蒙古斑 by akuma
まだ6月というのに、真夏のような日差しが矢のように差す。
それまでの習慣でネクタイを締めて出かけたのは失敗だった。
今はもう、誰に気兼ねする事も無いのだから、クールビィズに乗っかても良かったのに、と後悔していた。
エアコンの効いた電車を降り、駅の改札を出た頃には額や首の周りに汗が張り付いていた。
その娘は、古い石造りの建物の階段に座り込み、熱心に何かを見ていた。
まだ十代か、ジーンズのショートパンツにTシャツ、派手な上着に、ほぼ金髪の髪の毛を頭の天辺で巻いていた。今時はよく見かけるかっこうだ。
自分の娘も同じような格好をよくしている事を思い出し、そのまま通り過ぎて、目的のビルに辿り着いた。
「こういう時期ですから、多少条件が合わなくても応募してみた方が良いですよ」
先週末に来た時と大して増えていない求人を見ながら、担当者は言う。
確かに、この不況下、本当に人が欲しいところは、とっくに足りているのだろう。なかなか希望どおりの職はないが、したくも無い仕事には就きたくない。
退職して三ヶ月、履歴書を送っても、面接にさえ呼んでもらえないことが多いが、曲げられないものが僕の中にくすぶっていた。
あまり期待は出来ないにしても、一応、紹介状を書いて貰い、礼を言ってその場を離れた。
帰り道、行きに女の子が座っていた階段に座わり、ネクタイを緩め、コンビニで買ったサンドイッチにかぶりつき、ペットボトルのお茶を飲み、先程貰った求人の資料を見ていた。
「おっちやんも仕事探してんの」
後ろから声が聞こえて振り向くと、行きにこの階段に座っていた今時の娘が、いつの間にか戻ってきて、
「ええ仕事あった? うちは全然や」
と人懐っこく喋りかけてきた。
ストローを差したスタバのコーヒーを一口吸い、
「うちは何にも資格ないし、アホやから何にもでけへん」
と自棄的な事を言う。
「まだ若いんや、今から何でも出来るやろ」
と答えると、階段を下りて来て、僕の横に座り込んだ。
「ほんでもな、高校もまともに行ってなかったら、まともに相手してくれへんねんで、担当のおっさんもバカにするし」
「いくつや、君は」
「21」
「まだお尻が青いな、これからなんぼでも仕事はある」
「おっちゃん、うちのお尻見たんか?」
「違うて、蒙古系の民族は生まれた時、お尻に蒙古斑っていう青痣みたいなものがあるんや、大人になったら消えるけど、それが残ってるくらい若い、って言う例えや」
「おっちゃん、賢いねんなぁー」
「君が知らんだけや」
僕の求人票を覗き見ていた彼女が
「ええっー、こんなに貰ってんの」
「まだ、貰ってないよ」
「あっ、そうか。でも、それ位貰うつもりなんやー」
「それ位はないと、家族を食わしていかれへんからな」
「そうなんやー、おっちゃん子供おるん?」
「ああ、娘が二人な」
「そっかー、大変やなぁー」
「大変は自分も一緒やろ」
「そうやな、うちも早う仕事見付けなあかんねんけどな」
そう言って俯き、またコーヒーをすする。
濃い化粧の下は、整った目鼻立ちで、ふつ~の化粧と格好をすれば、もっと綺麗に見えると思うに十分だった。
「今日はどんな仕事紹介してもろたんや」
「販売」
「店員か」
「うん、でも臨時や」
「臨時でも仕事があったらええやろ」
「うちはちゃんとした仕事をしたいんや」
「正社員、てことか?」
「うん」
「探したら幾らでもあるやろ」
「でもな、相談のところに行ったら、担当のおっさんがあーだこーだ言ってくるから」
「おっさんが就職する訳やない、君が仕事を探してるんやろ」
それから、彼女が語る21年の人生を延々と聞かされた。
時々、「それで、どうしたんや」とか、「それは違うやろ」という合いの手を入れると、色々な話に飛び火し、次から次へと出てくる。
小学校の時は結構勉強が出来た事、中学になって途端に成績が振るわず、行きたい高校には行けなかった事、高校を中退して、美容院の手伝いに入ったこと、義理の父親と会わず、家を出た事、コンビニの店員、イベントコンパニオン、居酒屋の店員、またつい最近まで、そこで知り合った男と暮らしていた事など、熱のこもった話が小一時間ほど続いた。
「ああ、何でこんな事まで喋ってんやろ、今逢うたばっかりやのに」
「誰かに話したかったんやろ、すっきりしたか?」
「うん、さっきまでイライラして落ち込んでたけど、何か良うなったわ」
「それは良かった」
「ゴメンな、勝手に喋ってばかりおって」
「いいや、面白かったで」
「ほんま? 何か話しやすいねんもん、おっちゃん」
「おっちゃんやなくて、おじさん。akumaでもええ」
「なんでアクマなん?」
「話せば長うなる、また今度な」
「今度な、ってまた逢えんの?」
「嫌やなかったらな」
「嫌やないよ、もっと話したい。また来る?」
「さあー、わからんな」
「ほなら、メルアド交換しよ」
派手にデコレーションされた携帯を取り出し、僕のアドレスを訊いてメールを送ってきた。
『エリちゃんでーす
始めまして
ケイタイは○○○○○○○○○でーす』
「うち、もういっぺん仕事見てくるわ」
彼女はそう言って立ち上がると、思いのほか背が高く、そのスラリと伸びた足がまぶしく見えた。
「ああ、そうしい。辛抱強く話しいや」
「うん、んじゃまたね、akumaさん」
「ああ、またな」
僕は、何か取り残されたように、颯爽と歩いて行く彼女の姿をしばらく見つめていた。
by akuma