闇の聖王――聖なる国へ――
その後の会議は影の対策について、あーでもないこーでもないと、延々話し合いが続く、退屈なものだった。
実際に影と剣を交えたナナエは、意見を求められたりもしたが、ほとんど答えられなかった。
影の出現を防ぐには、国全体を巨大な屋根で覆うか、夜の間ずっと皓皓と灯りを点しておくしかない。
それだけでは影の発生を防ぐのは不可能であり、今のところは市中警備の数を増やすくらいしか、有効な対策はとれないだろう。
結局は使用人が夕食の準備ができたと呼びに来たので、仕方なくお開きとなったのだが。
今回はナナエも、王と王妃、妹姫と共に食事をとった。
お世辞にも良いとは言えないテーブルマナーを披露しつつ、ナナエはようやく食後のお茶を流し込む。
こんなにも緊張した食事は初めてだ。
ナナエは夕食を食べながら、これまでの経緯を話して聞かせた。
王妃に求められたからである。
盗みを働いていたことはうまく誤魔化して、月の家でのことを沢山話した。
「そう、素敵な先生なのね。良かったわ、あなたを育ててくれたのがその方で」
王妃は始終穏やかに微笑み、ナナエの話を聞いていた。
ようやく再会できた娘の話を、一つも聞き逃したくないのだろう。じっと耳を傾けている。
「是非お礼がしたいわ。ねぇあなた、どうかしら?」
「そうだな、後で使いの者を送ろうか」
王妃も王も、月の家に好印象を持ってくれたようだ。
これで孤児院の経営も助かると、ナナエはほっと安堵の溜め息を吐いた。
(マジでロディウスの言った通りの展開じゃん)
こうも思惑通りになってくれると、王都に来た甲斐があったというものだ。
ここまで来るように仕向けられたことも、少しは許してやろうか。
しかし問題はこれからだ。
ナナエは城に住む気はないのだが、王妃の様子を見るに、ナナエを手元に置いておくつもりのようなのだ。
それは困るが、ここまで喜ばれると言い出し辛い。
ナナエは少し迷った後に、思い切ってその話を切り出してみた。
「あ、あの、それで、今後のことなんですけど……」
「今日の予定はもうないわよ。もっと話を聞かせてほしいわ」
王妃はナナエに優しい笑みを向ける。
……そんな顔をされると、益々言い辛いのだが。
「じゃなくて、オレ……いや私、今後はここで暮らすことになるんですか?」
遠慮がちに上目遣いで訊ねるナナエに、王妃はわずかに首を傾げた。
「何を言っているの? 家族なのだから当然でしょう? もう二度とあなたを離さないわ」
王妃はそっとナナエの手を取る。
彼女は我が子がいなくなったとき、酷く取り乱し、食事も喉を通らずに、目も当てられぬ程衰弱してしまったらしい。
ヴェヌスの領主館で見た記事を思い出し、ナナエは罪悪感に囚われた。
城に住みたくないというのは、ナナエの我が儘だ。
ただの我が儘で、また王妃を心配させるのは、間違っているのではないか?
ここで暮らすのが、本来のあり方だったのだから。
そう考えると、これ以上何も言えなくなってしまう。
ナナエは愛想笑いを浮かべて、王妃と妹姫にねだられるままに、昔話を語って聞かせた。
結局この日は、ナナエの気持ちを伝えることはできなかった。
夜も更けて、ナナエはようやく宛てがわれた部屋に戻れた。
あの会議以降、ロディウスたちの姿が見えないことが気になり、部屋まで案内してくれた女中に訊ねてみる。
「あの、サニア? ロディウスとヴォルフって客人、いるよな? どこにいるか、知らない?」
「名前を覚えていただけて光栄ですわ。
お二人ならば離れの客室です。姫様が気になさることはありませんわ」
女中はそう言って退室した。
ナナエは窓から外を見る。
この部屋の窓からは庭が見えるのだが、よく目を凝らすと、庭のずっと奥の方に古びた建物がある。
あれが『離れ』なのだろう。
なぜわざわざ離れの客室に通されたのか?
それはすなわち、体の良い隔離だ。
二人が獣人だから、なのだろう。隔離も、あの枷も。
途端に怒りが湧き上がる。
(国のトップがこんな扱いをするから、獣人に対する差別がなくならないんじゃんか!)
ナナエはバルコニーに続くガラス戸を開けて、そこから庭に飛び降りた。
部屋は二階にあったのだが、ナナエは身軽に着地する。
この辺の身体能力は、泥棒稼業で鍛えたものだ。
誰にもみつからないように庭を駆け抜けるのも、ナナエにとってはお手の物である。
すぐに庭の端にある離れにたどり着いた。
その中に、灯りが点っている窓がある。
ナナエは迷わずその窓に近付き、部屋の中にだけ判る程度に、窓を叩いた。
ガラスを叩く硬い音がしてすぐに、わずかに窓が開かれる。
「誰だ? ……ナナエか?」
窓を開けたのはロディウスだった。
目が見えないはずなのに、何故ナナエだと解ったのかは、もうどうでもいい。
ナナエは窓越しにロディウスの胸ぐらを引っ掴み、トーンを押さえた低い声で言った。
「てめーこのロディウスっ!」
しかしここにきて、言いたいことを忘れてしまったのだった。なので、
「……この馬鹿っ!」
と、一応、小声で怒鳴りつけてみた。
「何でいきなり罵られてるのか解らんのだが……」
ロディウスの言うことはもっともだ。
しかし、何を言いたいのか忘れてしまったのだから仕方ない。
そもそもナナエが腹を立てたのは、ロディウスたちが酷い扱いを受けているからであって、その怒りの矛先がロディウスに向かうのは、少々おかしな話だ。
ナナエもようやくそのことに気付いたのだが、何故か足が勝手にここに向かってしまったのだから、仕方がないではないか。
「うっさい! 何言いに来たのか忘れちまったじゃねえか!」
これまた理不尽な怒りをぶつけてから、ナナエはロディウスから手を離した。
その手でロディウスを押し退け、窓から中に侵入する。
部屋の中は、少し埃っぽかった。
恐らく、昔は使用人が寝泊まりするのに使っていたのだろう。
客室と言うには、あまりに狭く質素だ。
「あれ、ナナエ? 何しに、来た?」
ベッドの上で丸くなっていたヴォルフが目を覚まし、寝呆け眼をこすりながら首を傾げる。
その手足には、未だ枷が付けられていた。
見ればロディウスも同様、鎖で繋がれた手枷足枷をはめている。
動く度に、鎖が耳障りな音を立てた。
その音がなんだか、二人とナナエの間に距離を作っているようで。
この城に来てから、理不尽なことばかりだ。
ナナエはぐっと手を握り締めた。
「その、枷。そんなの付けられて、悔しくねーのかよ?」
ナナエは怒ったような表情で、ロディウスの手枷を睨んだ。
突然訊かれたロディウスは、徐に枷に繋がれた鎖を引っ張ってみる。
「まあ、ちょっと邪魔だなぁとは」
「そんなんじゃなくて!
こんな、隔離されて、鎖で繋がれて、まるでモンスター扱いじゃねえか!」
思わず声が大きくなって、ナナエは慌てて口を手で押さえた。
ヴォルフは突然大声を出したナナエに驚いたのか、完全に目を覚まして二人の許に駆け寄ってくる。
ナナエには、鎖の金属音響く度、自分と二人との距離が広がっていくような気がした。
だが、そんなことはただの杞憂に過ぎなかった。
ロディウスもヴォルフも、ナナエに向ける笑顔は今までと変わらない。
「……ナナエ、優しいな。ヴォルフ、ナナエ好きだ。にぃも、そうだな?」
「ああ、ヴォルフの言う通りだな」
ヴォルフは兄と手を繋いで、ナナエを見つめる。
ロディウスもナナエに優しく微笑んだ。
「なっ……何で、そんなの……馬っ鹿じゃねーの?」
ナナエは顔を赤くして、上ずった声で呟く。
どうして彼らは、こんな扱いを受けてもまだ、笑っていられるのだろうか。
ナナエだったら、憤慨して王様を殴り倒していたかもしれない。
しかし、よくよく考えればヴォルフはともかく、ロディウスがそんな短絡的な行動をする訳がないのだ。
そんなことをしたら、益々獣人の評判が悪くなってしまうだろう。
それならば、多少の理不尽は我慢せねば。
そこまで己の感情を押さえ込んで、その上まだナナエに笑顔を向ける余裕があるなんて。
自分の幼稚さに腹が立つ。が、ここまで大人な態度ができるロディウスにも腹が立つ。
何故そう思うのか、自分の心理状態もよく理解できないままに、ナナエはロディウスとヴォルフ、二人の手を取った。
「オレ、こんな扱いやめるように、王様に頼んでくる」
「ほんとか?」
「やめろ馬鹿!」
期待に満ちたヴォルフと、驚いたように言うロディウスは、まったく対照的だった。
ヴォルフは枷を外してもらえるかもしれないと、単純に喜んでいるだけだ。
しかしロディウスは、そう簡単に喜べない。
余計なことを言って、王の怒りを買うのは避けたいし、何よりナナエに迷惑がかかる。
仮にも王族が獣人と懇意にしていると知れたら、国民からどう思われるか。
進言したナナエに処罰が下ることも、ないとは言い切れないのだ。
しかしそれでは、ナナエは納得できない。
どう考えても、この扱いは理不尽だ。
「なんだよ、人が親切で言ってるのにさ」
「こういう問題は、そんな簡単に解決するもんじゃないんだよ。人の意識を塗り替えるには、それなりの時間が必要なのさ」
すべてを悟りきったようなロディウスの言葉が、今のナナエには苛立たしい。
(一人だけ大人ぶって、やせ我慢すんじゃねえよ!)
大人ぶるも何も、ロディウスは実際に大人なのだが、頭に血が昇ったナナエはそんなことも考えられない。
とにかく、理不尽を耐える姿勢でいるロディウスが苛立たしい。
もっと素直になればいいのにと、ナナエはそう思うのだ。
「わぁるかったな。どうせオレは短絡思考のお子ちゃまですよ。
酷いよな、ヴォルフ。オレはお前らのこと思って言ったのにさ」
ナナエは手で顔を覆って泣き真似をしてみせる。
途端にヴォルフがナナエに抱きついてきて、キッとロディウスを睨み付けた。
「にぃ、ナナエ、泣かしちゃ、だめだ!」
「オレの味方はヴォルフだけだよー」
二人がかりで攻め立てられて、ロディウスは困ったように頭を掻いた。
まさかナナエが、ヴォルフを味方につけるとは。
放っておけば益々エスカレートしそうで、ロディウスは両手を上げて降参のポーズをとる。
「わかったわかった、悪かった。
……正直なところ、ナナエのその気持ちには感謝してるよ。ありがとう」
急に真剣な口調で言われて、ナナエは顔に血が昇ってくるのを感じた。
こうして改まって礼を言われると、なんだかものすごく恥ずかしい。
「お、おう。解ってくれればいいんだよ」
ナナエは真っ赤になって、ロディウスから目を逸らした。
抱きついたままだったヴォルフを引き剥がし、ナナエは今し方入ってきた窓に向かう。
勝手に部屋を抜け出したことがばれるとまずい。そろそろ戻らなくては。
「じゃ、じゃあ、戻るよ。また明日な」
窓から外に出るナナエに、ヴォルフが手を振る。
ロディウスは苦笑いして肩をすくめた。
「何しに来たんだか。てっきり、『よくも騙したなコノヤロウ』とか、怒りに来たもんだと思ったんだがなぁ」
「……あ」
その呟きを聞いて、ナナエはようやく思い出した。
そのことについては、一度きちんと文句を言ってやろうと思っていたのだが、今更怒り直すのもおかしいので、とりあえず気になったことだけでも訊いてみることにした。
閉めかけた窓を開けて振り返る。
「あのさ、あのときオレが戻らなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「あのとき?」
「ほら、街を追い出されたあのとき」
顎に手を当て軽く首を傾げたロディウスは、ようやく思い至って頷いた。
「もし来なかったら、ヴォルフと二人だけで王都に行くつもりだったさ。元々、ナナエを騙して連れていくのには、反対だったんだ」
ロディウスの口から意外な言葉を聞き、ナナエは思わず目を瞬いた。
ロディウスはナナエの頭を優しく撫でる。
「サイマスは、本当の家族と一緒にいた方が幸せだろうって言ってたけどな、幸せは人それぞれだろ。
だから、ナナエが本気で嫌がったら、ちゃんと事情を話して、サイマスには断りに行くつもりだった」
結果的にはナナエを騙すような形になってしまったが、ロディウスはナナエにきっかけを与えただけだったのだ。
王都に行かないという選択肢も、ナナエにはあった。
だが、最終的に王都に行くと決めたのは、ナナエ自身ではないか。
ナナエはロディウスから目を逸らし、靴の先で軽く壁を蹴った。
自分の思慮の浅さを思い知らされた気分だ。
自分で選んだ結果を、他人のせいにするなんて。
そんなナナエに、今度はロディウスが問い掛けた。
「逆に訊きたいんだが、なんであのとき一緒に来ようと思ったんだ?」
あのとき、ナナエには一人でヴェヌスに帰ることもできたのだ。
それなのにロディウスを追い掛けて街を出たのは、単純に、あのまま二人と別れたくなかったからだ。
「……別に、深い理由なんかねぇよ。ただ、もう少しくらい、一緒にいてもいいかなって思って……」
少しばかり恥ずかしそうに小声で喋るナナエに、ロディウスは静かに顔を近付け、額に唇を落とした。
「ありがとな。なんだよ、可愛いとこあるじゃねーか」
「んなっ……!」
額にとはいえ、いきなりキスされてナナエは茹で蛸のように真っ赤になる。
それを見ていたヴォルフが走り寄ってきて、ロディウスの横から顔を出した。
「ヴォルフも、やる! ナナエ、顔出せ」
「やらんでいいっ!」
両手を広げて唇を尖らせるヴォルフにチョップをお見舞いしつつ、ナナエは逃げるようにその場から走り去った。
取り残された兄弟はしばし無言で佇んでいたが、ややあってヴォルフがロディウスの顔を覗き込んで言った。
「……じゃあ、にぃ、やって」
「へいへい」
可笑しそうに肩をすくめたロディウスが、ヴォルフにオヤスミのキスをする。
ヴォルフは満足そうに笑みを浮かべて、いそいそとベッドに戻っていった。
ナナエはというと、未だ赤みの引かない顔を冷まそうとして、部屋に戻った瞬間に頭から水を被っていた。
その後も中々寝付けず、結局眠れたのは明け方のわずかな時間だけだった。
そして翌朝。この日は、アリシア姫の聖誕祭前日ということで、城の中は忙しかった。
ナナエの部屋にも女中二人が押し掛けて、明日の衣装を選んでいる。
「だーかーらー、オレは嫌だって言ってんの。そんな服絶対やだ!」
女中が選ぶドレスをことごとく拒否して、ナナエは椅子の上であぐらをかく。
女中たちはほとほと困ったように、顔を見合わせた。
「ですが姫様、明日は大切な御祭ですので、きちんとした格好をしていただかないと」
どうしてもナナエにフォーマルドレスを着せたい女中は食い下がるが、ナナエももはや意固地になってしまって、袖を通そうともしない。
とうとう女中が諦めて、一時退散することになってしまった。
一人でぼんやり庭を眺めていると、不意に部屋の扉がノックされた。
女中たちが戻ってきたのだろうか。
そう思って扉を開けると、そこに立っていたのは女中ではなく水王だった。
「ぅへあっ!」
驚き奇妙な叫びを上げて後ろに飛び退るナナエを目で追いながら、王は悠々と部屋に入ってくる。
チクられたのか?
ナナエの頭に咄嗟に浮かんだのは、その言葉だった。
しかし女中が王にそんな話するはずがないし、何より王もナナエを叱りに来た雰囲気ではない。
「ナナエ、話がある」
「は、はいぃ!」
いくら父とはいえ、王と話をすると思うと、緊張して仕方ない。
ナナエは裏返った声で、直立不動のまま返事をした。
「私はきみに、娘としてここで暮らしてほしいと思っている。メリルもそう望んでいる。
しかしナナエ、きみの気持ちを確認しておこうと思ってね」
ナナエは王に椅子を勧めるのも忘れて、立ったままで話を聞いていた。
まさか、王の方からそんなことを言ってくるとは、思いもしなかったのだ。
「えっ、あ、オレっ……じゃなかった、わ、私は……私、は……」
今言わなければ、きっと城から出られなくなる。
そう思ってはいても、王妃の嬉しそうな笑顔を思い出すと、中々思った言葉が出てこない。
ナナエは口を閉ざして俯いてしまった。
王はそんなナナエを見つめてしばし黙考した後、そっとナナエの肩に手を置いた。
「突然連れてこられて、途惑う気持ちも解る。だからナナエ、私はなるべく早いうちに、きみの意思を知っておきたいのだよ」
会議の席で見せた威圧感を微塵も感じさせない、とても暖かく、優しい声だった。
ナナエは顔を上げて父を見る。
胸の中につかえていた思いを、すべて言ってしまおう。そう思った。
「あのっ、すごく失礼なことだと思います。オレはとんでもない親不孝者だって、思います。
でもっ、オレの居場所はここじゃない! 月の家の皆や、先生や、友達がいるあの街が、オレの居場所なんだ!」
話しているうちに、感情が抑えられなくなって、つい大きな声を出してしまう。
それでも、ナナエは止められなかった。
「家族として迎えてくれるのは嬉しいけど、でもオレはここに相応しくないから!
今は喜んでもらえてるけど、いつか呆れられて、嫌われたらって……
だったら、オレはここにいない方がいいって……そう、思って……」
優しい父の顔を見たからだろうか。今まで誰にも言わなかった不安が、ナナエの口から言葉となって滑り落ちた。
月の家の子供たちやマリー、友人のエナは、ありのままのナナエを受けとめてくれる。
しかし王族である父母は、王族としてのナナエを求めるのではないか。
そうすれば、教養のないナナエは、いずれ見放されてしまうのではないか。
仲間たちと別れるのが怖かった。
本当の家族に、見放されるのも怖かった。
それならば、いっそ家族に会わずに、今まで通り生活していた方が幸せなのではないか。
そんな思いが、ロディウスたちの枷を付けられた姿を見て、より一層膨れ上がった。
王は……父は体裁のために、彼らを他の人間と対等に扱わなかった。
ならば実の娘であれ、素養も教養もない自分は、いつか父母に見限られる日がくる。
そんな風に思ってしまったのだ。
ナナエは溢れそうになる涙を無理矢理手でこすり、王に自分の気持ちをすべて伝えた。
王は黙ってナナエの話を聴き、何度も深く頷いた。
我が子の言葉を噛み締めるように、何度も、何度も。
「……そうか。ナナエの気持ちはよく解った。
私は、父親失格だな。きみの不安に、まったく気付かなかった」
そう言うと王は、自嘲気味に笑みを浮かべ、ナナエの頭を優しく撫でる。
「メリルとも相談しよう。これからのことは、その後でゆっくり決めればよい。それまでは、ナナエの好きなように生きなさい」
王の意外な言葉に、ナナエは驚いて目を瞬かせた。
「え……それって……」
ナナエが皆まで言い終わるよりも早く、水王ダナンは大きく頷いた。
今ナナエの目の前にいるのは王ではなく、我が子のことを第一に考える、優しい父親だ。
父はナナエに微笑みを向ける。
「ああ、ナナエの思うままに生きなさい。だが、アリシアの誕生日は、一緒に祝ってもらっていいかな?」
父のその言葉に、ナナエは笑顔で頷き返した。
笑みを浮かべたナナエの顔は、どことなく父親に似ているようだった。
翌日の聖誕祭は、街を挙げての盛大な御祭となった。
ナナエはというと、ドレスも着ないで普段着のまま、城下町の露店で桃のシャーベットを買っていた。
女中の目を盗んで、部屋から抜け出してきたのだ。
妹姫の誕生を祝う祭といっても、ただのバースデーパーティーではない。
重要なのは、水精霊から祝福の言葉を貰う儀式だけなのだ。
アリシアは今、城の中にある祭壇に向かって祈りを捧げている。
水精霊からの祝福があれば、街中の水が白く輝くのだそうだ。
水路も噴水も、すべての水が。
街の人々は、単にお祭り気分を味わっているだけに過ぎない。
ナナエもアリシアに祝辞を述べに行くはずだったのだが、主役のアリシアが祭壇から戻るまでは、まだしばらく時間がある。
それまでは、こうして街の中に紛れ込み、お祭り気分を満喫するつもりなのだ。
ナナエが桃のシャーベットを舐めつつ城の近くを歩いていると、不意にすぐ傍を流れていた水路が光った。
そこだけではない。街中の水が、輝きを帯びている。
途端に人々が歓声を上げた。
タイミングを見計らったように、城の庭の噴水が噴き上がる。
光の塔が立ち上ったようだった。
その幻想的な光景に目を奪われたナナエは、城の屋根に二つの人影を捉えた。
ロディウスとヴォルフだ。
はしゃいで走り回るヴォルフを、ロディウスが必死に押さえている。
目を凝らしてよく見ると、彼らの手足からは枷が外されていた。
ナナエは何だか嬉しくなって、自然と笑みが零れるのを感じた。
御祭の興奮も冷め遣らぬ夜、ロディウスはヴォルフを連れて城を出た。
動物たちを通じて聖王の周囲を調べていたのだが、どうも聖王が抱え込んだ占術士とやら、人間の匂いがしないというのだ。
それ以上のことは動物たちでは解らず、直接聖王国に潜入することにした。
少ない荷物をまとめて城壁の門をくぐろうとした、そのときだ。
「ちょっと待てよ!」
頭上から聞き慣れた声が降ってきて、二人は驚いたように城門を振り仰いだ。
門の上の見張り塔から、ナナエが顔を出していた。
「にぃ、ナナエ!」
いち早くナナエの姿を見付けたヴォルフが、ロディウスの服を引っ張り嬉しそうに笑う。
「な……どうして……?」
ロディウスは驚きの方が先に来たらしい。
呆然と立ち尽くしている。
「二人だけで行くなんてずりーよ! オレも交ぜろ!」
一方的に言い放ち、かなり高い位置にも拘らず、ナナエは一息に飛び降りた。
ナナエが落下してくる音を聞いて、ロディウスは咄嗟に受けとめようと手を伸ばす。
狙い違わず、ロディウスはナナエを抱きとめた。
「危ないだろ! 何考えてんだ!」
「えへへへ〜」
叱られたのに笑うナナエを見て、ヴォルフは首を傾げた。
「ナナエ、にぃに怒られたの、楽しい?」
地面に降りて、ナナエは「まさか」と首を振る。
べつに叱られるのが楽しい訳ではない。
「ったく、オヒメサマがこんなとこうろついてていいのか? 早く帰れ」
呆れたようなロディウスの言葉を遮り、ナナエははっきりと言った。
「約束、守ってもらうから」
「は?」
ロディウスは訳が解らずに首を傾げる。
いったいいつ、どんな約束をしたというのだ。
ロディウスの心の中を読んだかのように、いつかロディウスが言ったことを、今度はナナエが言葉にする。
「何処へだって連れ出してやるよって、言ってただろ? 運び屋さん?」
「あ……」
それを聴いて、ロディウスはようやく思い出した。
悪戯が成功した子供のように、にんまりと笑ったナナエは二人の手を取る。
「ぐずぐずしてないで、しゅっぱーつ」
「わーい、ナナエ、一緒!」
「ちょっと待て!」
嬉しそうに笑うヴォルフと、困惑したように叫ぶロディウスと。
実に対照的な二人を引き連れて、ナナエは聖王国目指して歩き始めた。




