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TRUE DAWN  作者: 三九
4/18

水の剣士――月の家へようこそ――

 この日も朝から快晴で、ナナエとロディウスは昼を少し過ぎた頃にヴェヌスの街に入った。

 王都と並ぶ大都市だけあって、街は活気に満ちている。


 ここでもポトの領主が殺された事件の噂は広がっていたが、やはりまだ手配書は出回っていないらしく、ナナエを追ってくる役人もいなかった。




「ついてねーよなぁ、領主が視察に出て留守なんて」


 ナナエは領主の屋敷から離れた通りを歩きながら、溜め息を吐いた。


 二人が領主の屋敷を訪れたとき、領主であるサイマス=ヴェヌスは、妻を連れて市内の視察に出ていたのだ。

 今夜帰ることにはなっているのだが、突然の訪問者であるロディウスには会ってくれないかもしれない。


「仕方ないですわ。明日一番に謁見できるように、私からお願いしておきますから」


 ナナエの隣で、肩で切りそろえた黒い髪の少女が、涼やかな声で言う。


 彼女はエナ=ヴェヌス。

 この街の領主の娘だ。


 エナはナナエと仲が良く、門の前で困っているナナエを見つけて家から出てきたのだ。

 そしてさも当然のように、ナナエたちと並んで歩きだした。


「それには感謝してるが、いいのか? 領主の娘がこんなところうろついてて」


 困惑したように言うのはロディウスだ。


 彼はエナがついてきたときから、なるべく治安が悪そうな裏道を選んで歩いているのだが、清楚な成りをしたこの少女は、意外と肝が据わっているようである。


「ご心配には及びませんわ。ヴェヌスは安全な街ですもの。それに、いざとなったらナナエちゃんが守ってくれますもの」


 あっけらかんと言ってのけたエナに、ロディウスはひょいと肩をすくませた。

 言っても無駄だと悟ったのか、裏道を行くのをやめて表通りに出る。

 途端に屋台や食堂から美味しそうな香りが漂ってきて、まだ昼食を食べていなかったことを思い出した。


「あー、腹減ったな。なんか食わね?」


 それはナナエも同じだったらしく、ぐぅと空腹を主張する胃を押さえて、周囲の屋台に目を向けた。


「まあ、お二人とも昼食は済んでませんの?」


「そーなのませんの。エナはどうする?」


「では、少しだけご一緒させてくださいな」


 二人の少女は、ロディウスの意見も聞かずに屋台へと走りだした。

 ロディウスも腹が減っていたのは事実だから反対はしないが、置いて行くのは勘弁してくれと思う。

 確かに目が見えなくてもそんなに不自由していないし、初めて来た街でも、音や風を読んでまっすぐ歩くことはできる。

 だが、こう人が多いと離れたナナエたちを捜すのは一苦労だ。


 それに、人間が大勢いる中に一人で取り残されるのは、あまり良い思いはしない。


 人間に追い掛けられた、あのときのことを思い出しそうで……


「ほら、ロディウスのぶん。ここの屋台、安くて美味いんだぜ」


 ナナエたちを追う足が止まりかけたところで、ナナエの声が戻ってきた。

 手にはほかほかと湯気の立つ肉まんを持っている。

 その一つをロディウスに差し出して、ナナエは楽しそうに笑った。


 ロディウスは突然現実に意識を戻されて、ぼんやりとナナエの言葉を聞いていた。

 差し出された肉まんも受け取れないでいる。


「なんだよ、食わねえの?」


 ナナエが不思議そうに首を傾げた。

 ロディウスは慌てて首を振る。

 ナナエは笑顔でロディウスの手を引き、その手のひらに紙に包まれた肉まんを乗せた。

 少し熱いくらいの温度が、手のひらに伝わる。


「…………」


 ロディウスは肉まんを持ったまま、しばらく動かなかった。


「どした? 腹でも痛いのか?」


 ナナエが怪訝そうにロディウスの顔を覗き込むと、ロディウスはようやくゆるゆると首を振り、

「……これは、食い物なのか?」

 未知のものに対する警戒心を露にして、ナナエに尋ねた。


「え? ロディウス、肉まん食ったことねーの?」


 思いもよらぬロディウスの言葉に、ナナエは驚いて飛び上がった。

 エナも戻ってきたのは、丁度そのときだった。


「ナナエちゃん? どうしました?」

「聞いてくれよエナ! こいつ肉まん食ったことねえって言うんだぜ?」


 エナまでも、さも意外といった様子でロディウスを見上げた。


「まあ、こういったところでお買い物するのは初めてなのですか?」


「そーゆーエナだってこないだ知ったばっかじゃん」


「仕方ないじゃありませんか。私は、あまりお外に出していただけなかったんですもの」


 からかうように言ったナナエの言葉を聞いて、エナは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めて抗議した。


「ま、とりあえずあっちで食おうぜ。ここじゃ人が多すぎるだろ」


 ナナエはエナの抗議を軽くいなして、ロディウスの手を取り歩きだした。

 エナもナナエと並んで歩きながら、時折何かナナエと話して笑い声を上げている。


 ロディウスはナナエに手を引かれながら、ぼんやりと手の中の肉まんが少しずつ冷めていくのを感じていた。




 表通りに設置されている噴水前のベンチに腰掛けて、ナナエは肉まんを頬張った。


 少し冷めてしまったが、このくらいが丁度いい。

 熱々に噛り付くのも良いが、あんまり熱いと口の中を火傷してしまう。


「ロディウス様は、どちらから参られましたの?」


 丁寧にハンカチを膝の上に広げて、食べ方だけはナナエを真似て頬張りながら、エナはロディウスに尋ねた。

 ロディウスのことを、自分と同じように、軽々しく街に出られないような身分の者だとでも思ったのだろうか。

 肉まんを食べたことがない、見たことも聞いたこともないと言うロディウスに、興味津々の様子だ。


「ユーティスに住んでいる。こういった人ごみの中は苦手でね、あまり街中には行かないんだ」


 肉まんの包み紙を上手く剥がすことができずにいると、横からナナエが手を出してきて包みを開けてくれた。


 それを一口齧る。

 口の中に、肉汁の旨味が広がった。


「美味い……へえ、こんなものがあるなら、もっと街に顔を出しとけば良かったな」


 ロディウスは口許を綻ばせて肉まんに齧り付いた。

 かなり気に入ったようでご満悦だ。


 ナナエとエナは、そんなロディウスを見て楽しそうに笑った。


 あっと言う間に食べ終わると、ロディウスは包み紙を丸めて、少し離れた場所にあるゴミ箱に放った。

 包み紙は綺麗な放物線を描き、ゴミ箱の縁に当たって上に跳ね上がる。

 最後はそのまま重力に任せてゴミ箱の中に落ちた。

 それを見ていたナナエとエナは、思わず拍手する。


「すっげー。よく目も見えてないのに入ったなぁ」


 出会ってから何度目かになるナナエの賞賛を聞いて、ロディウスは苦笑した。


「さっきここに来るときに脚が当たったから、大体の位置と距離は覚えてたんでね。

 あとは、投げるもんの重さとか考えて投げれば、誰でもできるさ」


 ロディウスは大したことではないと言うが、簡単にできることではない。


 ナナエはこの青年を、少し見くびっていたようである。

 すげー奴ではなく、めっちゃすげー奴、だ。


「随分慣れてらっしゃるようですが、そのお目は生まれつき……?」


 エナが興味深そうに尋ねる。

 ナナエでも遠慮して訊かなかったことなのだが、この娘も案外物怖じしないタイプのようだ。


「いや、昔ちょいと事故でね。もう十年以上前かな」


 ロディウスは布を巻いた目許に触れて言った。

 口許には笑みが浮かんでいたが、どことなく物悲しそうだ。


「まあ、私ったら不躾なことを……申し訳ありません」


 エナが慌てて謝罪するが、ロディウスは笑いながら気にしていないと言った。


「ほんとかよ?」


 ナナエも遠慮がちにロディウスの顔を覗き込む。

 ロディウスは、静かに微笑むだけだった。


 この目が、もう一度見えるようになればいいと思ったこともある。

 だが、細かい作業は難しいが、生活に支障はないし、人間よりも耳や鼻が良いのでそれらが充分に目の代わりを務めている。

 ただ……


「大切なヒトの顔が見れないのが、残念だなぁと思うだけだよ」


 ロディウスはそう言って立ち上がり、ぐっと背伸びをした。


「さて、明日まで暇だし、どうすっかな」


 宿をとるにしても早い時間だし、また人ごみの中に戻るのも気が引ける。

 どうしたものかと思案していると、エナがぽんと手を打った。


「ナナエちゃん、もうすぐおやつの時間ですわね」


「そうだけど……何? まだ食うの?」


 唐突に切り出したエナの腹の辺りを見て、ナナエは顔をしかめた。

 こんなに細いのに、食ったもんはどこに消えているんだろう。


 ナナエの視線に気付くと、エナは恥ずかしそうにお腹を隠した。


「違います! 子供たちに、おやつを買っていって差し上げようかと思いますの」


 エナは言うが早いか、ナナエの手を引いて立ち上がらせた。


「ロディウス様も一緒に参りましょう?」


 エナはロディウスにも声をかけて、その手を取り歩きだした。


 ロディウスは困惑していたが、もっと驚いたのはナナエだ。


「な、なんでロディウスも連れてくんだよ!」


「大勢で行った方が楽しいじゃありませんか。きっと子供たちも喜びますわ」


「そうかもしれないけどぉ……」


 エナはナナエとロディウスを連れてどんどん進んでゆく。

 この少女は、おとなしそうな外見や言葉遣いに反して、かなり行動力があるらしい。

 困惑するナナエの声を聞きながら、ロディウスはおとなしくエナに手を引かれるまま歩いていった。




 あの後ナナエたちは、郊外にある小さな教会の前に来ていた。


 結局エナはナナエの反論を無視して、籠いっぱいのフルーツを買ってから、二人を連れてきたのだ。


 教会の中に入ると、シスターが一人で講堂の掃除をしているところだった。

 修道女は訪問者に気付いて顔を上げると、掃除の手を止めて近付いてきた。


「ごきげんよう、シスター」


 エナがスカートの裾を摘んで挨拶する。

 修道女は嬉しそうに笑みを浮かべた。


「まあ、こんにちはエナさん。ナナエも来てくれたのね」


「こ、こんにちは、先生」


 ナナエは照れ臭そうにお辞儀をした。


「シスター、これ、少ないですが子供たちにと思いまして」


 エナが籠に入ったフルーツを差し出す。

 修道女は申し訳なさそうに頭を下げると、しっかりと籠を受け取った。


「いつもありがとう。皆きっと喜ぶわ。

 ……あら、こちらの方は?」


 彼女はロディウスに気が付いて彼を見た。

 身長が低いから、下から見上げるようだ。


「ロディウス様ですわ。ナナエちゃんのお友だちなんですの」

「違っ……! 道案内を頼まれただけだ!」


 間髪を入れずにエナが答えるが、ナナエは慌てて否定した。


 道案内? と修道女は不思議そうに呟く。


「この教会へ?」


「あ、いや、この街の領主に用があったんだが留守だそうで。そうしたらこの二人にここまで引っ張ってこられた」

「オレは引っ張ってねえよ! エナだろ!」


 歯をむき出しにして反論するナナエだが、他の三人は本気にしていない。

 ナナエがいちいち突っかかってくるのは、単なる照れ隠しだとロディウスにも解ってきた。


「さあさ、皆さん奥へどうぞ。そろそろお茶にしようかと思っていたところなのよ」


 修道女はそう言ってにっこり微笑むと、三人を講堂の奥へ案内した。




 マリーと名乗った修道女について行くと、教会の裏庭に案内された。


 渡り廊下の先に、宿舎のようなものがあり、その周りで小さな子供たちが遊んでいる。


 宿舎には、月の家と書いてあった。


 そこは教会が経営している孤児院なのだ。

 ナナエも十歳のときに引き取られて、五年程ここで暮らした。


 ナナエが月の家を出たときよりも、修繕の跡が多くなったように見える。

 ナナエが懐かしそうに目を細めていると、子供たちが駆け寄ってきた。


「あー! ナナちゃんだ!」

「エナお姉ちゃん、またお菓子持ってきてくれたの?」

「せんせー、このお兄ちゃんだれー?」


一斉に寄ってきた子供たちに囲まれて、ロディウスは困惑したように一歩後退りする。


 だが子供たちは遠慮なくロディウスの周囲に集まり、興味津々といった様子で彼を見上げた。

 マリーとエナは持ってきたフルーツでお菓子を作るために、家の中へ行ってしまった。


 残されたナナエとロディウスは、必然的に子供たちの相手をすることになったのだった。



「ナナエかくごー!」

「ふっ、甘いわ!」


 ナナエは棒切れを剣に見立てて男の子たちを相手にチャンバラごっこだ。


 一方ロディウスはというと、花冠を掛けられたり、おままごとの旦那さま役に任命されたりと、女の子たちに大人気である。


 そんなことをしているうちに、マリーとエナがアップルパイを焼いてきた。


 子供たちは一斉におやつを貰いにマリーたちのところへ群がる。

 しかし食べる前に手を洗いなさいとマリーに叱られ、今度は皆で井戸の前に並んだ。


 やっと解放されて木陰に座り込んだロディウスの前に、ナナエが近寄ってきた。


「ロディウスって案外、子供の相手すんの上手いんだな」


「まぁなー……昔は弟たちの面倒みてたし。

 しかしあれだな。ナナエはまるっきりお姉さんじゃなくてお兄さんだな」


「どーゆー意味だよ」


「そのまんまの意味だよ」


 笑いながら言ったら、ナナエに頭を小突かれた。

 然程力が込められていなかったのは、自覚があったからかもしれない。


「ナナエ、ロディウスさんも、おやつにしましょう」


「はーい。ほら、行こうぜ」


 マリーに呼ばれると、ナナエはロディウスの手を引いて歩きだした。

 ロディウスもすぐに立ち上がり、並んで歩く。


 きちんと手を洗ってから、アップルパイを受け取った。

 全員に分けたため、一切れがとても小さくなってしまっていたが、子供たちはそれでも満足そうだ。


 その後もしばらくの間、子供たちと遊んでいたのだが、ふと気付けば辺りは夕焼け色に染まっていた。


 あまり遅くなるといけないから、とナナエはエナを家まで送っていくことにした。


「じゃあ、エナを送ってくるよ。

 ロディウスは明日の朝、領主の屋敷まで連れてってやっから」


 月の家の前で手を振るナナエに、ロディウスは笑顔で首を振った。


「いや、道はだいたい解ったから、一人で行ける」


 道案内ご苦労さん、と言って、ロディウスはナナエの頭を軽く撫でた。

 ナナエはきょとんとした顔でロディウスを見上げる。

 一拍の間を置いて、驚いたようにナナエが口を開いた。


「えっ、じゃあこれでお別れ?」


「ああ。何だ? 寂しいのか?」


 からかうような口調のロディウスに、ナナエはわずかに顔を赤くして声をあげた。


「なっ、誰が! お前の顔見なくてせいせいするね!」


 一方的に言い放ち、外で待っていたエナの許へと駆けてゆく。

 どうしたのかと振り返るエナの背を押して、ナナエは足早に歩き去っていった。


 ナナエの足音が遠ざかってから、ロディウスも月の家を去ろうとした。

 しかし、その足が月の家の外に出ることはなかった。


「おにいちゃん、泊まってって」

「帰っちゃやー!」


 子供たちが、ロディウスの脚にしがみ付いている。

 宿を探しに行こうとしていたのだが、子供たちにどうしてもとせがまれて、仕方なくここに泊まることになった。


 夕飯は、子供たちが皆で作るのだと言う。

 ロディウスが手伝おうとすると、ゲストだからおとなしく待っていろと追い出されてしまった。


 途端にやることがなくなってしまったロディウスが食堂でぼんやりしていると、マリーがやってきて隣に座った。


「ロディウスさん、ちょっとお話相手になってくれるかしら?」


「え? ああ、構わないが」


 マリーは笑みを絶やさずに話を始める。


「あなた、お目が見えないんですってね。身の回りのこととか、大変でしょう?」


「いや、慣れてるから特には」


「そうなの? いくら慣れたと言っても、私たち人間には、目が見えないのは大変なことだわ」


 マリーは一度言葉を切って、まっすぐにロディウスを見つめて言った。


「あなた、獣人さんね?」


「……ああ」


 マリーの言葉に、ロディウスはあまり驚いた様子もなく頷いた。

 先程彼女が「私たち人間には」と言ったことから、既に自分が獣人であることに気付いているのだと解ったからだ。


 マリーはロディウスが獣人とだ気付いていても、態度を変えることなく話し続けた。


「人間の街で暮らしているの?」


「ああ、もう四年くらいになる」


「そう、素敵ね。そんな風に、種族の違いなんて気にせずに、人間も獣人も、共に歩いていけるなんて」


「実際は、そうはいかないだろうな」


 ロディウスは苦笑して肩をすくめた。


 人間の街で生活しているとはいえ、ロディウスは滅多に街中には行かない。

 ロディウスが獣人だと判ると、街の人間は皆怯えて近寄ってこなくなるからだ。


 マリーやナナエ、ガレットのように、獣人に対等に話し掛けてくる人間は少ない。


「残念だけど、そうね。お互いが理解し合えるには、もう少し時間が必要だわね」


 マリーはそう言って言葉を切った。

 少しの間沈黙が落ち、キッチンで一所懸命に料理をする子供たちの声だけが、賑やかに聞こえてくる。


「……ねえ、ロディウスさん。ナナエとは、どこで知り合ったのかしら?」


 やがてマリーは再び口を開いた。


 その声には、先ほどまでとは違い、やや硬い響きが混じっている。


「……ユーティスの街だが」


 嘘は言っていない。

 出会ったのはポトの街だが、お互い知り合ったのはユーティスに入ってからだ。


「そう……」


 マリーは安堵したようにほっと息を吐いた。



「ナナエはね、十歳のときにここに来たの。

 十五になったとき、もう自立するんだと言ってこの家から出ていったんだけど、今でも時々仕送りをしてくれるのよ」


 マリーはまるで我が子のことを話すように、誇らしそうに言う。


 しかし、すぐに表情を曇らせて、テーブルの上で組んだ指に視線を落とした。


「今ね、正直、経営が厳しいの。それでナナエは、前よりも沢山仕送りをしてくれるようになったんだけど、何か無茶なことをしてるんじゃないかって、心配なのよ」


 小さく溜め息を吐いてから、マリーは顔を上げてロディウスを見た。


「ごめんなさいね、初対面の方にこんな話をして。

 でも良かったわ。先日の事件に関わっているんじゃないかと心配してたの」


「なぜ、その話を?」


「あなたなら何か知っているんじゃないかと思ったのだけど、気のせいだったかしらね」


 マリーはそう言って微笑むが、話をしている間じっとロディウスの方を見て、様子を探っているようだった。

 この分だと、先程のロディウスの言葉も真実ではないと気付いているだろう。中々侮れない婦人だ。


「それにしても、ナナエ、遅いわねぇ……夕食はここで食べていくって言ってたのに……」


 マリーは窓の外を見て頬に軽く手を当てた。


 夕焼けに赤く染まっていた空は、既に群青よりも深い夜の色になっている。

 東の森の上には、丸くなりかけた月が昇っていた。


「ご飯できたよー」

「ナナちゃんは?」

 子供たちが料理の載った皿を食堂に運んできた。


 しかしナナエはまだ帰ってこない。


 何かあったのかと、子供たちが心配して騒ぎ始めたときだ。


 突然、大きな音と共に入り口の扉が開かれた。

 はっとして皆が顔を向けると、そこにはナナエが送っていったはずのエナが立っていた。


 全力で走ってきたのだろう。激しく胸を上下させて肩で息をしている。


「エナさん? どうしたのですか?」


 マリーが慌ててエナを支える。

 エナは今にも泣きだしそうな顔でマリーに縋り付いた。


「か、影が、影がモンスターになって、襲われてますの! ナナエちゃんが! ああ、私どうすれば……!」


 マリーはエナを落ち着かせようと、優しく抱き締めた。

 いったいどうしたのかとドアの近くに集まった子供たちが、外を見て悲鳴を上げる。


「きゃあ、せんせぇっ!」

「何か来るよ!」


 月明かりの中で蠢く無数の黒い塊。


 歪な人型をしたそれは、エナを追うように孤児院へと迫ってきた。

 子供たちの口から、再度悲鳴が上がる。

 エナがマリーにしがみ付き、マリーはエナや子供たちを守るように抱き寄せる。


 黒い影が、月の家の入り口に手を掛けた。


 その瞬間、同時にロディウスが子供たちの頭上を飛び越えてきた。

 勢いはそのままに、影のモンスターを家の外へと蹴り飛ばす。


 影はドアの端を握り潰して、庭へ転がった。


 ロディウスは先頭にいた影が立ち上がる前に、獣人特有の鋭い爪の一撃で、影を切り裂いた。


「ロディウスさん!」


 最初に我に返ったのはマリーだった。

 驚いて立ち竦む子供たちを庇うように前に出る。


「家の中へ!」


 叫びながらロディウスは、二体目の影に飛び掛かった。


 横薙ぎの一撃で、その影は胴と脚とに切り裂かれた。


「窓を塞げ! こいつらは影だ! 完全な闇の中では存在できない!」


 影のモンスターは、より大きな陰の中に入るか、光の差さない闇の中では、融けて消えてしまうのだ。

 光が差すところにこそ、影は生まれるのだから。


 夜の闇から守ってくれるはずの光が、モンスターを活性化させる素になってしまうのだ。


 すぐにロディウスの言葉を理解したマリーは、子供たちに窓を塞ぐように指示を出す。

 子供たちは家中の窓を閉めて回った。

 閉めた窓の上に板を当てて、月明かりが入るのを防ぐ。

 板が足りないところは、黒い服をカーテン代わりに使った。


 全部の窓を塞ぎ終わる頃には、敷地内に現れた影のモンスターは、ロディウスがすべて片付けていた。


 近くに敵の気配がないことを確認してから、ロディウスは家の中に戻る。


「皆無事か?」

「ええ、こちらは大丈夫よ」

「ロディウスにーちゃんすげー」

「ナナちゃんより強い?」


 暗闇の中、お互いの声を頼りに名を呼び合って無事を確かめる。

 ロディウスは食堂の隅に置いてあった、自分の荷物を取ってきてマリーに言った。


「このまま朝まで隠れていろ。奴らは夜しか現れない」


「あれは、何なの? あなたは、何を知っているのですか?」


 マリーとて混乱しているのだろう。

 しかし、子供たちの前で自分が取り乱してはいけないと、決してそれを表には出さなかった。


「あれは新種のモンスターで、月明かりが作る陰から生まれる。今のところそれしか判っていない」


 ロディウスの言葉に、エナや子供たちが不安そうな表情を浮かべ、お互いに身を寄せ合った。


「ナナエちゃん! ナナエちゃんを助けに行かないと!」


 エナが青ざめた顔で言う。

 子供たちもナナエが心配なようで、中には泣き出す子供もいた。


「大丈夫だ。任せとけ」


 ロディウスは泣いている子供を励ますように、優しく頭を撫でてやる。


 暗闇に目が慣れてきたのか、隣にいた十二歳くらいの男の子が、ロディウスの腕を取った。


「俺も行く!」


 その子供の声には聞き覚えがあった。

 ナナエと剣の稽古をしていた子供だ。

 名前は確か、マックスといったか。


「だめだ。ここで待ってろ」


「やだ! 俺も行く!

 俺、毎日剣の稽古してるんだぜ。足手まといにはならないから!」


 マックスは食い下がるが、ロディウスは首を縦には振らなかった。


「それなら、尚更連れて行けないな」


「な、なんで?」


 納得できないマックスの前に膝を付き、ロディウスは彼の肩に手を置いた。


「もしまたここが襲われたら、誰が皆を守るんだ?

 この中で一番強いのはマックスなんだろう?」


「あ……」


 言われて、マックスは振り返った。

 暗闇の中に、ぼんやりと皆の顔が見える。

 そこにいるのは、マックスよりも小さな子供と、女ばかり。

 そうだ、俺は、みんなのお兄ちゃんなんだ。


「……わかった。ここに残るよ。その代わり、ナナエのこと、頼んだからな」


 口調だけは一丁前に、マックスは大きく頷いてロディウスの肩を叩いた。


「ああ、任せとけ」


 ロディウスも力強く頷き返し、マックスの肩を叩く。


 その言葉を聴いて、ようやくマックスはロディウスから離れた。


 ロディウスが月の家を出る直前、マリーは胸の前で指を組み、水の国の守護精霊に祈りを捧げる。


「どうか、精霊の加護があらんことを……」


 その声を背後に聞きながら、ロディウスは月の光が降り注ぐ家の外へと飛び出していった。

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