第18話 記譜士の追跡と、影の旋律
黒い市は潰えた。だが、調律師の従者――記譜士は逃げた。
その事実が、勝利の余韻を薄くする。
「必ずどこかで次の“旋律”を刻もうとするはずだ」
セイルの言葉に、俺は頷いた。
「記譜士を追う。奴を放っておけば、瘴芽はまた生まれる」
リュミナは疲れた顔で杖を握りしめる。
「でも、相手は調律師の配下よ。簡単には捕まらない」
カイルが拳を握る。
「僕の符で残留瘴気を辿れます! 影の旋律を記録したなら、必ず痕跡があるはず」
「頼んだ、カイル」
俺は仲間に視線を向ける。
「これは追跡戦だ。影を縫い止めるより難しい。全員、覚悟して臨め」
*
森を抜け、荒れた街道を進む。
カイルの符が淡い光を帯び、残留する旋律を指し示す。
その光は時折震え、まるで見えない糸がどこかに張られているようだった。
「……聴こえる」
セイルが立ち止まる。
「影の旋律だ。低く、重い拍が続いている」
耳を澄ますと、風の中に微かな調べがあった。
楽器ではない。人の呻きが繋がったような旋律。
それが、胸の奥をざわつかせる。
「記譜士は旋律を刻んで進む。足跡代わりだ」
セイルが告げる。
「追えば追うほど、俺たちの心も影に侵される」
リュミナが険しい目をする。
「アレン、あなた……大丈夫?」
「縫えるさ」
俺は短く答えた。
*
やがて峡谷に入った。
そこで俺たちは、記譜士の痕跡を見た。
壁一面に黒い譜面が刻まれていたのだ。
音符に似た印が並び、影が滴るように流れている。
近づいただけで頭がくらみ、視界が揺れた。
「これが……影の旋律……」
カイルが震える声で呟く。
セイルが短剣を抜き、印を切り裂こうとした瞬間――譜面から影が躍り出た。
人の姿をした影。だが顔は譜面の記号に歪み、音符の口で叫ぶ。
耳を裂くような音が響き、兵士たちが耳を塞いで倒れた。
「幻影と音の呪いだ!」
俺は符を切る。
「《補環・耳縫い結界》!」
光の糸が耳を覆い、仲間を守る。
だが俺の耳にはなお微かに旋律が残り、心臓を揺らしていた。
(これは……危険だ。聴き続ければ自分を見失う)
「アレン!」
リュミナの声で我に返る。
ノコが影に飛びかかり、カイルが符で旋律を乱す。
セイルの短剣が黒い譜面を切り裂き、影は次々と消えていった。
やがて、譜面は崩れ落ち、峡谷に静寂が戻る。
*
だが、その奥に残された一枚の符があった。
黒い紙に、震えるような旋律が刻まれている。
俺が手に取ると、冷たい声が響いた。
『補助師……お前もこの旋律を奏でたくはないか?』
幻聴か、記譜士の声か。
だが確かに、その囁きは耳に届いた。
俺は符を握りつぶし、息を吐いた。
「……必ず追いつく。調律師の旋律は、俺たちが縫い直す」
仲間たちが頷く。
影の旋律を追う旅は、ますます深みに入っていくのだった。