プロローグ
side N
昔むかし、この世界がまだ生まれる前に、大いなる空から、いくつかの精霊様が現れました。
精霊様たちは、空に漂う無数の欠片を集めて、この世界を創りました。
この世界の基を創ったのは、幾千の精霊を束ねる精霊の王。
母なる大地を生んだ地精霊。
大いなる海を生んだ水精霊。
悠久の風を生んだ風精霊。
文明の炎を生んだ火精霊。
その他数多の精霊たちが、命あるものを生み出しました。
偉大なる母、精霊王が創りだした、豊かな世界。
その世界を悪しきものから守り浄化するため、この世界から分離して、遥か天空に浮かぶ美しい月。
精霊様たちは、この世界に溶け込み、この世界の一部となって、我々を見守っています。
そして、この世界を創造した偉大なる力は、選ばれし人間に受け継がれました。
この世界を見守る精霊様たちと、精霊様の力を授かった人間。
彼らがいる限り、この世界はずっと平穏が続くでしょう。
「だから、怖いものなんて何もないのよ」
優しい微笑みを湛えた女性が、ゆっくりと語って聞かせた物語は、教会で布教している精霊神祖の教えを要約したものだ。
子どもたちが聞いても理解できるようにと、天地の理を噛み砕いて説明している。
深い黒の修道服に身を包んだ女性は、母性溢れる優しい笑みを子どもたちに向けた。
しかし彼女の周りに集まった子供たちは、その頬を濡らしている。
次々と溢れる涙を拭うこともせず、子供たちは彼女にしがみ付いて顔を上げた。
「でも、先生、このおうち、なくなっちゃうって」
「この前来た怖い人が、言ってたよ」
ぐすぐすとしゃくり上げながら言う子どもたちを、彼女は精一杯腕を広げて抱き締めた。
「大丈夫よ。きっと水精霊様が守ってくださるわ。だから大丈夫……」
だが一番年長の子供は、決意を秘めた目で女性から離れる。
「精霊様なんて、待ってても助けてくれない。オレがなんとかするよ」
その子供は暖かい家の中から、外へと飛び出した。
side R
赤く、赤く、視界を染め上げて、それは踊る。
どこを見ても、どこに行っても、それは自分を放さない。
炎だ。赤い赤い炎。
熱い。熱い。
どうしてこんなことになってしまったのか。
どうしてこんな目に遭わなければいけないのか。
四方を炎に囲まれた少年に、解るはずがない。
褐色の肌は炎を反射して赤々と輝く。
白銀の髪は、炎の揺らぎを映して燃えているようだ。
黄金の瞳が、真紅の炎を見つめている。
もう少し。
もう少しで望むものが手に入ったはずなのに。
そのために、たった一人で街へ行ったのに。
何もかもおしまいだ。
すべては、裁きの炎に焼き尽くされる。
目の前に迫る炎。
その向こうに、大切なあの人がいるはずなのに。
伸ばした手は届かない。
流した涙は炎に焼けた。
彼を迎えたのは、彼が愛したあの人ではなく……
大声で罵声を浴びせられ、容赦なく殴り付けられた。
彼は抵抗もしなかった。
すべて悪いのは、自分。
罪人である自分は、罰せられて当然なのだから。
どうすれば許されますか?
どうすれば償えますか?
何を失えば、消えた命の代わりになりますか?
少年の懺悔の言葉を聞く者はなく、その身に与えられたのは、罰。
少年の眼前に炎が迫る。
少年の最後の涙は炎に溶けて、少年が最後に見た景色は、辺り一面に広がる赤。
瞳が焼け落ちる匂いを感じながら、彼は暗闇を手に入れた。
プロローグ
side V
母は強い人だった。
そんな母が好きだった。
母を独り占めしたいと思った。
それが悪いことだなんて、考えもしなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか。
その子は解っていなかった。
自分はただ、母の隣に居たかっただけなのに。
母は咳き込みながら、子供の手を引いて走っていた。
立ちこめる黒煙と舞い上がる炎で、何も見えない。
母子はついに炎に囲まれてしまった。
進むことも、戻ることもできない。
こんな山奥に、誰も助けには来ないだろう。
あの炎の向こうに、愛する家族がいる。
それなのに、炎が阻む。
助けを求めて手を伸ばすこともできない。
せめて、この子だけでも。
母は必死に土を掘った。
両手の爪が剥がれて、すべての指が血に塗れても。
我が子を炎から守るため。
子供の上に覆いかぶさり、自らが盾になるために。
浅い穴の中から、その子は母を見上げていた。
病弱だった母。
他の誰より、自分が母を守らなくてはいけなかったのに。
自分を抱き締める母の身体は、燃えるように熱かった。
母の顔が、涙で滲む。
その子は大声で泣き叫んだ。
母との別れに嘆きの咆哮を。
何度も、何度も。
やがて炎が消える頃、その子は静かに瞳を閉じた。
悲しみはすべて、眠りの向こうに置き去りにして。
次に目覚めたときには、悲しみのない世界であるようにと。
小さな子供は、すべてを忘れて眠りに落ちた。




