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追放された万能補助師、辺境で気ままにスローライフしてたら、なぜか英雄も聖女も集まってきました〜気付けば最強国家の王様扱いです〜  作者: 妙原奇天


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第3話 哭き谷の源へ

 砦の空気が、わずかに軽くなった。

 結界の網が黒い霧を撥ね、負傷者の呼吸は整い、兵士たちの目に色が戻る。だが、それはあくまで猶予――霧が“生まれる場所”を断たなければ、夜ごと同じ絶望が繰り返される。


「源は北の山中、“哭き谷”だ」

 若い隊長が地図を広げ、指で険しい等高線をなぞる。鎧には傷が多いが、目の芯は折れていない。

「峡谷の底に、昔の祭祀跡がある。誰も近づかない禁足地だが、数日前から黒い柱が立ち、風が逆さに流れ始めた」


「柱……」


「石か、骨か、わからん。斥候は二人戻らず、戻った一人は声を失った」


 リュミナが小さく祈りを結ぶ。

 俺は地図に磁針を落とし、方角と風向きを確かめた。砦で感じる霧の圧と、谷を抜ける寒風の角度。線は重なっている。


「行く。最小人数で、最速で叩く」

 俺は言い切った。「留守の砦は、結界で守りきれる。破られる前に、根を断つ」


「俺も行く」

 隊長が即答する。「名はダリオ。案内はできる。残す兵は持ち場を知る者に任せた」


「私は後衛で癒やしを」

 リュミナも一歩踏み出す。

 足もとで白茶の犬が短く吠えた。置いていくという選択肢は、どうやら最初からないらしい。



 哭き谷へ向かう斜面は、木々が不自然に間引かれ、風だけが音を持っていた。鳥は鳴かず、雪解けの小川ですら、どこか濁っている。

 犬が鼻を震わせ、時々振り返って俺の顔を見る。大丈夫、と小さくうなずくたびに、尾が小刻みに揺れた。


「谷に入る前に、準備をする」

 俺は歩きながら符を取り出し、三者の足首に貼った。

「《歩調一致マーチ》――踏む地面の硬さを揃える。足場が崩れても、最後の一歩だけは“踏み抜かない”」


 次に、喉元に薄い印。「《静謐クワイエット》――声と息、金具の触れ合いまで丸める。必要な呼びかけだけ通す」


 最後に、目の際を指で撫でる。「《薄幕ヴェイル》――正面からの眩みと瘴気の紐を、薄く切る」


「補助というより、術式の縫い物だな」

 ダリオが感嘆混じりにつぶやく。「王都の魔導師より手際が速い」


「必要なところだけ、必要な分だけ。目立つ布より、丈夫な縫い目のほうが、長く着られる」


 谷の口は、岩が層をなす割れ目だった。吐息のように冷たい風が流れ出す。

 足を踏み入れた瞬間、鼓膜が内側から撫でられる。不規則な振動――音ではなく、魔力の節回し。

 音楽家が曲を紡ぐように、誰かが“瘴気”を編み続けている。そんな悪寒。


「止まれ」

 俺は掌を開き、空気の“編み目”を撫でた。

「ここから、地形が罠になる。瘴気は低いところへ溜まり、石の裂け目で渦を作る。右壁沿いに三十歩、左へ五。……ダリオ、前」


「了解」


 進むたび、岩肌の苔が黒く変色していた。小さな獣骨が散在し、触れると粉になって崩れる。

 やがて谷は広場のように開け、中央に――それは、あった。


 黒柱。

 一本の樹のように立つ“それ”は、石にも骨にも見えない。凝固した影の塊。表面に、幾何の刻線。風は柱に吸い込まれ、周囲の空気がゆっくりと逆流していく。

 足もとには古い祭祀跡。丸い壇、砕けた供物皿。封は破れ、縄は朽ち、石は泣いている。


「誰かが、わざと開けた」

 リュミナの声が震える。「こんなもの、人の手でしか――」


 ダリオが剣を半ば抜き、視線で問うた。

 俺は柱と地面の間に視線を走らせた。刻線の“拍”が、土中の古い封に干渉し、逆位相で押し広げている。音楽でいえば、常に“割り込むカノン”だ。

 封を“元に戻す”のは、もう遅い。だが、柱そのものの“編み”を狂わせることはできる。


「柱に近づく。触れるな。俺の合図で、四方に印を打つ」


「四方……人手がいるな」

 ダリオが辺りを見渡す。「俺と君と……」


「俺とダリオで三、最後の一つは――」

 白茶の犬が待ちきれないとばかりに前足で地を掻いた。

 俺は苦笑した。「そうだな。お前は賢い」


 犬の首輪に細い紐で小さな符を結びつけ、片耳を優しく揉む。「合図でここを押せ。走って柱の“影”の縁に印を置き、すぐ戻る。戻るまでが仕事だ」


 犬は真剣そのものの目で俺を見つめ、一度だけ短く吠えた。

 リュミナが不安げに手を伸ばす。「危険じゃ――」


「彼の脚と嗅覚は、俺たちより確かだ。守る術は小屋で試したろう?」


 俺はダリオに合図を送り、足場を取る。

 深く、息。式を組む。柱の刻線は十二拍。ならば、こちらは“ずらしの七重”。増幅しない、破壊しない。ただし、合わない。


「《逆環カウンター・ループ》――《重ねヘプタ》」


 見えない輪が七つ、柱の周りに浮かんだ。拍は絡まない。わずかに噛み合わない歯車が擦れ、柱の“歌”は息を詰まらせる。


「今だ」


 俺とダリオが左右へ走り、符を地に打つ。リュミナが後方に護りの結界を重ねる。犬が矢のように駆け、影の縁に小さな身体で飛び込んだ――そのとき。


 地面が、鳴った。

 石が割れ、黒い手が生えた。手には目があり、指の節から霧が漏れる。

 骸の兵――“霧喰い”が、土から這い出る。


「くるぞ!」

 ダリオの剣が一体の首を刎ねた。だが、首は地面に落ちる前に霧になり、別の手がそこへ“再配置”される。

 数で押すつもりだ。柱を護るために。


「繋ぐ」

 俺は地を打った。「《補環・共有反射》!」


 三つの印が線で結ばれ、俺とダリオと犬に“同じ皮膚”が与えられる。

 ダリオの肩に走った爪は、俺の袖で火花になり、犬の背にかかった霧は、俺の盾紋で弾かれる。


「《補環・間隙ギャップ》!」


 指を打つたび、霧喰いの腕と腕の“間”が伸びる。奴らは互いを支え合って立っている。支点をずらせば、力は伝わらない。

 犬が滑り込み、印を置き、くるりと身を翻す。霧喰いの指がその尾を掠めた瞬間、リュミナの杖先から透明な波が走り、指が水に溶けるように崩れた。


「戻れ!」


 犬が一直線に俺へ駆け、胸に飛び込む。

 四方の印が光り、七重の輪とつながって、柱の周りに“外れた調律”の檻ができた。

 柱の拍が乱れ、黒い表面にひびが走る。


「今だ、ダリオ!」


 ダリオが剣を逆手に構え、ひびに刃を差し込む。

 音が変わる――柱は“呻いた”。

 俺は最後の符を噛みちぎり、血で印を描いた。


「《補環・縫止め(バインド)》!」


 ひびが閉じず、逆に広がる。内部から、冷たい風が噴き出し、黒い塊が飛散した。

 霧喰いたちは結び目を失って崩れ、霧は谷の風に薄められ、空へと千切れていく。


 静寂が、戻った。

 風はただの風になった。谷の岩は、ただの岩。


「……やったのか?」

 ダリオが荒い息を吐いた。剣先がわずかに震えている。


「“この柱”は、終わりだ」

 俺は汗を拭い、散らばる黒片を蹴った。「けれど、これは“始まり”でもある」


「始まり?」


「誰かが置いた。拍の正確さ、刻線の癖。職人仕事だ。ひとつが破られたら、別の拍で別の柱を立てに来る。――楽師は、一曲で満足しない」


 リュミナが唇を引き結ぶ。「王都に知らせないと」


「知らせる。だが、その前に」

 俺は祭祀跡の壇の縁に膝をつき、崩れた封の名残に指を滑らせる。

 古い言葉が石に眠っている。村の祠と同じ祖の式――守りは壊されたが、まだ“眠り”は完全には覚めていない。


「繕う。谷が再び“歌”を覚える前に」


 俺は石と石の隙間に薄い力を足し、土の湿りを整え、苔の水の流れを変える。

 縫うように、貼るように、足す。

 補助は、やはり縫い物だ。


「《補環・かん――四方綴じ》」


 壇の周りに小さな灯りが点り、風がひとつ溜息をつく。

 谷はただの谷になり、遠くで鳥が一声だけ鳴いた。

 背中から、力が抜けた。犬がそれを察して、前足で俺の膝をちょいと叩いた。


「よくやった」

 頭を撫でると、犬は目を細めた。

 リュミナも笑ったが、その目の奥に影があった。


「戻ろう。砦が心配だわ」



 砦へ戻る道は、来たときより明るかった。

 空気の重さが薄れ、木の葉が普通の音で揺れる。

 門の上から歓声が上がり、見張りの兵が両手を振った。


「戻ったぞ! 瘴気が引いた!」


 結界の網を外すと、兵舎の中は一気に生の匂いで満ちる。スープの湯気、油の温度、汗、古い木材の甘い匂い。

 負傷者の唇に色が戻り、眠っていた者が目を開けた。

 ダリオは指揮台に立ち、短く命じる。


「今夜は輪番を軽くしろ。だが油断はするな。――そして、アレン殿とリュミナ殿に、礼を言え!」


 どっと歓声。

 俺は片手を上げてそれに応え、同時にふらりと腰を下ろした。

 符の残り、薬草の数、粉末の配合――頭の中で在庫表を繰り始めたとき、甲高い羽音が空を切った。


「伝書鳥?」

 リュミナが顔を上げる。

 鳥は迷いなく俺の肩へ舞い降り、小さな筒をつついて託した。筒には王都ギルドの印。

 封を切る。短い文。


『至急。勇者隊壊走。王都近郊に瘴気柱出現。補助師アレン、帰参を求む』


 思わず笑った。苦笑のほうだ。

 ダリオが眉を跳ね上げる。「勇者隊が……?」


「壊走“した”か、“させられた”かは、これだけじゃわからない」

 手紙を握りしめ、天幕の梁を見上げる。

 勇者レオン。剣士ガイル。魔導師ミレイユ。聖職者セラ。

 名前は、喉元で引っかかったまま下りてこない。

 王都近郊――俺が出た場所。俺が追われた場所。


「……行くの?」

 リュミナが穏やかに問う。責める色はない。ただ、確かめるだけの声。


「行く」

 即答した。

「ここはダリオたちで回る。谷の封は暫定だが効いている。砦の結界の織り方は書いておく。印の重ね方、切れ目の入れ方、持続が切れたときの“継ぎ”も」


「恩に着る」

 ダリオは胸に手を当て、深く頭を垂れた。「おまえがいなかったら、砦は持たなかった」


「俺はいなくても、回るようにするのが仕事だ。――補助師は舞台の影で縫い続ける。表に立つのは、舞う者たちだ」


 犬が「ワン」と短く吠えた。

 俺は彼の額を指でつつき、首輪の紐を結び直す。


「名前を、決めないといけないな」

 口にした瞬間、胸の奥で何かがほどけた。ずっと“犬”と呼び続けるのは、不自然だ。

「……“ノコ”はどうだ。木を切る鋸じゃなく、“残心のこ”のノコ。最後まで気を残し、戻る意志を忘れない」


 犬――ノコは、得意げに尾を振り回し、鼻先で俺の掌を押した。

 リュミナが笑う。「いい名前。じゃあ、私は?」


「リュミナは、リュミナだ」

 それが最善の名付けであることを、俺は知っている。名は役割を縫い付ける。彼女は既に、彼女自身の名で立っている。



 出発は黄昏だった。

 砦の門は低く軋み、見送る兵の影が長い。ダリオが手短に状況を書き付けた板と、簡易結界の材料一式を手渡してくれる。

 北風は止み、代わりに南から温い気配が上がってきた。王都の匂い。人と石と火の混じった匂い。


「王都で会いましょう」

 リュミナが杖を胸に抱く。「私も任を終えたら向かう。癒やし手の会合に、この話を持っていくわ」


「気をつけて」


 門を出てすぐ、俺は歩調を落とした。

 頭の中では、王都の地図が広がる。大通り、下町、運河、ギルド、聖堂、城壁。

 瘴気柱が立つなら、風と地脈の“合奏点”――祭礼の“歌い場”だ。

 誰が、どうやって、そんな場所に柱を据えた。王都の番人たちは、何を見落とした。


 考え込んだところで、ノコが足もとをとん、と前足で叩いた。

 気づけば、俺は歩みを止めていたらしい。ノコは「進め」と言うでもなく、ただそこにいて、尾を振る。


「……ああ。進もう」

 背負い紐をきつく締め直し、前を向く。


 そのとき、道の先に影が立った。

 旅装、外套フード。ひとり。

 距離を詰めると、影はゆっくりとフードを外した。露わになったのは、短く整えた銀髪と、青灰の冷たい眼。


「――久しいな、アレン」


 声は、乾いていた。

 剣士ガイル。勇者隊の前衛。三年前、剣の稽古のたびに笑って“背中”を預け合った男。

 だが今、その目にあるのは、警戒と、焦りと――わずかな悔い。


「伝書は読んだろう」

 ガイルは一歩近づく。「王都は、持たない。レオンは……いや、レオンたちは、瘴気の柱に近づいたが、柱は“人を選ぶ”。補助が、いる」


「覚えていたのか。俺が補助師だということを」


「忘れようとして、忘れられなかった」

 ガイルの口元が自嘲に歪む。「王都の連中は、補助を軽んじる。俺も乗せられた。あの日、お前に言った言葉は――」


「いい」

 切った。

 言い訳は、過去を縫い直さない。

 今、必要なのは、糸と針と手際だ。


「場所を案内しろ。柱の拍、刻線の癖。見たものを全部、言葉にして渡せ」

 俺はノコの首に触れ、リュミナを見る。「行くぞ。王都へ」


 西の空が、最後の橙を吐き、夜の縁が滲む。

 俺たちは歩き出す。

 のんびりと暮らすために、また一歩、遠回りをする。

 だが知っている。縫い物は、遠回りした糸ほど強い。

 ――影で縫えば、表は美しく立つ。

 補助師の道は、まだ始まったばかりだ。

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