第10話 瘴芽の破壊戦と、調律師の影
森の奥で脈打つ赤黒い光は、夜明けの太陽よりも不吉に濃かった。
それはまるで、世界そのものが病巣を抱え、皮膚の下で腫れを作っているかのようだ。
――瘴芽。
柱が生える前段階に現れる、瘴気の結晶。
放置すれば一晩で柱へと成長し、街や砦を呑み込む。
「今日のうちに叩くぞ」
俺は砦の兵士たちに告げた。
「瘴芽を倒せば、柱の芽は潰える。夜を越せば手遅れだ」
怯える兵の目が、一瞬俺を見た。
その中に迷いと恐怖、そして――僅かな希望がある。
それで十分だ。補助師は縫い合わせるだけ。恐怖と希望の隙間を、糸で結ぶ。
*
森へ向かう一行の先頭に、ノコが立った。
耳をぴんと立て、鼻をひくつかせる。
リュミナは祈りの杖を構え、カイルは符の束を胸に抱えている。
「瘴芽の周りには影喰いが集まる。数は多いが、連携すれば持つ」
俺は短く説明する。
「カイル、お前の術式を見せろ」
「わかりました!」
彼は符に自作の印を上書きし、空へ放つ。
符は小さな光を帯び、互いに繋がり合って網を形成した。
「《連符繋ぎ》……僕の術式です。単体の符を“和音”みたいに束ねる」
光の網が風に揺れ、森の瘴気をわずかに和らげた。
俺は満足げに頷いた。
「いい。縫いの糸になる」
*
森の奥――瘴芽が見えた。
岩のような塊が心臓のように鼓動し、周囲の木々を黒く枯らしている。
その根元に、影喰いが群れをなして蠢いていた。
「来るぞ!」
俺は符を散らし、詠唱する。
「《補環・連携加速》《補環・斥霧結界》!」
光の糸が仲間を繋ぎ、影の群れを押し返す。
ノコが先陣を切り、カイルの光網がその背を護る。
リュミナの祈りが絶え間なく流れ、兵士たちの震える足を支える。
瘴芽から伸びた蔓が地面を裂き、兵士を絡め取ろうとした。
「《補環・切断補助》!」
俺が糸を弾くと、レオンの剣でなくても兵士の刃が光を帯び、蔓を切り裂いた。
「すごい……!」
兵たちが驚きと共に声を上げる。
(そうだ。剣は強くなくていい。縫い糸があれば、誰でも“切れる”)
*
瘴芽が一際大きく脈打った。
赤黒い光が弾け、周囲の影が一斉に立ち上がる。
人の顔を模した影喰い。兵士を真似たような影。
「幻影か!」
カイルが叫ぶ。
「惑わされるな!」
俺は声を張り、糸を繋ぐ。
「仲間の声だけを聞け! 他は全部、切り捨てろ!」
リュミナの祈りが兵士の耳を覆い、余計な囁きを遮断する。
カイルの術が符を増幅させ、ノコが影の首を次々と噛み砕いた。
俺は最後の符を噛み切り、血で印を描いた。
「《補環・縫止め一閃》!」
光の糸が瘴芽を貫き、脈動を止める。
岩のような塊が崩れ、黒い霧となって散った。
兵士たちが歓声を上げる。
辺境砦は救われた――かに見えた。
*
その時だった。
森の奥に、またあの足音が響いた。
乾いた靴音。規則的な律動。
黒外套の影――調律師が立っていた。
白い杖が月光のように光を帯びている。
「……潰したか。瘴芽を」
風のように低い声が届く。
俺は睨み返す。「お前の曲はここでは鳴らない」
調律師は首を傾げる。「曲は続く。十二柱――その一つを、今夜は譲ろう」
そう言って杖を軽く振ると、森の闇が彼を包み込み、姿を消した。
残されたのは、深い沈黙と、背筋に残る冷たい震えだけだった。
(やはり……あいつが仕掛けている。次はもっと大きな舞台を)
俺は拳を握り、砦を振り返った。
怯えていた兵士たちの瞳に、今は火が宿っている。
縫い目は確かに強くなった。
だが、戦いはまだ始まったばかりだ。