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TRUE DAWN  作者: 三九
10/18

闇の聖王――聖なる国へ――

 その後の会議は影の対策について、あーでもないこーでもないと、延々話し合いが続く、退屈なものだった。

 実際に影と剣を交えたナナエは、意見を求められたりもしたが、ほとんど答えられなかった。


 影の出現を防ぐには、国全体を巨大な屋根で覆うか、夜の間ずっと皓皓と灯りを点しておくしかない。

 それだけでは影の発生を防ぐのは不可能であり、今のところは市中警備の数を増やすくらいしか、有効な対策はとれないだろう。

 結局は使用人が夕食の準備ができたと呼びに来たので、仕方なくお開きとなったのだが。


 今回はナナエも、王と王妃、妹姫と共に食事をとった。

 お世辞にも良いとは言えないテーブルマナーを披露しつつ、ナナエはようやく食後のお茶を流し込む。

 こんなにも緊張した食事は初めてだ。


 ナナエは夕食を食べながら、これまでの経緯を話して聞かせた。

 王妃に求められたからである。

 盗みを働いていたことはうまく誤魔化して、月の家でのことを沢山話した。


「そう、素敵な先生なのね。良かったわ、あなたを育ててくれたのがその方で」


 王妃は始終穏やかに微笑み、ナナエの話を聞いていた。

 ようやく再会できた娘の話を、一つも聞き逃したくないのだろう。じっと耳を傾けている。


「是非お礼がしたいわ。ねぇあなた、どうかしら?」


「そうだな、後で使いの者を送ろうか」


 王妃も王も、月の家に好印象を持ってくれたようだ。

 これで孤児院の経営も助かると、ナナエはほっと安堵の溜め息を吐いた。


(マジでロディウスの言った通りの展開じゃん)


 こうも思惑通りになってくれると、王都に来た甲斐があったというものだ。

 ここまで来るように仕向けられたことも、少しは許してやろうか。


 しかし問題はこれからだ。

 ナナエは城に住む気はないのだが、王妃の様子を見るに、ナナエを手元に置いておくつもりのようなのだ。


 それは困るが、ここまで喜ばれると言い出し辛い。

 ナナエは少し迷った後に、思い切ってその話を切り出してみた。


「あ、あの、それで、今後のことなんですけど……」


「今日の予定はもうないわよ。もっと話を聞かせてほしいわ」


 王妃はナナエに優しい笑みを向ける。

 ……そんな顔をされると、益々言い辛いのだが。


「じゃなくて、オレ……いや私、今後はここで暮らすことになるんですか?」


 遠慮がちに上目遣いで訊ねるナナエに、王妃はわずかに首を傾げた。


「何を言っているの? 家族なのだから当然でしょう? もう二度とあなたを離さないわ」


 王妃はそっとナナエの手を取る。

 彼女は我が子がいなくなったとき、酷く取り乱し、食事も喉を通らずに、目も当てられぬ程衰弱してしまったらしい。

 ヴェヌスの領主館で見た記事を思い出し、ナナエは罪悪感に囚われた。


 城に住みたくないというのは、ナナエの我が儘だ。

 ただの我が儘で、また王妃を心配させるのは、間違っているのではないか?

 ここで暮らすのが、本来のあり方だったのだから。


 そう考えると、これ以上何も言えなくなってしまう。

 ナナエは愛想笑いを浮かべて、王妃と妹姫にねだられるままに、昔話を語って聞かせた。

 結局この日は、ナナエの気持ちを伝えることはできなかった。




 夜も更けて、ナナエはようやく宛てがわれた部屋に戻れた。

 あの会議以降、ロディウスたちの姿が見えないことが気になり、部屋まで案内してくれた女中に訊ねてみる。


「あの、サニア? ロディウスとヴォルフって客人、いるよな? どこにいるか、知らない?」


「名前を覚えていただけて光栄ですわ。

 お二人ならば離れの客室です。姫様が気になさることはありませんわ」


 女中はそう言って退室した。

 ナナエは窓から外を見る。


 この部屋の窓からは庭が見えるのだが、よく目を凝らすと、庭のずっと奥の方に古びた建物がある。

 あれが『離れ』なのだろう。


 なぜわざわざ離れの客室に通されたのか?

 それはすなわち、体の良い隔離だ。


 二人が獣人だから、なのだろう。隔離も、あの枷も。

 途端に怒りが湧き上がる。


(国のトップがこんな扱いをするから、獣人に対する差別がなくならないんじゃんか!)


 ナナエはバルコニーに続くガラス戸を開けて、そこから庭に飛び降りた。

 部屋は二階にあったのだが、ナナエは身軽に着地する。

 この辺の身体能力は、泥棒稼業で鍛えたものだ。


 誰にもみつからないように庭を駆け抜けるのも、ナナエにとってはお手の物である。

 すぐに庭の端にある離れにたどり着いた。

 その中に、灯りが点っている窓がある。

 ナナエは迷わずその窓に近付き、部屋の中にだけ判る程度に、窓を叩いた。

 ガラスを叩く硬い音がしてすぐに、わずかに窓が開かれる。


「誰だ? ……ナナエか?」


 窓を開けたのはロディウスだった。

 目が見えないはずなのに、何故ナナエだと解ったのかは、もうどうでもいい。

 ナナエは窓越しにロディウスの胸ぐらを引っ掴み、トーンを押さえた低い声で言った。


「てめーこのロディウスっ!」


 しかしここにきて、言いたいことを忘れてしまったのだった。なので、

「……この馬鹿っ!」

 と、一応、小声で怒鳴りつけてみた。


「何でいきなり罵られてるのか解らんのだが……」


 ロディウスの言うことはもっともだ。

 しかし、何を言いたいのか忘れてしまったのだから仕方ない。

 そもそもナナエが腹を立てたのは、ロディウスたちが酷い扱いを受けているからであって、その怒りの矛先がロディウスに向かうのは、少々おかしな話だ。

 ナナエもようやくそのことに気付いたのだが、何故か足が勝手にここに向かってしまったのだから、仕方がないではないか。


「うっさい! 何言いに来たのか忘れちまったじゃねえか!」


 これまた理不尽な怒りをぶつけてから、ナナエはロディウスから手を離した。

 その手でロディウスを押し退け、窓から中に侵入する。

 部屋の中は、少し埃っぽかった。


 恐らく、昔は使用人が寝泊まりするのに使っていたのだろう。

 客室と言うには、あまりに狭く質素だ。


「あれ、ナナエ? 何しに、来た?」


 ベッドの上で丸くなっていたヴォルフが目を覚まし、寝呆け眼をこすりながら首を傾げる。

 その手足には、未だ枷が付けられていた。

 見ればロディウスも同様、鎖で繋がれた手枷足枷をはめている。

 動く度に、鎖が耳障りな音を立てた。


 その音がなんだか、二人とナナエの間に距離を作っているようで。

 この城に来てから、理不尽なことばかりだ。

 ナナエはぐっと手を握り締めた。


「その、枷。そんなの付けられて、悔しくねーのかよ?」


 ナナエは怒ったような表情で、ロディウスの手枷を睨んだ。

 突然訊かれたロディウスは、徐に枷に繋がれた鎖を引っ張ってみる。


「まあ、ちょっと邪魔だなぁとは」

「そんなんじゃなくて!

 こんな、隔離されて、鎖で繋がれて、まるでモンスター扱いじゃねえか!」


 思わず声が大きくなって、ナナエは慌てて口を手で押さえた。

 ヴォルフは突然大声を出したナナエに驚いたのか、完全に目を覚まして二人の許に駆け寄ってくる。


 ナナエには、鎖の金属音響く度、自分と二人との距離が広がっていくような気がした。

 だが、そんなことはただの杞憂に過ぎなかった。

 ロディウスもヴォルフも、ナナエに向ける笑顔は今までと変わらない。


「……ナナエ、優しいな。ヴォルフ、ナナエ好きだ。にぃも、そうだな?」


「ああ、ヴォルフの言う通りだな」


 ヴォルフは兄と手を繋いで、ナナエを見つめる。

 ロディウスもナナエに優しく微笑んだ。


「なっ……何で、そんなの……馬っ鹿じゃねーの?」


 ナナエは顔を赤くして、上ずった声で呟く。

 どうして彼らは、こんな扱いを受けてもまだ、笑っていられるのだろうか。

 ナナエだったら、憤慨して王様を殴り倒していたかもしれない。


 しかし、よくよく考えればヴォルフはともかく、ロディウスがそんな短絡的な行動をする訳がないのだ。

 そんなことをしたら、益々獣人の評判が悪くなってしまうだろう。

 それならば、多少の理不尽は我慢せねば。


 そこまで己の感情を押さえ込んで、その上まだナナエに笑顔を向ける余裕があるなんて。

 自分の幼稚さに腹が立つ。が、ここまで大人な態度ができるロディウスにも腹が立つ。

 何故そう思うのか、自分の心理状態もよく理解できないままに、ナナエはロディウスとヴォルフ、二人の手を取った。


「オレ、こんな扱いやめるように、王様に頼んでくる」


「ほんとか?」

「やめろ馬鹿!」


 期待に満ちたヴォルフと、驚いたように言うロディウスは、まったく対照的だった。


 ヴォルフは枷を外してもらえるかもしれないと、単純に喜んでいるだけだ。

 しかしロディウスは、そう簡単に喜べない。


 余計なことを言って、王の怒りを買うのは避けたいし、何よりナナエに迷惑がかかる。

 仮にも王族が獣人と懇意にしていると知れたら、国民からどう思われるか。

 進言したナナエに処罰が下ることも、ないとは言い切れないのだ。


 しかしそれでは、ナナエは納得できない。

 どう考えても、この扱いは理不尽だ。


「なんだよ、人が親切で言ってるのにさ」


「こういう問題は、そんな簡単に解決するもんじゃないんだよ。人の意識を塗り替えるには、それなりの時間が必要なのさ」


 すべてを悟りきったようなロディウスの言葉が、今のナナエには苛立たしい。


(一人だけ大人ぶって、やせ我慢すんじゃねえよ!)


 大人ぶるも何も、ロディウスは実際に大人なのだが、頭に血が昇ったナナエはそんなことも考えられない。

 とにかく、理不尽を耐える姿勢でいるロディウスが苛立たしい。

 もっと素直になればいいのにと、ナナエはそう思うのだ。


「わぁるかったな。どうせオレは短絡思考のお子ちゃまですよ。

 酷いよな、ヴォルフ。オレはお前らのこと思って言ったのにさ」


 ナナエは手で顔を覆って泣き真似をしてみせる。

 途端にヴォルフがナナエに抱きついてきて、キッとロディウスを睨み付けた。


「にぃ、ナナエ、泣かしちゃ、だめだ!」


「オレの味方はヴォルフだけだよー」


 二人がかりで攻め立てられて、ロディウスは困ったように頭を掻いた。

 まさかナナエが、ヴォルフを味方につけるとは。

 放っておけば益々エスカレートしそうで、ロディウスは両手を上げて降参のポーズをとる。


「わかったわかった、悪かった。

 ……正直なところ、ナナエのその気持ちには感謝してるよ。ありがとう」


 急に真剣な口調で言われて、ナナエは顔に血が昇ってくるのを感じた。

 こうして改まって礼を言われると、なんだかものすごく恥ずかしい。


「お、おう。解ってくれればいいんだよ」


 ナナエは真っ赤になって、ロディウスから目を逸らした。

 抱きついたままだったヴォルフを引き剥がし、ナナエは今し方入ってきた窓に向かう。

 勝手に部屋を抜け出したことがばれるとまずい。そろそろ戻らなくては。


「じゃ、じゃあ、戻るよ。また明日な」


 窓から外に出るナナエに、ヴォルフが手を振る。

 ロディウスは苦笑いして肩をすくめた。


「何しに来たんだか。てっきり、『よくも騙したなコノヤロウ』とか、怒りに来たもんだと思ったんだがなぁ」


「……あ」


 その呟きを聞いて、ナナエはようやく思い出した。

 そのことについては、一度きちんと文句を言ってやろうと思っていたのだが、今更怒り直すのもおかしいので、とりあえず気になったことだけでも訊いてみることにした。

 閉めかけた窓を開けて振り返る。


「あのさ、あのときオレが戻らなかったら、どうするつもりだったんだ?」


「あのとき?」


「ほら、街を追い出されたあのとき」


 顎に手を当て軽く首を傾げたロディウスは、ようやく思い至って頷いた。


「もし来なかったら、ヴォルフと二人だけで王都に行くつもりだったさ。元々、ナナエを騙して連れていくのには、反対だったんだ」


 ロディウスの口から意外な言葉を聞き、ナナエは思わず目を瞬いた。

 ロディウスはナナエの頭を優しく撫でる。


「サイマスは、本当の家族と一緒にいた方が幸せだろうって言ってたけどな、幸せは人それぞれだろ。

 だから、ナナエが本気で嫌がったら、ちゃんと事情を話して、サイマスには断りに行くつもりだった」


 結果的にはナナエを騙すような形になってしまったが、ロディウスはナナエにきっかけを与えただけだったのだ。

 王都に行かないという選択肢も、ナナエにはあった。

 だが、最終的に王都に行くと決めたのは、ナナエ自身ではないか。


 ナナエはロディウスから目を逸らし、靴の先で軽く壁を蹴った。

 自分の思慮の浅さを思い知らされた気分だ。

 自分で選んだ結果を、他人のせいにするなんて。


 そんなナナエに、今度はロディウスが問い掛けた。


「逆に訊きたいんだが、なんであのとき一緒に来ようと思ったんだ?」


 あのとき、ナナエには一人でヴェヌスに帰ることもできたのだ。

 それなのにロディウスを追い掛けて街を出たのは、単純に、あのまま二人と別れたくなかったからだ。


「……別に、深い理由なんかねぇよ。ただ、もう少しくらい、一緒にいてもいいかなって思って……」


 少しばかり恥ずかしそうに小声で喋るナナエに、ロディウスは静かに顔を近付け、額に唇を落とした。


「ありがとな。なんだよ、可愛いとこあるじゃねーか」


「んなっ……!」


 額にとはいえ、いきなりキスされてナナエは茹で蛸のように真っ赤になる。

 それを見ていたヴォルフが走り寄ってきて、ロディウスの横から顔を出した。


「ヴォルフも、やる! ナナエ、顔出せ」


「やらんでいいっ!」


 両手を広げて唇を尖らせるヴォルフにチョップをお見舞いしつつ、ナナエは逃げるようにその場から走り去った。

 取り残された兄弟はしばし無言で佇んでいたが、ややあってヴォルフがロディウスの顔を覗き込んで言った。


「……じゃあ、にぃ、やって」


「へいへい」


 可笑しそうに肩をすくめたロディウスが、ヴォルフにオヤスミのキスをする。

 ヴォルフは満足そうに笑みを浮かべて、いそいそとベッドに戻っていった。


 ナナエはというと、未だ赤みの引かない顔を冷まそうとして、部屋に戻った瞬間に頭から水を被っていた。

 その後も中々寝付けず、結局眠れたのは明け方のわずかな時間だけだった。




 そして翌朝。この日は、アリシア姫の聖誕祭前日ということで、城の中は忙しかった。

 ナナエの部屋にも女中二人が押し掛けて、明日の衣装を選んでいる。


「だーかーらー、オレは嫌だって言ってんの。そんな服絶対やだ!」


 女中が選ぶドレスをことごとく拒否して、ナナエは椅子の上であぐらをかく。

 女中たちはほとほと困ったように、顔を見合わせた。


「ですが姫様、明日は大切な御祭ですので、きちんとした格好をしていただかないと」


 どうしてもナナエにフォーマルドレスを着せたい女中は食い下がるが、ナナエももはや意固地になってしまって、袖を通そうともしない。

 とうとう女中が諦めて、一時退散することになってしまった。


 一人でぼんやり庭を眺めていると、不意に部屋の扉がノックされた。

 女中たちが戻ってきたのだろうか。

 そう思って扉を開けると、そこに立っていたのは女中ではなく水王だった。


「ぅへあっ!」


 驚き奇妙な叫びを上げて後ろに飛び退るナナエを目で追いながら、王は悠々と部屋に入ってくる。


 チクられたのか?


 ナナエの頭に咄嗟に浮かんだのは、その言葉だった。

 しかし女中が王にそんな話するはずがないし、何より王もナナエを叱りに来た雰囲気ではない。


「ナナエ、話がある」


「は、はいぃ!」


 いくら父とはいえ、王と話をすると思うと、緊張して仕方ない。

 ナナエは裏返った声で、直立不動のまま返事をした。


「私はきみに、娘としてここで暮らしてほしいと思っている。メリルもそう望んでいる。

 しかしナナエ、きみの気持ちを確認しておこうと思ってね」


 ナナエは王に椅子を勧めるのも忘れて、立ったままで話を聞いていた。

 まさか、王の方からそんなことを言ってくるとは、思いもしなかったのだ。


「えっ、あ、オレっ……じゃなかった、わ、私は……私、は……」


 今言わなければ、きっと城から出られなくなる。


 そう思ってはいても、王妃の嬉しそうな笑顔を思い出すと、中々思った言葉が出てこない。

 ナナエは口を閉ざして俯いてしまった。

 王はそんなナナエを見つめてしばし黙考した後、そっとナナエの肩に手を置いた。


「突然連れてこられて、途惑う気持ちも解る。だからナナエ、私はなるべく早いうちに、きみの意思を知っておきたいのだよ」


 会議の席で見せた威圧感を微塵も感じさせない、とても暖かく、優しい声だった。

 ナナエは顔を上げて父を見る。

 胸の中につかえていた思いを、すべて言ってしまおう。そう思った。


「あのっ、すごく失礼なことだと思います。オレはとんでもない親不孝者だって、思います。

 でもっ、オレの居場所はここじゃない! 月の家の皆や、先生や、友達がいるあの街が、オレの居場所なんだ!」


 話しているうちに、感情が抑えられなくなって、つい大きな声を出してしまう。

 それでも、ナナエは止められなかった。


「家族として迎えてくれるのは嬉しいけど、でもオレはここに相応しくないから!

 今は喜んでもらえてるけど、いつか呆れられて、嫌われたらって……

 だったら、オレはここにいない方がいいって……そう、思って……」


 優しい父の顔を見たからだろうか。今まで誰にも言わなかった不安が、ナナエの口から言葉となって滑り落ちた。


 月の家の子供たちやマリー、友人のエナは、ありのままのナナエを受けとめてくれる。

 しかし王族である父母は、王族としてのナナエを求めるのではないか。

 そうすれば、教養のないナナエは、いずれ見放されてしまうのではないか。


 仲間たちと別れるのが怖かった。

 本当の家族に、見放されるのも怖かった。


 それならば、いっそ家族に会わずに、今まで通り生活していた方が幸せなのではないか。

 そんな思いが、ロディウスたちの枷を付けられた姿を見て、より一層膨れ上がった。


 王は……父は体裁のために、彼らを他の人間と対等に扱わなかった。

 ならば実の娘であれ、素養も教養もない自分は、いつか父母に見限られる日がくる。

 そんな風に思ってしまったのだ。


 ナナエは溢れそうになる涙を無理矢理手でこすり、王に自分の気持ちをすべて伝えた。

 王は黙ってナナエの話を聴き、何度も深く頷いた。

 我が子の言葉を噛み締めるように、何度も、何度も。


「……そうか。ナナエの気持ちはよく解った。

 私は、父親失格だな。きみの不安に、まったく気付かなかった」


 そう言うと王は、自嘲気味に笑みを浮かべ、ナナエの頭を優しく撫でる。


「メリルとも相談しよう。これからのことは、その後でゆっくり決めればよい。それまでは、ナナエの好きなように生きなさい」


 王の意外な言葉に、ナナエは驚いて目を瞬かせた。


「え……それって……」


 ナナエが皆まで言い終わるよりも早く、水王ダナンは大きく頷いた。

 今ナナエの目の前にいるのは王ではなく、我が子のことを第一に考える、優しい父親だ。

 父はナナエに微笑みを向ける。


「ああ、ナナエの思うままに生きなさい。だが、アリシアの誕生日は、一緒に祝ってもらっていいかな?」


 父のその言葉に、ナナエは笑顔で頷き返した。

 笑みを浮かべたナナエの顔は、どことなく父親に似ているようだった。




 翌日の聖誕祭は、街を挙げての盛大な御祭となった。


 ナナエはというと、ドレスも着ないで普段着のまま、城下町の露店で桃のシャーベットを買っていた。

 女中の目を盗んで、部屋から抜け出してきたのだ。


 妹姫の誕生を祝う祭といっても、ただのバースデーパーティーではない。

 重要なのは、水精霊から祝福の言葉を貰う儀式だけなのだ。

 アリシアは今、城の中にある祭壇に向かって祈りを捧げている。

 水精霊からの祝福があれば、街中の水が白く輝くのだそうだ。

 水路も噴水も、すべての水が。


 街の人々は、単にお祭り気分を味わっているだけに過ぎない。

 ナナエもアリシアに祝辞を述べに行くはずだったのだが、主役のアリシアが祭壇から戻るまでは、まだしばらく時間がある。

 それまでは、こうして街の中に紛れ込み、お祭り気分を満喫するつもりなのだ。


 ナナエが桃のシャーベットを舐めつつ城の近くを歩いていると、不意にすぐ傍を流れていた水路が光った。

 そこだけではない。街中の水が、輝きを帯びている。

 途端に人々が歓声を上げた。

 タイミングを見計らったように、城の庭の噴水が噴き上がる。

 光の塔が立ち上ったようだった。


 その幻想的な光景に目を奪われたナナエは、城の屋根に二つの人影を捉えた。

 ロディウスとヴォルフだ。

 はしゃいで走り回るヴォルフを、ロディウスが必死に押さえている。

 目を凝らしてよく見ると、彼らの手足からは枷が外されていた。

 ナナエは何だか嬉しくなって、自然と笑みが零れるのを感じた。




 御祭の興奮も冷め遣らぬ夜、ロディウスはヴォルフを連れて城を出た。

 動物たちを通じて聖王の周囲を調べていたのだが、どうも聖王が抱え込んだ占術士とやら、人間の匂いがしないというのだ。

 それ以上のことは動物たちでは解らず、直接聖王国に潜入することにした。


 少ない荷物をまとめて城壁の門をくぐろうとした、そのときだ。


「ちょっと待てよ!」


 頭上から聞き慣れた声が降ってきて、二人は驚いたように城門を振り仰いだ。

 門の上の見張り塔から、ナナエが顔を出していた。

「にぃ、ナナエ!」


 いち早くナナエの姿を見付けたヴォルフが、ロディウスの服を引っ張り嬉しそうに笑う。


「な……どうして……?」


 ロディウスは驚きの方が先に来たらしい。

 呆然と立ち尽くしている。


「二人だけで行くなんてずりーよ! オレも交ぜろ!」


 一方的に言い放ち、かなり高い位置にも拘らず、ナナエは一息に飛び降りた。

 ナナエが落下してくる音を聞いて、ロディウスは咄嗟に受けとめようと手を伸ばす。

 狙い違わず、ロディウスはナナエを抱きとめた。


「危ないだろ! 何考えてんだ!」


「えへへへ〜」


 叱られたのに笑うナナエを見て、ヴォルフは首を傾げた。


「ナナエ、にぃに怒られたの、楽しい?」


 地面に降りて、ナナエは「まさか」と首を振る。

 べつに叱られるのが楽しい訳ではない。


「ったく、オヒメサマがこんなとこうろついてていいのか? 早く帰れ」


 呆れたようなロディウスの言葉を遮り、ナナエははっきりと言った。


「約束、守ってもらうから」


「は?」


 ロディウスは訳が解らずに首を傾げる。

 いったいいつ、どんな約束をしたというのだ。


 ロディウスの心の中を読んだかのように、いつかロディウスが言ったことを、今度はナナエが言葉にする。


「何処へだって連れ出してやるよって、言ってただろ? 運び屋さん?」


「あ……」


 それを聴いて、ロディウスはようやく思い出した。


 悪戯が成功した子供のように、にんまりと笑ったナナエは二人の手を取る。


「ぐずぐずしてないで、しゅっぱーつ」

「わーい、ナナエ、一緒!」

「ちょっと待て!」


 嬉しそうに笑うヴォルフと、困惑したように叫ぶロディウスと。

 実に対照的な二人を引き連れて、ナナエは聖王国目指して歩き始めた。

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