第2章:受付カウンターの“よくいるタイプ”②
昼過ぎ、ギルド長が事務室に乗り込んできた。
顔はいつもより険しい。
「この報告書は本当か?」
「ええ。構造そのものが変形しました。罠も通路も、全部です」
ギルド長は黙って赤い封筒を机に置いた。
王都からの依頼。危険度:高。
対象は《灰鱗竜》――北西の山岳地帯に棲みついた中型ドラゴン。
飛行能力あり。火炎ブレスあり。
鱗は魔法を弾き、物理攻撃も通りにくい。
討伐隊が二度壊滅している、ギルド的には“放置したい案件”だ。
「君が同行しろ。現地確認と報告。無理なら、撤退して構わん。試す価値はある」
俺は封筒を受け取り、ため息をついた。
ハルトは休憩室で『報酬』のパンを食べていた。
声をかけると、素直に立ち上がり、パンを包み直してポケットにしまった。
「ドラゴンですか。……まあ、やってみます」
その言い方が妙に軽くて、逆に不安になった。
山岳地帯・灰鱗竜の巣
山道を登るにつれ、景色が変わっていった。
最初はただの岩場だった。風もあったし、鳥の声も聞こえた。
だが、標高が上がるにつれ、空気が変わる。
風が止み、音が消え、岩肌が焼け焦げているのが見えた。
地面には巨大な爪痕。
焦げた骨が、岩の隙間に埋まっている。
剣の柄だけが突き刺さったまま、鞘は溶けていた。
「……そろそろ、まずそうだな」
俺はただの事務員だ。いようがいまいが変わらない。
「じゃあ、この辺で待ってるから」
ハルトが立ち止まり、振り返る。
「戦わないんですか?」
「無理だ。ブレスかすっただけで死ぬんだから。
あとは一人で……」
「でも」
ハルトが見上げた。その視線の先——
灰色の鱗。裂けた翼。
巨大な影が、いつの間にか上空にいた。
風を殺し、音を消し、太陽光の角度まで計算して、
反応すら許さず間合いに滑り込んでくる。
これが、討伐隊を壊滅させた理由。
口が開き、赤く輝いた。
炎が灯る。
空気が焼け、視界が赤に染まる。
終わったと思った。
——だが、炎は逸れた。
ほんのわずか。肩先をかすめるように、空を裂いて通り過ぎた。
地面が焼け焦げ、岩が溶ける。
すぐ隣で、世界が崩れている。
なのに、俺は無傷だ。
避けた? 違う。
足は動いていない。風もない。
炎の軌道は変わっていない。
魔法障壁を溶かし、盾を蒸発させる熱線が、自分たちをよけるように抜けていった。
……そんなことが、できるのか?
灰鱗竜が咆哮した。
音ではない。衝撃だ。
鼓膜が軋み、視界が揺れる。
岩が砕け、地面が波打つ。
ブレスを防いでも状況は変わらない。
鱗は魔法を弾き、剣を滑らせる。
攻撃が通らない。逃げても追いつかれる。
だから、誰も帰ってこなかった。
灰鱗竜は翼を広げ、滑空を始めた。
大気を裂き、岩が浮き上がるほどの圧力。
その質量と速度をのせた爪の一撃が爆撃のように地面を抉り飛ばす——
……はずだった。
代わりに響いたのは、骨肉の砕ける湿った音。
竜の悲鳴が空を突き抜け、谷を軋ませる。
「……ここだ」
ハルトが地面に手を突き、空間を“押す”。
せり上がった岩に、制御を失い急旋回したドラゴンの頸椎が叩きつけられる。
咆哮が止み、影が沈黙した。
俺はその場で立ち尽くした。
「……今の、何?」
「空間の境界を少し調整しました。
攻撃の座標をずらして、動きの軌道を変えて、
最後に、地形をちょっとだけ“整えた”だけです」
焦げた岩の上に、巨大な灰色の塊が横たわっていた。
鱗はまだ熱を帯び、陽光を鈍く跳ね返している。
翼は付け根で折り砕かれ、首は岩にめり込み、目は虚空を見ていた。
俺は地図を見直した。
危険指定区域。灰鱗竜の巣。
それが、今はただの岩場になっている。
「……ギルド長に報告だな」
ハルトはパンをかじりながら、素直に頷いた。
たまに変な改行が見られますが、一応そのままにしています。