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TRUE DAWN  作者: 三九
14/18

月の精霊――誇り高き戦士に愛を――

 部屋の中を照らしていた蝋燭が、短くなり消えた。

 ロディウスは気付いていなかったが、今はもう大分遅い時間だ。

 夜の闇は静寂と共に室内を支配する。

 カーテンの隙間から差し込むかすかな星明かりが、ナナエの瞳に映り込んでいた。


「つ……」


 ぎしりとベッドが軋み、ロディウスが小さく呻く。

 静かな部屋の中では、そんな音さえ大きく響くような気がする。


「あ……痛み止め、飲む?」


「嫌だ。あれ飲むと感覚が鈍る。ナナエをちゃんと感じられなくなっちまうだろ」


「恥ずかしいこと言うな、馬鹿」


 少しだけ顔を赤くしたナナエが、ロディウスの上で呟いた。

 傷のせいで熱が上がっているロディウスの身体は、熱い。

 もっとも、今やその熱は傷のせいだけではないが。


 ナナエの指先が、ロディウスの頬に触れる。

 そのまま顔の上半分に残る火傷の痕を、そっとなぞった。

 かつて両の瞳があったはずの場所は、ただ歪に引きつれている。


「ロディウスのこと、全部教えてよ。ちゃんと、本当のこと」


「……ああ」


 ロディウスは、ナナエの背を撫でていた手で彼女を抱き寄せ、己の胸上に招いた。

 まだ生々しい肩の傷に触れないように、ナナエは起き上がろうとする。

 だがそれより早く、ロディウスは更にナナエを抱き寄せ、彼女の耳を甘噛みした。


「ぅあっ、何……っ?」


 ナナエが驚きで顔を真っ赤にして声を上げる。

 ロディウスはナナエの反応を楽しんでいるかのように、小さく笑った。


「知らないのか? 獣人はな、耳を噛んで親愛の情を伝えるんだよ」


「へ、へぇ……普段からそんなことすんだ?」


「馬鹿。こういうときしかしない」


 ナナエは益々顔を赤くした。

 もうロディウスの身体より、自分の顔の方が熱くなっている気がする。

 重ねた肌は熱すぎて、もう何も考えられなかった。




 ロディウスのいた群れは、父を長とする家族で構成されていた。

 獣人は一夫多妻であることが多く、ロディウスには母が七人おり、兄弟は全部で十一人いた。


 ヴォルフの母だけは獣人ではなく、人間だった。

 線が細く、太陽の光そのもののような美しい金の髪と、まるで子供のように小さな身体。

 一見、儚い花弁のようにも見える彼女だが、家族の誰よりも芯は強かった。

 獣人に惚れた変わり者だと、自分から豪語していたのを聞いたことがある。


 ロディウスは物心ついた頃から、その人間の母を慕っていた。

 思えば、それが初恋だったのだろう。

 ロディウスは常に彼女の傍にいるようになり、生まれたばかりのヴォルフとも、すぐに仲良くなった。


 だがある日、彼女は突然の病で倒れてしまう。

 不慣れな山での暮らしが、原因の一つであることは間違いなかった。


 獣人は実力主義である。

 弱い者にも甘くはない。

 彼女が群れにとって足手まといにしかならないと判断されたなら、彼女は見捨てられてしまうだろう。

 ロディウスはどうしても、彼女を助けたかった。


「人間の街にはね、イシャっていうのがいて、どんな病気も治せるクスリを持ってるんだって」


 誰に聞いたのか、今となっては思い出せない。

 だが、その言葉がロディウスにある決心をさせた。

 彼女のために一人で人間の街に行き、薬を手に入れようとしたのだ。


 人間の街では、何かを手に入れるには『金』というものが必要なのだということは知っていた。

 しかし獣人の子供が薬を買える金など持っているはずもなく、施療院から盗むしかなかったのだ。


 ロディウスは薬を奪って逃げる途中で見付かり、人間たちに捕まってしまった。

 なんとか逃げ出したが、人間たちも必死だ。

 何しろ、子供とはいえ相手は凶暴で野蛮な獣人なのだから。


 ついには山狩りまで始め、そのうちに興奮した人間たちは山に火を放った。

 彼らの誰もが、その行為を正義だと思っていただろう。

 自分たちは蛮族である獣人を退治するため戦ったのだと。


 当時は乾燥していた季節だったため、火の回りは非常に早かった。

 追っ手をやり過ごそうと隠れていたところ、たちまち周囲を火に囲まれてしまった。


 群れにこのことを伝えなければ。

 そう思って必死に山を登った。

 燃え盛る炎で肌が焼け、髪を焦がし、足から血を流しながらも、ロディウスは走り続けた。


 どれ程の時間を走っただろう。

 とてつもなく長い時間に感じられたが、実際は数分程度だったのかもしれない。


 群れに戻る途中で、兄がこちらに向かってくるのが見えた。

 炎を反射して、赤く揺れる金髪。

 すぐにレイオンだと解った。

 自分を捜しに来てくれたのだと思ったが、それは間違いだった。

 レイオンは、この火事の原因を既に知っていた。

 兄は、弟を罰するために来たのだ。


 何故人間の街へ行ったのか。

 人間に関わらなければ、こんなことにはならなかったのに。

 そう叫ぶ兄の言葉は、正しいことのように思えた。

 一人で街へ行かず、父に相談すれば良かったのか?

 盗みを働いたりせず、人間に事情を説明すれば良かったのか?

 それとも、彼女を見捨ててしまえば良かったのか?

 ロディウスには解らなかった。


 胸ぐらを掴まれて、レイオンに何度も殴られながら、ロディウスはただ謝ることしかできなかったのだ。

 泣きながら、ひたすらに許しを請うロディウスを、レイオンは許さなかった。

 燃える木に顔を押しつけられ、ロディウスはそのときに、両の目を失った。




 狭いベッドで、ロディウスとナナエは身体を密着させるように抱き合っている。

 すぐ傍にいるナナエに、ロディウスは自身のすべてを話して聞かせた。

 話しだす前まで、喉の奥を締め付けられるように苦しかったのだが、言い終えてみればどうと言うこともなく、客観的に自分を見つめ直すことができたような気がした。

 だがナナエの顔は悲しみに歪められた。


「何で、ロディウスが罰せられなきゃなんないのさ。火ぃ点けた人間が悪いんじゃないか」


 ナナエはそう言うが、ロディウスはそれを否定する。

 元はと言えば、一人で勝手に人間の街に行き、薬を盗んだ自分が悪いのだと。

 ああ、やっぱりレイオンの言うことが正しかったのだと、ロディウスは口には出さずにそう思った。


「最初に悪いことしたんだから、報いを受けるのは当然だろう?」


「でも、ロディウスはヴォルフの母さんのために……」


「罪に理由は関係ない。結果がすべてなんだよ。誰かを助けたいからといって、罪を許して良いなんてことは、絶対にないんだ」


 ロディウスは自分に言い聞かせるように言う。

 その言葉は、今まで盗みを働いていたナナエに、重く圧し掛かった。


「オレも、報いを受けて当然、かな。どうしたらいいんだろ……」


 目を伏せて擦り寄ってくるナナエの背を、ロディウスはそっと撫でさすった。

 その手の温もりが伝わってきて、ナナエは彼を見上げる。

 目の前にある唇が、静かに開かれた。


「償えばいいのさ。今まで盗んだ分、ちゃんと働いて返せばいい。罪に与えるべきなのは、罰じゃなくて、償いだと思う」


 ロディウスの優しい声に励まされるように、ナナエはしっかりと頷いた。


 その後も二人でずっと喋っていたが、いつしかナナエは眠ってしまい、隣からかすかな寝息が聞こえ始めた。


 ロディウスはしばらくの間、ナナエを抱き締めたままぼんやりとしていたが、やがて東の空が白み始めた頃、静かに起き上がった。

 窓枠に、かすかな気配を感じたのだ。


 そこにいたのは、小さな鼠が一匹。

 しかし、明確な意思を持ってロディウスを見ている。


 その鼠の鳴き声を聞いて、ロディウスはナナエを起こさないようにベッドから抜け出した。

 片腕だけでなるべく手早く衣服を身に付け、音を立てぬように窓を開ける。


 冷たい朝の空気が、部屋の中に流れ込んでくる。

 ロディウスは振り返ることなく、窓の外に身を踊らせた。




 明け方、寒さを感じてナナエは目を覚ました。

 眠気の抜けない頭で、何故自分がこの部屋のベッドで寝ているのか考える。

 そして唐突に昨夜のことを思い出し、恥ずかしさで完全に目が覚めた。


「ロディウス……?」


 隣に目を向けると、そこに寝ているはずの青年がいない。

 起き上がれるようになったから、顔でも洗いに行ったのかとも思った。

 だが、わずかに開いた窓で揺れるカーテンを見ると、胸の裡に不安が膨らむ。


 嫌な予感がして、ナナエはベッドから降りた。

 服を着て部屋のドアを開ける。

 廊下にもロディウスの姿はない。

 ナナエは急いで他の部屋を見て回った。


「おっさん!」


 ガレットが寝ていた部屋のドアを開けて、勢い良く中に飛び込む。

 その部屋にも、ロディウスはいなかった。


「な、何だ? どうかしたのか?」


 驚いて飛び起きたガレットが、寝呆け眼でナナエを見ている。


「ロディウスが……どこにもいないんだ!」


 ナナエの言葉を聞いて、ガレットはそれがただ事ではないとすぐに理解した。

 家の中ならいざ知らず、あの怪我で外を歩くなど。


 ガレットも家中を見て回ったが、やはりロディウスの姿は見えない。

 何事かと起きてきたダルも、ロディウスの姿は見ていないようだった。


「あの兄ちゃんがいなくなったぁ? いったい何時?」


「さ、さっき起きたらもういなくなってて……お、オレがちゃんと起きて見張ってなかったから……!」


 狼狽して今にも泣きそうなナナエの肩を叩き、ガレットは首を振った。


「お前さんのせいじゃないさ。とにかく、外を捜してみよう」


「そうだぜ。ひょっとしたら、あのガキんちょを捜しに行ったのかもしれないし」


 ナナエが頷いたのを見て、二人は家を飛び出した。

 ナナエもすぐにそれに続く。

 三人はそれぞればらばらの方向を捜しに走った。


 ナナエは町外れの森へと向かった。

 レイオンと闘った、あの森だ。

 何故かは解らないが、ロディウスはそこにいると、そう思ったのだ。




 ナナエたちが起きだす少し前、ロディウスは先日の森の中に足を運んだ。

 窓枠に佇んでいた鼠は、レイオンからの使者だったのだ。

 弟を返してやるから、森に来いと。


 ロディウスはふらつく足取りで森に向かった。

 痛みと熱でまっすぐ歩けず、街の外に出るだけでも苦労した。

 それでも、ロディウスは立ち止まることなく森を進む。

 木々の間をすり抜け、藪を掻き分け、枯れ草を踏んで奥へと急いだ。


 群れを追い出されたあの日、ロディウスは同じ境遇のヴォルフを置いて山を降りた。

 煙に巻かれて知能に障害を持ったヴォルフも、群れの中では孤立していた。

 そんな弟を庇って牙を剥くでもなく、弟の手を引いて保護するでもなく、ロディウスは群れに背を向けた。

 逃げ出したのだ。


 だから今度こそ、立ち向かわなくてはならない。

 それが、ヴォルフを見捨てた自分にできる、唯一の償いだと思ったから。


 決意を秘めて踏み出したロディウスの足下で、枯れ枝がぱきりと折れた。


「……来たな」


 ロディウスの前方から、重低音の声が聞こえる。

 大きな木に寄りかかって、レイオンが待っていた。


 その足元にはヴォルフが倒れている。

 わずかに血の匂いがして、ロディウスは足を止めた。

 それがどちらのものか解らなかったが、少なくともヴォルフは殺されている訳ではない。

 レイオンは約束だけは守る男だ。

 ヴォルフを返すと言ったからには、ヴォルフを殺してしまうことなど有り得ない。


 ロディウスは知らなかったが、レイオンはナナエに付けられた傷がまだ治りきっていないのだ。

 ロディウスが嗅ぎ取った血の匂いは、レイオンのものである。

 ヴォルフが生きていることは解るが、しかし起き上がってくる様子はない。


「ヴォルフは無事なのか?」


 レイオンから距離を置いたまま、ロディウスが声を上げる。

 レイオンは爪先でヴォルフを軽く蹴飛ばした。

 ヴォルフはごろんと仰向けに転がり、小さく呻く。

 どうやら眠っているだけらしい。


「何もしてはいない。ヴォルフは無事に返してやろう。その代わり、貴様の命を差し出せ」


 そう言って、レイオンはロディウスにある提案を持ちかけた。

 それは、一連の騒動を鎮めるための、取引だ。


 その話を聞いたロディウスは少なからず衝撃を受けた。

 ある程度予想はしていたが、まさかそんなことになっていたとは、夢にも思わなかったのだ。

 レイオンの言う通りなら、この騒動を解決するためには、そうするしかないと思われた。だが。


「正直、信じ難い。その話は真実なのか?」


 レイオンの話は突拍子もなさすぎて、出来の悪い物語でも聞いているような気分だった。

 だが、ロディウスを殺すためだけに、こんな作り話をする必要性はどこにもない。

 レイオンが本気になれば、今のロディウスなど簡単に捻り潰せるのだから。


 しかし次の一言で、レイオンが嘘など言っていないと確信した。


「レイオン=レザフォードの名にかけて言う。これは真実だ」


 獣人が名を掲げるのは、命を賭けているのと同義なのだ。

 名を賭けて言う言葉には、一片の嘘さえ雑じっていない。


 ロディウスはようやく、レイオンの言っていることが真実なのだと理解した。


「そういうことだ。さあ、お前の命を差し出せ。苦しまずに殺してやろう」


 レイオンが近付いてくる。

 真相を知った今、ロディウスが抗うことはない。


 レイオンの鋭い爪が、ロディウスの心臓を貫いた。


「………………」


 ロディウスの耳元で、レイオンが囁く。

 ただ一言、すまないと。


 ロディウス身体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。

 レイオンは手に付いた血を舐め取り、死に往く弟に背を向けた。


 次第に遠退いていく意識の中、ロディウスは誰かの声を聞いたような気がした。

 誰かが、どこかで、自分を呼んでいる。


 あれはきっと、ナナエの声だ。

 ナナエが、名を呼んでいる。


 それは幻聴かもしれなかった。

 しかしロディウスには、必死に自分を呼び続けるナナエの姿が視えるような気がしたのだ。

 ロディウスの意識が、一瞬だけ強く蘇る。


 まだ、死ねない!


 これで影の事件が解決するならば、世界が救われるならば、死んでもいいと思った。

 たった一つの誇りさえ失った自分でも、この世界の役に立てるなら、それでもいいと思えた。


 だが、違う。


 自分が誇るべきだったのは、翼などではなかった。


 種族という垣根を越えて、信頼できる仲間ができたこと。

 愛すべき人ができたこと。


 それこそが、ロディウス=レザフォードの誇りなのだ。


 ああ、世界を守護する精霊たち。

 どうかこの、愚かな男の願いを聞いてくれ。

 最期にもう一度、あの少女の声を聞かせてくれ。

 ロディウス=レザフォードは今、こんなにも


「生、き……たい――」


 ロディウスの声が、風に掻き消された。

 彼の、最期の声を聞いた者は……




「ロディウスっ!」


 悲鳴にも似た少女の声が響く。

 それは、彼が最期まで求め続けた声だ。

 だが彼はもう、少女の声を聞くことはできない。


 少女が――ナナエが駆け付けたのは、ロディウスの命の火が燃え尽きた後だった。




 森の中、ナナエが目的の人物を捜し当てたとき、彼は地に伏していた。

 この距離でもはっきり解る、血の匂い。

 ナナエは走る速度を上げた。


 倒れた彼から少し離れたところに、見知った男がいた。

 男は彼に背を向け、森の奥へと歩いていく。

 あの男は敵だ。

 急いで彼を助けなくては。


 ナナエは大声で彼の名を呼んだ。


「ロディウスっ!」


 しかし彼は動かない。


 彼の兄であるその男は、完全に森の中へと姿を消した。

 今はあの男に構っている暇などない。

 ナナエは彼に駆け寄り、何度もその名を叫んだ。


「ロディウス! ロディウスっ!」


 ナナエは彼を抱き起こした。

 夥しい量の血が、地面を、草花を、紅く染めている。

 彼の銀の髪にも、紅い染みは広がっていた。

 それはナナエの服にも染み込んでくる。


 どう見ても重傷で、ナナエは止血だけでもしようと傷口を押さえた。


「ロディウス、しっかりしろ! 今、おっさん呼んできてやるから! だから……

 ロディウス……?」


 ナナエはある異変に気付いて、彼の口許に手をかざした。


 息をしていない。


 そんなはずはないと何度も確かめてみたが、呼吸はおろか、心臓の鼓動さえ伝わってこないのだ。


「う、嘘……そんな、ある訳ない!」


 目の前で冷たくなっていく現実を信じられずに、ナナエは何度も彼の名を呼んだ。

 だが、叩いても揺り動かしても、彼は二度とナナエの名を呼ぶことはなかった。


「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ! こんなの、オレは絶対信じない!」


 悲痛な声で叫び、激しく首を振って彼を抱き締める。


 何時の間に目を覚ましたのか、ヴォルフが起き上がり這ってきた。

 ヴォルフは泣き叫ぶナナエと、動かない兄を見つめて、呆然と呟く。


「にぃ……どうした? ナナエ、なんで、泣いてる……?」


 ただならぬナナエの様子に、ヴォルフも事態を理解した。

 だがどうすれば良いのか解らず、その場に座り込むしかなかった。




 ガレットたちが来たのは、この直後だった。

 ダルも風を使って捜そうとしたのだが、何故か風が何も伝えてこなかったのだ。

 風の声が聞こえなくなった訳ではない。

 風はすべてを知っていて、敢えて何も言わなかったように感じた。


 しかし、今はそんなことをあれこれ考えているときではない。

 ロディウスを抱きかかえ泣き叫ぶナナエを、どうにかガレットの家に連れ帰り、ロディウスの遺体は森の中に埋葬した。


 獣人の葬儀など、行ってくれるところはない。

 自分たちだけで、静かにロディウスに別れを告げた。


 怪我をしているダルに代わり、ヴォルフがよく働いてくれた。

 自分もショックを受けているだろうに、率先して力仕事を引き受けていた。

 夕方頃にはようやくナナエも落ち着いてきたようで、ヴォルフと共にロディウスに花を添えに行った。


 森の一角に立てられた杭が、ロディウスの墓標だ。

 そには、数本の白い花が添えられている。

 ナナエとヴォルフは、その前に座ってぼんやりと花を眺めていた。


 ナナエの目は、泣き腫らして真っ赤だ。

 隣に座ったヴォルフは、いつになく真剣な表情で兄の墓標を見つめている。

 その目に、涙の跡は見られない。


 膝を抱えて座っていたナナエの目から、涙が一粒零れ落ちる。

 まるで枯れることを知らないのか、いくら泣いても次々と溢れてくるのだ。

 ナナエは涙を止めようとして、強く目をこすった。


「ナナエ……」


 前を向いたままで、ヴォルフが呟く。

 ナナエは目をこすって顔を上げた。


「涙、隠さなくていい。泣きたいとき、泣く、悪いこと違う」


 今まで聞いたことがないくらい、優しい声だった。

 まさか、ヴォルフがそんなことを言うなどと思っていなかったナナエは、驚いたように瞬きする。


「……ナナエ、どうした?」


「らしくないこと言うからだ。馬鹿ヴォルフ」


 膝を抱え顔を埋めて、ナナエは鼻声で言う。

 自分だけこんなに大泣きしているのが恥ずかしくて、ナナエはぎゅっと目を閉じた。

 悲しいのはヴォルフだって同じなのに、ヴォルフは涙を見せようともしない。


「ヴォルフだって、泣けばいいじゃん」


 顔を膝に埋めたままで言うと、ヴォルフは静かに首を振った。


「ヴォルフ、泣かない」

「悲しくないのかよ?」


「悲しく、ない」


 またしても予想外の言葉に、ナナエは顔を上げた。

 急激に頭に血が昇り、思わずヴォルフの胸倉を掴む。


「悲しくないって、どういうことだよ!」


 ヴォルフは静かにナナエを見つめ、そっとナナエの手を外した。


「ロディウスは、精霊になるんだ。

 大地に、雨に、風になって、世界を巡り、祈りの炎に、癒しの光に、混沌の闇の中にも、ロディウスはいる。

 世界を支える精霊になって、ヴォルフたちを、見守ってくれるんだ。

 いつだって、傍にいる。だから、ヴォルフ、悲しくない」


 ヴォルフの目には涙は見えないが、その声は所々震えていて、握り締めた両手には、わずかに血が滲んでいた。

 歯を食い縛っているのは、嗚咽が漏れるのを堪えているのだろう。


 いつもはとんだ泣き虫なのに、こんなときだけ強がるのは、ずるいではないか。

 ナナエはそっと手を伸ばして、ヴォルフの髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。


「この意地っ張り。ヴォルフだって悲しいんじゃないか」


「ヴォルフ、悲しく、ない。にぃと、約束、した。泣かない」


 ヴォルフはムキになっているようだが、兄と約束したと言うだけあって、その目から涙が零れることはなかった。




 日も暮れかけて、ナナエとヴォルフは立ち上がる。

 そろそろ戻らないと、ガレットたちが心配するだろう。

 歩きだしたナナエを追う足を一度止めて、ヴォルフは振り向いた。


「ロディウス……ごめん。今度は、ちゃんと償う、から」


 小さく呟き、急いでナナエの後を追う。

 一陣の風が通り過ぎ、墓前の白い花を舞い上げた。

 白銀の花弁は、風に舞って高く高く翔ぶ。

 やがて花弁は、夕闇の空に融けて消えた。

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