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第19話 影の峡谷と、記譜士との再会

 峡谷を抜ける頃には、俺たちの足取りは重かった。

 壁に刻まれた黒い譜面は消えたが、耳の奥にはなお旋律の残響が残っている。

 鼓動と重なり、ひとつの曲のように響き続けていた。


「……まだ、響いてる」

 リュミナが顔をしかめる。

「人の心にまで旋律を残すなんて、記譜士の術は想像以上ね」


 カイルは符を改良しながら必死に言った。

「符に“逆位相”を組み込めば、少しは消せるはずです! ……ただ、持続は短いけど」


 セイルは黙ったまま外套の裾を払う。

「記譜士は近い。旋律が濃くなっている」


 ノコが低く唸り、尾を逆立てた。



 峡谷の奥――そこは異様な場所だった。

 岩壁が自然の形をしていない。まるで巨大な楽譜を模したように、段差や割れ目が規則的に並んでいる。

 風が吹き抜けるたびに音が響き、谷全体がひとつの楽器のように鳴った。


「ここが……影の峡谷……」

 リュミナが囁く。


「記譜士が旋律を刻む舞台だ」

 セイルの声は低い。


 その中央に、一人の影が立っていた。

 白い仮面。長い杖。

 ――記譜士。


「来たか、補助師」

 仮面の奥から響く声は、谷全体に反響する。

「お前の糸は確かに美しい。だが、旋律は糸で縫うものではない。響かせ、完成させるものだ」


「完成させれば、人は喰われるだけだ」

 俺は睨み返す。

「俺は縫う。人の声と影を繋いで、新しい布を作る」


 記譜士が仮面を傾け、杖を振った。

 峡谷の岩壁に再び譜面が刻まれる。

 無数の音符が黒い炎となり、空を覆った。


「試してみるがいい。お前の糸が、この旋律に勝てるかどうか」



 影の旋律が響いた瞬間、兵士たちの膝が折れた。

 村人は耳を塞ぎ、子どもは泣き叫ぶ。

 幻覚が視界を侵し、仲間同士が敵に見え始める。


「くそ……!」

 俺は符を切る。

「《補環・耳縫い結界》《補環・心縫い結界》!」


 光の糸が仲間の耳と心を縫い止める。

 だが旋律は強く、糸は次々にほつれていく。


 リュミナが必死に祈りを続け、カイルが符を重ねる。

「アレンさん! 僕の逆位相符を合わせて!」


「任せろ!」


 俺とカイルの符が重なり、旋律を打ち消す波が走る。

 一瞬、谷の空気が澄んだ。


 だが、記譜士は仮面の奥で笑った。

「なるほど。縫うだけでなく、響きも操るか。ならば――二重奏だ」


 杖を振ると、二重の旋律が重なり、頭蓋を揺さぶるような音が広がる。

 兵士が再び倒れ、俺の膝も揺らいだ。


(持たない……!)


 その時、セイルが影の符を掲げた。

「《影縫止め》!」


 黒い鎖が旋律を絡め取り、一部を封じる。

 俺はその隙を逃さず、血で印を刻んだ。


「《補環・大縫止め(グランド・ノット)》!」


 光と影の糸が絡み合い、旋律の譜面を縫い裂いた。

 轟音と共に谷が震え、記譜士が仮面を押さえて後退する。


「補助師……やはりお前は“異端”だ」

 低い声が反響した。

「だが旋律は止まらぬ。次は“合奏”だ」


 記譜士は闇に溶け、姿を消した。



 戦いの後、谷に沈黙が戻った。

 だが俺たちの胸には、重い余韻が残っている。


「次は……もっと大きな戦いになる」

 俺は拳を握る。

「旋律を合奏する者たちが現れる前に、縫い目を広げなければ」


 リュミナが頷き、カイルが符を握りしめ、セイルが外套を翻す。

 ノコが吠え、谷に声が響いた。


 影との戦いは、ますます深く広がっていく――。

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