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TRUE DAWN  作者: 三九
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水の剣士――影の襲撃――

 まったく、世の中どうなっているのか。


 ナナエはほんの少し恨んだ。

 何を恨めば良いのか判らなかったので、とりあえず一番最近のトラブルに関係ある奴にぶつけることにした。


「マジ……っ最悪……! それもこれもみんな、ロディウスのせいだっ!」




 エナを家まで送り届ける途中、商店街に並んだ街路樹の枝がざわめいた。ような気がした。


 つい最近、似たような光景を目にしたことがあるナナエは、思わず足を止めて周囲の様子を窺った。


 夕闇から夜の暗闇へと移行するこの時間、商店街からは徐々に人の数が減ってきている。


 しかし、大都市の街中だけあって、それでも辺りを出歩いている人は大勢いる。

 もし、またこの前のようなモンスターが現れたら……


 ナナエは無意識のうちに、腰の剣に手を掛けた。


「ナナエちゃん? どうしたんですの?」


 数歩前を歩いていたエナが、立ち止まったナナエに気付いて戻ってくる。

 しかしナナエはエナの問いには答えずに、街路樹の陰に視線を落とした。


 あのときも、月が出ていた。


 満月になる前の、太ったレモンのような形をした月が、背の高い木の上に顔を出す。


 商店街には街灯が点いていて、夜でも明るい。

 月の光が映し出す陰は、より強い街灯の灯りが作る陰に呑まれてしまう。


 一瞬揺らめいたように見えた影は、すぐに元の形に戻って動かなくなった。


「ナナエちゃん?」


 再度エナに声を掛けられて、ナナエはようやく剣から手を離した。


「ん、なんでもない」


 気のせいだったみたいだと続けようとして、けたたましく吠える犬の鳴き声にかき消された。

 何事かとそちらを振り向くと、街灯の光が届かない場所、店の裏側で犬が吠え続けている。

 肉屋の主人が飼い犬をおとなしくさせようと、店の裏手に回った。



「ぎゃあっ!」


 しかし犬は吠えるのを止めず、逆に主人の大声が辺りに響いた。

 商店街を歩いていた人々も、何があったのかと集まってくる。


 と、ジャラジャラと鎖を引きずりながら、店の裏から犬が走ってきた。

 鎖を繋いである杭が抜けたのだろう。


 その犬の背後に寄り添うように、いや、寧ろ犬から生えてきたように、一回り大きな黒い犬が並走して、店の犬に噛み付いた。


 店の犬は走ってきた勢いを殺せず前のめりに転がって、野次馬たちの輪の中心で停まった。

 先程噛み付かれた箇所が、ばっくりと裂けていて石畳に血が流れる。


 ナナエたちの目の前で絶命した犬の陰から、大きな黒い影の犬がのそりと立ち上がった。

 その口からは、鮮血が滴っている。


 街灯の灯りの届かない場所には、月の光から生まれた陰がある。

 犬の陰から生まれたモンスターは、周囲の人間たちを見渡して、にやりと笑った。




「きゃああああ!」


 誰かの悲鳴を皮切りに、商店街はパニックに陥った。


 犬のような姿をした影のモンスターは、軽々と人々の頭上を跳び越して、前脚の一撃で街灯を叩き割った。


 降り注ぐ硝子の破片から逃げるように、野次馬たちは右往左往しながら、てんでばらばらの方向に走っていく。

 そんな中で、冷静に状況を判断できたのはナナエだけだったろう。


 影の犬はまだ人を襲ってはいない。

 ひたすら街灯を壊して回っている。


 街灯が消えれば、その分月明かりが目立つ。

 ナナエが見ている目の前で、街路樹の影が動きだした。


(狙いはこれか!)


 ナナエは呆然と立ち竦むエナを揺さぶり、周囲の騒ぎに負けないくらい大声を出した。


「エナ! 月の家に戻れ! オレはあのモンスターを何とかする!」


「で、でもっ……」


「いいから行け! 走れっ!」


 ナナエはエナの背中を押して、自分は商店街の方へと駆け出した。


 たたらを踏んでエナが振り返ったときには、ナナエの姿は人ごみの中に消えていた。




「止まりやがれそこの犬っころ……みたいなやつ!」


 ナナエは逃げ惑う人を掻き分けながら影の犬を追う。

 こうも人が多くては、剣を振るうこともできやしない。


 商店街の外へ逃げた人たちも多く、多少のスペースならば確保できるだろうが、影の犬は足が速くて捕まえることすらできないのだ。

 なんとか人気のないところまで誘い出したかった。


 しかし影の犬はナナエに構うことなく、次々と街灯を壊してゆく。

 その度に暗闇が広がり、仄かな月明かりの下で新たな影が生まれる。


 警備兵は何をしているのか。

 早く来て市民の避難を手伝え税金泥棒。


 思わずそんなことを考えながら、人ごみの間をすり抜けるように影を追う。

 見失わないようにするだけで精一杯だ。


 影の犬が商店街の街灯を三分の一ほど壊した頃には、街路樹の影も立ち上がり歩き始めていた。


 ナナエは見かねて声を張り上げる。


「新手が来るぞ! 近くの建物に逃げ込め!」


 しかしパニックを起こしている人々には、ナナエの声も届かない。


 それでも声を掛け続けながら、ナナエは襲い掛かってきた影の木の腕を、抜き放った剣で受け止めた。


「マジ……っ最悪……! それもこれもみんな、ロディウスのせいだっ!」


 力任せに押し潰そうとする影に耐えながら、ナナエは吐き捨てるように呟いた。


 影の犬は相変わらず街灯を壊し続けているが、知能が低いのか、でたらめに破壊しているだけで効率はすこぶる悪い。

 そのお陰で街路樹から生まれた影の数はまだ少ない。

 しかしそれも時間の問題だろう。


 ナナエの表情に焦りの色が浮かんだ。そのとき。


 商店街の向こうから、角灯を持った集団が走ってくるのが見えた。

 街の警備兵だ。


「な、なんだこのモンスターは! こんなの見たことないぞ!」


「そんなことより、住民の避難が先だ! 馬鹿もん!」


 動揺しつつも、警備兵たちはすぐさま人々の避難誘導を始めた。

 これでようやく、まともに動ける。


 ナナエは切り結んでいた影の木を、思い切り押し返して距離を取った。

 まずは厄介な影の犬を始末しようと、向きを変えて走りだそうとしたときだ。


「きみ、危ないから逃げなさい!」


 生真面目そうな顔の警備兵に肩を掴まれた。


「オレは平気だ! 離せよ、邪魔!」


 警備兵を振り解こうとするのだが、なかなか放してくれない。


「何を言っているんだ! さあ、逃げなさい!」


「しつこいな……って、うわわ、危ねえ!」


 警備兵たちが現れたことで興奮したのか、影の犬が街灯から標的を変えて飛び掛かってきた。

 ナナエは咄嗟に警備兵を突き飛ばして影の攻撃を避ける。

 警備兵も無事のようだ。


「くそっ、何だこいつらは!」


 警備兵が街中で扱うために支給されている、ショートソードを抜きながら呟いた。

 歩兵用に短めに造られた刃が、月明かりを反射して銀色に輝く。


 影の犬は、着地するなり強引に向きを変えて警備兵を襲う。

 彼はぎりぎりのところで、牙の攻撃を防いだ。

 影の黒い牙と剣が、がっきりと噛み合った。

 その瞬間を狙って、ナナエが横から剣を突き出す。


 しかし影の犬は寸前で警備兵の剣を放し、身を屈めて地に落ちることでナナエの一撃を躱した。

 更に、身体が地面にぶつかる瞬間、素早く体勢を立て直して力強く地を蹴る。


 その牙が狙うのは、先程の一撃で前に踏み出したナナエの脚。


 瞬時に影の狙いに気付いたナナエだが、体重をかけて踏み込んだ脚は、思うように素早く動かせない。

 影の犬が迫り――ナナエの脳裏に、噛み千切られた犬の姿が蘇った――大きく開かれた口から鋭利な牙が覗く。


 喰われる!


 思わず顔から血の気が引く。

 間近で影の吐息を感じた、刹那。


 空気を切り裂く音と共に、何かが飛来した。


 それは影の犬の心臓に当たる部分に深く突き刺さり、影を貫いた。

 その一瞬で影は沈黙し、慣性に任せて前につんのめる。

 牙が標的に触れることはなく、崩れた体勢を戻すこともできない。

 影の犬は勢いよく投げたボールのようにごろごろと転がり、魚屋の看板にぶつかって、やっと動かなくなった。


 ナナエは突っ込んできた影を避けようとして、バランスを崩して前のめりに転んだ。 丁度倒れた顔の横に、先程犬を貫いたものが刺さっていた。


 それは、羽根だ。

 猛禽類を思わせる、褐色の大きな羽根。


 ナナエは不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、羽根が飛んできた方向に目を向けた。

 彼がそこにいると確信して口を開く。


「……おせーんだよ、馬鹿」


「助けてもらったら、まずはお礼だろ馬鹿」


 鳥の姿から人型へと戻ったロディウスが、向かい側の店の屋根に降り立った。




 屋根から飛び降り、ナナエの前に着地したロディウスは、瞬時に状況を理解したようだ。

 入り乱れる人々の悲鳴や警備兵の号令を聞き分け、ナナエに的確に指示を出す。


「よく聴け。あれは月明かりでできた、命あるものの陰から生まれる。

 月明かりを打ち消す程の光で照らすか、月明かりも届かない完全な闇を作れば、これ以上影が増えることはない」


「な、なんでそんな詳しいのさ!」


 警備兵たちでさえ知らなかった情報を、何故ロディウスが知っているのか。

 色々と問いただしたいところだが、今はそれどころではない。


「あとで説明する。とにかく灯りだ。松明でも何でもいい、用意させろ。

 既にいる影は倒すか……いや、もっと大きな別の陰に入れることができれば……」


 ロディウスの言葉に、ナナエがはっと顔を上げる。


「物陰の中なら、影は消えるのか!」


「ああ、だが陰になるような大きなものがないと……」


「大丈夫だ! 考えがある。手ぇ貸せ!」


 ナナエの声には自信が溢れていた。

 ロディウスは躊躇することなく、ナナエの言葉に頷く。


 知り合って日は浅いが、お互いに相手の実力は見抜いている。

 信頼できる相手だと、言い切れる自信があった。




「おらおらおら、こっちだぜバケモン!」


 ナナエはあの後すぐに、近くでぽかんと二人を見ていた警備兵を捕まえて、ありったけの灯りを用意して月明かりの陰を消すように伝えた。

 徐々に灯りが集まり、商店街は昼間のように明るくなった。


 月明かりが届かなくなったことで力も弱まったのか、影の木たちの動きが鈍くなったように感じる。


 ナナエは影たちを挑発するように叫びながら、ある場所に誘導するようにわざと追い詰められていった。


 影の数は然程多くないとはいえ、ナナエ一人ではすべての影を相手にできない。

 取りこぼした影たちは、ロディウスが始末してくれる手筈になっていた。


 ナナエは影たちを引き連れたまま、表通りの噴水広場へ向かう。

 商店街入り口のすぐ近くにあるその広場は、昼間三人で肉まんを食べたところだ。


 十体以上の影を引き付けながら、ナナエは広場の入り口にたどり着いた。

 その間に、ロディウスは離れて行動している影を捕まえ、その場で退治していった。


 街路樹から生まれた影は、素となった木と同じ硬度をしている。

 普通の人間ならば切り倒すだけでも時間がかかるだろうが、ロディウスは己の爪のみで次々と影を切り裂いていった。


 獣人の筋力は、人間の数倍はある。

 腕を一振りするだけで、鎌状になった影の腕がへし折れ、鋭い爪で引き裂けば、影の胴体は真っ二つになる。

 無駄な動きは一切なく、舞うように影を切り裂くロディウスの姿を見て、商店街のざわめきは、徐々に警備兵の感嘆の声に変わっていった。


 あっという間に三体の影を沈黙させ、ロディウスはナナエの援護に向かう。

 その後ろを、数人の警備兵が追い掛けた。

 ただ松明を持って立っているだけで、民間人であるナナエとロディウスに助けてもらったとあっては、役人の面目丸潰れである。


 ロディウスたちが広場に着いたとき、ナナエは影から距離をとって噴水の前に立っていた。


「ナナエ、こっちは終わったぞ!」


「おっしゃ、次はオレの番だな!」


 ナナエが剣を鞘に収める。

 敵を前に武器を手放すとは何事かと、役人たちが声を上げようとするが、その声は驚愕の叫びに取って代わられることとなる。


 ナナエが右手を振り上げた、そのとき。


 噴水の流れがぴたりと止まり、水が一つの水流になった。


 噴き上げられた飛沫の一粒すらも、意思を持ったように水流のうねりに飛び込んだ。


 水流は蛇のような動きで、広場の端にある砂場の砂を喰らった。

 そして広場一帯を取り巻くように地面の上を滑走する。

 大量の砂を含んで泥となった濁流は、突如立ち上がりドームのように広場を覆った。


 濁流の屋根が広場を多い尽くすと、月明かりは完全に遮断されて暗闇に閉ざされた。

 その中で、影の木はドームの陰に呑まれ、大地に沈むように消えてゆく。

 最後まで足掻いていた影も、攻撃の手はナナエに触れることなく虚空へ消えた。

 暗闇に閉ざされたこの場所で、その光景をはっきりと目にした者はいない。

 影の気配が解けるように消えたのを感じたロディウスだけが、ナナエの勝利を知りヒュウと口笛を吹く。

 どんな仕掛けを使ったのかは分からないが、周囲に漂う水と泥の匂いは、ナナエが何かしたからだと思ったのだ。


「へえ、やるじゃないかナナエ」


「とーっぜん!」


 ナナエは得意げな笑みを浮かべてガッツポーズを決める。誰にも見えないが。


「んで、もう大丈夫なわけ? また出てきたりしねぇだろうな?」


 ナナエが尋ねると、ロディウスはもう大丈夫だと頷いた。


 一度消えた影が再生することはない。

 月明かりから陰が伸び、再びそこから生まれることはあるが、今や商店街にはありったけの灯りが灯され、月明かりが届くことはない。

 ひとまずは、これで一段落といったところか。


 それを聴いて、ナナエはドーム状にしていた水を元に戻した。

 取り込んだ土砂を吐き出させ、水は再び噴水に返す。

 少しばかり水に泥やゴミが混じっているかもしれないが、そこは気付かないふりをする。


 水と戯れるようなナナエの姿を、警備兵たちが驚愕の表情で見ていた。




 あの後、ナナエとロディウスは後始末を警備兵たちに頼んで月の家に戻った。

 無事に帰ってきたナナエの姿を見て、エナや子供たちが泣きながらナナエに抱きついた。

 マリーは優しくナナエの髪を撫で、ロディウスの手を取り何度も礼を言った。

 騒ぎを聞き付けた領主の近衛兵がエナを迎えに来たので、エナは屋敷へと戻ることになったが、ナナエとロディウスは子供たちにせがまれて月の家に泊まることになった。




 翌朝、澄んだ空気が秋の訪れを感じさせる中、まだ子供たちが起きだしてくる前に、月の家の門を叩く音がした。


 マリーが外に出ると、市内警備の制服を着た男が立っていた。

 男は領主の使いだと言った。


「ここに、ナナエ様とロディウス様がいらっしゃると聞いたのですが」


「ええ、二人なら中ですが……」


 マリーが途惑いながらも答えると、彼は軍隊式の敬礼をして言った。


「ロード・サイマスより勅命を預かって参りました。ナナエ、ロディウス両名を、ぜひ屋敷に招待したいとのことです」

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