第9話 辺境の砦と、不吉な予兆
辺境へ向かう街道は、思った以上に荒れていた。
王都の修繕には大勢の人と物資が回されているためか、こちらの街道は石畳の補修が滞り、雑草が割れ目から伸び放題になっている。馬車の轍も深く、すれ違う旅人の顔には疲労と警戒が色濃く浮かんでいた。
俺とリュミナ、そして新たに加わったカイルは、ノコを先頭に歩を進める。森を抜け、丘を越え、やがて視界に低い砦が現れた。
砦といっても、城のような立派な造りではない。石を積み上げただけの壁と、木造の櫓。だが辺境の人々にとっては唯一の拠り所だった。
「ここが……辺境砦ですか」
カイルが声を上げる。彼の瞳には期待と不安が混ざっていた。
「そうだ。瘴気の柱が再び立つなら、こうした小さな砦がまず飲み込まれる」
俺は言い、足を止めた。
門の前にいた兵が俺たちを見て警戒の声を上げたが、リュミナが癒やし手であると名乗ると、すぐに表情が緩んだ。彼らは疲弊していた。
*
砦の中は混乱していた。
兵舎には負傷兵が溢れ、物資庫には空の木箱が積まれている。井戸の水も濁り、子どもたちは不安げに母親の背にしがみついていた。
「昨日から家畜が次々に倒れて……」
「瘴気の柱は見えないが、影だけが伸びてきているんだ」
人々の声は怯えと焦燥で揺れていた。
「影……?」
カイルが眉をひそめる。
「そうだ」
俺は砦の外を見やる。確かに、日暮れが近いわけでもないのに影が長く、濃く伸びている。壁の石の間から漏れる闇は、まるで誰かが下から糸で引いているかのように不自然だった。
(まだ柱は立っていない。だが……兆しはある)
*
その夜、俺たちは砦に泊まることになった。
焚き火を囲み、簡素な食事を取る。パンは固く、干し肉は塩辛いが、疲れた体にはありがたかった。
「僕、ここに来るまでずっと悔しかったんです」
カイルがぽつりと口を開いた。
「学院では“術式を作っても派手さがない”と笑われて……誰にも認められなかった。でも、アレンさんの補助を見て、目が覚めました」
「目が覚めた?」
「はい。魔法は光や炎だけじゃない。縫うように繋ぐのも、立派な魔法だって」
彼の目は真剣だった。
リュミナが微笑む。「あなたの術式、きっと役に立つわ」
「……ああ。ただし条件がある」
俺は低く言った。
「仲間のために縫え。自分の力を誇るな」
カイルは迷いなく頷いた。
*
深夜。
ノコの唸り声で目が覚めた。外を見ると、砦の周りに濃い影が集まり、地面を這っていた。
闇の中から、低い呻き声。
人の形をした影が立ち上がり、砦を取り囲む。
「影喰い……!」
リュミナが杖を構えた。
「カイル、準備しろ」
俺は符を散らし、印を刻む。
「《補環・斥霧結界》!」
光の網が砦を包む。影喰いが壁にぶつかり、黒い霧となって弾ける。
だが数が多すぎる。次から次へと湧き出し、結界を削っていく。
「持たない!」
カイルが叫ぶ。
「なら縫い足せ!」
俺は指を血で染め、さらに符を刻んだ。
「《補環・多重縫合》!」
光の糸が幾重にも重なり、結界を補強する。
同時にリュミナの祈りが兵士たちを支え、カイルの術式が符の効果を倍加させた。
影喰いが次々に砕け、夜空に黒い火花が散る。
だがその奥――森の闇の中に、異様な光が灯った。
柱ではない。まだ小さい。だが、脈打つ赤黒い光。
(これは……芽か)
瘴気の柱が立つ前段階――「瘴芽」。
それが砦の外で脈動していた。
「明日には立つ」
俺は呟いた。
「時間がない」
*
夜明け。
砦の上から見た森には、すでに黒い筋が走っていた。
兵士たちの顔に絶望の色が広がる。
だが俺は背筋を伸ばし、声を張った。
「諦めるな。瘴芽は縫える。砦を守るために、俺たちが縫い止める」
リュミナとカイルが俺の隣に立ち、ノコが吠えた。
影の中に、確かな希望の拍が響き始める。
辺境の砦を守る戦いが、今、始まろうとしていた。




