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TRUE DAWN  作者: 三九
12/18

闇の聖王――占術士の正体――

 翌朝は、三人そろって目が覚めた。


「おはよー」

「おう。あー、なんか……」

「夢でも見たのか?」


 まだ眠そうに目をこするヴォルフとナナエを余所に、ロディウスはさっさと身支度を整える。

 一番寝起きが良いのはロディウスだ。

 ほぼ同時に起きたはずなのに、ナナエがようやくまともに覚醒する頃には、既に顔を洗って着替えている。

 この差は何なのだろうかと疑問に思いつつ、ナナエもベッドから降りて行動を開始した。


 ちなみに、ヴォルフはまだ寝ぼけた顔でぼんやりしている。

 朝はとことん弱いらしい。


 今日は聖王と約束していた会見の日なのだ。

 この城を調査する最後のチャンスである。

 聖王から聞き出すか、もしかしたら直接占術士本人に会えるかもしれない。

 まあ、その辺の交渉はロディウスが上手くやってくれるだろう。


 つつがなく朝食を終え、三人は会見のために用意された部屋へと乗り込んだ。




 その部屋は、やや奥まったところに設けられていた。

 外からの襲撃に備えてのことなのか、或いはロディウスたちの目的を知っていて、外に逃がさないためなのか。


 部屋に通され待つことしばし。

 供の者に連れられて、聖王が扉をくぐり現れた。


 初めて聖王の姿を見たナナエは、目を疑った。

 そこに現れたのは、どう見ても二十代前半か、まだ十代と言っても通じそうなくらい若い男だったのだ。

 黒い髪に黒い瞳、着ている礼服も暗色のものばかりで、病的に白い肌がとても目立つ。

 この貧弱そうな男が、各国の頂点に立つ聖王だなどと、言われなければ解らないだろう。


「やあ、お待たせしてすまないね。僕が三十二代目聖王、クリストフ=エル=ド=ルーナーです」


 聖王は丁寧に腰を折って挨拶し、席に着いた。

 物腰は柔らかで、穏やかな声が周囲に安らぎを与えるような人物だ。


 だが、彼の声を聞いたロディウスは、一瞬だけ驚いたように息を呑んだ。

 ナナエとヴォルフはロディウスの様子に気付き、ちらりと彼を盗み見る。


 彼らの正面にいた聖王も、ロディウスの表情の変化に気付いたのだろう。

 不思議そうに首を傾げる。


「僕は何か、気に障るようなことを言ったかな?」


 その言葉に、ロディウスは慌てて首を振った。


「いや、すまない。知り合いの声に、とてもよく似ていたものだから……」


 咄嗟に誤魔化すことはできたが、ロディウスにはどうしても、引っ掛かることがあった。

 聖王の声に、聞き覚えがある。

 だがその声は、大分前に消息が途絶えた、あの人物の声なのだ。


 同じ人物であるはずがない。ただ、声が似ているだけだ。


 ロディウスは無理矢理そう思うことにして、聖王に挨拶を返した。


「この度は、わざわざ時間をとっていただき感謝している。

 生を司る者の代表、ロディウス=レザフォードという。貴公らが獣人と呼んでいる者だ」


 右手を胸に当てて頭を下げる。

 そのロディウスを見て、聖王は上品に微笑んだ。


「レザフォード……獣人でも最も強い群れの名だね。先代の名は確か、グレイズ=レザフォードだったかな」


 その聖王の言葉に、今度こそロディウスの表情が固まった。

 隣でそれを見ていたナナエにも、知らず緊張が走る。


 あのロディウスがこんなに緊張している姿を見るのは、初めてだ。

 だから自分もつられて緊張してしまっているのだろうか。

 だが、この不安は何だ。 聖王の言葉に、言い知れぬ不安を感じるのは……


 そう感じていたのは、ナナエだけではないようだ。

 ロディウスは勿論、鈍いヴォルフでさえ、表情を固くしている。


 ナナエは必死に考え、そして気付いた。


(なんで、聖王が獣人の先王の名前を知ってるんだ?)


「随分、詳しいようで……誰から聞いた?」


 かすれた声でロディウスが訊ねる。

 聖王は、笑みを崩さずに一層目を細めた。


「僕は、何でも識ってるんだよ。優秀な占術士がいるからね」


 そう言った直後に、奥の部屋に続く扉が小さく開いた。

 ゆっくりと、音もなく開くその扉の向こうから、フードを被った一人の男が姿を現す。

 あれが、噂に聞いていた占術士なのだろうか。

 顔はフードに隠れてよく見えないが、かなりの大男である。


 ナナエがその男の姿を確認したと同時に、ロディウスが勢い良く席を立った。

 はずみで椅子が後ろに倒れる。

 見ればヴォルフも、驚いたような顔で腰を浮かせていた。


「どうしたの? 知り合いだった?」


 そんな二人の様子にも変わらぬ笑みを浮かべたままで、聖王は朗らかに尋ねる。

 ナナエにもようやく、この聖王が普通ではないことに気付いた。

 聖王は、明らかにロディウスたちの態度を愉しんでいる。


 ナナエは思わず腰に手を伸ばし、そして部屋に剣を置いてきてしまったことを思い出した。

 和平交渉のための会談ということだったため、そもそも剣など持って入れなかっただろう。

 今更過ぎたことを悔やんでも仕方ない。

 もしここで騒ぎになったら、素手で切り抜けなければ。


 ナナエはすぐに立ち上がれるように、足に体重をかけて、わずかに上半身を沈めた。

 その間にも、ロディウスとヴォルフの緊張は高まっていく。


「なんで、こんなところに……」

「にぃ……」


 二人の呟きが聞こえる。

 その声に滲んでいるのは動揺と、恐怖。


 聖王の顔が、歪んだ笑みを形作った。


「先程の質問の答えだけど、彼から聞いたんだ。レイオン=レザフォードにね」


 聖王の言葉が終わらないうちに、ロディウスは迷わず踵を返した。

 ナナエとヴォルフの腕を掴み、強引に立たせる。


「ヴォルフ、開けろ!」


 ロディウスは弟を前に押し出し、ヴォルフはその勢いを利用して、通路側の扉を、扉の前に立っていた警備の人間共々蹴り開けた。


 占術士がフードを脱ぎ捨てたのは、丁度その瞬間だった。


 ロディウスに引きずられるようにしていたナナエは、その一瞬で占術士の顔を見る。


 黄金の髪、褐色の肌、尖った耳に、黄金の目。


 間違いない。

 獣人だ。


 レイオン=レザフォードと呼ばれた占術士が足を踏み出す前に、ロディウスに手を引かれながらナナエは部屋の外に出た。

 そのまま通路を疾走する。

 ヴォルフも、ロディウスも、後ろを振り返らずに走っていく。

 何も理解できなかったが、これだけははっきりと解った。


 彼らは、逃げているのだ。あの獣人から。


「ヴォルフ、外へ! 窓を壊せ!」


 ロディウスの声に従い、ヴォルフは通路の突き当たりにある窓を蹴り割った。

 その勢いのまま外に出る。


 しかしそこは地上から遥か上、王宮の六階の窓だった。

 当然ヴォルフは下に落ちていく。

 その後を追って、ロディウスがナナエの手を引いたまま、窓から飛び出した。


「ちょ……っ!」


 ナナエが制止させる間もなく、二人の身体は宙に踊る。

 落ちる! と思った瞬間、ロディウスの姿が変化した。


 人の姿から、鳥の姿へ。


 反射的に、ナナエはその背にしがみ付く。

 ロディウスは鉤爪の付いた足を使い、ヴォルフを空中で捕まえた。


 二人を抱えてなお、風の如きスピードで、一羽の隼は宙を駆ける。

 王宮は見る見る遠ざかり、街のざわめきも聞こえなくなった。


 ロディウスは、馬車で三日はかかる道のりを、半日もしないうちに駆け抜けた。

 しかし流石に二人を抱えて飛び続けるのは疲れたのか、彼は人気のない森の中に降り立った。


「にぃ、大丈夫?」


 ヴォルフが心配そうに訊ねる中、ロディウスは人の姿に戻り息を整える。


「ああ……それより、早くここから離れるぞ。ナナエ、ここから一番近い国はどこだ?」


「えっ、ここからだと……水の国だけど」


「そうか。行くぞ」


 ロディウスは短く言って歩きだした。

 ヴォルフも後に続く。

 事態を飲み込めていないナナエは、少し遅れて二人の後を追い掛けた。


 ロディウスはまっすぐ東に歩いていく。

 動物の中には、目を閉じていても方角が判るものがいるというが、獣人にもその能力はあるらしい。

 やや急ぎ足の二人に引き離されないように、ナナエは必死に足を動かした。


「な、なあ、いったい、何がどうなってんだよ? あいつ、何だったんだ?」


 事情を知らないままでは今後の行動に支障が出る。

 そう判断したナナエは、歩きながらでもロディウスに説明を求めた。

 歩く速さは緩めぬままで、ロディウスは口を開く。


「あの占術士は、レイオン=レザフォード。父に代わって群れの長になった、一番上の兄だ」


 そう言ったロディウスの顔は、心なしか青ざめて見えた。


 何故、レイオンが聖王の許にいるのかは解らない。

 しかし、聖王の口振りからすると、あの二人が協力関係にあるのは間違いない。


 だとすれば、一連の事件の犯人は、占術士ではないことは確かだ。


 いくら謎の多い獣人とはいえ、影を生み出すような技術は伝わっていないからだ。

 それはロディウスが保証する。


 そしてもう一つ、解ったことがある。


 あのとき聞いた聖王の声。

 ロディウスにはあの声に聞き覚えがあった。

 あれは、精霊学者ヨハネスト=ダークのものだ。


「ダークって……捕まったんじゃなかったのか? それがなんで、聖王になってんだ?」


 ロディウスの話を聞いていたナナエが、驚いたように声を上げた。

 ロディウスにもその理由が理解できないらしく、「わからない」と言って首を振る。


「くそ……ガレットがいれば、顔が判別できたのによ……」


 珍しく乱暴な声で呟く。

 ダークも黒髪黒目だが、それは然程珍しい色ではない。

 聖王国にも、少し南の方に行けば、同じような髪や目の色をした人間が沢山いる。


 元より盲目のロディウスは、ダーク本人の顔も見たことがない。

 ダークの人相は聞いたことがあるものの、ナナエから聞いた話だけでは、聖王とダークが同一人物かどうかは解らなかった。


 しかし、水王に報告だけはせねばなるまい。

 三人は水の国の王都を目指し、先を急いだ。




 黙々と水の国の王都に向かい、歩み続ける。

 ロディウスは体力が回復すると、二人を抱えて空を駆けた。

 地を歩くより、休憩しながらでも空を飛んだ方が早い。


 日が沈みかける頃には、水の国の国境にたどり着くことができた。

 追っ手がないことを確認し、ロディウスは半獣化を解いて地に降りた。


「ここまで来れば、一安心かな……」


 疲れの滲んだ声で呟き、大きく息を吐く。

 そのとき、近くの茂みががさりと揺れた。

 三人はぎくりと身を竦ませて振り向く。

 しかし、そこから出てきたのは追っ手ではなく、見覚えのある顔だった。


「や、やっと見付けた……」


「あんた……」


 ナナエは彼の顔を見て、あっと口を開いた。

 彼は水の国の城で会った、風の国の民だったのだ。名前は……


「ダムだっけ?」


「ダルでス」


 その目つきの悪い男は、がっくりと項垂れた。




「風に呼ばれたんだ。聖王国からお宅らが帰ってくるから、迎えに行けってさ」


 ダルはあれからずっと、水の国に身を置いていたらしい。

 ガレットの護衛役であるロディウスが国を離れてしまうため、その代わりに残ったのだそうだ。


 三人は今、ダルと共にある街を目指している。

 そこにガレットがいるので、ひとまず彼に会い、聖王の正体がダークなのかどうか確認しに行くことにしたのだ。


 しかし自然が豊かな水の国だけあって、街に近付くまでしばらくは森の風景が続く。

 追っ手が来るのではないかと背後を気にしながら、彼らは足早に森の中を歩いた。


 できればさっさと飛んで行きたいところだが、無理な飛行でロディウスの腕も限界に近い。

 彼の体力が回復するまでは、地道に歩くしかないのだ。

 風の民であるダルも、風の力を使い空を行くことは可能だが、飛ばせるのは精々一人が限界である。


「何だ何だ? そんなに後ろばっか気にして」


 ダルは先頭を歩きながら背後を振り向いた。

 先程からロディウスとヴォルフは背後に注意を向けていて、歩みが遅れがちになっている。

 それでも人間に比べたら充分速いが。


「敵さん、そんなに厄介なのかい?」


 獣人の戦闘能力の高さには、一目置いているダルである。

 その獣人である彼らがこれ程神経質になっているということは、敵はそれだけ強いということなのだろう。


 だが、ロディウスは口をつぐんだ。

 敵側に兄がいたなどと言えば、また獣人の評判が下がると思ったのだ。

 しかし、ここで黙っていても、いずれ知られてしまう。

 意を決して話そうとしたとき。その、瞬間。


 ぞわりと背筋に悪寒を感じ、背後を振り返った。


 それはロディウスだけではない。

 ヴォルフもナナエもダルも、その気配を察知していた。

 それは、言葉では言い表わせないくらいに、禍々しい殺気を放っている。


「にぃ……」


 ヴォルフが、怯えたようにロディウスにしがみ付く。


「まさか……もう追い付いたのか!?」


 ロディウスが、焦ったように呟いて唇を噛む。


「これって……あいつが来たのか!?」


 ナナエも、冷や汗を拭うことすら忘れて呟く。


「な、何だい? このばかでかい殺気は?」


 一人事情が飲み込めないダルが訊ねる。

 ロディウスはヴォルフの手を引きながら答えた。


「逃げろ! 例の占術士だ!」


 レイオン=レザフォードの気配は、もうすぐそこまで迫っていた。

 走りだしたロディウスを追い掛けるように、ナナエとダルも走りだす。


「占術士!? じゃあ、あいつが黒幕なのかい!?」


 走りながらダルが問う。

 今度はロディウスもすぐに答えた。


「いや違う! 占術士は……」


 しかしその言葉が終わるよりも早く、背後から獣の咆哮が聞こえた。

 その声で、ダルも察することができた。

「っ、獣人かい!?」


「ああ、兄だった……!」


 ロディウスの報告に、ダルは息を呑む。

 まさか、彼らの身内が敵だったとは、思わなかったのだ。


 しかし、ここは割り切らなければやられるのはこちらだろう。

 ダルは思わず眉間に皺を寄せ、元々きつい目つきが更にきつくなる。


 そのとき、背後から黒い影が近付いてきた。

 一瞬、例の影のモンスターかと思ったが、違う。


 それは大量の蝙蝠だ。


 先程のレイオンの一声で集まった、この森の住人。

 空を埋め尽くす程の蝙蝠が、一斉に押し寄せてくる。


「うわっ!」


「このっ、こいつら……!」


 蝙蝠の羽ばたきと鳴き声の合間に、皆の声が聞こえる。

 とにかく蝙蝠を追い払わないことには、逃げることすらままならない。


 ロディウスは襲い来る蝙蝠を手で打ち払い、高らかに吠え叫んだ。

 甲高い鳥の鳴き声が、森中に響き渡る。


 半数程はロディウスの呼び掛けに応じて退散したが、それでもまだかなりの数が残っていた。

 レイオンに従う蝙蝠たちだ。


 同時に二人から命令を下され、蝙蝠も混乱しているのだろう。

 すべてを追い払うのに、予想以上に時間がかかってしまった。


「くそっ……皆無事か!?」


「嬢ちゃんとガキんちょがいないぜ!?」


 ロディウスの声に答えたのはダルだけだ。

 ナナエとヴォルフは、蝙蝠に阻まれて離れたところに行ってしまったらしい。


 歯噛みするロディウスの耳に、草を踏み分ける足音が聞こえた。


 それは、一番聞きたくなかった足音だ。

 ダルが息を呑む気配が伝わってくる。


 ロディウスも牙を剥き出しにして、ゆっくりと振り向いた。


「久しいな、ロディウス」


「レイオン……!」


 酷薄な笑みを浮かべた大柄な獣人が、そこに立っていた。




「あれかい? お宅の兄さんってのは」


 ダルの声には緊張が滲んでいた。

 目の前の相手が、相当な強敵だと悟ったのだろう。

 しかも、相手の足元に二人の人影が倒れているのが見えた。


 日も沈みかけて暗くなってきた森の中では、はっきりとは見えないが、あれは間違いなくナナエとヴォルフだろう。

 二人の存在に気付いているからこそ、ロディウスも退却せずにその場に残っているのだ。


「くそ、最悪だ……」


 ロディウスの呟きが聞こえてくる。

 無傷のまま二人を救出するのは、果てしなく難しいことのように思えた。


「くく……どうした? せっかくの兄弟の再会だというのに、何故逃げる?」


 レイオンが一歩近付いてくる。

 ロディウスは無意識に一歩後退った。


 レイオンの強さは身に染みて解っている。

 群れを離れてから四年間、己も強くなったつもりでいたが、それでもまだ勝てる気がしない。


 完全に気圧されているロディウスとは違い、ダルは臨戦態勢に入っている。

 その足元に風が渦巻いていた。


「何びびってんだい!? お宅が行かないなら俺が行くぜ!」


 ロディウスが制止の言葉をかける前に、ダルは風に乗って飛び出した。


 風を操り風と一体となったダルは、常人では捕らえられない程の速度でレイオンに襲い掛かった。

 鎌鼬を飛ばして牽制しながら、ナナエとヴォルフを奪い返そうとする。


「いい度胸だ。少し相手をしてやろう」


 レイオンは自分に向かってくる無謀な人間に、にたりと凶悪な笑みを向ける。

 吊り上げられた唇を見て、ダルに一瞬悪寒が走った。

 しかしそれは恐怖などではないと自身を叱咤し、間合いを計り鎌鼬を飛ばす。


 レイオンはその場を動かない。

 そのままでは不可視の刃に胸を真っ二つにされる、はずだった。

 だがそのとき、黙って立っていたレイオンが動いた。


 鎌鼬が届く前に、思い切り拳を振り抜く。

 拳圧により突如生み出された突風が、風の刃を受け止めた。

 鎌鼬は完全に相殺されて、消え去ってしまう。


「っ、まだだ!」


 吠えながら、ダルは再び鎌鼬を放つ。

 今度は様々な角度から打ち込んだ。

 乱立している木々を利用して乱気流を作り、鎌鼬の方向を読ませないようにしている。


 これならば当たる直前に迎撃する、先程のような手段では防げまい。

 しかしレイオンは、それでも不敵な笑みを崩そうとはしない。


「少しは知恵があるようだな」


 逆に愉しそうに笑い、その巨体からは信じられない程軽い身のこなしで地を蹴った。

 不可視の刃がまるで見えているかのように、寸前で躱し、または打ち落とし、そのことごとくを沈黙させた。

 後に残るのは、疾風の余韻で流れる微風のみ。


 砂埃が舞うほんの一瞬の攻防の間に鎌鼬が切り裂いたのは、レイオンの袖のない服の裾だけだった。


「バカな……! あの数の鎌鼬を……!?」


 ダルが驚愕の呟きを零す。

 しかし、闘いの中においては、その一瞬が命取りになるのだ。


「ダル、避けろ!」


 ロディウスの声にはっと我に返ったときには、既にレイオンが間近に迫っていた。

 慌てて身体を反転して避けようとするのだが、風を纏ったダルでも、獣人の筋力が生み出す瞬間的な超速には対応できなかった。


 レイオンの拳が腹にめり込む。

 肋骨が折れる嫌な音が、ダルの耳に届いた。


 痛みを感じるよりも前に、背中から木々に突っ込んだ。

 細い木をへし折って、それでも勢いは止まらず、その後ろの大きな木に叩きつけられ、ようやくダルの身体は地に落ちた。

 口の中に苦い錆の味が広がり、ここにきてようやく全身を激しい痛みが襲う。


 痛みに呻くことすらできず、ダルは身体を折り曲げてこみ上げてくる吐き気を堪えた。

 今吐いたら、内臓ごと全身の血を吐き出してしまいそうだった。


 レイオンはそんなダルを見下ろし、冷ややかな笑みを浮かべる。

 その目が、未だ立ち竦むロディウスの姿を捉えた。


「どうした? 来ぬのか?」


 重低音の声でロディウスに問い掛ける。

 ロディウスは無意識に逃げようとする脚を無理矢理押し止め、戦闘の構えをとった。


 ここで逃げるという選択肢は、もう選べない。

 四年前に群れから逃げ出した自分だからこそ、ここで逃げる訳にはいかないのだ。


「一つだけ……訊かせてくれ。聖王はこれから、何をするつもりなんだ?」


 緊張から震えそうになる声で、ロディウスは兄に問い掛けた。

 それだけは、訊いておかねばならない。


 レイオンは意地の悪い笑みで答える。


「世界の浄化だ」


 それだけ言うと、ロディウスに向かって地を蹴った。

 その一歩で一気に距離を詰める。


 岩をも切り裂くと言われる鋭い爪を振り上げ、この身を切り裂こうと迫り来るレイオンの一撃を、ロディウスは辛うじて身を捻り躱す。

 目の前を通り過ぎた爪が、なびく髪の一房を切り飛ばした。

 銀の糸が風に舞う。


 ロディウスは背後に飛び退り間合いをとった。

 そのとき、目を覆っていた布がはらりと落ちる。

 どうやら先程の一撃が、わずかに掠っていたようだ。


 普段は隠していた顔が、露になる。


 久しぶりに弟の顔を見たレイオンは、嘲るように鼻を鳴らした。


「はっ。相変わらず、醜い面だな」


 その言葉に、ロディウスはぎりと音がする程歯を食い縛った。


「っ、黙れ!」


 一声吠えて、ロディウスは半獣化する。

 全身に羽毛が生え、体格が一回り大きくなる。

 銀色の風切羽根を持つ隼となり、彼は力強く羽ばたいた。

 障害物の多い森の中では、大きく翼を広げられない。

 鳥型であるロディウスには不利な状況と言えた。


 しかし、力で劣る自分に勝機があるとしたら、相手の手が届かない上空から攻撃するこの戦法しかない。

 レイオンの半獣態は獅子だ。

 空高く飛び上がれば、こちらに攻撃が届くことはない。


 ロディウスは木々の間を突き抜けて、遥か上空に身を踊らせた。

 注意深く森の中に神経を集中させる。


 目が見えないロディウスは、敵の気配を捉える能力に長けている。

 音、匂い、風の流れ、そのすべてで相手の気配を捉え、まるで見えているかのように正確な攻撃を与えることができるのだ。


 すぐに地上からレイオンの咆哮が聞こえた。

 恐らく半獣化したのだろう。

 獣人は半獣化することによって、通常よりも筋力が増す。

 しかし半獣化したレイオンの脚力でも、この高さには届かない。

 そのはずだった。


 地上にあったはずのレイオンの気配が、近付いてくる。

 一瞬、跳躍したのかと思ったが違う。

 いかに跳躍力があろうと、この高度まで昇ることは不可能だ。

 それにこの動きは寧ろ、鳥型のそれに近い。


「空を行くは、お前だけではないぞ」


 目の前から、レイオンの声が聞こえた。

 ロディウスは咄嗟に翼を翻して距離をとる。


 獅子型であるはずのレイオンが、何故空を飛べるのか?

 ロディウスにはその理由が解らない。

 一つだけ解るのは、己に残されたわずかな勝機がなくなったということだけだ。


「くそ……どうなってやがる!」


 小さく呟き、ロディウスは羽ばたいた。


 どうやってレイオンが空を飛んでいるのかは知らないが、この天空のフィールドで自分より速く駆ける者などいない。

 ロディウスが宿しているのは、この世で最も速く空を行く隼の力だ。

 弧を描きながら更に高く上昇し、翼を畳んで飛び降りるようにレイオンに接近する。


 すり抜け様に、鋭い鉤爪でレイオンを切り裂く。

 さしものレイオンも、このスピードを捉えるのは難しかったらしく、身を翻して避けるのが精一杯だ。


 躱しきれなかった左腕に、浅く赤い痕がつく。

 血液の匂いが、わずかに風に混じった。


 ロディウスは羽を広げて再び上昇し、旋回する。

 そのまま二度三度と攻撃を仕掛けるが、かすり傷程度のダメージしか与えられない。


 じりじりと焦りが募る。


 昼間の無茶な飛行で疲労の蓄積した身では、レイオンより先に体力が尽きるかもしれない。

 だがそれはあの距離を単身追ってきた相手も同じだと思い直し、再び上空から急襲する。

 レイオンに肉迫し、しかし今度は様子が違った。


 レイオンが避ける素振りを見せないのだ。

 ロディウスの鉤爪の一撃が、レイオンの胸から腹にかけてを切り裂く。


 そしてもう一度距離をとる、その前に。


 レイオンの腕が伸びてきて、ロディウスの身体をがっちりと挟み込んだ。


 その丸太のような腕に捕まったら、逃げることは不可能だ。

 慌てて振りほどこうとするが、びくともしない。


「わざと攻撃を受けたのか!」


「ああ。スピードでは敵わぬ。ならばこうするしかあるまい」


 負傷を覚悟の上での強攻だ。

 ロディウスの身体を捕らえたその腕で、左の翼を掴み捻り上げる。


 翼の中程で、堅く太い枝を折ったような音がした。


「ぐ……っああああ!」


 ロディウスの苦痛の声が響く。

 鳥型の獣人が翼を負傷することは、実質、無力化されたのと同じことだ。


 レイオンが、ロディウスの身体を叩きつけるように投げ捨てる。

 抵抗もできず、体勢を立て直すこともできずに、ロディウスは地面へと落下する。

 それを追うように、レイオンも地面に降り立ち、半獣化を解く。

 何とか起き上がろうと藻掻くロディウスの背を、レイオンは片足で踏み付けた。


「あっぐ……!」


 痛みに呻くロディウスを見下ろし、レイオンは静かに囁いた。


「残念だったな。その目が見えていたならば、間違いなくお前は群れの中で最強の座を手に入れただろうに……」


 目が見えている者と見えない者とでは、戦闘に必要とする集中力の桁が違う。

 高度な集中力を長時間維持したままの戦闘は、想像以上に激しく体力を消耗するのだ。


 もしロディウスに盲目というハンデがなかったら、或いはこの闘いにも勝利していたかもしれない。


 ほんの少しの哀れみを含んだ言葉を囁きながらも、レイオンの手はロディウスの折れた翼に伸びた。




 ――起きて。


 誰かに呼ばれたような気がして、ナナエはゆっくりと目を開いた。


「起きたか、嬢ちゃん」


 そう言って苦しそうに笑ったのは、風の民ダルだった。

 ロディウスとレイオンが闘っている間に、倒れた二人のところまで這ってきたのだ。


「あれ、あんた……」


 未だぼんやりする頭で、何があったのか思い出す。


 蝙蝠の集団に囲まれロディウスたちから分断されてしまい、そのとき、一番近くにいたヴォルフが、ロディウスの手を振り解いて助けに来てくれたのだ。

 しかし背後からレイオンに殴られ、二人とも意識を失ってしまった。


 思い出した途端に、首の裏がずきずきと痛んだ。

 しかし先程自分を目覚めさせたあの声は、ダルの声ではなかったような気がするのだが。

 夢現で聞き間違えたのだろうか。


「動けるか?」


「たぶん……ヴォルフと、ロディウスは?」


 何とか上体を起こし辺りを見回すと、自分のすぐ隣にヴォルフが倒れていた。

 目を覚ます様子はないが、その胸が静かに上下するのを見てほっと息が漏れる。


「このガキんちょは大丈夫だ。あの兄ちゃんは……」


 ダルが空を見上げようとした瞬間に、ロディウスが叩きつけられるように降ってきた。

 重い音をたてて地に落ちたロディウスに続いて、人型に戻ったレイオンが降りてくる。

 少し離れていて見え辛いが、ロディウスは明らかに負傷していた。

 そんな彼の翼を、レイオンが掴む。


 これ以上何をするつもりなのか。

 すぐにでも駆け寄って助けに行きたいが、まだ脚に力が入らず上手く立てない。

 ナナエとダルが立ち上がるより早く、レイオンがロディウスの翼を引き千切った。




 折られた翼を無理な角度で捻り上げられ、ロディウスは喉の奥で苦痛の呻きを呑み込んだ。

 レイオンは容赦なくロディウスの翼に爪をたてる。


「お前の翼は厄介だ。二度と飛べなくしてやろう」


 背後から、レイオンの声が聞こえた。

 ぞっとしてロディウスが藻掻くが、簡単に押さえ込まれてしまう。


「やっ……よせ……! やめろっ!」


 ロディウスの制止の声にも耳を貸さず、レイオンは思い切りロディウスを踏みつけたまま、その翼を引き千切った。




 苦痛の叫びが、森の中に木霊する。




 離れたところから見ていたナナエたちも、驚きのあまり硬直していた。


 ロディウスの肩から鮮血が噴き出し、レイオンの手の中には、千切れた翼がある。


 身を切るような悲鳴が迸る。


 その声が自分の口から出ているのだとナナエが理解するまでに、少し時間がかかった。

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