第20話 影の都の扉と、合奏の序曲
峡谷を抜けた夜、焚き火を囲んだ俺たちは沈黙に包まれていた。
記譜士を退けたとはいえ、奴は「合奏」という言葉を残して消えた。
複数の記譜士、あるいは調律師自身が奏でる旋律。それが何を意味するのか、誰も口にできなかった。
ノコが鼻を鳴らし、俺の膝に頭を押し付けてくる。
その温もりが、かろうじて俺を正気に留めてくれていた。
「……アレン」
リュミナが口を開く。
「あなた、あの旋律に呑まれかけていた」
カイルも心配そうに顔を上げる。
「僕も少し……頭がぐらぐらして、現実と幻が混じる感じがしました」
セイルは外套の影で目を細めた。
「記譜士が刻む譜面は“扉”でもある。お前たちはすでに、その向こうを覗いた」
「扉?」
俺が問い返すと、セイルは低く頷いた。
「影の都へと繋がる門だ。瘴気の柱は地上に立つ。だが、その根は地下に広がっている。記譜士たちは旋律を通じて、都の扉を開こうとしている」
リュミナの顔が険しくなる。
「つまり……柱が立つ前に、地下から侵食が始まっているってこと?」
「そうだ。そして“合奏”とは複数の扉を同時に開き、地上と地下を繋げる儀だ」
カイルが震え声で言った。
「そんなことになったら……世界中が影に沈みます!」
俺は深く息を吐く。
「なら、扉が開く前に縫い止める。それが俺たちの役目だ」
*
翌日、俺たちはセイルの導きで北の丘陵地帯へ向かった。
そこに、影の都へ繋がる“隠された門”があるという。
丘の上にそびえる遺跡。崩れかけた石柱と、苔むした石段。
だが、その中心に奇妙な石版があった。
記譜士が刻んだ譜面と同じ印が刻まれている。
「これが……扉か」
俺は符を取り出し、周囲を探る。
空気は冷たく、影が濃い。
風の音が、まるで低い旋律のように響いていた。
セイルが囁く。
「近いぞ。“合奏”はここで始まる」
*
夕暮れ。
石版が脈動し、譜面が赤黒く光り出した。
複数の影が現れる。仮面の記譜士たち――一人ではない。五人。
彼らは円陣を組み、杖を掲げる。
同じ旋律を刻み、石版を共鳴させる。
地鳴りが響き、石段の下から黒い霧が噴き上がった。
「これが……“合奏”!」
リュミナが叫ぶ。
影の都への扉が、ゆっくりと開き始めていた。
「止めるぞ!」
俺は符を切り、叫んだ。
「皆の声を縫い合わせろ! ここで扉を閉じる!」
カイルが符を広げ、リュミナが祈りを重ね、セイルが影の符を叩きつける。
ノコが吠え、群れを守るように前に出る。
光と影と声が交わり、石版を覆う旋律に挑む。
だが――記譜士たちの合奏は圧倒的だった。
五重の旋律が重なり、耳を裂き、心を揺さぶり、俺の糸を次々と断ち切っていく。
「くっ……!」
血が口に滲む。
膝が震え、視界が揺れる。
その時、石版の向こうに、巨大な影が立ち上がった。
柱ではない――だが、その“雛形”。
「合奏は序曲にすぎない」
記譜士たちの声が響く。
「真なる調律の舞台は、影の都にあり」
石版の裂け目から、闇の風が吹き出した。
俺たちの戦いは、ついに都そのものへと踏み込もうとしていた。




