6.新たなる神
8時。いつになく穏やかな目覚めだった。
カーテンの隙間から朝日が漏れ出る。
彼女はしばしの間、白い天井にできた染みを眺めていた。
彼女が眠っていた部屋には、オレンジ色のスケッチブックが大量に積み重なっている。
「あっ」
彼女は学生だった。
ドタバタと準備をして、1階のリビングへと階段を駆け下りる。
「遅刻しちゃう!!!」
「私は何度も起こしたのよ?」
「朝ごはんどうする?」
「要らない!!」
「もぉ、急いだって一緒なんだから焦っちゃダメよ」
挨拶もそこそこに家を飛び出した。
「気をつけて行きなさーい」
その声が少女の耳に入ることはなかった。
「はっ… 」
夢を見た。目覚めたところは、紙切れの散らばった屋根裏部屋だ。
事故当日の夢は何度か見たが、今回は少し違った。
「お母さん…」
少女は女性の胸像が描かれた紙切れを握っていた。まさしく夢で見た女性だ。
どうやら描いている途中に寝ていたらしい。窓の外は随分と夕めいてきている。
この日、この瞬間。天界の住人たちはみな一斉に“声”を聞いた。
『ただいま、現時刻をもちまして“神”が交代しましたことをお知らせいたします』
この意味不明なお告げはさらに続いた。
『新たな“神”の就任に伴いまして、神殿使いを募集いたします。』
前代未聞、神殿使い選抜試験の開幕である。
参加方法は『明日の日暮れまでに神殿へ行くこと』たったそれだけ…
「というわけでまたここに来たのだけど」
少女はまた、神殿の目の前までやってきた。前回青年に呼び止められた場所で足を止める。
少女は妙に神殿というものに惹かれていた。
だが絵を描くことと同じように、その理由を言語化することは難しい。
(神殿で働けば、新しいことがきっと分かるはず)
今日は咎める人などいない。少女は迷うことなくその中に足を踏み入れる。
ヴヴン…
「うん?」
神殿の中へ踏み出した瞬間、なにか膜のようなものを透過した。通った瞬間ピリピリと肌にまとわりつく感覚が走る。
「あれ………何しに来たんだっけ?」
最も重要な部分を思い出せなくなった少女はその場に立ち尽くした。こめかみを押さえながら記憶を辿る。
(えーと…なぜか神殿に行こうと思ってここに…)
今、神殿の中にいる。その事実だけが頭を占めていて、他のことがぱったりと思い出せない。
立ったままでいるのも目立つと考えた彼女はゆったりと歩き出した。
(そもそもなんで神殿に行こうと思ったのかしら)
無造作な仕草でポケットに手を突っ込む。するとカサカサと音がした。
取り出してみると女性の胸像を描いた紙切れである。
「あ…私、思い出したかもしれない」
今朝響いた謎の声、神殿への興味、絵画への執着…
彼女が思い出したのはそんなことではなく、ただひとつだった。
「私、現世に転生して叶えたい夢がある。」
その時、彼女の瞳に力強い光が宿る。
神殿使いとしての素質がついに花開いた。
(ここ神殿で働けば、現世へ戻る手がかりが何か掴めるかもしれない)
その後彼女はごく自然に神殿で働くことを考えつき、神殿使い選抜試験に参加することを決めた。
立候補者が部屋に集められる。
「おぉーい、説明はまだかよ」
唐突に無遠慮な声が響く。その青年の髪は燃えるような赤毛だった。
「最悪…こんな猿と同じ空間にいなきゃならないなんて…」
聞こえよがしに呟いた女児の髪は深い緑色。
女児の言葉に反応した少年が掴みかかろうとすると、青い髪の少年が仲裁に入る。
集められたものは皆、少女と同じくらいの年齢に見えた。だがその風貌は彼女とは大きく違い、色とりどりな彼らは騒々しく戯れあっている。そんな中で、少女の真っ黒な髪と、対照的に真っ白な肌は一際目立っていた。
ざっと数えたところ彼女を含めて7人の候補者がここにいる。”選抜”試験というからには何人かに絞られるのだろう。確かに、詳細が何も語られていないので補足説明が欲しいところだ。
ギィィィ…
部屋の扉が開かれると、子供たちの視線が一挙に集まる。
「お集まりいただきました皆様に、本試験の概要を説明するために参りました」
かっちりとした執事服を着こなす長身の青年が優雅に一礼した。シルバーグレイの長髪と瞳が現実離れした美しさを醸し出し、神殿使いの手本のような男なのだ、と一同が瞬時に理解した。
「皆様にはこれから神殿使いの仕事について学んでいただきます」
その男が白い手袋をつけた両手をパンと合わせると、一様に執事服を着た男女7名が入ってきて少年少女の前にひとりずつ立った。
「彼らが皆様の指導を行います。神殿における礼儀作法をきっちりと身につけてください」
皆緊張した面持ちで神妙に頷く。
「1週間後、その出来栄えについて試験を行います。これが1次審査の内容になります」
「2次審査の内容は追って通達いたします。では皆様健闘をお祈りします」
シルバーグレイの男は再度頭を下げた後、パチンと指を鳴らす。
すると候補者は、先ほど目の前に立った神殿使いと2人1組で別々の部屋へ転移された。
「早速、1次試験に向けた実地訓練を始めましょう」
少女の目の前に立ったのは、茶髪をおさげにしたそばかす顔の女性だった。豊満な胸元が執事服の上からでも見て取れるがそれでいて下品ではないので不思議なものだ。
「ええ。よろしくお願いします」
前を見据えた少女の真っ黒い瞳には、依然として力強い光が宿っていた。