、空を見上げてから強く頷いた。
山頂は遠い。治安局での件が終わるまでは、旗も立てられない。




