③「私と彼女」
木板が割れ、魔導ゴーレムが落ちた。砂埃が舞い上がり、靴底から鈍い衝撃が突き上げてくる。
「……あ」
彼女の口から、小さく乾いた声が漏れた。
淡い金の目は、ゴーレムの関節部へ一心に注がれていた。そこだけが世界のように、焦点が揺れない。
ゴーレムの胸部にあるルーンが、不穏に明滅し始めた。
点滅は呼吸の乱れみたいに不規則で、けれど次の瞬間に、明滅が揃いはじめる。その美しさが、逆に怖気立つ。
ゴーレムの頭部が、ゆっくり回る。石で造られているのに動きは滑らかだ。赤い目玉が人の群れの上を滑って止まる。
立ち上がり、腕を持ち上げる。動きは緩慢なのに、その巨大な圧迫感が、体感時間を圧縮した。腕が地面に触れると同時に石畳が沈む。
それに合わせて、大門前に並んでいた御者達が一斉に逃げ出す。
レオンたちにもう少し早く忠告できていたらと、私は喉の奥で舌打ちを噛み潰した。落下の衝撃で人間を敵と誤認されたんだ。敵味方を区別できていない。
当のレオンは半歩だけ足を引いて止まり、視線が移る。ゴーレムへ、門のほうへ、最後に地面に落ちた研究所の札へ。
札を見た途端、口元が一度だけ歪む。「おい、どうする」と筋肉男——ブリッツの声が焦りを帯びる。掌に溜めた魔力が、熱の形になる手前で止まっていた。
レオンは一拍間を開けて、喉を鳴らした。壊せない。けれど放置もできない。このままでは事故を起こしたが先にくる。
それでも、迷いは一瞬だ。「散れ、無力化だ」と声を上げ、四人が一斉に動き出す。
レオンが前へ出て、ブリッツが半歩後ろで魔力を立て、細身の男——オットーと女——リーナは横へ広がる。段取りだけは、いつも綺麗だ。
ブリッツの口元が持ち上がる。待ってましたとばかりに前へ出て、派手な火球を放つ。
火球が連続で叩き込まれる。火は激しく散り、熱波が広がり、衝撃で石畳が砕け散る。
散った火が周囲へ飛び、逃げ遅れた男が腕を庇って転び、別の女が子どもを抱えてしゃがみ込む。門前の喧騒だけがさらに広がる。
火球は直撃した——はずだった。
だが、煙が晴れた先でゴーレムは無傷だった。動作は鈍らず、焦げもせず、へこみもしない。あれじゃだめだ、一点に集めないと散らされる。
助けたいよりも、破綻が我慢ならないが先にきて、原因の手触りを指先が探してしまう。まずは拘束、じゃない足止めだ。減衰の術式で動きを鈍らせる。
右手を上げ、無心で空中に指を走らせて、一筆で繋げる。書いている間だけは、頭が静かになる。
指の軌跡に淡い光が残り、複雑な幾何学模様が空中に焼き付いていく。
最後の結び目を閉じた瞬間、静寂が消えた。
描くだけなら私でもできる——魔力を流さないと、世界は動かない。
私には動かす分が足りない。届かない。喉の奥が痺れ、胸の内側が空洞になる。
その空洞に色が降ってきて、昨夜の光景が脳裏で弾けた。特等席を探していた少女。
彼女は相変わらず接合部を見ていた。その視線の鋭さだけが、場違いなほど澄んでいる。
出力は、彼女に渡せばいい。歯を食いしばり、視線を上げないまま、手だけで彼女を呼んだ。
「ここに魔力、少しだけ」
彼女はゴーレムから目を離し、空中に浮いたままの術式へ視線を移して、興味深そうに見つめてから、私の目を見て尋ねてくる。
「攻撃するの? ゴーレムキレイなのに」
首を振る。破壊なんて私の性分じゃない。
「壊さない。収める」
「いいね」とだけ言ってから彼女は術式に魔力を注ぐ。
減衰の術式だ。
ゴーレムの足元へ薄い光が走り、踏み込みと腕の振り下ろしが僅かに遅れる。たったそれだけでも、門前の空気を変えた。
倒れた人を引きずる時間が、子どもを抱え直す時間が生まれる。人が逃げるための隙が、そこにできた。
それを見て、レオンの視線が私の指先へ、次いで隣を射抜く。「おい、余計な——」と言いかけた口が苦く歪んで閉ざし、すぐにゴーレムへ戻る。
私は肺の底から息を吐き出す。効いた。そう思うと同時に、頭が冷える。終わりじゃない。猶予が生まれただけだ。
拘束して、胸部のルーンを書き換える。攻撃判定を外し、識別を通す。壊さない。直して終わらせる。
再び空中で術式を構築して、視線を向ける。
彼女は首を少し傾げて、ゴーレムの今にも振り下ろされる腕の関節を見つめていた。
「拘束する。手伝って」
お願いでも命令でもなく、短く言う。
こちらを見て、返事の代わりに淡い金の瞳が輪の中心を捉えて、彼女がぽつりと言った。
「キラキラな鎖がいいな」
手が、止まった。いま、それ言うのか。こんな状況でも、彼女は同じ基準で旗を立てることに、喉の奥から乾いた笑いが漏れそうになって飲み込んだ。
私は返事の代わりに、術式を書き換える。
彼女の強すぎる出力を美しく成立させる。鎖ではなく幅のある帯に変える。縁を崩さずに、オーロラみたいに走らせるようにする。
輪を閉じて、私は「オーロラ」といいながら指先で、術式を示した。
彼女は大きく頷いてから、魔力を流した。
空気が重くなる。地下で感じたあの圧が立ち上がる。
けれど今回は暴れない。輪の中にだけ収束する。
私の線が、彼女の圧で現実になる。帯が淡く脈打ち、色が層になって走る。ゴーレムの腕へ巻きつき、胸へ回って足元へ落ちていく。
やがて、重心を崩したゴーレムが、ゆっくりと仰向けに倒れ、鈍い衝撃が伝わる。
私は「そのまま、止めないで」とだけ言い残して、ゴーレムへ向かって走り出す。石畳を蹴り、胸部へ回り込む。途中でレオンの叫び声が聞こえた気がしたが無視した。
胸部のルーンは動脈のように光っており、指先を当てると痺れが皮膚を伝わった。
手が止まる。
見たことがない構築だ。同じルーン文字を使っているのに、繋ぎ方が違う。意味が頭に入って来るのが遅れる。
胸の奥が小さく跳ねた。こんなときに、ワクワクしてしまう。未知の文法、触れたくて仕方がない。
手の震えを殺して、術式の分岐を確認し、攻撃を停止の条件へ回路を変えるようにする。
最後の結びを閉じた瞬間、ルーンがドクンと強く脈打った。 背筋が凍り、指が止まる。失敗の二文字が頭をよぎって、私は息を呑む。
即座に目を走らせ、分岐を追った――逆だ。折り返しが反転している。いつもの文法で正しいはずの回路が、この構築では暴れる。
結び目をほどき、線を入れ替えて戻すと、光は遅れて沈み、不規則だった明滅が、穏やかに揃い——ふっと、その光を落とす。自分の心臓だけが、痛いほどに早鐘を打っていた。
止まった。張り詰めていた門前の空気が、緩んでいく中、ゴーレムに纏わりつく帯だけが光り続けていた。
辺りを一周だけ見回すと、悲鳴が途切れ、誰かが咳をし「助かった」と呟く。致命傷の匂いがしないことが、何よりの勝利だった。
その勝利の横で、レオンたちの呆然とした視線が突き刺さった。それを無視して、彼女の方へ歩み寄る。
「助かりました」と短く礼を伝えると、満足したような表情を浮かべて「キレイだったね」と返してくる。
その表情を見て、胸の奥の飢えが僅かに静まるのを感じた。
満たされたと言えるかはわからない。それでも、昨夜より息が通る。
――そういえば、彼女の名前を知らない。微笑みかけた口元を引っ込めて、肩口あたりを見つめながら尋ねた。
「名前……教えてください」
彼女は質問の意味を測るように首を傾げたが、答えは驚くほど速かった。
「セラ」
言い切ってから首が戻る。私は、彼女――セラの瞳を見た。淡い金の焦点がこちらと合う。
言葉を軽くしたくなくて、息を一つ整えてから返す。
「アーデル……私は、アーデルです」
言った瞬間、自分の名前が急に現実味を持つ。
セラは私のつま先から頭のてっぺんまでを目でなぞった。
てっぺんを通り過ぎて、空中を見て数度瞬きをする。
その後、私を見つめ返して、目だけで笑った。
「うん。アーデル」
覚え方はきっと機能寄りだ。昨日のオーロラの人として。けれど、それで今は十分だった。
静けさを、靴音と声が割った。
「下がれ、現場を保全する」
制服が小門を抜けた瞬間に散り、先頭の腕章をつけた男が腕を上げて指示をだす。王都治安局——王都の警察機構だ。
「調査と聞き取り。負傷者は搬送の振り分けを行え」
誰よりも速く、レオンが先頭の男に近づき口を開いた。
「手違いが起きただけだ。だが鎮圧済みだ。問題ない」
私の方を忌々しげに睨みつけてから、男へ向き直った。
余計なことを喋るなということらしいが、セラの魔力濃度は異常だ。調べられたら誤魔化せない。
腕章の男は「その場を動くな。当事者は別で話を聞く」とだけ返して、ゴーレムを見てからあたりを見回す。
その背後で、オットーが素早く帳簿を閉じ、ゴーレムの札を確認するふりをして何かを隠したのが見えた。
腕章をつけた男が部下の報告を受け、こちらへ視線を向ける。
「お前たちも来い。話を聞く」
逃げるべきだった。しまったと思ったときには遅かった。
セラは懐から紙を取り出し、何かを書き足す。眉を下げて「明日こそ、王城まで」と軽く言った。
予定がズレたことだけを憂いているようで、逃げるという考えはないらしい。どうでもいい目的を、真剣な顔で言う。
私は口の端を引きつらせたまま、鞄に手のひらを置いた。
布越しに術式ノートの形が伝わってくる。いざとなったらこれをと思ってしまって肩が重くなった。
セラは、止まったゴーレムの接合部を最後に名残惜しそうに見てから、私の方へ視線を戻した。
私は頷き、石畳を踏み直して男の背中を追った。




