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TRUE DAWN  作者: 三九
3/18

水の剣士――ヤブ医者にご用心――

 家の中に入ると、薬品の匂いが鼻についた。

 街の施療院のような匂いが、なんとも落ち着かない。


 鳥人間は男をベッドに寝かせると、慣れた足取りで棚から薬品を取り出し、湯や包帯を持ってきた。

 しかし、手つきはあまり慣れていないように見える。


 薬の瓶を手に取ったはいいが、ラベルをなぞったり形を確かめるだけで、中身を出そうとはしない。

 それどころか、灯りを点けようともしないのだ。

 ナナエは呆れたように両手を腰に当てて彼を見下ろした。


「何してんのさあんた。灯りくらい点けたら?」


 しかし鳥人間は灯りを点けには行かなかった。


 すいと机を指差して、

「蝋燭ならそこだ」

 と言ったきり、また薬瓶の選別作業に集中してしまう。


 仕方なくナナエが手探りで蝋燭とマッチを探し出し、火を点ける。

 暗い部屋の中に、薄くオレンジの光が満ちた。


 ナナエはそこで初めて、鳥人間が目を覆うように、顔に黒い布を巻き付けていることに気付いた。


「あんた、目、見えねえのか」


「そうだよ。解ったら手伝え。それと、ひとつ言っておくがな」


 そう言って彼は、見えないはずの目をナナエに向ける。

 一瞬、本当に見られているような気がして、ナナエの心臓が跳ね上がった。


「あんたじゃなくて、ロディウスだ」


 自分の胸を指し、鳥人間……ロディウスは言い放った。


 言うだけ言って満足したのか、ロディウスはナナエから目を離す。

 やっと見つけた消毒液を綿に染み込ませ、男の衣服を剥ぎ取って傷口の周囲を拭った。


「いっ……ででっ……」


 かなり染みたのか、男が呻いて目を覚ました。


 その手つきがあまりにも危なっかしくて、ナナエは慌ててロディウスから消毒液を奪い取る。


「貸せよオレがやるから」


 ロディウスはおとなしくナナエに薬を渡して、邪魔にならないように立ち上がり端によけた。

 その間に男は状況を把握したのか、力なく笑いながらロディウスに手を振る。


「……よう、遅かったな」


「遅くない。間に合っただろうが」


 幾分むすっとしながらロディウスが言う。

 男は次いでナナエに顔を向け、若干かすれた声で言った。


「お前さんもすまないね……大分世話になっちまったようだ……あてて」


「お前さんじゃなくてナナエだよ。

 それより、近所に医者は? これ、応急処置じゃ間に合わねえぜ?」


 言いながらも手は休めず、傷から少し離れた位置できつめに包帯を巻いて止血する。


 血は止まりつつあるが、傷自体が大きくて、縫合しないといけないだろう。

 内臓まで斬れていないのが救いだ。

 そこまでやられていたら、死んでいたかもしれない。


「大丈夫さ……俺はガレット。医者だ、一応な」


「ヤブだがな」


「ヤブじゃなくて闇だ。闇医者! いてて……」


 ロディウスが笑いながら言った言葉に、ガレットはムキになって反論する。

 だが傷に響いたようで、すぐにその声はしぼんで消えた。


 ナナエは二人のやり取りを聞いて、半眼で苦笑いしてみせた。

 闇医者でもヤブ医者でも構わないが、医療の知識があるのなら早々に自分の傷をどうにかしたらどうだ。


 止血まで済むと、ナナエにはその後の処置をどうすればいいのか、まったく知識がないのだ。

 こんな大怪我したことないし、育ての親であった父は、ナナエが怪我をしても「舐めときゃ治る」の一言で片付けていたからだ。


(先生のとこに行ってからは、怪我なんてしたことなかったしなぁ)


 困ったように頭を掻いて余った包帯を置くと、横になっていたガレットが起き上がろうとしていた。


「無茶すんなって」


「寝てたんじゃ、自由に手が使えないからな。ロディウス、右の棚から鞄取ってくれ」


 ナナエが横から支えてようやくガレットは起き上がった。

 ベッドに座って自ら傷の具合を確かめている。


 ロディウスが持ってきた鞄を受け取ると、ガレットは中から注射器と薬の瓶を取り出した。


 手際よく薬瓶の中身を注射器に移し、自分で患部に針を刺す。


「うへぇ……」


 ナナエは心底嫌そうな顔でそれを見ている。


 施療院など行ったことないナナエにとっては、注射やら手術やらといった行為は理解できない代物なのだ。

 なぜ、痛いところを治すのに、針を刺したり刃物で切ったりと、更に痛いことをしなければならないのか。

 そこが理解できない。


 人間は、理解できないものに嫌悪感や恐怖感を覚えるものだ。

 だが、この場合は有体に言ってただの医者嫌いである。



「あー、ナナエだったか? お前さん、なんだってあの屋敷にいたんだ?」


 局部麻酔を打って自分で傷の縫合をしながら、ガレットは口を開いた。


 ナナエはなるべくガレットの手元に目を向けないようにしていたのだが、問い掛けにうっかり視線を戻してしまい、縫合部を直視して顔をしかめた。


「……なんだっていいだろ。それよりあんたこそ、なんであの屋敷にいたんだよ」


 領主の屋敷に上がり込めるような御貴族様には見えないね、と皮肉混じりに言うナナエに、ガレットは気を悪くした様子もなく笑った。


「俺が貴族に見えるんだったら、お前さんの目の検査をしなきゃならんとこだ。

 俺はあの街の領主とはちょっとした知り合いでな、月見酒でも誘いに行ったところ、あの騒ぎだ」


 運が悪かったねぇ。と、からから笑いながら言うところを見る限り、大して気にしていないのだろう。

 いっそ襲撃があることを予想していたかのような口ぶりだ。

 ナナエは今になって、この男はただの医者ではないのでは……と、わずかに猜疑心を抱き始めた。

 ……もっと早く気付いても良さそうなものだが。

 恐らく、酒を飲みに行ったというのも嘘だ。

 何か別の用があって、領主の館を訪れたのだろう。

 何の用だったのかは知らないが。


 ナナエが黙っていると、ガレットは早々に処置を終えて再び横になった。


「悪いが、俺は休ませてもらうよ。何分貧血が酷くてね、お前さんは、今日は泊まっていくかい?」


 ガレットの言葉に、ナナエはぎょっとして目を見開いた。


「んなっ、やだよそんなん。オレ帰る」


 慌てて立ち去ろうとするナナエを引き止めるように、ロディウスがナナエの肩を掴んだ。


「その成りで帰るのか?」


 ロディウスを睨み付けているナナエの腹の辺りを指差し、ガレットが言った。


 その指の先を目で追うと、その場所にはべったりと血が付いていたのだった。

 おそらく、ロディウスに運ばれてきたときにガレットに密着していたからだろう。


 今まで気付かなかったが、夜とはいえこれは目立つ。

 血の匂いもするし、市中警備の役人にでも見つかったら、厄介なことになるのは間違いない。

 しかも、あの屋敷の連中には、領主殺しの犯人だと勘違いされているし。


 うっ、と言葉に詰まったナナエを見て、ガレットはニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「洗い場なら、廊下の突き当たりだぞ」


「あんたの服貸してくれれば済む話じゃん」


 ナナエは不貞腐れたように口を尖らせるが、ガレットは悪びれた風もなくニヤケ顔を貼りつけたままだ。


「やだよ。俺、自分のもん他人に貸すの嫌いだから」


「じゃあ、そっちのあんた」


「ロディウス、だ。嫌だ」


 わざわざ訂正してから首を振られてしまった。


 納得できないといった様子で、しばらく肩を震わせながら二人を交互に睨んでいたナナエだが、結局は泊まっていくことにしたらしい。


 洗剤使いきってやる、とさりげなく復讐を誓って、ナナエは乱暴に部屋を出ていった。




「ナナエに何をさせるつもりなんだ?」


「ちょいと手伝ってもらうだけさ。内緒でな」


 ナナエがいなくなってから、ロディウスとガレットは小声で話し始めた。


 顔の上半分が布で覆われているため、ロディウスの表情は判らないが、口元にはわずかに不快感が表れている。


「関係ない人間を巻き込むなんて……」


「関係なくはないさ。言うなれば、これはこの世界に住むすべての者に関わる問題だ」


 ガレットは至極真面目な顔つきで語る。


 この世界に住むすべての人間、否、すべての命に関わるかもしれない問題なのだ、彼らが追っているものは。


 だがロディウスは、やりきれない気持ちで息を吐いた。


「まだ、確証はないんだろう?

 それなのに、あんな子供を利用するなんて……」


「見えないのに判るのか。だが、一人じゃ何もできないガキでもないだろ」


 咎めるようなロディウスの言葉にも、ガレットは口調を変えなかった。

 片手で枕の位置を調節しながら、目だけロディウスに向ける。


「あの子、まあまあ腕は立つようだしな。お前さん一人だと、街でトラブルがあったとき対処が難しいだろ」


「そんなことは……」


「蛮族だと騒がれては面倒だって話だよ」


 ガレットの言葉を否定しようとしたロディウスだったが、最後の台詞を否定することはできなかった。

 そのまましばらく沈黙が続く。

 それを打ち破ったのは、ロディウスの小さな溜め息だった。


「……利用できるものは、何でも利用するんだな」


「勿論、お前のこともな」


「……嫌なとこだけ、ダークにそっくりだよ……」


 そう呟いてから、ロディウスは黙って水差しと痛み止めの薬をサイドテーブルに置き、使い終わった手術用具や血の付いた服をまとめてゴミ箱に放り投げ、薬瓶は元の位置に戻した。


 ついでに、部屋の奥に隠してあった酒と煙草をごっそり持ち出した。

 ご丁寧にもマッチまで回収している。


「あっ、おい何して……」


「怪我人には必要ないだろう。さっさと寝ろ」


 ベッドから手を伸ばすガレットを無視して、ナナエが点けた蝋燭を吹き消し、ロディウスは酒と煙草を持ったまま部屋から出ていった。


 一人残されたガレットは、苦虫を噛み潰したような顔で頭を掻き、ズボンのポケットに入れっぱなしだった煙草を取り出して口にくわえる。

 そこではたと気が付いた。


「火、ねえじゃん……」


 白衣のポケットに入っていたマッチは、ロディウスに持ち去られていた。




 服に付いた血を洗い流し、ついでに無断で風呂を借りてから、ナナエは重大なことに気が付いた。


「そう言えば、着替えねえんだった……」


 自分の家ならいざ知らず、他人の家にタオル一枚でいるというのは、如何なものだろうか。


 湯船に浸かったままでどうしようかと考えていると、ひたひたと足音が近付いてきた。


 驚いて顔を上げた瞬間、ドアが開いてロディウスが顔を出した。


「うわあああああ勝手に開けるな馬鹿!」


 ざばっしゃあっ


「うわあああああいきなり何すんだ馬鹿!」


 頭からお湯をかけられ、ロディウスは慌ててドアを閉めた。


 ぜえはあと肩で息をしながら、顔が真っ赤になったナナエは、必死に身体を縮こまらせて隠れようとしている。


 それもそのはず、普段の言葉遣いからよく男に間違われるのだが、ナナエはれっきとしたオンナノコなのだ。


「信じらんねー! フツーいきなり開けるか? ノックくらいしろこのスケベ!」


「見えてないんだから気にすることないだろ。あーあ、びしょびしょだよ……」


 大声で怒鳴るナナエとは対照的に、ロディウスは落ち着いた様子でタオルを探して濡れた髪を拭く。


 確かに、相手は目が見えていないのだから気にすることはないのかもしれないが、ようは気持ちの問題である。


 いかに男っぽいナナエでも、風呂を覗かれるのは我慢ならないのだ。


 流石にロディウスも、今回は自分が悪いと思ったのだろう。素直に謝った。

「すまん。いくら子供とはいえ、いきなり入ったのは悪かった」


 ナナエが女の子であることには驚いていないようで、その口調は至極落ち着いている。


 ナナエは、ある可能性に気付いて口を開いた。


「ひょっとして、あんた最初からオレが女だって気付いてた?」


「ああ」


 淀みなく答えたロディウスは、さっさと風呂場から出ていった。


 ナナエは益々顔を赤くして、

「確信犯かよ! お前なんかサイテーだちくしょー!」

 懇親の力で手桶を床に叩きつけた。




 結局、その夜はロディウスが脱衣所に置いていってくれたシャツを借りて寝たのだが、寝室にベッドが一つしかなく、そこでも一悶着あった。


 普段はこの部屋でガレットが寝ているのだが、この日彼は診察室のベッドを使っていたので、必然的にナナエがこの部屋を借りることになった。


 しかしロディウスも普段使っていた診察室のベッドをガレットに貸してしまっていたので、寝る場所がなかったのだ。


 他の部屋は医学書やら標本やらがぎっしり詰まっていて、とてもではないが心地よく眠れる環境ではない。


 最悪、廊下で寝ることも致し方ないと思っていたナナエだが、ロディウスが部屋を譲ってくれたので、暖かいベッドで眠ることができた。


 標本室で寝ずにすんだことには感謝するが、これで風呂を覗いたことが帳消しになるわけではない。ないと言ったらない。

 いくら相手が盲目だとはいえ、乙女の入浴中に勝手に侵入するのは大犯罪、なのである。


 朝日が差し込む部屋の中で、すっぽり毛布をかぶってぶつぶつと呟いていると、またしてもいきなりドアが開いた。


「いつまで寝てんだ? 朝飯できてるぞ」


 驚いて跳ね起きたナナエには目もくれず――目が見えないのだから当たり前だが――ロディウスは用件だけ言うと、さっさと出ていった。


 彼も昨夜の一件で学習したらしい。

 ナナエが文句を口にして枕を投げつける前に、寝室の扉は閉じられた。


 しかも扉の下には、きれいに畳まれたナナエの服が置いてある。


 ナナエはどうしようかと迷ったが、とりあえず手にした枕だけは、怒りの矛先が向かうはずだった青年の立っていた場所に投げつけてやった。




 ひとまず着替えて身仕度を整えてから廊下に出ると、こんがり焼けたパンの匂いが漂ってきた。


 匂いのする方に行ってみると、キッチンにトーストとサラダが用意してあった。


「おはよう。ちゃんと眠れたか?」


 ナナエの気配に気付いたのか、コップにミルクを注いでロディウスが振り返る。


「お、おう……つか、それ、あんたが作ったのか?」


 ナナエはテーブルの上の朝食を指差して言ってから、相手が盲目だったことを思い出した。

 しかしロディウスはナナエの言いたいことを的確に読み取ったらしく、「ああ」と頷いてコップをテーブルに置いた。


 その動きは、とても目が見えていないとは思えない程滑らかだ。


「すげーなあ、あんた。目、見えてないんだろ?」


 ナナエは思ったことをそのまま口にして椅子に座った。

 ロディウスもナナエの向かい側に腰掛ける。


「べつに、ただ切って焼いて並べただけさ。家の中のものなら、どこに何があるのか大体覚えてるしな」


 そう言って彼は「いただきます」と両手を併せた。


 ナナエも両手を胸の前で組んで、いつもより大分短く食事の前のお祈りをした。


 何時如何なる時でも、食物を口にできることには感謝しなければならないと、恩師に口うるさく言われているのだ。


 そうしてからコップを手に取り、ミルクを一口含む。うん、美味い。


「いやでもすげーよ。オレだったらぜってぇできねーもん」


「そうか? 慣れれば誰だってできるだろ」


「えー? でもお前」

「ちょっと待った」


 トーストに噛り付きながら言ったナナエの眼前に、ロディウスがびっと人差し指を立てる。


 一つ瞬きをしてから、ナナエは口を閉じてトーストを咀嚼し飲み込む。

 それを見計らったように、ロディウスは言葉を続けた。


「何度も言うけど、お前じゃなくてロディウス、だ」


 念を押して訂正してくるロディウスを、ナナエはぽかんと見つめていたが、数回瞬きしてから不思議そうに首を傾げた。


「お前、なんでそんなに名前にこだわるわけ?」


「だからロディウスだって。これは親に貰った大事な名前だから。そんだけ」


 何度訂正しても直そうとしないナナエに少し腹が立ったのか、ロディウスはムッとした様子で言って食事を再開した。


 何でそんなことにこだわるんだろう、この人は。


 ナナエの顔にははっきりとそう書いてあったが、ロディウスには知る術がない。

 相手が盲目だと、顔に出てもばれないからラッキーだよなぁ、と、そんなことを思ってしまう。


 ナナエは食事を再開しながら、「ロディウスねぇ……」と呟いた。


「……変な名前」

「本気で怒るぞ!」

「うわわゴメン、冗談だって!」


 ナナエの呟きを聞き咎め、いきなり身を乗り出してきたロディウスに、ナナエは慌てて謝った。




「ところで、少し頼みたいことがあるんだが」


 それからは黙々と朝食を食べ終え、皿を洗いながら唐突にロディウスはそう切り出した。


 ぼんやりと皿を洗うロディウスの手つきを眺めていたナナエは、彼の言葉をつい聞き逃してしまった。


「へ? 何?」


「だから、頼みたいことがあるんだけど。耳、ちゃんと聞こえてるか?」


「うっせーな! ちょっとぼーっとしてただけだよ!

 で? 頼みたいことって?」


 洗い終わった皿を片付けて布巾で手を拭きながら、ロディウスはナナエの正面の椅子に座った。


 呼吸一つ分の間を空けてロディウスは話し始める。


「ガレットの手伝いの他に、フリーで運び屋をしてるんだが、あるものをヴェヌスの領主に届けるように頼まれててな。領主の屋敷まで道案内を頼みたいんだが……」


「なんだそんなことか。いいぜ。ヴェヌスだったら帰り道だし」


 最初は断ろうかと思っていたナナエだが、依頼の内容がただの道案内と聞いて気が変わった。

 ヴェヌスは、ナナエの住んでいる街なのだ。


 一度家に帰って、ちゃんと休もうと思っていたし、何より次の『仕事』の下調べも……おっと、これは内緒だ。


 ロディウスはナナエが快く引き受けてくれたことに安堵したのか、口の端を上向けて小さく笑みを浮かべた。

 名前の件で怒ってから、ずっと不機嫌だったのだ。


 むっつりと黙り込んだロディウスは、はっきり言って恐い。

 ナナエは、もうぜったいにロディウスの名前をからかったりしないと固く心に誓ったのだった。




 簡単に荷物をまとめると、二人はすぐに出発した。


 怪我人のガレットを一人残して行くのも心配だったが、昼から看護師の女性がアルバイトに来るのだと聞いて納得した。


 臨時雇いとはいえ、素人二人が残るよりもずっと安心できる。


「じゃあなヤブ医者のおっさん! 養生しろよー!」

 と、家を出るときに挨拶したら、「ヤブでもおっさんでもねえ!」と奥の部屋から返事が聞こえたので、怒鳴るだけの体力は戻ってきたのだろう。


 ナナエとロディウスは並んで歩きだした。

 目が見えないロディウスを気遣って、ナナエが「手を引こうか」と言うと、ロディウスは笑って断った。

 一度歩いた街なら、一人でも歩けると言うのだ。


 ヴェヌスの街は然程遠くはないが、この街から歩くと丸一日以上かかってしまう。


 飛んで行けば早いのにと考えて、ナナエは昨夜からずっと疑問に思っていたことを、ロディウスに尋ねてみた。


「そう言えばさ、ロディウスって何なわけ?」


「……意味わかんねぇぞ」


 ナナエの大雑把すぎる質問では他に答えようがなく、ロディウスは呆れたように肩をすくめた。


「だからさあ、最初鳥だったじゃん。なんで変身できんの?」


 ナナエはロディウスを見上げて両手を広げてみせた。

 鳥がはばたく様子を再現したかったのかもしれないが、盲目のロディウスには無意味だ。


 ロディウスはわずかに表情を硬くして、声の音量を抑えて言った。


「あんまり大声で話すなよ。人間に聞かれたら厄介だ」


 そう話す声も硬い。

 答えを聴くまでもなく、ナナエはその理由に思い至った。


 この目の前の男は、人間ではないのだ。


 人間によく似た姿をしながら、その身に獣の血を宿すと言われている種族、獣人。

 言い伝えによれば、獣人は無知で野蛮な生き物で、性格は極めて獰猛。

 獣に姿を変えて人間を喰い殺す、悪魔のような種族だとされている。


 ロディウスからは、そのようなイメージはまったく湧かないが、褐色の肌や、時折髪の隙間から覗く大きく尖った耳は、本で読む獣人の特徴に一致している。


「あ……獣人、だったのか。イメージとぜんぜん違ったから、わかんなかった」


 ナナエもロディウスに倣って声を抑えて呟いた。


「どうせ、無知で野蛮な生き物だとか思ってたんだろ」


 皮肉雑じりに言ったロディウスの言葉に、ナナエは何も言えなくなってしまった。

 まさに今、そう考えていたからだ。


 なんて勝手なんだろうと思った。

 人間はなんて勝手な生き物なのだろう。

 この青年には、野蛮なんて言葉はまったく似合わないではないか。

 いったい、何を以て獣人が無知で野蛮だなどと判断したのか。


 しかし、自分も今の今までその勝手な解釈を真実だと思い込んでいたのだから、文句を言える立場ではない。


「……ごめん」


 ナナエは居たたまれなくなって俯いた。


 人間にはかつて、獣人を迫害していた時期があった。

 獣人を、モンスターと同質だとみなしていたのだ。


 今では、獣人の迫害は表面上は行われていないことになっている。

 獣人そのものの数が減り、人前に姿を見せなくなったからである。

 彼らは今、絶滅危惧種として保護対象になっているのだ。


 だが、人間が獣人を嫌う風潮はなくなっていない。

 長年の軋轢は、そう簡単になくならないものだ。


 急に落ち込んでしまったナナエに気付き、ロディウスは努めて明るい口調で言った。


「なんでナナエが落ち込んでんだよ。

 獣人がこーやって人間社会に解け込んでるなんて、すげぇレアなんだぜ。今のうちに、サインしてやろうか?」


「……なんだよサインて」


「いやぁ、人間に交じって暮らす獣人なんて珍しいからさ、そのうち新聞社が嗅ぎつけて取材に来るかもしれないだろ? そしたら一躍有名人だろうが」


「あるわけねえだろ、そんなこと」


 おどけたように言うロディウスを見て、ナナエは思わず吹き出した。


 それからは、二人で他愛ない話をしながら歩いた。

 日が真上に来る頃には、すっかり打ち解けていた。


 気付けばもうそろそろ昼食の時間である。

 街道で見つけた小さな大衆食堂に入ると、そこでは昨夜の事件の話で盛り上がっていた。


 ポトの街の領主が殺されたそうじゃないか。

 犯人はまだ捕まっていないらしいぞ。


 そんな話があちこちのテーブルから聞こえてくる。

 それを聞いたナナエはぎくりと肩を強ばらせた。


 あの屋敷の使用人たちは、ナナエを犯人だと勘違いしている。

 いつ手配書が配布されるか、はたまた役人が追い掛けてくるか。


 ナナエはここで初めて、心の中に不安を感じた。

 そんなナナエの心情を見透かしたように、ロディウスはナナエの肩を叩いて囁く。


「心配すんな。ナナエが捕まることはねえよ」


 どういうことかと訊く前に、ロディウスは一番奥のテーブルに席を取った。

 周囲を気にしながらもナナエが席に着いた音を聞いて、ロディウスは品書きを開いた。


「テキトーに選んでくれよ。字、読めないからさ」「あ、うん」


 品書きを受け取って、とりあえずランチセットを二つ頼む。

 注文を取りに来た女性が店の奥に消えてから、先程の話をロディウスに確認した。 


「なあ、オレが捕まらないってどういうことだよ?」


 他の客に聞き咎められるのを恐れてか、ナナエはかなり声のトーンを落として囁くように言った。


「普通にしてろって。びくびくしてると、余計に怪しいだろ」


 ロディウスは若干声を小さくしているものの、その口調は噂話でもしているかのように軽い。

 ロディウスに言われて、ナナエもなるべく何でもない様を装うようにした。

 少々ぎこちなくはあったが。


「来る途中に鳥たちから聴いた。まだ手配書は出回っていない。

 ま、追っ手が来たとしても、その前にヴェヌスの領主に会えればいいのさ」


 そう言ってロディウスは、足元に置いた麻の袋を軽く持ち上げて見せた。

 それはヴェヌスの領主に届けると言っていた荷物だ。

 荷物と一緒に、事件の真相が書かれた手紙が入っていると言う。


 ナナエは一安心したようにほっと息を吐いたが、すぐに怪訝そうな顔つきになってロディウスを見つめた。


 事件の真相と言うが、ロディウスはガレット救出のため後から来たのだから、何が起きていたのかなど知っているはずがない。

 そもそも、目が見えないのだから字も書けないのではないか。


 当事者であるガレットが書いたのかもしれないが、彼は酒の誘いに行っただけだなどと言っていたはずだ。

 それが本当ならば、彼も真相など知っているはずがない。

 彼らはやはり、今回の事件に深く関わっているのだろう。


 ナナエは益々声をひそめてロディウスに言った。


「ロディウス、おめー本当はこの事件、真犯人が誰だか知ってんだろ?」


「お待たせしましたー。ランチセット二人前でございまーす」


「お、美味そうな匂い。ほら、食おうぜナナエ」


 タイミングが良いのか悪いのか、見計らったようにウエイトレスがランチセットのトレイを運んできた。


 ロディウスはさっさと食べ始めてしまい、結局ナナエの話ははぐらかされてしまったのだった。

 二人は食べ終わると早々に店を出て、ヴェヌスへと歩みを進めた。




 ヴェヌスはここ、ユーティスの街から南北に伸びる旧街道の先にある。


 実質、ロディウスとナナエは隣町に住んでいたことになるのだが、西側に新街道ができ、そこに新しくポトの街が造られたため、旧街道はほとんど使われなくなっている。


 ポトは山を切り拓いて建造されており、交通の便が良くなったこともあって、わずか数年のうちに発達した。


 今では王都に行くのにも、ポトを経由して新街道を通るのが一般的になっている。

 そのため今、旧街道を歩いているのは、ナナエとロディウスの二人だけだ。


 山と森とを迂回してぐねぐねと曲がる旧街道には、寄り添うように小さな村があったのだが、今では大抵の村民がポトへと引っ越してしまったため、空き家だけが取り残された状態になっている。


 旧街道に入る前に屋台で買ったサンドイッチを食べながら空を見上げれば、山の陰に赤い光を残して太陽が沈もうとしていた。

 東の空は早くも夜の色に染まりつつある。

 山を迂回して造られたこの旧街道は、ひたすらに長い。


 ポトを経由して新街道から馬車に乗れば、あの太陽が沈む頃にはヴェヌスの街に着いていただろうが、事件現場である街を通りたくはない。

 役人に見つかる恐れもあった。


 夜通し歩けばヴェヌスに入れるが、宿も店も閉まっている時間だろう。

 ナナエの家はヴェヌスの端の海に面した場所にあるため、それこそ着くまでに夜が明けてしまう可能性が高い。


 ヴェヌスの街は、水の国の中でも王都に次ぐ広さを誇る、大都市なのだ。


 ロディウスがナナエを抱えて飛んで行くという案も出たが、夜とはいえヴェヌス程の大きな街だと、市中警備の数も多い。

 姿を見られては厄介だということで、敢えなく却下された。


 結局、今夜はその辺の空き家を借りて休むことになった。


 空き家とは言っても、ポトの街ができたのは二十年も前のことで、この村の家々もそれだけの年数放置されており、屋根や壁が崩れているものも多い。

 まだ家の形を保っているものを見つけた頃には、空は黒一色に変わっていた。


 ロディウスが家から持ってきたランプに火を点ける。

 ロディウスはランプを必要としていないので、ナナエのために持ってきたのだろう。


 ナナエは家の中で眠れそうな場所を探した。

 しかしどの部屋も埃が積もっていて、このままでは眠れそうにない。


 ベッドも壊れていたし、そもそも一つしかなかったので、ナナエは入り口に近い部屋で寝ることにした。

 おそらく、リビングとして使われていた部屋だろう。


 寝るのに丁度良さそうなソファがあった。

 当然埃まみれだったが、綺麗にはらってから使えばいい。


 外の井戸はまだ使えそうだったが、流石に風呂は無理だ。


 一日歩き通しで、汗や土埃で汚れた身体を洗いたかったのだが、今日のところは我慢。

 井戸から汲んできた水で顔を洗えるだけでもよしとしよう。


 ナナエは水を絞ったタオルで顔や手足を拭いた。

 ロディウスにも勧めたが、彼はなぜかそれを断った。


「顔くらい洗えば? 結構汚れてんじゃん」


「ああ、いいって別に」


「よくねえよ。つーか、そっちが良くてもオレが気にするっつーの」


 そう言ってナナエが荷物から出したタオルをロディウスに投げると、目が見えないはずの彼は、空中でそれをキャッチした。


「だからいいって……外で水浴びしてくるから。ナナエも一緒にするか?」


「ばっ……! するわけねぇだろこの馬鹿!」


 ニヤニヤ笑いながら言ったロディウスに、ナナエは顔を赤くして怒鳴り返した。

 ロディウスは笑みを浮かべたまま家の外に出て、ドアのところで一度振り返る。


「覗いちゃやあよ」

「覗かねえよ!」


 ナナエが投げた濡れタオルは、寸前で閉じられたドアに当って虚しく床に落ちた。




 ナナエがソファの上に寝転がっていると、数分もしないうちにロディウスが戻ってきた。

 湿っぽくなった長い銀の髪が、背中に張り付いている。


 襟の広い上着は脱いでいるのに、目を覆うように巻いてある黒い布はきっちり巻き直してある。


 寝るときくらい取ればいいのに、と思いながら、ナナエはロディウスを見上げていた。

 薄明るいランプの光に照らされるロディウスの髪を見て、ついなんとなく胸元に落ちた自分の髪を一房摘んで見比べる。

 ナナエの髪は明るい茶の色をしていて、以前共に暮らした子供たちに、ミルクチョコレートの色だと言われたことがある。


 今ではろくに手入れもしていなかったこともあり、毛先はぱさぱさ、枝毛も増えた。


 ところが奴の髪といったらどうだ。

 到底手入れなどしているようには見えないのに、艶のある長い銀糸は世の女性が羨むに違いない。


 ナナエはなんだか悔しくなってきて、ちぇ、と小さく舌打ちをした。


 耳が良いロディウスにはしっかりと聞こえていたが、特に何も言わずに部屋の隅に腰を下ろした。


「明日も早いんだから、あんまり夜更かしするんじゃないぞ」

「わかってるよ」


 ロディウスに言われて、ナナエはむすっと口を尖らせた。

 子供扱いされているようで、なんとなく腹が立ったからだ。


「おやすみっ」


「……ああ、おやすみ」


 隙間風が頬を撫でるのを感じながら、ナナエは目を閉じた。


 こうやって誰かにおやすみやおはようを言うのも、随分久しぶりな気がする。

 皆で暮らした『月の家』を出て以来だろうか。


 昔の夢を見そうだなと思いながら、ナナエの意識は眠りの水底へと落ちていった。




「……やっぱり反対だ。ナナエとは、ヴェヌスで別れた方がいい」


 ぽつりと呟いたのは、ロディウスだ。

 誰に言うでもなく呟き、暗闇の中で髪を掻き上げる。


 ガレットはナナエを、ロディウスの護衛を兼ねた囮にしようとしたのだが、ロディウスは納得していない。

 危険を承知で、一人で片付けるつもりだった。

 このときまでは。

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