第15話 影の都からの使者
南街道の瘴芽を潰してから三日、砦はようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
人々は再び市場を開き、鍋から湯気が立ち上り、子どもたちの笑い声が戻ってきた。
敗北を経て勝ち取った勝利は、砦の誰にとっても大きな自信になっていた。
だが――安堵は長く続かない。
*
その日、砦に一人の旅人が現れた。
黒い外套に身を包み、顔の半分を布で覆った青年。
背筋は真っ直ぐだが、歩みは妙に静かで、人々の目を避けるようでもあった。
「旅の者だ。王都への道を探している」
低い声でそう告げる。
砦長が眉をひそめた。「王都は瘴気の余波で閉ざされているはずだが……」
俺は違和感を覚え、旅人に視線を向けた。
黒い布の奥の瞳は澄んでいた。だが、その奥には冷たい影が潜んでいる。
「名は?」
「……セイル」
短い返答。嘘ではない、だが真実を隠している目だ。
*
夜。
俺は砦の外で彼と対峙していた。ノコが唸り声を上げ、毛を逆立てる。
リュミナとカイルは後ろに控えている。
「用件を話せ」
俺が告げると、セイルはわずかに口元を歪めた。
「俺は“影の都”の使者だ。調律師と同じ旋律を聴いた者……だが、同じ側ではない」
「影の都?」
カイルが息を呑む。
「大陸の地下に広がる古き都市。柱の力を研究し、制御しようとしている場所だ。だが、調律師は制御ではなく、完成を望んでいる」
リュミナが杖を強く握る。
「つまり、あなたは敵ではないと?」
「敵でないと言えば嘘になる。俺の都もまた柱の力を欲している」
セイルの声は冷たかった。
「だが、調律師に大地を渡すよりは、補助師の糸に託す方がまだましだと思った」
俺は瞳を細めた。
「なぜ俺を知っている」
「瘴芽を潰したという噂は、もう地下にも届いている。人の声を糸にする補助師――かつて失われた技だ」
セイルはそう言い、外套の中から黒い符を取り出した。
「これは“影の都”で編まれた符。柱の芽を弱らせることができる。ただし、代償に周囲の影を喰らう」
ノコが唸り、リュミナが険しい目を向ける。
「影を喰らう……それは人の影も含むのでは?」
「そうだ。人の心に潜む影も、糧となる」
空気が重くなる。
*
「選べ」
セイルは静かに言った。
「協力するか、拒むか。拒めば俺は去り、次に会う時は敵になる」
カイルが俺を見た。リュミナもまた。
ノコの瞳が問いかける。
俺はしばらく沈黙し、やがて言った。
「……縫い目は、光と影の両方で強くなる。お前の力を使う。ただし、人の影を喰うなら必ず俺が制御する」
セイルはわずかに笑った。
「ならば契約成立だ。影の都の符を、補助師に預けよう」
夜風が吹き、焚き火が揺れた。
新たな糸が結ばれた瞬間だった。
だがそれは同時に、光だけでは縫えない未来の始まりでもあった。