②「身長が伸びたら嬉しいから」
城壁——外へ出るなら城門しかない。探すならそこが一番いいと、フードを深く被ったまま、朝の王都を早足で進んだ。
別れる際に「明日は、城壁」彼女はそう零した。けれど、その明日が寝て起きてすぐなのか、暦の上なのかが分からなかった。
わからなかったので、起きた足で昼頃から城壁に背を預け、日が暮れるまで待ったが誰も来なかった。
今日もいなかったら——その先は考えないことにして、足を速めた。
城門へ近づくほどに人の密度が上がっていった。今日だけは列ができていて、息を浅くして肩をすぼめ、なるべく背を丸めて列に混じった。
しばらくして、身分証を出しフードをずらすと、係官と門番の視線が私へ寄ったので、目を伏せた。
「通っていい。大門の前には立つな。点検中だ」という声に、頷いてから足早に門を通り抜ける。
左側を見ると、外にも荷車が並んでいた。なので人の流れを避け、小門よりも更に右側へ寄り、城壁に背中を預けた。
踵を上げて、下げる。上げて、下げる。
大門の前で、調査官の術式が床を撫でるのが見えた。あれが自分の手元に来たらと想像するだけで体が強張る。
責任という言葉が舌先まで来て、引っ込めた。綺麗だった——それだけは表せなくて、宙で指先を回した。
そう思った矢先、人混みの奥で「おい、傾けるな!」と怒鳴る声が飛び、視線だけで彼らを追った。
板を二枚、縦に渡しただけの台の上に、巨大な塊が乗っていた——魔導ゴーレムだ。
文献の文字が、頭へ浮かび上がる。警備用の試作品で、自立行動の魔術が埋め込まれていると聞く。私はただ、見つめることしかできず、指先を回した。
筋肉の厚い男が前に出た。手のひらを上げ、風の魔術を展開し、板ごとゴーレムを浮かせている。砂埃が舞い上がって、支えの板が軋み、研究所の札がばたつく。
その周りを、揃いの外套の連中が囲んでいた。
先頭を歩く金髪の男——レオンが、列の中から係官に軽く手を振った。係官は顔を上げ、すぐに笑って頷く。
やり取りが一段落したところで振り向き、私を捉えた。
目が合った瞬間、口の端をニヤリと歪め、鼻を鳴らすように息を吐き、仲間の輪から外れて私の前へ影を落とした。
「なあ、昨日のこと聞いたか? ああいう派手なのが本物ってやつだよ」
朝からよく舌が回る。魔力より便利な部品だ。
何も返さない。彼女の姿を見逃すまいと、目だけが彼の横を抜け周りを見回す。
それでも「口だけ」という言葉だけは引き寄せられるかのように降ってきて、腹の底へ積み重なっていく。魔力が足りない。その事実だけが、いつも立ち塞がる。
揺れが残る彼らの荷へ目が吸われる。負荷のかけ方が点になっている。板が割れたら耐えられない。これで運ぶなら、面で支える術式を入れるべきだ。
「術式が粗い。点で支えている。いずれ落とす」
口から出た声は、思った以上に平坦だった。
レオンの顔が、笑いの形のまま止まり、視線が一瞬だけ私の指先を掠めた気がした。
この男はいつもそうだ。術式の話をすると何故か一拍止まる。
理由を考えかけて——やめた。今日の目的はそこじゃない。
「この前だって――」と言いかけた私の言葉を遮り、手首だけを返してしっしっと二回振る。
「また美しさか? そのご立派な信念は、いくらになんだよ」
荷の方をしゃくりながら続ける。
「効率よく運べりゃ正義。俺にとっての綺麗はそれだ」
勝ち誇ったような顔をして、言葉を続けようとする。
その時、視界の隅にやけに規則的な足運びが入り込んできた。城壁に沿って、淡い金の瞳が足元を一心に見つめながら、歩いていた。
纏った白いフード付きのローブは、煤にまみれていなかった。
左の踵が右のつま先に寄り、軽く触れたかと思うと、次には右のつま先が左の踵へ重なる。重心は一定のまま両手を広げて、濃紺の髪をゆらゆらと揺らしながらゆっくりと進んでいる。
その姿を見て、詰めていた息が少しだけふっと抜ける。視線が追いかけてしまい、口元を引き結んで止めた。
私の視線を追って、レオンがそちらを向いた。「なんだ、あいつ?」と声を低く落として、眉間に皺を寄せる。
彼女は城壁沿いに歩いて、私たちの前を通り過ぎた。その瞬間、胸のどこかが、ちくりと痛んだ。
そのまま進み、大門前で立ち止まる。「いつになったら開くんだ!」と近くで怒声が飛んでも、視線は足元から外れない。「よし」とだけ言って、頷き振り向いた。
淡い金の瞳と焦点が合った。
「あ、オーロラの人」
オーロラの人、その呼び名を聞いた瞬間、肩の力全部抜けてしまった。
レオンは目を細めて彼女を眺める。足元から顔まで、視線が一往復した。
彼女は視線を気にした様子もなく、懐から紙を取り出して、ペンを走らせる。いったん足元へ目を落としてから城門を見上げ、頭頂に掌を置き前後に振る。
レオンが鼻息を強く吐き、突き出すように私を指さした。
「おい、あんた。この女、魔術を使えねぇんだ。なのに口だけはご立派ときた。付き合うと損するぜ」
それを聞いて、レオンの方を見上げた。首筋がひやりとして、息が浅くなる。
「いいな。高い」
彼女は手のひらを頭頂に置いたまま、レオンの頭部を見つめ、それだけ言ってまた足元へ戻してしまった。
口の端が上がったまま、レオンは動かなくなり、近くにいた男が吹き出した。
レオンが男を睨みつけると、顔をそっと横に逃がした。
「とにかく! 現場は美しさで回ってねぇんだよ」
舌打ちを鳴らし私の手辺りを見てから、一つ息を吸って仲間の方へ戻っていった。
足音が遠ざかったのと同時に、ペンの音が止まった。
彼女が顔を上げて、首を傾げた。
「口だけ」
純粋に言葉の意味が分からない、という顔をしていた。
胸の奥が、変な形に歪んだ。
口が開きかけて閉じる。答えられなかった。
息を一つ吐いてから一歩近づいて、話を逸らした。
「……何していたんですか」
「口だけ」を追いかけなかった。それよりも、こちらのほうが大事だと言わんばかりに、紙を掲げて、目を輝かせた。
「城壁の歩数、測ってた」
「……なんのために」
「減ってたら嬉しいから」と少しだけ顎を上げ、胸を張って言う。
「何が嬉しいんですか?」
紙とペンをしまいながら、踵とつま先を一度そろえて立ち、背伸びをした。
「背が伸びてたら、嬉しい」
身長の話。思っていたより、ずっとどうでもいい話だと考えてしまって、頭がチクリとした。私の表には入らない。たぶん、普通は入らない。なのに彼女はそこに旗を立てる。
口が一度開いて、何も出ないまま閉じる。言葉を探してから、もっと実用的な方法を差し出す。
「計測の魔術がありますよ、そっちのほうが――」
「歩いたほうが、いい感じ」
減ったという事実じゃなくて、証が欲しいのだと、遅れて腑に落ちる。理屈ではなく感触で選んでいる。自然と笑みが出て、彼女を見上げる。
「伸びてるといいですね」
「うん」
指を折りながら、門の方へ向く。
「まだ閉まってる。下に立ちたいのに」
「また歩数を数えるんですか?」
「ジャンプしたい。届くかもしれない」
無理、と言葉には出さなかった。「歩いたほうが、いい感じ」が口を止めた。ああ、そういうことか。
大門はまだ開いていない。列は詰まり、苛立ちは濃くなる。
調査員のひとりが額の汗を拭きながら「配管の方じゃないか」と言い、別のひとりが息を吐いてから「昨日の光か」と言う。
昨日の光。私が「綺麗だ」と思ってしまったもの。流した魔力が強すぎた。彼女にだけ聞こえるように小声で言う。
「昨日の光。たぶん、導管の流れが荒れてる」
それを聞いて「じゃあ、直さないと」と決まったことのように言った。それから私の手の辺りを見て「直る?」と首をかしげて尋ねてきた。
大門を数秒眺めてから「ジャンプできますよ。きっと」と返すと、目を輝かせながら大門の手前まで近づいて行った。
調査員が気づいて止めに寄ったが、彼女は「任せて」と何故だか自信満々そうに答えた。呆気にとられた顔で調査員は立ち止まり、次の言葉を探している間に、もう通り過ぎていた。
私はそれが可笑しいのか、呆れなのかはわからなかったけど、口角を上げてから、追うように歩き出した。
大門前では、ゴーレムの運搬が止まっていた。筋肉男が雑に魔力を立て、荷が強く揺れて、周囲の空気がざらつく。
その光景を見て、魔力操作の乱れが気になって、足を止めてしまった。
レオンが門番へ強い声で詰め寄り、他の仲間たちも苛立ちを隠せていない。
私は舌を噛んで、呼吸を浅くした。さっきと何も変わっていない。いや、さっきより悪い。精神も乱れている。
言うなら早いほうがいい。声をかけようとした瞬間——
筋肉の男が、掌を上げ直し、ゴーレムが傾いた。支えの木板が、悲鳴みたいに鳴る。「おい、傾けるな——」と誰かが叫び、ぱき、と乾いた音がして、板が割れ、裂けた。
ゴーレムが浮力を失って落ち、石畳が震え、砂埃が一気に立った。
次の瞬間、ゴーレムの胸部のルーンが不穏に揺れた。冷たい光が走り、周囲の空気が一瞬だけ固くなる。皮膚の上をなぞったみたいに背筋が粟立つ。
嫌な予感は、だいたい当たる。ゴーレムがこちらを見て、ルーンが規則的に点滅し続けた。
その点滅が、前に読んだゴーレムの論文を頭の中でめくらせた。敵対行為と判定されたかもしれない。




