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第3話 残花

不規則にアスファルトを叩く(あおい)のヒールの音。

隣を歩く(かける)の、迷いのない規則的な靴音。

二人の間に交わされる不一致な笑顔の重さ。


帰り道の記憶は、ひどく断片的だった。


車道側にさりげなく移動する彼の背中も、

段差で差し出された大きな手も。


そのすべてが、

さっきまで私を酔わせていた愛着から、

私を突き放すための無機質なものへと変質していた。

 

翔は、私が一歩後ろを歩けば速度を落とし、

寒そうに身を縮めれば「ほら、風邪ひくよ」と、

優しく笑って私の頭を撫でる。

 

その一つ一つの動作が、私の喉元に鋭い刃を突きつけていることに、彼は気づいている。

その上で、彼は「兄」を演じきり、

私の十九年という時間を、綺麗に、丁寧に、梱包する。

 

「じゃあ、葵ちゃん。おばさんにお大事にと」

家の前で、彼はいつものように軽く手を上げた。

 

「うん、ありがとう。翔も、気をつけてね」

自分でも驚くほど淀みのない笑顔を返していた。


彼が理想とする、素直で可愛い『妹』のような幼なじみのまま、私は彼を見送る。

 

翔が角を曲がり、その背中が完全に見えなくなるまで、私はその場を一歩も動かなかった。


――カチャリ

玄関の鍵を閉める音が、残酷に私と世界を切り離す。


暖かい家の空気。

リビングから聞こえる、正月特番の賑やかな笑い声。父の啜る珈琲の香り。


それらすべてが、

今の私には耐え難いほど、異質で、遠かった。


八センチのヒールを、乱暴に脱ぎ捨てる。

踵から力が抜け、ショートブーツは冷たい床に横たわる。

その無機質な抜け殻は、数時間前まで私の自信を支えていたはずなのに。

 

「ただいま」という言葉を吐き出すことすらできず、私は逃げるように二階へ、自分の部屋へと這い上がった。

 

部屋のドアを閉め、電気も点けずに、私は崩れ落ちる。


鏡の前の自分なんて、見たくもなかった。

お団子にしていた髪を解き、白いシュシュを床に落とす。

白い花は音もなく床に反発し僅かに弾む。


気合を入れたメイクは、

滲み出した涙に溶けて、頬を汚していた。


――十九年。


彼を追いかけ、彼の瞳に映る自分を磨き続けてきた時間。


それが、たった一言で、十九年間は霧になって消えた。

 

翔は、私の視線の意味も、このヒールの高さの理由も、指先を包ませた時の私の震えも――


すべてを分かった上で、あの美しい瞳で私を眺め、一番残酷な優しさで私を「妹」という箱に閉じ込めた。

 

救われない。


報われない。


私が捧げようとしたすべての「誠意」は、

彼にとっては受け取るべきものではなかった。

 

「……あ、あ……ああっ」

 

声にならない嗚咽が、喉の奥で焼けるように疼く。


私はベッドの脚に額を押し当て、ただ、崩れた。


首元のマフラーからは、まだ微かに、

彼から移ったムスクの香りが漂っている。


その香りが、私を甘く痺れさせたあの一瞬の幸福が、今はただ、惨めな自分を嘲笑う象徴として、

心臓を抉り続ける。

 

明日が来ることも、これからどう生きていくかも、今の私には想像すらできない。

 

ただ、冷え切った暗闇の中で、

自分の十九年間の抜け殻を抱きしめて、

震えることしかできなかった。

 

頬に触れた彼の掌の温度と、甘い香りだけが、

消えない鎖のように、

いつまでも私の肌をなぞり続けていた――

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