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①「煤まみれの特等席」

「美しくなきゃ魔術じゃない」


 そう呟きながら、裏路地の隅に積まれた木箱の上に腰掛けて、宙に指を走らせていた。


 さっきパーティから追い出されて、明日から仕事がない。それよりも口だけの魔術師——その言葉だけがまだ舌の裏に残っていた。


 夜明け前の王都はまだ眠っていて、蒸気機関の排気が白く滲み、地下だけが眠ることなく動いていた。


 指を動かしていると突如、足元の地面が低く震え始めた。街灯が呼吸するように明滅して、金属が内側で唸るような響きが伝わってくる。


 直後、左奥にあるマンホールが跳ねて、鈍い金属音が鳴る。蒸気と煤が噴き上がり、空気が黒く濁って、思わず袖で口元を押さえた。


 視界に黒い影が立ち上がり、マンホールの開口部から、煤まみれの少女が這い出てきた。煤の下から覗く髪が、光の加減で濃紺に揺れる。淡い金色の瞳がこちらを向いて、私の肩が跳ねた。けれど、その焦点は私に結ばれていない。


 彼女は煤を払うこともせずに、落ちた蓋へ近づいて膝をつき、指先で縁をゆっくり撫で、欠けた部分で止まる。眉を下げながら、そこに誰かがいるかのように、口の中で小さく呟いた。


「……ごめん」


 それから何事もなかったような顔をして、縦穴へ戻ろうとする。しかし、縁に足をかけたところで立ち止まった。


 懐から一冊の本を取り出して、開いた。それから、私の前を横切って街灯の下へ向かって、しゃがみ込んだ。


 地下は進入禁止で、見つかれば投獄される。どう考えても、関わるべきではないと、彼女の後ろを通り過ぎようとした時、街灯の下から閃光のような輝きが網膜の奥に突き刺さり、私の足を止めた。


 光は過剰に膨らんだかと思うと、瞬く間に痩せて、点いたり薄くなったりを繰り返す。


 全身が粟立った。灯りの術式。簡単な術式なのに、見た目じゃなくて構造が汚い。筒にいくつも穴が空いて水が漏れているみたいだ。


 指が宙で線をなぞる。腹が立っているんじゃない。ただ、直したいだけ。


 頭の中では、見なかったことにしろ。関わるな、と警鐘が鳴り響いているのに、呟いてしまう。


「灯り、漏れてる。魔力の流れも悪い。雑な——」


 声にした途端、喉の奥がひりついた。言えば「口だけ」が私へ向かうのに、引っ込めない。


 それが聞こえてしまったのか、彼女は振り返って、小首を傾げた。私は息を呑んで、肩からかけた鞄の紐を強く握った。


「よくわからない」


 彼女は自身の光を見ながら、睫毛をほんの少し揺らした。


「キレイになる?」


 怒鳴り返されることも、煙たがられることもなかった。ただ、その聞き返しが真っ直ぐで、キレイという言葉に引っ張られて、答えてしまう。


「……キレイにするなら、こう」


 彼女の近くにしゃがみ込んで、手元に浮かぶ輪へ指先を近づけようとして、途中で指先が震えて一拍止まる。


 魔力が足りず、術式を描くことしかできない——それが私の全部だ。だから術式を雑にするわけにはいかない。


 指先が饒舌に走り出す。魔力を光に変えて一箇所に集めるように、閃光を思い出して、光量がブレないように。


 それを彼女は興味深そうに、覗き込んでいた。最後に、使った魔力がこぼれないように補助を足して、流れが一筆になるようにして輪を閉じた。


「通してみてください。魔力は少量で」


 光が、揺れも滲みもなく、刃みたいに澄んだ。


 その瞬間、私は言葉を失って、瞬きを忘れてしまった。瞬きをしたら、取り落とす気がしたからだ。


 だけどそう見えたのは一瞬で、光はすぐに落ち着いた明るさへ戻り、明るいのに刺さず、輪郭がきちんと立った。


 私の術式が現実になった。それと同時に彼女の魔力、と考えながら顔を見る。


 彼女の口元が、ほんの少しだけ上がり、数度瞬きをしてから、うんと頷いた。


「キレイになった」


 彼女はそのまま、光を手元の本へ近づけて、開いたままのページと見比べては首をかしげた。


「これと全然違う」


 言葉の意図が理解できなくて、本を覗くと、それは魔術教本だった。しかも子供が最初に手にするやつだ。


「これ、入門書ですよ。魔術師が使うものじゃない」


「でも、同じ灯り」


「それは、単純に光を出すだけです。でも、術式次第でいくらでも——」


 饒舌になりかけた言葉を喉奥に押し込んで無理やり切った。続けるほど「口だけ」が胃の奥底に刺さっていって冷える。


 だけど彼女は気にした様子もなく、本と手元だけを何度も見比べていた。


「こっちのほうがいい感じ」


 そう言いながら手の灯りを持ち上げて、頷く。その頷きで冷えが少しだけ引いていくのを感じて、鞄を撫でた。中にある術式ノートの形がわかる。


 彼女は空を見上げて、目を輝かせながら月を見つめたまま零した。


「オーロラ」


 その声は語尾が少し跳ねて、待ちきれないようだったので、反射的に拾ってしまった。


「オーロラ?」


「夜明けに出るらしい。地下で」


 私は嫌な予感が引っかかって、地面に置かれた蓋を見る。


「……魔導管をいじる気ですか?」


 彼女は一瞬だけ考える顔をして首をかしげ、「らしい。さっきは跳ねた」と言いながら、紙と本を懐にしまった。


 やっぱり、と喉まで出かけて飲み込んだ。


 あまり喋らない人間だと思ったが、言葉が止まらない。「神話。空が割れて——」と続ける。関心の域に入ると堰が切れるらしい。


 最後に「夜明け前限定。急がないと」と言って、地下へ降りていこうとする。


 導管に下手なことをしたら、街が止まる。止めるべきだと足を出して、止まる——違う。これは欺瞞だ。


 さっき一度だけ、灯りが刃みたいに澄んだ瞬間——空気だけが張り詰めた、あの一拍。思い出した途端、胸の内側がむず痒くなって、指先が形を探し始める。


 放っておいたら、あれが腐る。ここを逃したら、二度と同じ張りには戻らない。そういう確信が、理屈より先に皮膚に貼り付いた。


 刹那、裏路地の近くで靴底が鳴り、一定の間隔で近づいてくる——巡回警備の足音だ。心臓が跳ねた。


 私は乱暴に地面を蹴り上げて、鞄の紐が肩に食い込むのも構わずに、縦穴の梯子に手を掛け、最後に逃げ道を塞ぐように蓋を引き寄せて閉めた。


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