女性を求める理由
セレーヌとの婚約証明書にサインしたアルフォンスはため息をついた。
ランスロットの言うように、セレーヌの魔力は力になるかもしれないが、婚約はしなくてもよかったのではないか。良い様に言いくるめられてしまった気がする。アルフォンスは早速婚約したことを後悔していた。
アルフォンスが皇帝に即位してすぐの頃、隣国のタリスから攻撃を受けた。それ以来、国に結界を張って防衛することにしたが、当初は結界を張り続けることに魔力を消耗して、アルフォンスの体力は奪われる一方だった。結界を張り続けることができるのか、このまま国を守ることができるのかという不安を抱える中、使用人たちがいなくなってしまうある事件が起きた。
城にランスロットと2人しかいない状態になってからは、幸い攻撃を受けていないが、タリスはヴァルドラードを監視し続けている。この状態で攻撃を受けてしまったら侵略を許してしまうかもしれない。心配したランスロットは、アルフォンスにとある計画を持ち掛けた。
「陛下、隣国への対抗策を思いつきました。魔王の恐ろしさを示し、脅かしてやりましょう。『魔王は女性を欲している!生贄に女を差し出せ!そうでなければ魔力によって国を滅ぼすぞ!』これでいきましょう。」
「何を言っているんだ、お前は。」
ランスロットの突拍子もない発案は、全く意味がわからなかった。女性なんて求めていないし、生贄もいらない。魔力で他国を攻撃するつもりもない。しかしランスロットは譲らなかった。
「脅かすだけですよ。『魔王様は恐いなぁ、ヴァルドラードに攻めるのはやめておこう』と思わせればいいんですから。生贄に女を差し出せって、魔王っぽいですよね?」
「ひどい嘘だ。」
「そうですか?陛下の魔力なら国を吹っ飛ばすくらいできますよね。」
「俺は女性を求めていない。」
「大丈夫ですよ。本当に女性を送ってくることなんてないと思いますし。」
「甘いな、お前は。」
面倒だから女性を送っておけばいいと言って、適当に女を送って来ることが容易に想像できる。
「でも攻撃をされたら困りますよね?城には陛下と私しかいないんですよ?」
それはランスロットの言う通りだった。タリスは監視を続け、結界を破る方法を探っている。今の状況で攻撃を受けてしまったら、国を守れるかわからない。
「やってみませんか、魔王様。」
「俺は魔王ではない。」
「いいんですよ、魔力が高いんですから。魔王様は魔王様らしく!近隣諸国を恐怖に陥れましょう!ははは!」
ランスロットの案には賛同したくないが、隣国を牽制する必要はある。女性が送られて来るのは面倒だが、こういう時に送られて来るのは貴族の女ではないはずだ。頃合いを見て国に返せばなんとかなるだろう。そう思ったアルフォンスは、ランスロットの案を承諾した。
アルフォンスの許可を得たランスロットは、ヴァルドラードと国境を接している隣国のタリスとエルバトリアに『魔王は女性を侍らせていないと魔力を抑えることができずに攻撃してしまうかもしれない。攻撃されたくなければ女性を寄越せ』と噂を流した。これでヴァルドラードが攻撃されることはないだろう。ランスロットは満足していたが、すぐに後悔した。エルバトリアから本当に女性が送られてきてしまったのだ。
「陛下、大変です!エルバトリアから女性が送られてきます!女性を差し出すなんて、なんてひどいことをするんだ!」
「お前が計画したことだろう。」
「どうしましょう……もう来てるみたいで……」
「はぁ……話をする。連れてきてくれ。」
女性が送られてくるのは想定していたが至極面倒だ。アルフォンスは謁見の間に向かった。
謁見の間は何年も使われておらず、ひどく汚れて暗かった。アルフォンスは魔力を使って掃除をしようとしたがやめた。この雰囲気は『魔王』の恐ろしい演出にうってつけだ。アルフォンスは送られてきた女性を怯えさせて、国へ戻そうと考えた。
しばらくすると、ランスロットが1人の女性を連れてきた。服はぼろぼろでひどく怯えている。貧しい村の娘を脅して強制的に送って来たのだろうか。いい気分ではない。アルフォンスはできるだけ低い声で女性に話しかけた。
「どうしてここへ来た。」
女性は震えて声が出ないようだ。脅かし過ぎだろうか。ランスロットが女性の背中をさすって慰めると、女性は恐る恐る口を開いて話し始めた。
「む……村が……無くなる……って……言われて……」
ヴァルドラードへ行かないと村を潰すとでも言ったのだろうか。アルフォンスは思わずため息をついてしまった。
「名はなんという?」
「ナ……ナタリア……でございます……」
アルフォンスはナタリアを見つめた。このまま脅してエルバトリアへ帰すことは簡単だが、このままナタリアを戻したらどうなるのだろうか。あまり良い結果にはならないだろう。
「花が好きなのか?」
怯えて俯いていたナタリアは驚いて顔を上げた。ナタリアはエルバトリアの貧しい村で、細々と花を育てていた。
「もう女は足りていてな。しばらく花屋の手伝いでもしてくれ。ランスロット、あとは頼む。」
「かしこまりました!」
アルフォンスが謁見の間を出ていくと、緊張の糸が切れたナタリアは膝から崩れ落ちた。
「ナタリアさん、大丈夫ですか。」
「私……死ぬんだと思っていました。すごく怖かったんです……断ったら村が無くなるって言われて……それなのに……お花屋さん……夢だったんです!村ではそんなことできないって思ってたのに……私、一生懸命働きます!ありがとうございます!」
ナタリアが夢を叶えて花屋で懸命に働いているとは誰も思わず、エルバトリアでは魔王の生贄として貧しい村の女性が送られたという噂が広がっていた。エルバトリアの噂を聞いた近隣諸国も女性を送るようになり、アルフォンスのところには、定期的に女性が送られてくるようになっていった。
「ランスロット、もう終わりにしないか?」
「ですよね~」
アルフォンスのところへ送られてきた女性たちは、もれなくヴァルドラードの街で幸せに暮らしている。それはとても良いことだが、元は脅されてヴァルドラードへ送られてきた女性たちだ。もうやめたいと思うのはランスロットも同じだった。
『魔王は女性に満足したから送らなくて良い』という噂を流せば、女性が送られてくることはなくなるだろうが、牽制は続けたい。アルフォンスは怖い存在だということを示し続けるにはどうしたらいいかとランスロットが次の策を考えていると、エルバトリアからブランシェールの令嬢を送るという書状が届いたのだった。
「陛下、また来るみたいです。エルバトリアから……」
「エルバトリアには寄越すなと言ってあるはずだが。」
「今回は貴族のご令嬢です。」
「貴族だと!?」
「しかも、ブランシェール家のご令嬢だそうです。」
「ブランシェール家の女がなぜこんなところに来る必要がある?」
「さぁ、なぜでしょうね……」
貴族の女、しかもブランシェール家の令嬢ということは、単に生贄としてではなく、他の目的があるのかもしれない。
「国王の差し金か……ランスロット、確認してきてくれ。」
「そうですね。聞いてきます。」
「理由はどうあれ断ってくれ。もう女はいらない。」
「承知いたしました。」
そしてランスロットはエルバトリアのブランシェール家へ向かったのだが、なんだかんだで婚約してしまった。
「はぁ……」
やはり婚約は早まった。こんなことになるはずではなかった。
それにしてもなぜ自分と結婚したいのだろうか。ヴァルドラードに送られている女性たちは皆、国へ戻ることなく街で働いている。国外では送られた女性たちが行方不明だと言われているはずだ。そんな話を聞けば、ヴァルドラードへは行きたくないと思うものではないのか。王太子に婚約破棄されたのも、魔力を失ってしまうのも不憫だとは思うが、相手が自分である必要はない。ブランシェール家の令嬢なら他を探せば良いだけではないのか。
「エルバトリアの王太子……まさかあいつか?」
アルフォンスは、かつてエルバトリアから結界を攻撃されたことを思い出した。
城にアルフォンスとランスロットしかいない状態になってしばらく経ったある日、国境付近が騒がしくなって様子を見に行くと、エルバトリアの兵士たちが結界に攻撃を仕掛けていた。
しかしその攻撃はなんの効力もないものだった。特段影響がなさそうなのでしばらく放置していると兵士たちは帰って行った。威力も攻撃とは言えず何をしたいのか全くわからなかった。だが、エルバトリアに攻撃の意志があるのであれば策を考えなければならない。どうしたものかと思っていたら、翌日エルバトリアの国王であるイグナシオが突然来訪した。
「この度はなんと!なんとお詫びしたら良いか!」
イグナシオは謁見の間でアルフォンスに土下座して謝罪した。国王なのにそんな謝罪の仕方をしていいのかと、そばに控えていたランスロットは目を疑った。
「お前の指示ではないのか?」
「恐れながら、愚息が勝手に兵を率いて貴国に攻撃を……!」
イグナシオは床に頭をつけたまま話している。
「息子の意向は親の意向だろう。」
「とんでもございません!貴国を攻撃するつもりなど毛頭ありません!ですから女性を……!」
「もう女性は不要だ。村を潰すと言って脅すなんてことはしない方が良い。」
「私はそんなことは……」
「把握していないのか。もっと国の末端まで目を向けるべきだ。」
「はい!申し訳ございません!」
エルバトリアの国王であるイグナシオは女性を送ることの詳細を把握していないのだろうか。近くで聞いていたランスロットは嫌な顔をした。
「攻撃の意思が無いのなら、こちらから仕掛けることはない。もう女は寄越さなくて良い。」
「わ……わかりました!」
アルフォンスは土下座しているイグナシオを見下ろした。今は自分に向かって土下座しているが、イグナシオは国王にふさわしい魔力の使い手だ。魔力の高さも一目置いている。だからまさか兵を率いていたのがイグナシオの息子だとは思わなかった。
「息子の行動くらい把握しておけ。」
「申し訳ございません!」
イグナシオは最後まで頭を上げることなく、謁見の間を出て行った。
「あの王太子の婚約者だったということか……」
エルバトリアの兵を率いていたと思われる人物は、兵士たちをまとめられておらず、むしろ自ら適当な魔力を放って周囲の兵士たちを混乱に陥れていた。だから、階級の低い兵士たちが面白おかしく魔力を試すために攻撃を仕掛けてきたのだろうと思っていた。あの兵士たちを率いていたポンコツがまさか王太子だとは思わなかった。
「大変だな……」
アルフォンスはエルバトリアの王太子と婚約していたというセレーヌに同情した。