第26話 第二楽章・影の嵐
黒い嵐が広間を呑み込んだ。
譜面の壁がうねり、音符のような裂け目が開いては弾ける。
そのたびに鋭い旋律が耳を突き、目を閉じても頭蓋の奥を叩かれるような痛みが走った。
「――っぐ!」
リュミナが膝をつき、祈りが乱れる。
カイルは符を広げながら必死に耐えているが、手が震えている。
セイルでさえ影符を支えきれず、外套を大きく裂かれていた。
ノコが牙を剥き、俺の前に立って吠える。
「補助師よ」
調律師の声が嵐に溶け込む。
「第一楽章は前奏にすぎぬ。これが“第二楽章”――影の嵐。糸など紙切れのように散る」
黒い指揮杖が振り下ろされ、嵐がさらに強まる。
兵士たちの影が剥がれ、次々と影人へと変わっていく。
「やめろ……!」
俺は符を噛み切り、血で印を刻む。
「《補環・多重縫合》!」
光の糸を幾重にも重ね、兵士の影を縫い止める。
だが次々に押し寄せる旋律の刃に、糸は千切れていった。
(駄目だ……! 普通の縫いでは追いつかない!)
*
その時、カイルが叫んだ。
「アレンさん! 符に“逆旋律”を組み込みました! 嵐を打ち消せるかもしれない!」
「だがリスクが大きい!」
リュミナが顔を上げ、必死に制止する。
「逆旋律は使う者の心を削る。あなた自身が……!」
「やるしかない!」
カイルの目は恐怖よりも決意で光っていた。
俺は頷き、彼の符を受け取った。
「ありがとう。あとは俺が縫う」
符を刻み、血と声を重ねる。
「――《補環・逆旋律縫合》!」
広間に逆位相の旋律が響き、嵐の一部が霧散した。
空気が震え、調律師の仮面がわずかに傾く。
「……ほう。旋律を逆さに縫うか」
その声にわずかな興味が滲む。
「だが、それは長く続かぬ」
確かに、逆旋律を維持するほど胸が軋む。
心臓の鼓動が乱れ、糸の震えが伝わってきた。
*
「アレン!」
リュミナが叫ぶ。
「無理をすれば――あなたが影に呑まれる!」
「わかってる! でもここで退けば、地上が呑まれる!」
ノコが吠え、セイルが影符を投げる。
仲間の声が俺を支えた。
俺は最後の符を掲げ、血で大きな印を描いた。
「《補環・縫嵐終止》!」
光と影と逆旋律の糸が束ねられ、黒い嵐を縫い裂いた。
轟音と共に広間の壁が崩れ、調律師の旋律が一瞬止まる。
*
静寂。
調律師は仮面を傾け、低く呟いた。
「……なるほど。お前の糸は確かに強い。
だが、第二楽章はまだ半ばにすぎぬ。次に響くのは――“影の合唱”だ」
杖が再び振られる。
広間の譜面全体が震え、無数の影人が声を揃え始めた。
それは嵐ではなく――地響きのような合唱だった。
(次は……本当の総力戦だ!)
俺は膝をつきながらも立ち上がり、仲間を見渡した。
「ここで縫う! 絶対に……負けない!」




