闇の聖王――潜入調査も楽じゃない――
聖王国までの旅は、概ね順調なものだった。
途中で野盗に襲われたり影に襲われたりモンスターに襲われたりしたが……まあ、そんなことは既に日常茶飯事なのである。
ロディウスは、道すがらナナエとヴォルフに事の顛末を説明して歩いた。
最初に影を発見した精霊学者、ヨハネスト=ダーク。
まだ年若い彼をサポートしていたのが、助手のガレット=ブランだった。
ロディウスは四年前にガレットに出会い、それ以来彼の家に転がり込んで、気が向いたときに手伝いなどをしていたのだ。
影の研究を始めて一年ばかりが経過したある日、ダークは聖王の使いの者に捕らえられ、ロディウスとガレットは、寸でのところで研究所から逃げ出した。
あまりに急な出来事だったため、研究資料を一部しか持ってこられなかったのは、不運としか言えない。
ダークは研究途中のものを秘密裏に処理することが多かった。
そのため、助手であるガレットでさえ、彼の研究のすべてを把握していた訳ではないのだ。
水の国中の街を転々としながらの研究は、難航を極めた。
何しろいつ追っ手が来るか解らないため、ひとつ所に腰を落ち着けて研究に専念できなかったのだから、無理もない。
所々ページの抜け落ちたダークの研究書を復元するだけで、半年以上かかってしまった。
その間にも影は徐々に力と知恵をつけていき、今では集団で人々を襲うようになっている。
同時に数ヵ所で影が目撃された例はないが、今後は各地で同時発生するかもしれない。
影の討伐を、害獣駆除協会に依頼もした。
しかし、公的機関で未確認であること、大きな被害が出ておらず危険度が低いことなどの理由で、討伐隊を動かすことはできなかったのだ。
ガレットが独自に研究を進めていたが、影を知れば知る程解らないことが多くなる。
まず、何故月光でできた陰からしか生まれないのか。
何故生物の陰からしか生まれないのか。
何故影自身に繁殖能力がないのか。
何故同時刻に複数箇所で発生しないのか。
解っていることは、生物が月光を浴び、それによりできた陰から影が生まれること。
そして、月光を遮るか、より大きな無生物の陰に入れれば、影は消滅すること。
最後に、月光を浴びせ続ければ、かなり長期間活動できるということ。
それだけしか、現時点では解明されていないのだ。
影を生み出したのは聖王なのか、それともただの自然現象なのか。
それを確かめるためにも、ロディウスたちは聖王国に向かっている。
「……とまあ、そういうことだ。解ったか?」
ロディウスは簡単に説明を終え、ナナエとヴォルフに問い掛けた。
「なんとなくなら……」
ナナエは欠伸を噛み殺して曖昧に頷く。
話の途中で少し眠ってしまったなんて、言える訳がない。
ヴォルフはというと、理解しているのかいないのか、話を聞いている間ずっとにこにこしていた。
物語でも読んでもらった気分なのだろうか。
しかし頭の中が春爛漫なヴォルフは、ロディウスの話が終わると、一つ大きく頷いた。
「影な、月の精霊が、作ったんだぞ」
得意げに言って、笑みを浮かべる。
「月の精霊〜? 馬鹿、それはお伽噺だろ」
ヴォルフの言葉を否定したのは、眠そうなナナエの声だった。
月の精霊とは、文字通り月に住まう精霊のことである。
精霊神祖教の聖書にも少しだけ出てくるのだが、この世界を創った始まりの精霊の一つで、遥か上空に光の珠を創り、世界を厄災から守っているという話だ。
しかしそれは伝説の粋を出ないもので、月の精霊がいることも確認されていない上、月の精霊の力を宿した人間も、歴史上誰一人としていない。
そのため、月の精霊はお伽噺や伝説にのみ、姿を現す存在となったのだ。
「月の精霊は、この世界を守る存在なんだ。それがモンスターを作り出す理由が解らないな」
ロディウスもそう言って笑う。
月の精霊の話は獣人の間にも伝わっており、二人も幼い頃に親から聴かされたのだ。
ただ、人間に伝わる話と違うのは、月の精霊は実在しているということだった。
月が夜空を照らすのは、月の精霊が輝いて、世界を暗闇から守っているからだと。
ロディウスとヴォルフはそう聴いていた。
「まあ、月の精霊が本当にいるのかいないのかは別として、月の光に何か力が宿ってるってことじゃねえの?
それで、その力が何か変な風に働いて、影ができんだよ」
たぶんそうだ、と自信満々に言うのはナナエだ。
話しているうちに目が覚めたのだろう。
椅子の上に胡坐をかいて座り、おやつに買ったビスケットを頬張る。
「違う。月の精霊、怒ってるから、影できるんだ」
ヴォルフの反論を軽くいなし、ナナエはビスケットの袋を持って立ち上がる。
自分の部屋に戻って寝るつもりなのだろう。
ここは水の国と聖王国の境にある村の、小さな宿屋だ。
客はナナエたちしかいない。
街を歩き、馬車で野を越え、渡し舟で川を下り、ようやく聖王国の入り口にたどり着いたといったところか。
ここまで来るのにも三日はかかったが、ここから聖王国の首都ヘリグまでは、かなりの距離がある。
だが、聖王国は広大な国土を有しているが、どんな小さな村でも道が整備されて馬車が走っているため、時間は然程かからないだろう。
問題は、どうやって王宮内を探るかである。
王宮勤めの者から情報を聞き出すか。
しかし余所者に、そう簡単に口を割るとは思えない。
王宮に潜入するか。
だが見付かる恐れがある。なるべくリスクは避けたい。
有効な手段も思いつかないまま、ナナエたちはついに、聖王国首都ヘリグにたどり着いてしまった。
「ざっと見てきたけど、警備は厳重だわ夜でもがんがん松明点けてるわで、忍び込む隙なんかねえぜ?」
偵察から帰ってきたナナエが報告する。
盗人のスキルを身に付けていたことが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
大きな建物程、侵入経路は多くなる。
窓や扉の数にしても普通の民家より多い上に、屋敷の広さに警備兵の数が追い付かなくなるからだ。
侵入者は大抵、見回りの合間の無人空間を狙う。
しかし流石は聖王の居城といったところか。
入り口という入り口には警備兵を常に配置しており、巡回の兵士の数も並ではない。
窓など当然鍵が掛けられているだろうし、城門から敷地内すべてに松明を点しているため、闇に乗じて潜入するなど不可能だ。
たった一つの死角といえば屋根くらいだろうが、そもそも空を飛ばない限り屋根にたどり着くこともできない。
そうなると、必然的に潜入できる人員は限られてくる。
翼を持つ獣人ロディウスならば、上空から屋根に降り立ち、窓から中に入れるだろう。
ここで問題なのは、ロディウスには窓の鍵を外す技能がないということだ。
ナナエならば簡単な鍵を外すことはできるだろうが、そうするとヴォルフを一人で街に残すことになってしまう。
実を言うと、それが何より不安だった。
以前よりは人間社会を理解してきているといっても、まだまだ幼児レベル。
とても一人で留守を任せられない。
そうなると潜入方法は二つしかない。
ロディウスがナナエを屋根に運び、ナナエに中の様子を探ってもらうか、三人一緒に潜入するか。
ロディウスは考えた末に、この方法をとった。
正門が、わずかに軋んだ音を立てて開かれる。
足音を呑み込む程に分厚い絨毯の上を歩き、ナナエとロディウス、そしてヴォルフは、王宮の中に立っていた。
忍び込んだ訳ではない。
その証拠に、使用人たちが彼らを出迎えている。
ロディウスは客人として、正面から王宮に入り込む方法をとった。
鳩を使って水王に手紙を送り、紹介状を書いてもらったのだ。
お陰で王宮には苦もなく潜入できた。
しかし、客として滞在できる期間は、そう長くない。
その間に、聖王と占術士について調べなければならなかった。
それでも危険を冒して侵入するよりは、余程堅実な手段であろう。
ホールに着いた彼らを、大臣が出迎えに来た。
「お初にお目にかかります。私は主に外交を任されております、カズールと申します。遠路遥々、ようこそおいでくださいました」
壮年の男は丁寧に頭を下げた。
ロディウスが一歩前に出て、こちらも深々と礼をする。
「突然の訪問で申し訳ない。生を司る者の代表を務めるロディウス=レザフォードという。聖王の慈悲深き配慮に、深く感謝の念を申し上げる」
そう言ってにこやかに握手などしている。
獣人の代表が、和平交渉に訪れた。
そういうシナリオになっているのだ。
見栄えの良い服を新調し、いかにも種族の長といった格好をしている。
ナナエとヴォルフは、彼の付き人という設定だ。
演技とはいえロディウスの堂々とした態度に、ナナエは感心するばかりだ。
実はナナエを水の国王位継承者として、代表に担ぎ上げようかという意見もあったのだが、ナナエがあまりにも大根役者だったため、こちらのシナリオを選んだのだった。
姫らしく、しとやかになんて、自分には無理だ。すぐにばれるだろう。
彼女が演技テスト前に言っていた言葉通り、無理なものは無理だった。
王宮へ紹介状を持っていったところ、聖王は快く彼らを迎え入れてくれた。
しかし公務が忙しいらしく、正式に会えるのは四日後になるという。
それまでは王宮に滞在しても構わないとのことなので、このチャンスを逃す訳にはいくまい。
「ところでカズール大臣、滞在している間に、ぜひ王宮の中を見学させていただきたいのだが」
「はあ、見学ですか?」
大臣は、ロディウスの目を覆う黒い布を見ているようだ。
盲目のロディウスが王宮内の見学をしたいと言うのは、少し無理がある話だろう。
しかし、それに対する言い訳も考えてある。
「ええ。こちらは弟のヴォルフ。近い将来、代表の座を譲ろうかと思っている。ほら、目がこんなでは、色々と支障があるのでね。
それで、見聞を広めるためにも同行させた訳だ。王宮の見学というのも、弟に人間のことを知ってもらいたいからなのさ」
あらかじめ考えておいた文章を、つらつらと並べ立てる。
一応、辻褄は合うようにしてある。
大臣は疑うことなく納得してくれたようだ。
「そうでしたか。そういうことでしたら、後程案内でも付けさせましょう。
それにしても……」
大臣がちらりとヴォルフを見る。
一瞬緊張が走るが、それは杞憂だった。
「弟君に跡を継がせるとは、お世継ぎはいらっしゃらないのですか?」
「……ああ、生憎と。しかしいたとしても、世襲制ではないのでね。人間社会と違って、完全実力主義なもので」
ほがらかに談笑しつつ、大臣は彼らを客室に案内する。
多少冷や汗が出たが、ひとまずは何事もなく王宮の潜入に成功したと言えるだろう。
本番は、ここからだ。
「っあー、疲れる〜」
客室に入った途端、ナナエは椅子に座って伸びをした。
水の国の城でも緊張したが、こちらはもっと緊張する。
何しろスパイの真似事をしている訳だから、ばれたら首が飛ぶ可能性もあるのだ。
与えられた部屋の中でしか、リラックスできない。
「あんまり大声出すなよ。外に聞こえたらどうすんだ」
そう言ってたしなめたのは、ナナエの向い側に座っているロディウスだ。
べつにロディウスがナナエの部屋を訪ねてきた訳ではない。
任務の都合上、三人一緒の部屋を用意してもらったのだ。
しかも、普通の客室では狭かったので、三人に用意されたのはスイートルームだ。
この部屋にある調度品一つで、家が一軒買えるくらいの値段はするだろう。
ヴォルフには、絶対に部屋の物に触るなと、釘を刺すのも忘れない。
「でもさ、よく一緒の部屋にしてもらえたよな。オレ、付き人つっても女なのに」
行儀悪くテーブルの上に足を乗せながら、ナナエは幾分声を抑えて呟いた。
「ああ、全員家族って設定にしたから」
じゃれてくるヴォルフをあしらいつつ、ロディウスはあっけらかんと言う。
ナナエはそんなロディウスを見ながら、椅子の背もたれに体重を掛けて傾けた。
「家族ぅ? 何、オレ、ロディウスの妹ってことになってんの? 無理すぎんだろ」
確かに、ナナエを妹と偽ることは不可能だ。
しかし、今回は三兄妹という設定ではない。
「だから、ナナエは獣人の長のハートを射抜いた麗しの女剣士って設定な」
「は……っ!?」
ロディウスの説明を聞いたナナエは、危うく椅子ごとひっくり返りそうになった。
まさか、そんな裏設定がなされていたとは。
王宮に来る前に聞いた説明では、そんなこと一言も言っていなかったのに。
「だって、最初に言ったら断るだろ」
「そーだけど、何で……っ!」
「ナナエ、にぃの、嫁?」
「違うっ!」
確かに、最初に聞かされていたら断ったかもしれないが、いくらなんでもその設定はないだろう。
未だかつて人間の男性とも付き合ったことがないのに、いきなり獣人の男の恋人役だなんて。
いや、これは差別的発言という訳ではなく、ただちょっと心の準備が……って、ちょっと待て。
家族設定ということは、恋人役ではなく妻役ということか?
いやいやいや、そんなの無理だって……
「ナナエ、顔、赤い。病気?」
「ぬぁんでもないっ!」
真っ赤になった顔を隠すように両手で頬を押さえ、ナナエはヤケクソ気味に怒鳴った。
一応、外に漏れないように声を抑えていたのは、褒められるべきことだろう。
ともあれ、前途多難ではあるが、潜入調査はこうして開始されたのだった。
「……とは言っても、そう簡単に証拠が見付かるはずねーよなぁ」
疲れたような顔でナナエは呟いた。
ロディウスが王宮内の見学をしたいと言ったため、翌日から執事が一人、案内役として部屋にやってきた。
そこまでは良かったのだが、ロディウスは代表として演技していなければならないため、案内役の側を離れる訳にはいかない。
自由に動けるのはナナエとヴォルフの二人だが、ヴォルフには何が怪しくて何が怪しくないのかが理解できない。
実質、調査はナナエが一人で担当することになったのだ。
迷った、はぐれたなど、適当に理由をつけて誤魔化してはいるが、それも三日が限界だ。
今日も目ぼしい情報は手に入らず、部屋の前まで送ってくれた女中と別れて、ナナエは軽く溜め息を吐いた。
明日は聖王との会見の日だ。
こうなったら、聖王本人に直接探りを入れるしかない。
それはロディウスに任せよう。
ナナエは心の中でそう結論付けて、部屋の扉を開いた。
「ただいまー。今日もダメだ……た……」
ナナエの声は途中で途切れた。
部屋の中に、歌が聞こえる。
窓から入る緩やかな風に合わせ、穏やかなメロディーの子守歌が。
そっと歌の聞こえる方に足を向ける。
寝室でベッドの脇に座り、小さな声で歌っていたのはロディウスだった。
しばらくその歌に聞き入っていたのだが、彼はナナエの気配に気付いたらしく、途中で歌うことを止めて振り返る。
「ナナエ、戻ってたのか。声かけてくれれば良かったのに」
歌を聞かれたのが恥ずかしいのか、少し照れ臭そうに笑う。
「いや、邪魔しちゃ悪いかなって。
……歌、上手いじゃん。誰に習ったんだ?」
気持ち良さそうに眠るヴォルフを起こさないように、ロディウスは静かに立ち上がった。
寝室を出てから、ナナエに答える。
「昔、ヴォルフの母が歌ってたのを聞いただけだ。習った訳じゃないさ」
そう言って、懐かしそうに口許を綻ばせる。
その顔を見て、ナナエは不思議と胸の奥に、小さな棘が刺さったような違和感を感じた。
ロディウスが自分たちのことを語る機会は少ない。
自分からは話そうとしないし、訊かれても何かと理由をつけてはぐらかす。
ヴォルフにも訊いたことはあるが、昔のことはあまり覚えていないそうだ。
山火事のショックで、記憶が曖昧らしい。
ナナエは、この獣人の兄弟のことを、ほとんど知らないのだということを、改めて認識した。
「……なあ、もっと教えろよ、ロディウスの昔のこと」
「何だ? また突然……」
急にナナエにねだられて、ロディウスは困惑したように身を引いた。
いつもこうなのだ。
過去を訊ねる素振りを見せると、ロディウスは話すのを拒む。
ナナエも、あまり昔のことは語りたくない。
誰だって、秘密にしておきたいことがあるのも解る。
それでも、知りたいと思ったのだ。
「いいじゃん。オレたち夫婦って設定だろ? もし訊かれて、答えられなかったら怪しいじゃん」
もっともらしい理由で迫られては、ロディウスも断る訳にはいかなかった。
少し躊躇った後に、彼は少しずつ語りだした。
獣人は、一つ処に留まって一生を終えることはない。
数年毎に住む場所を移動し、家族単位の群れで生活する。
ポトの山に住み着いたのは、ヴォルフが生まれてすぐのことだった。
その四年後、ポト山の半分が火事で焼け、家族の半分はそこで命を落とした。
ロディウスは両の目を失い、ヴォルフは母を失った。
ヴォルフに至っては、助け出されてからもしばらくは意識が戻らず、目が覚めたときにはほとんどの記憶を失い、赤子同然だった。
遺された者もひどい火傷を負っており、住み家を移動するような、長い旅はできなかったのだ。
ひとまずはまだ焼けていなかった、山の反対側に避難した。
結局そこで十年以上暮らすことになったのだが、その間に群れのリーダーが交代した。
父から、兄へ。
新しく家族をまとめる兄は、実力主義である獣人社会を体現するような男だった。
盲目というハンデを背負ったロディウスは、群れに居られなくなり、一人で山を下りた。
子供のうちは庇護されるが、大人になればそうはいかない。
獣人は十八歳で成人する。
ロディウスも、十八歳になったと同時に、山を追い出されたのだ。
その後ガレットに拾われ、人間社会の様々な知識を教えてもらった。
人間に交じって生きていく。
ロディウスはそう決めたのだ。
あれから群れがどうなったのか、ロディウスは知らない。
しかし、ヴォルフが一人でポト山に残されていたことから考えて、群れは既に別の土地に移動したと思われる。
きっとどこか、遠い国に旅立ったのだろう。
彼らに会うことは、二度とない。
「どこかで元気にやってるなら、それでいいさ。ま、あの兄たちがくたばることなんて、ないだろうしな」
小さく笑って、ロディウスは話を終えた。
いつの間にか夜もすっかり更けて、蝋燭も大分短くなっている。
窓から入ってくる風が、肌に冷たい。
夜着からむき出しの二の腕をさすり、ナナエはじっとロディウスの顔を見つめていた。
ロディウスは笑っているけれど、その本心はナナエには読み取れない。
奴は今までだって、ああやって笑いながら本当の心を隠してきたのだから。
ヴォルフならば解るのだろうか。
ロディウスが今、何を考えているのか、その心に何を思っているのかを。
(悔しいな……)
もっと前に出会っていたならば、己にも理解できたかもしれないのに。
ナナエはテーブルの上に置かれたロディウスの手に、自分のそれを重ねた。
蝋燭の方に顔を向けたままだったロディウスが、わずかにナナエへと顔を向ける。
「話してくれてありがと。ごめんな、なんか無理に話させちゃったみたいで……」
愛想笑いを浮かべようとして、失敗した。
笑っているのか怒っているのか悲しんでいるのか、判らないような顔になってしまったが、ナナエがそんな表情をしていることに気付く者は、ここにはいない。
案の定、ロディウスはいつも通り笑いながら首を振った。
「いや、気にすんな。それより、大分風が冷たくなったな。もう遅い時間だろ、早く寝ようぜ」
ロディウスは立ち上がり、慣れた手つきで窓を閉める。
蝋燭を消して、ナナエは隣の寝室に入った。
ヴォルフは起きる気配もなく、ベッドの端で背中を丸めて眠っている。
ナナエと同じく、狭い処で眠る癖でもついているのだろうか。
「あ、なぁなぁ、さっきヴォルフに歌ってた子守歌、聞かせろよ」
自分のベッドに潜り込み、ナナエは隣のベッドに腰掛けるロディウスに言った。
ロディウスは苦笑いして断ろうとするのだが、ナナエはどうしてもと譲らない。
「こんなの聞いて、変な夢見ても知らんぞ」
「いいから、早く歌えほら」
最終的には、押しに弱いロディウスが負けるのだ。
彼は小さく溜め息を吐き、徐に口ずさむ。
不思議な音律の歌だ。
風に揺れる篝火のように。清らかな水の流れのように。大地に芽吹く草花のように。
どこか懐かしい、生命の、歌。
いつの間にか眠ってしまったナナエに、布団を掛け直してやる。
そのとき指先がわずかにナナエの頬に触れて、ロディウスはびくりと手を引っ込めた。
先程ナナエに話した過去は、ロディウスのすべてではない。
まだ話していないこともあるし、虚偽で秘したこともある。
言える訳がない。自分のちっぽけな矜持を守るためには。
それでも、ナナエにはいずれすべてを話すときが来るだろうと、ロディウスは予感していた。
彼女ならば、本当の自分の姿を知っても、受け入れてくれるような気がしたから。
或いはそれは、そうあってほしいと思う、都合の良い己の願望なのかもしれない。
ナナエと出会ったとき、最初は手のかかる妹が増えたようで、共にいるのが楽しかった。
だが今は、現在感じているこの気持ちは……
「共に居たいと願うのは……やっぱそういうこと、なのかねぇ」
誰にともなく呟いて、ロディウスはそっとナナエの額に口付ける。
途端にナナエが寝返りを打った。
ロディウスは慌てて、しかし彼女を起こさないように静かに離れ、いそいそとベッドに潜り込んだ。