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2.神殿

「おばあちゃん、ただいま〜!」


少女がおつかいから帰ってきた。


彼女の居住区は市場からそう遠くない。居住区とはここ天界にやってきた時点で振り分けられるもので、生前の暮らしとはあまり関係がない。


現に少女は一人の老婆と暮らしているが、生前の関わりは一切ない。おそらく国籍も異なる。


だが不思議なことに意思疎通で困ったことはなく、まるで実の祖母のように感じることすらある。老婆もまたこの天界のことを熟知していたので、少女は彼女をとても頼りにしていた。


「おつかいはできたかね」

「うん!ほら、フルーツと葉物(はもの)を買ってきたよ」

「はいはい。じゃあそれで朝餉をこしらえようね」


甘いパンと、多めのサラダ。朝市で買ったフルーツ。少女としては、主菜のないのが少し寂しいが問題ない。


「いただきます」

「はい。お食べ」

「うーんっ、美味しい!」


…未だ食べ慣れない、天界の朝ごはんを頬張る。


少女がこの朝食にどうしても違和感を抱いてしまうのは、()()()記憶がかすかに残っているからだろう。このように天界の住人は、その記憶をすべて失くしているわけではない。むしろ残像のように何らかの記憶が肉体に染み付いている者が多い。


ふと、彼女が鮮明にイメージできる記憶に思いを馳せる。


(緑色の荷台の、トラックの()()…)


この記憶から、自身が天界へ移住することになった要因は交通事故ではないかと少女は考えている。だがそれを他の人と話すことはない。


少女は、天界へ来る前のこと、特にその要因について話すことは禁忌的なものだと感じていた。


少女は確かに死んでしまったが、ここ天界でさらなる生を得ている。朝市で毎日同じように買い物をして、町の人々と笑い、ときにあの青年と話す。平穏で何の変哲もない日々が約束されている。この生活に何ら疑問は湧かないはずなのだ。いやしかし、一体いつまで……


(だめ。これ以上、昔のことを考えてはいけない気がする)


思索の世界から戻ってきた少女は、再び朝食に集中した。





食後、一通りの家事を終えて手持ちぶさたになった少女は町を散策することにした。


少女の住居の前は緩やかな坂道になっており、これをただ道なりに登っていくと、噴水が座する平坦な広場に出る。噴水のへりに腰かけて、更につづく坂道のその先を眺める。


最も高まった場所には例の宮殿がある。ひときわ大きいその建物は、町の住宅街に隠れることなく見えた。


聞いたところ、あそこには”神”なる存在があるらしい。だから不用意に足を踏み入れるな、とも言われた。


(実際に確認したわけでもないのに随分と抽象的じゃない?)


”神なる存在”とは一体どういうことなのか?そもそも目視できるものか。それとも、何か()のようなものだろうか。


気付けばすでに少女は歩き出していた。目標ははっきりと見えているので、迷うことなく坂を登っていく。





目測ではすぐに着くだろうと感じたが、実際には結構長いこと歩いた。といっても四半刻(30分)と少しほどだが。


坂を登り切った少女は息を呑んだ。神殿は想像よりもはるかに大きく、そこに辿り着くためには広大な前庭を通り抜ける必要があったからだ。


彼女の想像とは異なり、多くの人が行き交う。ただ、市場にいる人々と違ってその白っぽい衣が薄汚れていない。早足で過ぎていく者もいれば、少女と同じように神殿を眺める目的の者もいた。


(あまり近づいちゃいけないと思っていたけど、そうでもないみたい)


人波に紛れることで少し安心した少女は、大胆にも神殿の中を覗こうと歩き出す。意外なことに神殿の入り口に門扉(もんぴ)などなく、白い石柱が等間隔に立っているだけで、その内部の様子もありありと見えた。


つるつるな大理石のタイルが延々と敷き詰められている。両脇には細長いカウンターがいくつものパーテーションで仕切られ、カウンターを挟んで向かい合い何やら手続きをしている風の人々がいる。空間の中央付近には重たそうな木製ローテーブルと金糸入り布のソファのセットがいくつも置かれ、それらを利用する者もいた。


(なーんだ、普通に入れるじゃない)


少し規模が大きすぎるところはあるが、公的機関の受付待合さながらの光景に少女は呆れ返った。せっかくの機会なのでロビーだけでなく様々な空間を見てやろうと踏み出した、その時。


「おーい、黒髪の少女さん。何してるの」


聞き覚えのある声に、思わず振り向く。


「フードくん。」


少女がよほど呆けた顔をしていたのか、青年はクスクスと口に手を添えながらこちらへ近づいてくる。


「あまり近づかない方がいいよ。そこでは特別な手続きが行われているから」

「特別な手続き…?」

「そう。いわゆる()()()()だね」


その言葉に少女はハッとする。


(あ…私、ここ来たことある。)


むしろ、天界で一番初めに訪れた場所はここ神殿だったかもしれない。ほんの少し前の話だというのに、はっきりと思い出せないのはどういうことか。「不可解だ」と少女の顔に描いてあったのか、青年は言う。


「思い出せなくても大丈夫。多くの人はここでの手続きの記憶を消されるから、むしろ真っ当だよ。」


(じゃぁなんであなたはそんなことを知っているのよ)


記憶力の違いだろうか、だとすればちょっと悔しいような。そんなことは後で問い詰めようと心に決め、少女は青年の話に耳を傾けることにした。





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