表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

第5章:別れの晩餐

食堂の空気は湿っていた。

天井の(こけ)夜露(よつゆ)を吸い、壁の石はじっとりと冷たい。

テーブルに最初の皿が並ぶと、料理長グラウスは大公に一礼し、壁際に下がった。


一皿目:泥鰌(どじょう)(こけ)のゼリー寄せ

沼地で獲れた泥鰌を発酵させ、岩(ごけ)とともにゼリー状に仕立てた前菜。

皿の上は、湿った地面を切り取ったような色合い。

大公はスプーンで(すく)い、ぬるりとした感触を楽しむように口に運んだ。

「懐かしい味だ。沼で遊び疲れた日の夕餉(ゆうげ)を思い出す。苔の香りが、水辺の朝に似ておる」


二皿目:羽虫の燻製(くんせい)粘菌(ねんきん)ソース

湿原で採れた羽虫を低温で(いぶ)し、粘菌から抽出した紫色のソースを添えた一品。

(はね)の光沢が残り、ソースは皿の縁でゆっくりと流れていた。

大公はひとつ摘み、はねごと噛み砕く。

(はね)の香ばしさに、粘菌の甘みが後を引くな……遠征の夜に食った干し虫より、

ずっと丁寧な仕上がりだ」


三皿目:焼き根菜と腐乳(ふにゅう)のグラタン

地中から掘り出した根菜を焼き、腐乳と熟成チーズを合わせてグラタン風に仕立てた料理。

表面はこんがりと焼け、湯気が立ちのぼる。

(さじ)で崩し、熱を感じながら口に運ぶ。

「塩気と甘みの釣り合いが見事だ。焼き加減も申し分ない。こういう柔らかな味は、春の祝祭(しゅくさい)を思い出すな」


四皿目:焼き(うじ)と香草のクレープ

地中蛆を香草とともに薄焼きの生地で包み、軽く焼き上げた料理。

見た目は美しく、食堂にほのかな草の匂いが漂う。

ひと口かじると、蛆の柔らかさと香草の刺激が流れ込んでくる。

「華やかな皿だが、味は繊細だ。蛆の旨味を香草がよく包んでおる。余韻(よいん)が、実に上品だ」


五皿目:黒茸(くろたけ)のリゾット

古森の奥で採れた黒茸を、米とともに煮込んだリゾット。

香りは控えめだが、味は深く、舌を楽しませる。

大公は匙を口に運び、しばらく目を閉じた。

「静かな皿だ。味わうほどに、余計な音が消える。初めてお前が作ったのも、確かこれだったな……あの夜の空気まで思い出す」


食後、大公は器を静かに置いた。

「……どれも見事だった。余の舌も心も存分に満たされた。だが……」

グラウスは黙って大公を見つめる。

「本当に行くのか。この家を離れて」

静かな問いだった。

沈黙の中、グラウスはゆっくりと一歩前に出て、深く一礼した。

それが、答えだった。


皿を片付ける手をとめ、ふと視線を上げる。

グラウスの広い肩と節くれだった腕が目に入った。

物好きなものだ。料理長の地位を捨て、わざわざヒトの国に行こうなどと。

そういえば、これも同族(ヒト)だったか。


「故郷とはいえ、ひとりでは心もとないこともあるだろう。しばらくの間、信頼できる配下をひとり、帯同させたいと思うのだが、どうだ?」

主の言葉に、グラウスは「御心のままに」と、深く頭を垂れる。

大公は満足げに頷き、視線をわきに控えた背の高い悪魔に向けた。

「ラザリオよ、誰か相応(ふさわ)しい者はおらぬか」

執事長は一礼し、答えた。

「メジトが良ろしいかと思います」

手が滑り、杯が乾いた音を立てて揺れた。

「何をやっている」

冷ややかな声が言った。

執事長ラザリオ。

大公に代わり家事を取り仕切る執政であり、この緑淵城(リグラント)の実質上の主。

角は短く、顔は痩せているが、声に刃のような重みがある。


「……申し訳ありません」

内心の動揺を抑えながら、崩れた食器を整え、赤黒い肌の上司に向き直る。

「……おそれながら、なぜ私のような……」

ラザリオが淡々と答えた。

「お前なら、そのままでもヒトに見えなくもない。つまり、術を使う手間も気取られる心配もない」

「ですが、私は戦う力など皆無に等しく――」

今度は、大公が口を開いた。

「争いに行くのではない。グラウスが存分に腕を磨けるよう、手助けをするのだ」

「しかし……」

言葉の続きを探していると、執事長が一歩近づき、声を落とした。

「大公直々の御下命だ。お前を是非にとな」


御下命。

その三語が、すべてを封じる。

選択の余地などない。

「案ずるな。首尾よくこなせば、すぐにでも戻れる。褒美は望むがままだぞ」

肩に手を置く執事長に、私は返す言葉を持たなかった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ