第29話 調律師との最終楽章
交響を縫い止めたはずの糸が、再び震え始めた。
影の都そのものが抵抗し、縫い目を食い破ろうとしている。
仮面の調律師は杖を掲げ、割れた面の奥から光る目をのぞかせた。
「補助師よ……ここまで辿り着いたことは讃えよう。
だが“最終楽章”に至り、糸など意味を持たぬ」
広間全体が鳴動する。
壁に刻まれた譜面が赤黒く燃え、都の鼓動が狂ったリズムで鳴り響いた。
これは音ではない。都市そのものが心臓となり、最後の曲を奏で始めている。
*
「……アレン」
リュミナが俺の腕を掴む。
「これ以上、あなたの糸だけじゃ持たない。私の祈りも、カイルの符も、セイルの影も……全部を重ねて!」
カイルは震える手で符を差し出す。
「最後なら……僕の命を燃やしてでも!」
セイルが外套を翻し、低く笑った。
「影に生まれた俺が、影を裏切る最期だ。悪くない」
ノコが牙を剥き、俺の足元に立つ。
その吠え声は「共に行く」と告げていた。
俺は深く息を吸い込む。
血で大きな印を描き、仲間全員の声を束ねる。
「行くぞ――最終楽章だ!」
*
調律師の杖が振り下ろされ、黒い光が奔流となって広間を覆った。
都市の旋律が牙を剥き、影人の残骸が再び立ち上がる。
すべてが絶望の曲に繋がろうとしていた。
「《補環・最終縫合》!」
俺の叫びと共に、光と影と祈りと符と吠え声がひとつに編み込まれる。
巨大な糸の布が広間全体を覆い、調律師の旋律とぶつかった。
轟音。
天蓋が砕け、都市が悲鳴を上げる。
縫い目が軋み、糸が次々と切れる。
(まだだ……! ここで途切れさせない!)
「みんな、声を――!」
俺の叫びに応えるように、リュミナが祈りを絶叫し、カイルが符を燃やし尽くし、セイルが影を解き放ち、ノコが天を突くように吠えた。
そのすべてが糸に重なり、布はさらに輝きを増す。
*
調律師の仮面が砕け、素顔が現れた。
そこには人間に似た顔――だが口がなく、ただ無数の譜面が刻まれていた。
「……声を持たぬ者が、旋律を求めた」
低い声が心の奥に直接響く。
「だからこそ、世界を曲に変えようとした」
俺は血まみれの手で糸を引き絞る。
「お前が欲しかったのは“声”だろう?
ならば――俺たちが縫い合わせた声をくれてやる!
これが人の合奏だ!」
布が一気に収縮し、調律師の身体を縫い止めた。
仮面の奥の譜面が裂け、光が溢れ出す。
「……これが……声……」
調律師の姿が霧散し、旋律が途絶えた。
*
静寂。
広間を覆っていた譜面は崩れ落ち、影の都の鼓動が止んだ。
黒い天蓋に裂け目が走り、遠くに地上の光が差し込む。
リュミナが涙を流し、カイルがその場に崩れ落ちる。
セイルは剣を杖代わりに立ち、低く呟いた。
「……終わったか」
ノコが弱々しく吠え、俺の手に頭を寄せた。
「いや……」
俺は空を見上げる。
「まだ“縫い目”は不完全だ。都を閉じるためには――最後の仕上げがいる」
影の都は沈黙している。
だが、このままでは地上に残響が響き続ける。
最終楽章の余韻を、完全に縫い止めなければならない。




