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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

オルタナ

作者: 遠野なつめ

八月。自転車を漕いで職場に向かう。

郊外の山を切り拓いてつくられた街は、緑に包まれており、この季節には蝉の声がよく響く。


信号を待ちながら、首にかけたタオルで汗を拭う。横断歩道の向こうには「あおぎり」があった。入所型オルタナ作業センターあおぎり、というのが正式名称で、大学を卒業してから職員としてここに勤めている。



オルタナという人類種については、大学の社会学の授業や、あおぎりの新入職員のガイダンスで教わった。


体が丈夫で感染症にも強いが、知的能力は成人しても小学生並み。21世紀初頭、ヒトとオルタナのゲノムに数パーセントの違いが見つかったことで、オルタナは法的・生物学的に「人間」ではないとされた──という話だった。


その声明が出されてから、オルタナの生活にはいくつかの変化があった。就学が免除され、腕に焼き印を押され、発情抑制剤が定期的に投与されるようになった。私が生まれる少し前のことだ。



信号が青になり、自転車で施設の門をくぐる。


駐輪場の隣のごみ捨て場に、あおぎりの主任と、オルタナの青年、サトウさんの姿があった。彼は黒い野球帽をかぶって、慣れた様子で台車を押し、ごみ袋を掴んでは軽々と放り込んでいた。


自転車を停めながら挨拶をすると、サトウさんがこちらに片手を振って応えた。


ごみ出しを終えたサトウさんは一旦施設に戻り、私が詰め所で日報を読んでいる間に、いつものようにリュックを背負って出かけていった。日中は近くのごみ処理施設で仕事をしており、彼が出かけている間に、担当職員の私が日記にサインをする。


彼の日記には、判で押したように「ごみをそうじしました」「麦茶をのみました」「ふろに入りました」と書かれている。施設ではやかんの麦茶を用意していて、食事のときや喉がかわいたときに各自で飲めるようにしているのだ。


この前に行事でジュースを飲んだとき、ジュースへの反応を期待したのだが、開いてみると麦茶のことが綴られていた。


今日はなにが書いてあるのか、とページを開く。


──驚いた。


昨日は給湯設備の不具合があり、業者が浴室を修理しに来た。サトウさんは入浴の代わりに温タオルで体を拭いたのだが、日記には鉛筆で「ふろに入りました」の一文があった。


体を清潔にすることを「ふろ」と捉えているのかもしれない。赤ペンで「ふろ」に波線を引いてびっくりマークを付け、明日もがんばりましょう、と書き込んだ。


今日はクリーニングの作業があるので、作業班のオルタナに声をかけていく。作業班のオノさんが、廊下の窓辺でうさぎのぬいぐるみを抱いて外を眺めていた。彼女は私より年上のはずだが、後ろ姿は少女のようにも見えた。一般論として、オルタナは年齢が分かりにくい。


「オノさん、おはよう」

「おねーさん。おはようございます」

「朝ごはんはちゃんと食べましたか?」

「ぜんぶ食べたよ。食パンとオレンジのジャムと牛乳」

「良かった。そろそろ仕事に行きましょう」

「はーい」


そう返事をして、自分の部屋にぬいぐるみを戻しに行った。耳のあたりで切りそろえた黒髪に、星のピンが付いている。



いつもの作業の一環として、外から運び込まれたシーツや衣類のクリーニングを行った。私はサトウさんとオノさんを担当していて、それぞれの作業の進みぐあいを記録することになっている。


休憩時間に談話室のテレビをつけると、テロップに「北ミサイル発射実験」とあり、政治家が討論する姿が映っていた。スーツを着た政治家が「まことに遺憾である」と述べている。


またか、と思う。北部の半島でミサイルの発射実験は珍しいことではない。北の最高指導者が挑発的な声明を出し、政治家が遺憾の意を表するのは、前にも見たことがあった。


班のメンバーは討論には興味がなさそうなので、いくつかチャンネルを変えてみた。子育て中の家庭を特集した番組があり、毛布にくるまれた赤子が映ると、オノさんがテレビに近寄って「かわいい」と見入っていた。


「おねーさんの家には赤ちゃんいるの?」

「いませんよ。結婚もしてないし」


私がそう笑うと、オノさんは他の職員の名前を出して、その先生には赤ちゃんがいるんだと話した。



八月三十一日の夜。

オルタナが静かに眠っている中、詰め所の電気ポットでコーヒーを淹れてパソコンに向かう。


あおぎりは入所型なので、月に何度かは夜勤が回ってくる。定時の見回りと、万一のトラブルへの対応、書類の作成などが仕事だった。夜の間に今月分の記録をつけるため、サトウさんのバインダーを開く。


──年間目標──

・基本的な生活習慣を身につける

・身体を動かして攻撃性を抑える


サトウさんに限らず、オルタナの目標として「攻撃性の抑制」はよくあるフレーズだった。具体的なプログラムとして、ごみ処理施設で作業すること、2週間に1回発情抑制剤を注射すること、が挙がっている。


担当職員のコメントをパソコンで入力しながら、彼の作業のようすを思い返した。かつて見学に行ったとき、作業服を着て黙々と粗大ごみを運んでいたのを覚えている。これらの作業は生活習慣を身につける指導の一環で、今の法制度では給料が出ないのが残念だった。


次にオノさんのバインダーを開くと、適切なコミュニケーションの学習と他害の防止、とあった。同じようにコメントを打ち、インスタントのコーヒーを飲んだ。


見回りの間に仮眠を取り、夜明けにカーテンを開けて、寝ている者を起こしてから洗濯機を回す。


早番の職員が来る頃。麦茶を用意していると、ポケットの中で社用携帯が震えた。


取り出して画面を点けると、緊急速報、の文字が目に入る。


──首都圏に弾道ミサイル着弾。


近隣の住民は外出を控え、屋内で続報を待つように、とあった。


携帯を手にして立ち尽くした後、ここから首都圏までの距離を検索する。直線距離で約四百キロ、新幹線では五百キロ強。空はあいかわらず晴れており、サトウさんが首にタオルをかけて廊下を歩いていた。


────


九月一日早朝。首都圏および米国本土に弾道ミサイルが着弾。


九月二日。近隣住民のなかに、皮下出血と紫斑、手足の壊疽が確認される。搭載された生物兵器によるものとみて調査を開始。


九月五日。関西、九州、東北で同様の症状が報告される。国内初の死者を確認。


九月十日。政府は首都のロックダウンを宣言。


九月十七日。生物兵器の使用に対して国際社会は激しく非難。米国が使用国を名指しして報復を告げ、関係国との協議が打ち切られる。感染症による死者が十万人を超える。


九月二十五日。米国、挑発に応じて核ミサイルを報復的に使用。ターゲットは生物兵器の発射拠点と見られる軍事施設。


十月一日。報復を受けた勢力が核ミサイルを発射。


十月十九日。国内の混乱を抑えるため、感染者に自決用薬剤の支給が検討される。医薬品メーカーが製造を開始。


────


十月二十二日。私は使い捨てガウンとマスクを着けて、あおぎりの廊下を歩いていた。


窓から園庭を眺めると、トラックが到着したところだった。防護服を着た職員が積み荷を降ろしていくのが見える。あのなかにはサトウさんも交ざっている。


オルタナはこの感染症を発症せず、あおぎりにクリーニングの設備があったことから、汚染されたシーツや布類を集める拠点になっていた。近くの病院や臨時の療養施設から、感染者の体液が染みた布が大量に送られてくる。


作業場に山積みの布を前に、いつも穏やかだった主任が「焼却炉に突っ込んだほうが早いぞ」とこぼしたのを覚えている。先週を最後に主任は出勤しなくなった。


職員は戸惑ったが、主任は妻子と高齢の親とともに暮らしているし、家族との時間を大切にしたいんだろう、と同情する声が多かった。こんな状況で出勤するほうが珍しいのだが、私には他にすることもなく、先輩の許可を取って半ば泊まり込んでいる。


夜更けにサトウさんがオノさんの居室の扉を開けようとしていたときは、サトウさんを呼び止めて用件を尋ね、用があるなら明日の朝にするようにと伝えた。彼は黙ってうなずき、自分の部屋に戻っていった。


「おねーさん。見て」


視線を移す。廊下の反対側から足早に歩いてきたオノさんは、両手にポリタンクを提げて、頭に水の袋を乗せていた。袋を落とさないように目線だけをこちらに向けている。廊下に段ボールが積まれていて台車が通れないから、手で運んできたんだろう。


「すごい」

「えへへ。やってみる?」

「できないよ」


落としてしまう、と答えて作業場に戻る。せんたく、手洗い、おやつ、おふろ、と書かれたスケジュール表が壁に貼ってあるが、おやつの時間はだいぶ前に消えてしまい、セロテープが剥がれかけていた。その隣に「汚染区域」「関係者以外立ち入り禁止」の掲示がある。


最初は作業場だけに掲示があったが、しだいに広がっていき、詰め所とロッカールーム以外のほとんどすべてが汚染区域になっていた。


夜まで作業をして、配給の食糧を分け合って食べ、各自の居室に戻って眠る。ときおり施設から逃げる者がいたが、連れ戻しには行かなかった。捜索する人手が足りないし、残った者で食糧を分け合えるからだ。


オノさんが「サトウさんにあげる」といって食糧を貯めていた。彼のぶんは用意しているから、自分で食べるようにと私は促した。



蛇口から湯が出ることに気づいて、浴室で服を脱いでシャワーを浴びた。鏡に映った自分の肢体を眺めて、軽い眩暈を覚える。ひととおり鏡を確かめて、頭を洗って髪を乾かした。


浴室と詰め所の間に小さな倉庫がある。レクリエーション用のマットや模造紙が置いてあり、誰もいないはずだが、その向こうに気配を感じた。扉を少しだけ開けて顔を近づける。


廊下の非常灯が差し込む中、壁際で男女が重なり合っていた。


どちらも服を着ておらず、腕にalterの焼き印がある。彼女は男の背中に両腕を巻きつけて揺れていた。耳がふたりの息遣いを拾う。


サトウさんとオノさんだ、とすぐに分かった。


止めなければ、という考えが頭をよぎる。オルタナの無責任な行為は問題だし、こんな非常時に避妊をしないのはさらに不味い。


扉に手をかけて開けようとして、私はその手を下ろした。


──待てよ。


この期に及んで、自分はなにをしようとしているのか。施設の秩序の維持、無責任な性行動の抑止、という言葉が頭に浮かんで消えた。


発情抑制剤が供給されなくなった今、ふたりが抱き合っていてなにが悪い。自然なことじゃないか。


静かにその場を離れて、廊下の端の戸を開けてベランダに出る。タバコがあれば一服したいところだが、あいにく私は非喫煙者だ。


柵にもたれて夜風を浴びながら自分の左肩に触れる。


先ほどシャワーを浴びたとき、左肩に紫色の痣が広がっているのを見た。感染症の典型的な初期症状。これまでの事例から考えると、急速に進行してあと数日で命を落とすだろう。


オノさんが赤子を抱く姿が脳裏に浮かんで、ひとつの灯火を見たような気がした。焼き印のない子ども。


生き延びてほしい、と私は祈った。

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