第六節——出立、そして——
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『————いい加減、起きろ』
「うわっ!!」
脳に直接声が響いて、一気に目が覚めた。辺りを見回すと、枕元でプロメテウスが呆れたように腕を組んで座っている。昨日は信じられない出来事ばかりで、それこそ夢でも見ているような気分だったが、やはり全て現実だったらしい。
目を覚ましたはいいものの、疲れは相当残っている。起き上がれないまましばらくじっとしていると、フォルスが部屋に入ってきた。
「おう、起きたか。思ったより早かったな」
「思ったより……って!」
そう言われるまで全く気にしていなかったが、そういえば部屋に差し込む光が妙に赤い。うまく力が入らない身体をどうにか動かして外を見ると、陽がかなり傾いていた。今にも沈んでしまいそうだ。
「まさか……こんな時間まで寝てたのか!?」
「そういうことだ。けどまあ、早い方だと思うぜ。俺は三日ぐらい寝込んじまってたからな」
『あの時は僕も焦ったよ。もう目を覚まさないかと思った』
近くからオルフェウスの声が聞こえたが、姿は見えない。どこにいるのかフォルスに尋ねると、彼の背後から急にオルフェウスの輪郭が浮かび上がってきた。そういえば、昨日助けてくれた時も初めは彼の姿がなかった。オルフェウスは、フォルスの意思で姿を消すことができるのだろうか。
「ああ、これか? やってみれば簡単だ、一回全身の力を抜いてみな」
「えっと……こうか?」
フォルスに言われた通りに力を抜いてみると、枕元にいたプロメテウスの気配が消えた。それと同時に、持っていた重い荷物を下ろした後のように全身の疲労感が薄れてゆく。
「なんか……楽になった」
「演者の力は負担が大きいからな。こうやって意識的に力の使い方を切り替えれば、目立たねえ上に消耗も抑えられる。会話も問題なくできるから、基本はそうしとく方が良いぜ」
そう言いながら、フォルスは再びオルフェウスの姿を消した。それにしても、やはり不思議な力だ。昨日の戦いでは俺と同じくらい神の力を使っていたはずなのに、フォルスは涼しい顔をしている。ある程度慣れれば、疲れも感じにくくなるのだろうか。
『フォルス、確かにそれも大事なことだけれど……そろそろ本題に入ろう』
「そうだ、色々説明をしに来たんだったな」
オルフェウスに促され、フォルスは床に腰を下ろした。そういえば、昨日そんなことを言っていた気がする。
「まあ、いきなり全部話してもまた寝込んじまうだけだろうからな。最低限必要なことだけ話しておくぜ」
『違いない。長年共にいるだけあって、リオンのことをよく理解しているのだな』
「なっ……うるせえ!」
プロメテウスの口を塞ごうと伸ばした腕が空を切る。自分でやっておきながら、プロメテウスが姿を消しているのをすっかり忘れていた。そのまま姿勢を崩し、床に倒れ込んだ。
「うがっ!」
『全く……呆れてものも言えんな』
「はは、まあ良くも悪くもこんな奴だ。せっかく演者に選んだなら、しばらく付き合ってやってくれ」
先が思いやられる、とプロメテウスがこぼすのを聞きながらゆっくり身体を起こす。それを待ってから、フォルスは話を始めた。
「まずは演者が何なのかってことから話すか。演者ってのは、簡単に言えば神やら精霊やらの力を受けた人間だ。今を生きる人間としてこの世界に立ちながら、神を演じるって訳だな」
それは何となくわかる。俺自身も含めて、昨日"演者"と呼ばれていた者は皆人間離れした力を振るっていた。
恐らく簡単に説明するためにあえてフォルスは触れなかったのだと思うが、アラクネやオルフェウスは元々人間だ。正確には、神や精霊に限らず神話に語られる存在が力を与えている、といったところだろう。
「それにしても、"演者"って……何でそう呼ばれるようになったんだ?」
「さあな……考えたこともなかった。まあ、この呼び方が一般的になってるってことは、これが一番適切ってことなんだろうよ」
「なるほど……」
実際、神と演劇の間には浅からぬ関係があると座長から聞いたことがある。中でもプロメテウス達の神話の舞台となっている国では、古くから伝わる演目の大半が神話に関連する内容なのだという。その他の国でも、演劇が神を現世に呼ぶ儀式の一つとして扱われている国は少なくない。それを踏まえれば、いま俺たちの身に起きているこの現象に名前をつける上で、確かにこの切り口は自然かもしれない。
「ところで、フォルスも演者になる時は試練みたいなのを受けたのか?」
『あ……』
フォルスより先に、オルフェウスの方が反応した。フォルスの方を見ると、さっきまでとは打って変わって、ひどく青ざめた顔をしている。
「……受けたよ、試練」
「そ、そうか」
「さっきの三日寝込んだって話……少なくとも、そのうちの二日半はそれが原因だ」
そう語るフォルスの様子は急激に弱々しくなってゆく。オルフェウスはそれを見て、申し訳なさそうに戸惑っていた。一体、何があったのだろうか。もちろんそれを聞けばフォルスの具合が余計に悪くなることは目に見えていたので、あえて聞かなかった。すっかり弱りきってしまったフォルスに代わって、オルフェウスが説明を続けてくれた。
『ま……まあ、演者を選ぶ時は試練を課すのが一般的だね。誰しもが望めば演者になれるという訳じゃない』
「そうか、プロメテウスだけがやたら厳しいわけじゃないんだな」
『心外だな。むしろ、状況を鑑みて幾分か大目に見てやったというのに』
仮想の世界での出来事とはいえ、あれのどこに大目に見たと言い張れるところがあるのか分からないが、試練を課したプロメテウス自身がそう言っている以上は何も言えなかった。やはり神と人間では尺度が違うところが少なくない。座長が話す神話を聞いていた時から何となく感じていたが、こんなにはっきりと実感する機会があるとは思わなかった。
『ちなみに、試練の形は様々だ。直接的に苦痛を与えるだけじゃなくて、対話を通して素質を見極める者もいる。ただ、共通しているのは信頼できる相手かどうかを確かめて力を授けたいってことだね』
「そっか……そうだよな」
確かに、悪用しようと思えばいくらでもできてしまう力だ。誰彼構わず与えて良いようなものではない。実際、昨日は演者の力を使って人に襲いかかる者も見た。試練を課していてもそうした人間が出てくるのなら、尚更慎重にならざるを得ないのだろう。
そこまで聞いたところで、フォルスが身体を起こした。ようやく落ち着いてきたらしい。
「悪いな……続きは俺から話すぜ」
「あ、ああ……無理するなよ」
「もう大丈夫だ。まあ、演者の話はこれぐらいで良いだろ。次は————この世界の崩壊について話しておく」
フォルスの顔つきが一層深刻になった。自分の表情も強張っているのを感じる。昨日のアラクネの口ぶりからして、世界の崩壊に加担している演者は複数いる。そして、彼女はその目的が果たされようとしていることも話していた。その話が本当ならば、今からそれを食い止めることが可能なのかどうかすら定かではない。
「十年ぐらい前、演者と呼ばれる人間が初めて現れた。その時点で確認されていた演者の中に、既に世界の崩壊を目論む奴がいたらしい」
「最初から悪い演者がいたってことか?」
「ああ。本来、神々は自身が抱える絶望を共に乗り越えるために演者を選ぶもんなんだが……そいつは何故か世界を壊す行為に協力してる」
確かに、プロメテウスの試練も彼自身の絶望に基づいたものだった。これまで聞いた話だけでは神にとって演者を選ぶ利点がないと思っていたが、そういう理由ならば納得できる。そして、そうだとすれば世界を壊そうとしている神の行動は尚更不可解だ。世界が壊れてしまえば、絶望を乗り越えるどころかその機会すら永遠に失われてしまう。それなのに、わざわざ自分からそんな行動に出る理由が想像できない。
「色々気になるところだが、詳しいことは今もよく分かってねえ。確かめる時間も手段もないまま戦いが続いてるってのが実情だ」
「……でも、アラクネはもう世界の崩壊が近いって言ってたよな」
「そうだな。世界の崩壊に抗う演者の集団————"エルピス"って奴らのおかげでどうにか今は持ちこたえてるが……それも限界が近い。昨日みたいに、市街地が襲われる事例も増えてきてる」
この世界が壊れてなくなる。昨日アラクネから聞いた時はにわかには信じ難い話だったが、改めてフォルスから背景も含めて話を聞くと、途端に現実味を帯びてきた。俺も何かできることを探したいと思ったが、規模が大きすぎて何をすれば良いか見当もつかない。
「だったらあの怪物も、それに関係してるのか?」
「そうだ。最近になってあいつらが急に増えてきたことで、エルピスの演者は大きく数を減らすことになった」
演者となった上でも、やはりあれが脅威であることに変わりはないようだ。単純な力量では演者の方が遥かに上だと感じたが、昨日のように複数の相手に襲われれば、確かに不覚を取ってもおかしくない。
「俺もしばらくはエルピスの一員として戦っていたが……そこそこのところで身を引いた。エイルをこれ以上危険な目に遭わせることはできねえからな」
「エイルもこの話を知ってるのか?」
劇場が襲われた時、エイルはフォルスが何とかしてくれると言っていた。きっと演者の力について知っているからそう言ったのだと思うが、今まで彼女からそんな話を聞いたことは一度もなかった。
「もちろん……って言うと変だが、知ってるぜ。俺が演者になった時、ちょうどエイルも傍にいたんだ。そのせいで巻き込んじまった」
「そうだったのか……」
「当然、基本的に演者の存在は隠されてる。こんな力が明るみに出たら、碌なことにならないからな。まあ……街が襲われ始めた今、それも無駄な労力かもしれねえが」
二人は何も知らない俺たちを守るために、ずっと秘密を守り続けてきた。もしかしたら、俺たちの見ていないところで昨日のような出来事が何度もあったのかもしれない。自然と拳に力が入る。
「思ったより長くなっちまったな、説明はこんなところだ」
「ありがとう、色々分かった」
『……リオン。フォルスの顔をよく見ろ』
プロメテウスに言われて視線を移すと、フォルスはさっきまでとは比較にならないほど真剣な眼差しでこちらを見据えていた。翡翠のように澄んだ緑色の瞳が帯びる凄まじい気迫に、思わず息を呑む。
『私には、むしろここからが本題だと言いたげに見えるが』
「……良い神と組んだな、リオン」
フォルスは一度目を閉じ、柔らかく息をついて座り直した。同時に、身を隠していたオルフェウスも再び姿を現す。
『はは……フォルス、役者らしくないね』
「悪かったな」
「それで、まだ何か話があるのか?」
「そうだ。これで一通りの説明は終わったが……お前がこれからどうするのかを聞きたい」
フォルスの言葉で、これまで無意識に目を逸らしてきたことに再び気がついた。プロメテウスの演者となって、世界の崩壊について知った上で、俺はこれからどうするのか。本当は、俺の答えは決まっている。だが、これはきっとフォルスの望みとは違う。だから、俺は目を逸らしてきた。そして、だからこそ彼はこの話をしたのだろう。
「演者としての話に絞れば、選択肢は二つだ。一つは俺と同じように劇団に残って、目の前にいる人を助ける道。そして、もう一つは……」
『……世界の崩壊を目論む演者と戦い、世界を救う道だ』
言葉に詰まったフォルスに代わって、オルフェウスが続きを話した。それがまさしく自分の言いかけた言葉だということを示すように、フォルスはゆっくりと頷く。
「世界を救うって、そんな大層な……」
「大層だが、大袈裟じゃない。さっきの話で、お前も何となく分かってはいるだろうけどな」
フォルスの言った通り、その言葉に誇張や粉飾が全くないことは俺にもわかる。それでも、その重みをすぐには受け止めきれなかった。
「お前のことだ、人を救いたいからって立ち上がって演者になったんだろう。それなら、世界を救うために戦うってのも筋の通った話だ」
「……」
「だが、言うまでもなく修羅の道だ。昨日みたいな戦いなんていくらでもあるし、当然命の保証もねえ」
「……そうだな」
「劇団に残れば、確かに助けられる人の数は大きく減る。でも、戦う時は俺も一緒だ。昨日みたいな危機もある程度なら何とかできる」
フォルスの話は明らかに偏っていた。だが、それが悪意によるものではないこともまた明白だった。俺のことを心配してくれているからこそ、他の演者と戦うことを選んでほしくないのだろう。それでも、俺はここで考えを曲げるわけにはいかない。
「……俺は、皆が昨日みたいに危険な目に遭うのはもう嫌だ」
「そうだな、俺も同じ気持ちだ」
「だから、原因を絶ちたい。それは……劇団に残りながらできることじゃない……と思う」
フォルスの望みに反して、俺は劇団を出ていくことを選んだ。確かに、劇団に残れば皆を危機から守ることはできるかもしれない。でも、元がなくならない限りは次に襲い来る脅威に怯えながら過ごすことになってしまう。その時、俺はきっと無力な自分に歯噛みする。この選択をしたら、皆を本当の意味で助けることができない。
フォルスにその結論を伝えるのは、苦しかった。思考が真っ白になって、普段ならすぐに出てくるような言葉が一向に思い浮かばない。そんな俺を見て、彼は力を抜いて微笑を浮かべた。
「……いや、いいんだ。悪かったな」
「え……?」
「さっきの話で十分だ。演者と戦う道を選ぶんだろ?」
フォルスの言葉に黙って頷く。結局、俺が自分の意志を言葉にする前に彼が汲み取ってしまった。何だかひどく情けない気持ちになって、汗が冷たく背筋を伝うのを感じる。
「最初からその予感はしてたんだ。でも、どうしても諦めがつかなかった。だから、お前から直接話を聞いて、意志を確かめたかった……それだけだ」
「悪い……本当はちゃんと伝えるべきなのに、言葉が全く出てこなくなっちまった」
『リオンは優しいからね。君の考えを素直に伝えたら、フォルスが傷ついてしまうと思ったんだろう。大丈夫だよ、彼もちゃんと分かってる』
さっきまでの険しい表情を崩して、オルフェウスは優しく微笑んだ。劇団を去るにしてもフォルスとの間に蟠りを残したくはなかったから、その言葉を聞いて安堵した。だが、大きな不安が消えると同時に、そこに埋もれていた別の心配事が表出する。
「でも、本当にそのまま皆を置いて出て行っちまって良いのか? エイル以外は事情も知らねえだろうし」
「そうだな……それなら、役者としての武者修行ってことにするのはどうだ?」
「武者修行?」
「ああ。ちょうど良いもんもあるしな」
そう言って、フォルスは部屋を出た。俺が立ち上がって後を追うより早く戻ってきた彼は、手に見慣れない首飾りのようなものを握っていた。
「アンリの旦那の形見でな、お前が自分で進みたい道を見つけた時に渡してやれって預かったもんだ」
「座長が……!?」
「ああ。あれでお前を無理に一座へ連れてきたことを気にしてたみたいでな。遺言がわりっつって、お前の背中を押してやってくれとも頼まれたよ。当然、従わなかったけどな」
それにしても、とフォルスは首を捻りながら、手元の首飾りを眺めた。丁寧な細工を施された石の飾りの真ん中には、鈍い赤色をした小さな鉱石がはめ込まれている。高価な宝石の類でないことは明らかだったが、綺麗な装飾品だ。
「見たところ特別な力とか価値があるわけじゃなさそうだがなあ……まあ、旅のお守りぐらいにはなるだろ」
「……ありがとう。大事にする」
フォルスから首飾りを受け取って、懐にしまい込んだ。今度こそ話は終わりだというように彼は立ち上がった。
「他の奴らには、出発の日に合わせて俺から説明しておく。さっき言った通りの理由で良いなら、あくまで一時的な旅ってことで話すぜ」
「ああ、それで頼む。必ず……戻ってくる」
「……分かった。それじゃあ、準備ができたらまた教えてくれ」
フォルスが部屋を出てから、早速支度に取りかかった。フォルスは準備ができるまで待ってくれるようだが、少しでも早く出発しなければならない状況だ。これまでちゃんとした準備をして旅に出たことがなかったので手探りで進めざるを得なかったが、どうにか明日の昼頃には出発できる段取りがついた。今日は起きるのも遅かったので、フォルスに声をかける頃にはすっかり夜になってしまっていた。
『終わったか。思いのほか時間がかかったな』
「贅沢な悩みだが、準備ができるとなるとかえって大変だな……」
『……そうか』
いつもより早めに寝る準備を済ませて横になったはいいが、中々眠りにつくことができなかった。これが、灯火一座で過ごす最後の夜になるかもしれない。そう思うと、いつまでも起きたままでいたいとすら考えてしまう。気を紛らわそうとして、プロメテウスに声をかけてみた。
「……なあ、プロメテウス」
『何だ』
「フォルスは良い奴だったろ?」
『何が言いたい……いや、そういう話か』
「ああ」
『……昨日お前に見せたのは、あくまで私の絶望の再現だ。あの場において、彼はそれこそ一人の役者にすぎない。悪役を演じる役者が全て悪人であるなどと考える者はいないだろう』
「それは……意外といるみたいだぜ」
灯火一座の舞台の中にも、悪役が出てくるものは多い。演劇が普及している街ではあまりないが、そうじゃない地域に行った時には悪役を演じた役者が非難を受けることもある。
「オードやシュウなんかは悪役をやることが多いから、ぼやいてるのをよく聞くよ」
『……そうか』
プロメテウスが言葉を失ったことで、会話が終わってしまった。彼にとっては理解し難い話だったかもしれない。
座長の話を聞く限りでは、プロメテウスをはじめとする神々はあまり敵味方に頓着しない。ある場面においては敵対していたのに、別の話になると味方として協力していることも多々ある。
そんな世界に身を置いてきたのなら、人間の中には舞台が終わってもなお悪役を演じた役者を悪人として見る者がいるという話は到底信じられないだろう。神の方も、人間との価値観の違いに驚くことがあるようだ。
『無駄話はここまでだ、そろそろ寝なければ明日に響くぞ』
「ああ……そうだな」
本当はもっと一座の皆の話がしたかった。ここへ次に戻ってくるのは、戦いが終わった後になる。その時には、きっと色々なものが変わってしまっているはずだ。いずれにしても、今のような気持ちで過ごす夜はこれで最後になる。だからこそ、プロメテウスに今の俺ができる話をしておきたかった。だが、プロメテウスの言うことも正しい。これ以上感傷に浸るのは諦めて、意識を遠ざけることに努めた。
翌日、残っていた準備を済ませ、予定通り出発できるようになった。その間にフォルスも話をしてくれたらしく、出発する時には宿の玄関先に一座の皆が集まっていた。
「皆……!」
「本当は話だけしておくつもりだったんだが……皆見送るっつって聞かなくてな。もう準備はできたか?」
フォルスの言葉に頷く。持っていくのは最低限の着替えと非常用の水や食料、それから地図と座長から貰った首飾りくらいだ。恐らく普通の旅支度に比べればかなり軽装だが、道中で怪物や他の演者に襲われる可能性も考えて、荷物はできるだけ少なくした。
「さて、本当なら一人ずつ言葉をかけてやりたいところだと思うが……あんまり足止めしちまうのも悪いからな。俺から一言だけ言わせてもらうぜ」
そう言って、フォルスは一歩前に出た。この場にいる全ての仲間の想いを、彼の言葉一つが背負う。そんな重圧を跳ね除けるように、彼は真っ直ぐ俺を見据えた。
「お前がいない間、灯火一座の看板は俺たちが守ってやる。だから————いつか、必ず戻ってこい」
「……ああ!」
力強く返答し、踵を返して歩き出す。そこからは、振り返ることなく進み続けた。少しでも後ろを向けば、足が止まってしまいそうだったから。
街を出た頃、ようやく後ろを向くと、宿はすっかり見えなくなっていた。張り詰めていたものがほどけたように、深く息をついた。
「はあ……」
『やはり寂しいか?』
「そりゃ、ちょっとはな。でも……帰る先があるってのは恵まれてると思う」
『……そうだな』
「とりあえず、隣の街に向かってみようと思うが……それで良いか?」
街から目を離して前に向き直った時、背後から急速に何かが迫ってくるのを感じた。さっきまで後ろを向いていた時は何も見えなかったはずなのに、確かに気配を感じる。
「何だ!?」
『リオン、右に避けろ!』
プロメテウスの咄嗟の指示も間に合わず、背負っていた鞄がぶつかってしまった。ぶつかった相手の様子を見るために再び振り返ると、そこには背の低い女の子が倒れていた。
「いったあ……」
「悪い、大丈夫か!?」
「ごめんごめん、レイが前見てなかったのがいけなかった!」
「気にするな、怪我がないなら良かった」
「ありがとう、それじゃ!」
女の子はすぐに立ち上がって、何事もなかったように走り去っていった。かなり急いでいるようだったが、何かあったのだろうか。
ぶつかってずれた鞄を背負い直した時、妙な違和感を覚えた。中の荷物が揺れる音がさっきまでと少し違う。不思議に思って鞄の中身を開けてみた途端、その違和感の原因に気が付いた。
「......ない」
『どうした?』
「座長の首飾りが、ない......!」




