突然の婚約破棄
セレーヌはパーティーの会場に1人で足を踏み入れた。周囲の人々は彼女を見てこそこそと話をしている。王太子の婚約者なのに王太子のエスコートがない。話しているのはそんなことだろう。
セレーヌは周囲の反応を気にも留めず、まっすぐ前を見て進んでいく。前方には女性の腰に手を回して仲良さげに話している王太子ステファンの姿がある。セレーヌはステファンの前に立った。
「ステファン様、いい加減にしてください。」
ステファンにエスコートされるはずだったのに、どれだけ待ってもステファンは現れず、すでに別の女性と会場にいることをメイドが教えてくれた。今日に限ったことではない。ステファンを待っていたら、既に別の女性と会場にいると知らされる。最近はこんなことが続いていた。
「セレーヌ、今日エスコートするのは君じゃない。彼女だよ。」
「ステファン様は私と婚約しているのですよ?」
婚約者をエスコートするのは当たり前のことだ。セレーヌはステファンからすっぽかされるたびに同じことを伝えていた。
「ステファン様、お戻りください。」
ステファンは王太子だ。パーティーともなれば挨拶にまわらなければならない。いつもなら不服そうな顔をしながらも、仕方なくセレーヌをエスコートし始めるのだが、この日は違った。
「セレーヌ、君はもう俺の婚約者じゃない。」
「どういうことですか?」
「俺は彼女に本気なんだ。彼女は運命の人なんだから。」
ステファンは女性を抱き寄せて、セレーヌを嘲笑うかのような視線を向けた。
「ステファン様のお相手は、普通の方では務まりません。」
「セレーヌも俺の相手は務まらない。こんなに長くいるのに、俺の魔力は少しも上がらないんだから。」
「それは、ステファン様が努力をなさらないからではありませんか!」
セレーヌの大きな声が会場に響き渡り、会場は笑いに包まれた。ステファンは不機嫌な顔をしてセレーヌを睨みつけた。
「とにかく、君とは終わり。婚約を破棄して彼女と結婚する。」
ステファンの声が会場に響いて、ざわざわしていた会場が静まり返った。
「婚約破棄なんて認められるはずがありません。これまでどれだけステファン様のために苦労してきたか!」
「もう決まったことだよ。父上の許可をもらってるからね。今頃ブランシェール家にも書状が届いてるんじゃないかなぁ。」
「そんな……」
ステファンとの婚約は国王も認めていた。それなのに、こうもあっさりと婚約の破棄を承認したというのか。突然の王太子婚約破棄という事態に会場がどよめいている。
セレーヌは、相変わらず隣の女性といちゃついているステファンに背を向けて歩き出した。一刻も早くこの場から立ち去りたい。
ステファンがエスコートを放棄してすでに別の女性と会場にいるとわかっても、いつものことだと思った。だがまさか婚約を破棄されるとは思わなかった。セレーヌは会場を出てふらふらと彷徨い歩いた。
婚約を破棄されてこんなにも落ち込んでいるのは、ステファンが好きだったからではない。セレーヌの家、ブランシェール家には『結婚しなければ魔力を失う』という言い伝えがある。そのため、ブランシェール家に生まれた人間は早くに婚約を結び、結婚相手を決めておくのが習わしだった。セレーヌも幼少期にステファンと婚約した。
ブランシェール家は代々魔力によって王家を支える由緒正しい家柄で、両親は魔力が高く、高難度の魔力を意のままに操る魔力使いのエキスパートとして王家を支えている。
魔力使いのサラブレッドとして生まれたセレーヌだが、生まれつきの魔力が高いわけでも、うまく使えたわけでもなかった。
魔力をうまく使うことができずに、ブランシェール家の令嬢なのにと言われ、ステファンとの婚約が決まってからは、ブランシェールという家柄と王太子の婚約者という重荷がのしかかった。
それでも周囲の期待に応えるため、セレーヌは地道に魔力の訓練を続けた。婚約したステファンがうまく魔力を扱えないことがわかると、ステファンを支えるためにさらに魔力を磨いて、新たな魔力を習得していった。
苦労して魔力を習得してきたセレーヌは、自分の持つ魔力をブランシェール家やエルバトリアのために使おうと日々精進してきた。最近は苦戦していた難易度の高い治癒の魔力を習得し、怪我を治すことができるようになったばかりだった。これまで以上に、人のため、国のために頑張ろうと思っていた矢先に婚約破棄されてしまったのだった。
婚約を破棄されたということは結婚ができないということだ。結婚ができないということは魔力を失うということになる。セレーヌはショックのあまり廊下に座り込んでしまった。
「セレーヌ様!」
慌てて走って来たメイドのアンリエッタは今にも消えそうなセレーヌの体を抱えて、急いでブランシェールの屋敷へ戻った。屋敷の前ではセレーヌの母ナターシャがそわそわして待っていた。
「お母様……私……ステファン様に……」
「大丈夫よ。お父様のところへ行きましょう。」
茫然自失で馬車に揺られていたセレーヌは、母の顔を見るなり大粒の涙を流した。ナターシャに支えられて、セレーヌは父ジーベルトの執務室を訪れた。
「セレーヌ、よく戻ってきたね。先ほど書状を受け取ったよ。」
「あなた、殿下とのご婚約はもう難しいのでしょうか。」
「覆すことは難しいだろうね。」
「私……ずっと頑張ってきたのに……」
「セレーヌ、お前の魔力はエルバトリアの力になる。必ず結婚相手をみつけるよ。」
セレーヌはナターシャに支えられて自室へ戻って行った。
「お父様が結婚相手を探してくださるわ。」
魔力を習得し、使いこなせるようになるまでの道のりは平坦でなかった。だからこそ、婚約破棄された程度でこれまで習得してきた魔力をすべて失ってしまうことは受け入れられない。
「その間に魔力を失ってしまうかもしれないのよ?」
「大丈夫よ。少しの間だけだから。」
ナターシャに背中をさすられているが、不安で押しつぶされてしまいそうだ。セレーヌの涙は止まらなかった。