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黒は、万魔を生んで人を殺す。白は、万聖を生んで人を救う。

  3


マリーと、マリーの母親に会ってからというもの、わずかに身体が軽い。

徐々に心の余裕を持てるようになってきていて、思考も前向きになりつつある。



「アリアはまた、村へ行くの?」



出掛ける支度をしているアリアに、ハルトは声をかけた。

ふわりとした笑顔を湛えたアリアが振り返る。



「ええ。マリーとマリーのお母さんの手伝いをする約束をしたの」


「そうなんだ。ボクも途中まで一緒に行こうかな」


「構わないけど、マリーを横取りしないでね」



アリアが片眉を上げつつハルトに詰め寄る。

以前に比べて心身に余裕が出来たらしい。ハルトをからかうような言動も増えてきている。

ハルトは明るい表情を浮かべるアリアをひとしきり眺めた後、「横取りなんてしないよ」と両手のひらを向けてみせた。


村への道中、酒場へ働きに出るルーファウスも一緒に行くことになった。

久しぶりと思えるほど、その日のルーファウスの表情は晴れやかであった。

最近のあばら家の空気が軽くなっていることで、ルーファウスも心身に良い影響を受けているのかもしれない。



「私はまだ、そのマリーという子に会っていないんだ。今度はぜひ、真夜中に来るよう伝えておいてくれないか」


「ルーファウスったら、またそんな馬鹿なことを言うのね。真夜中に会える男女は恋人たちだけなのよ」


「それはとても残念だ」


「まあ……酒場は夜遅くまで仕事だもんね」


「そうなのだよ。それもまた、実に残念なことだ」



大仰に両手を振り上げ、ルーファウスが涼し声を鳴らす。

今日はずいぶんと機嫌が良いらしい。

その仕草を見てアリアが笑うと、ルーファウスはもう一度面白おかしく腕を振ってみせた。


村へ入る前の分かれ道。

ハルトとルーファウス、そしてアリアは、それぞれ向かうべき場所へ足を向けた。

アリアが先に、ハルトたちに背を向けて歩いていく。

その細く可憐な後ろ姿に、ルーファウスが見惚れている。

間を置いてからハルトはルーファウスの表情をからかい、そして二人の仲を応援するつもりで彼の肩をとんと叩いた。



「私はハルトもアリアが好きなのだと思っていたのだけどね」


「ボクが? まさか!」


「そうかい? だけど敵が少なくなるのは喜ばしい。遠慮なくその応援を受けるとするよ」


「そうしてよ。じゃあ、ボクはもう行くよ?」


「ああ。また、あとで」



ルーファウスが涼しげな表情で笑う。

瞳の奥に揺れた光が数度またたき、いつも以上に涼しい雰囲気を纏っているように見えた。


二人と別れたハルトは、いつも通りに村で荷運びの仕事をした。

火人種の男がいなくなったことにも慣れ、理不尽に殴られるのにも多少慣れ、ハルトはただ給金を得るためと割り切って駆けまわった。

忙しく駆けまわっていれば、心の内に余計な悪感情をため込まずに済む。そうした考え方は、火人種の男が教えてくれたことでもあった。

実践するほどに火人種の男と別れた寂しさも忘れることも出来るので、都合がいい。



「おい、おまえ」



同じ荷を三度も運ばせた月人種の男の元から帰ろうとしたとき、ハルトは急に呼び止められた。



「はい、なんでしょう?」


「お前は村はずれにいる稀人種の男の家を知っているか?」


「えっと、ボクたちのことですか?」


「そうじゃない。もっと前から住んでいる奴だ」


「いえ、知りません。その方がどうかしましたか?」


「その男に渡す荷があるんだ。ずっと忘れていたのだがな。ちょうど今思い出したから、あとでこいつを渡しておけ」



そう言った月人種の男が、片手で持てそうなほどの小さな荷をハルトへ渡す。

受け取った荷は見た目よりもさらに軽く、中から、かさかさと音がした。

小さな荷であるのに、中身はさらに少ないようだ。



「わかりました」


「荷運びの金はその男から貰えよ。こっちは頼まれただけだからな」



吐き捨てるように言い、月人種の男が家の戸を閉じる。

無感情に丁番がひびき、乾いた音が大きく鳴った。


金を貰えなかったのは失敗したなと、ハルトは苦い顔をした。

送り忘れていた荷物を受け取って、快く金を払う客などいるはずがないからだ。

いやそれ以前に、村はずれに住んでいるらしい稀人種の男の家が何処にあるかも聞いていない。

面倒なただ働きを引き受けてしまったと、ハルトは消沈した。



「だけど……ボクたち以外の、稀人種か」



ハルトを小さくつぶやき、顔を上げた。

金はもらえないが、金を払う価値があるほどの情報を得ることが出来るかもしれない。

少なくとも、ハルトたちより早くこの世界に生まれた存在なのだから。


幸い、稀人種の男の家がどこにあるかはすぐに知ることが出来た。

村人に聞いてみると誰もが知っている男であるらしく、十人中十人が同じ方角へ指を差した。

稀人種であるがゆえに有名なのだろうか。

ハルトは教えてくれた村人に礼を言い、村はずれへ歩きだした。


村の外れに住む稀人種の家は、ハルトたちが住むあばら家とさほど離れてはいなかった。

今まで会う機会などいくらでもあったはずなのになと、首を傾げるほどの距離だ。

もしかすると極度に引き籠って生活しているのだろうか。

村人たちよりも自給自足の知恵と技術を多く身に着けているのだろうか。

とすれば、この世界に来たばかりのハルトたちにとって、黄金以上の価値ある男に違いない。


期待に胸を膨らませつつ、進む。

しかしわずかに視線を上げると、進行方向に黒い塔が見えた。


瞬間、ハルトは首筋に違和感を覚えた。

膨らんだ胸にも、ずきりと痛みが走る。



「あれか……?」



目を細め、視線を落とた直後、草葉の隙間に家がひとつ見えた。

黒い塔へ近付きすぎずに済み、ハルトはほっと胸をなでおろす。


家の周囲は、畑が広がっていた。野菜だけでなく、果物まで生っている。

立派な井戸も造られていた。村にあるものとは違い、風車が付いていた。

見ると自動的に井戸から水が出続けていて、すべての畑へ送水されていた。



「何か用かね」



不意に後ろから声が飛んできた。

振り返る。数瞬、目の奥でなにかが歪んだ。

ハルトは数度瞬きし、声の主を探す。

するとそこには、フードローブを纏った男が立っていた。



「あ、えっと……荷を届けるように言われて」


「荷だと? 誰にだ?」


「村の人です。荷はここにあります」



ハルトは慌てて小さな荷をフードローブの男に手渡す。

男はしばらく荷を見ながら考えていたが、やがてああと頷き、小さな荷箱を開けた。

中には種が入っていた。



「ずいぶん時間がかかったものだ。まあ、忘れられていたのだろうが」


「……では、ボクはこれで」


「待ちなさい。どうせ金を貰っていないのだろう?」


「そうですが……」


「私が払う。正確には私も金を持っていないが、食料ならある。どうだ?」


「それは助かります。本当に」



ハルトは正直に答えると、フードローブの男に招かれるまま家に入った。


家の中もまた、村とは違っていた。

違う世界、いや違う時代を感じる。

どれを見ても便利そうなものばかりが置かれていた。

しかしどれも使っていないのか、すべて埃が被っていた。



木簡のようなものも数十積まれていた。それもまた埃がかぶっていた。



「君はこれらがなんであるか、分かるのか」


「分かります。どうして知っているのか、覚えてはいませんが」


「やはりそうか。君たちは≪オリジナル≫なのだな」



フードローブの男が頷きながらハルトの顔を覗いた。

次いで身体を、手足を、隈なく観察していく。



「……≪オリジナル≫って、どういう意味です?」



ハルトは眉根を寄せて尋ねた。

実のところ、尋ねる前から察しは付いていた。だが念のためだ。



「君たちはこの世界へ直接呼ばれた者だ。私と姿形は似ているが、中身は違う」


「ではあなたたちは」


「君たちのような≪オリジナル≫の、子孫だ。何代目かは、知らんがね」



予想通りの答えが返ってきた。

つまりこの世界には元より、稀人種など存在しないのだ。

≪オリジナル≫の子孫しかいないのであれば、数が少なくて当たり前というもの。嫌われていれば尚のことだろう。



「親や兄弟は、もういないのですか」


「姉がいた。ずいぶん前に死んだが。他の稀人種には会ったことがない。皆、方々に散って集まらず、ひっそりと生きていると聞く」



フードの端から見える男の顔が、かすかに歪んでいた。

表情こそ読み取れなかったが、良い感情でないのは確か。

長く一人で生きてきたのだろうから、当然か。



「ボク以外にも稀人種が七人います」


「そんなにか」


「もし良ければ、彼らもあなたに紹介したのですが」


「構わんよ。だが、ひっそりと頼む。村人がどう思うか、まったく分からんからね」


「分かりました」



短く返事すると、フードローブの男が小さく笑った。

特に嫌がっているそぶりはない。



――ようやくだ。



ハルトは内心、飛び上がりたいほど喜んだ。

フードローブの男の知恵を借りれば、明らかに生活が楽になるからだ。

それどころか、村から離れて生活していくことも出来るかもしれない。


その後ハルトは、フードローブの男の生活について幾つか尋ねた。

不足しているものが無いか。

獣に襲われることはないか。

屋内外に満ちている多くの便利な道具と知識は、どこから得たのか。


フードローブの男は特に濁らせることなく、すべて答えてくれた。

いずれも常識を超えたものではなかった。

覚えたうえで努力すれば、ハルトにも実践できそうに思えた。

ハルトは今すぐに実践可能そうなものを書きとめ、男に何度も礼をした。



「それらのことより、伝えなければならないことがある」



フードローブの男が静かに言った。

フードの端からわずかに見える無表情が、ハルトを睨んでいるようにも見えた。

ハルトは怪訝な表情を向けると、フードロープの男が閉ざされた木窓の方へ歩いていった。

そっと、木窓を押し開く。

ギイと軋む音が鳴った。外の明かり。室内へ流れ込んでくる。



「君はあの黒い塔がなんであるか、知っているか」



木窓の外に見える黒い塔を、フードローブの男が指差した。



「……いえ、知りません」


「だが獣のことは知っているようだな。あの赤黒い霧が獣の群れだと」


「知っています。近付かないほうがいいことも」


「そうだ。近付かんほうがいい。そして少しずつ離れたほうがいい」


「離れるって?」


「あの塔は成長している。獣が生息する範囲も広がり続けている」



淡々とした声。ハルトは驚き、半歩下がった。



「心配しなくてもいい。ここらが住めなくなるのは、今すぐではない」


「では、いつですか?」


「数か月後か、数年後か。とにかくゆっくりだ」



フードローブの男が、引き気味のハルトの背を叩く。

ハルトはびくりと身体を震わせた。

再び、目の奥のなにかが歪む。

ゆっくりと吐き忘れていた息を吐きだすと、歪みがゆっくりと解れていった。



ハルトを心配そうに覗いていたフードローブの男は、間を置いてから獣のことを話してくれた。

曰く、黒い塔周辺にいる獣は≪魔獣≫と呼ばれているという。

魔獣の中には言葉を扱えるものもいるが、多くは獣の姿であるらしかった。

霧のようなものはすべて空を飛べる獣であるらしい。

そしてジャマールが予想した通り、魔獣は黒い塔から遠く離れることはない。



「世界には、ひとつの言葉がある」



フードローブの男が黒い塔を覗きながらつぶやいた。



「≪ 黒は、万魔を生んで人を殺す。白は、万聖を生んで人を救う ≫」


「……! ……それは?」


「言い伝えのようなものだ。黒っていうのが、あの黒い塔を指すんだろうな。たしかに魔獣を生み続け、人を殺している」


「では……白は?」


「それが分からない。白い塔があるという話を聞いたことはない。希望が残っていると思わせるために、あとから半分付け加えたのではと解釈する者が多いな」


「じゃあ、白がなければいずれ世界が滅ぶんですか?」


「いつかはね。とにかくゆっくりだ。数百年か、数千年後だと、多くの者が言っている。いや、そう信じていると言うべきか」



そこまで言って、フードローブの男は黒い塔から目を背けた。

フードローブの男もまた、「そう信じている」一人だというわけである。


互いの言葉が途切れると、ハルトは徐々に全身が凍っていくような感覚に襲われた。

脳裏に、いや全身に刻まれていたあの言葉が、否応なくはっきり甦る。



≪ 人を殺せば、黒を生み、万魔を得る ≫


≪ 人を救えば、白を生み、万聖を得る ≫


 

この世界で目覚めた瞬間、自らに刻まれた言葉。

フードローブの男が言った言葉と、無関係であるはずがない。



――だけど、どうして意味が変わっているんだ?



首筋に流れる冷や汗が、胸の奥を突く。

稀人種が意図的に変えたのか、それ以外の種族が変えたのか。

それとも言い伝えられている言葉が正しくて、ハルトたちに刻まれた言葉が変則的なのか。


胸の奥が、再び突かれる。

なぜかは分からないが、刻み込まれている本能が答えを欲しているようであった。

しかも今すぐにと、急かしている。



「大丈夫かい?」



フードローブの男が、ハルトに声をかけてきた。

いつの間にかハルトを真正面から覗きこんできている。

ハルトは驚いて上体を反らした。

次いで両手を交差させ、「なんでもありません」と適当に言葉を吐く。

それがかえって不信を招いたのか、フードローブの男が低く唸った。



「話せないことがあるようだね」


「そういうわけでは」


「まあ、いい。今のところはこれで終わりにしよう。話せる時が来た時、また会うことになる」



フードローブの男がハルトから目を逸らす。

怒ったのか。そう思ったが、違うようであった。

どちらかというと、無関心になったらしい。

ハルトはしばらく、そっけなくなった男の様子を見ていた。

すると徐々に、ハルトの目の奥にあるなにかが歪みだした。

その歪みはこれまでと違い、なかなか治らなかった。


長い沈黙の末。ようやく視力が回復したハルトは、フードローブの男の家を出た。

フードローブの男は、ハルトを見送りに来なかった。

男の急な対応の変化に、ハルトは不快感を覚えることはなかった。

むしろそうあるべきと、自らの本能が促している気がした。


村へ戻る道中、周囲は妙に霧がかっていた。

これまでのことが夢か幻だったのではないかと思うほど、奇妙な雰囲気が佇んでいた。

そうしてしばらく歩いたころ、前方にふたつの影が見えた。

それは見慣れた人影に思えたが、誰であるかハルトには分からなかった。



「ハルト?」



聞き覚えのある声。しかしやはり、声の主がだれかは分からなかった。

人影がさらに近付いてくる。



「大丈夫? ハルト。ぼうっとして」



声の主が、ハルトの肩を掴んだ。

瞬間視界が明るくなった。

声の主である顔も見えてくる。

アリアであった。隣にマリーもいる。

周囲に目を向けると、先ほどまで広がっていた霧がきれいに消え去っていた。



「……ああ、うん。大丈夫だよ」


「本当に? ちょっとだけ心ここにあらずといった様子だったわ。ねえ、マリー?」


「うん。なんだか、寝たまま歩いていたみたい。もしかしてオシゴトで疲れていますか?」


「……そうかもしれない。変な荷運びの仕事もしたから」



ハルトは辿ってきた道を振り返る。

遠くに、黒い塔が見えていた。

フードローブの男との会話を思い出し、かすかに身体が震える。

その様子を見て、アリアが首を傾げた。ハルトを心配そうに覗きこんでくる。

ハルトはもう一度「大丈夫だよ」と声をかけると、両手のひらを見せた。



「ところでアリアたちはどこへ行くの?」


「マリーの家よ。野草を採りに行っていたの。たくさん採ったから村の近くまで持っていくのを手伝っているのよ」


「聞いて、ハルトお兄ちゃん。家の前まで来ても良いって言っているのに、アリアお姉ちゃんが聞いてくれないの」


「気を遣っているのに。私たちのせいでマリーが村の人に変な目で見られたら、マリーのお母さんに申し訳ないわ」


「お母さんも気にしていないのに」


「そうなのね。優しいお母さんだわ」


「そうよ。だからね、来てほしいのにな」



マリーが笑顔でくるりと回る。

野草を詰め込んだ籠もくるりと回り、数本零れ落ちた。

アリアがそっと回収し、自身が持っている籠に詰め直す。


仕事も他の用事も終えていたハルトは、アリアたちと一緒に村へ行くことにした。

マリーと会う機会など対してないのであるが、マリーはハルトを気に入ってくれていた。

マリーの母親がハルトのことを都合よく言ってくれているらしい。

少なくとも木か野菜よりは上等な存在となれたことにハルトは感謝した。



「ハルトお兄ちゃんは、アリアお姉ちゃんとケッコンしないの?」


「……ぶ、え、な!? ごっ、ごほっごほっ!!」



唐突な質問に、ハルトは咳き込んだ。アリアも驚き、口を大きく開いている。



「アリアお姉ちゃんは、私のお母さんくらい優しいの。きっと良いフウフに――」


「マ、マリー。ボクとアリアはそういう関係じゃないんだ」


「そうなの?」


「そうだよ。アリアを困らせちゃダメだ」


「アリアお姉ちゃんは困らないよ。だっていつもハルトお兄ちゃんの話をするもの」


「ちょ、ちょっと! マリー! 変なこと言ったらダメよ!」



アリアが大声をあげた。

これまで聞いたことがないほど、甲高い声。

マリーがまだなにかを話していたが、アリアの大声が遮ってそれ以上聞き取ることは出来なかった。


その後アリアはあれこれと言葉を紡ぎ、マリーの誤解を解いていった。

曰く、ハルトは頼れる仲間で、心から信頼しているということ。その言葉はハルトにとって、なによりも嬉しいことであった。

アリアに対してはやはり、好意というより崇敬の念が強い。

アリアからの信頼は、主に認められたような感覚に等しかった。


ハルトはアリアに感謝の言葉を伝える。

するとアリアが困ったような表情を浮かべた。眉根を寄せつつ、ハルトの肩をとんと叩く。



「ハルトお兄ちゃんは良い人だけど、ちょっとだけお馬鹿なのね」



マリーがハルトの耳元に寄り、そっと囁いた。



「え? なんで?」


「私からは教えてあげられない」


「はは……マリーのお母さんにも同じようなこと言われたな」



ハルトはがくりと肩を落とす。慰めるようにして、マリーの手がハルトの背を撫でた。



話しながら歩いているうちに、三人は村の入り口へ辿り着いた。

すでに夕暮れ。

地面も家も赤く染まっている。

仕事や用事が終わっていない者は少なく、閑散としていた。酒場周辺だけが、唯一賑わっていた。


人の目が少ないこともあり、アリアとハルトはマリーの家まで行くこととなった。

アリアが最後まで遠慮していたが、マリーが強引に押し切った。



「夜道は危ないって、お母さんが言っていたもの」



そう言われてしまったら断る術はない。

マリーは幼いが、アリアがどんな言葉に弱いのか熟知しているようであった。



「なら、早く帰らないといけないわね」


「そうだけど、少しくらいゆっくりでもいいの」


「ダメよ、マリー。遊びたいのなら、また明日ね」



歩きながらアリアが釘を刺す。マリーが不服そうに頬をふくらませた。


その直後。

押しつぶしたような叫び声が上がった。

同時に鈍い音も連続して鳴る。

鈍い音がするたびに叫び声が上がった。

叫び声以外の、幾人かが騒ぐ声も聞こえてくる。


どうしたのだと、声が上がったほうへハルトは目を向けた。

そこは村の酒場のほうであった。

十数ほどの人が集まり、騒いでいる。

人々の中心には一人の男がいて、倒れていた。

倒れている男を執拗に殴ったり蹴ったりする月人種の男もいた。



「……ハルト、あれって!?」



アリアが叫んだ。

彼女の指が、倒れている男に向いている。



「あれはルーファウスよ!」


「ルーファウスだって!? まさか!!」



驚き、倒れている男を見る。

その間も、ルーファウスらしき倒れている男が蹴られ続けていた。

顔面を赤く染めている。夕

陽に照らされた赤ではない。血に濡れた赤であった。



「ルーファウス!!」



大声で呼びかけながら、ハルトは駆けた。

すると十数の人々を押しのけ、ふたつの影が飛びだした。

ハルトよりも速く、ルーファウスの元へ駆け寄っていく。

それはブライと、ザイドであった。

ルーファウスを蹴りつける月人種の男を押しのけ、かばうように仁王立ちする。



「なんだぁてめぇ」



月人種の男が叫んだ。

まだ夕暮れ時だというのに、ずいぶんと酔っている。

どうやら酒場で働くルーファウスに、酔った勢いでからんだらしい。


酔い荒れる月人種の男を前に、ブライとザイドが毅然と立った。



「は! はっは!! 稀人種が!!? 俺の邪魔をするのか!!??」



月人種の男が高らかに笑う。

まるで虫でも見るような目。

いつでも捻りつぶせるといった自信が、男の全身から溢れ出ていた。



「ルーファウス。立てるならもう帰れ」



ザイドが言う。ブライも頷き、ルーファウスを抱き起こした。

その様子が癇に障ったのか。月人種の男がさらに笑い、怒鳴った。



「稀人種の分際で!!」



叫んだ月人種の男が、拳を振り上げる。

瞬間、振り上がった拳が輝いた。

それは間違いなく、星月の光の力を宿した拳であった。



「ザイド!! ブライ!! ダメだ!! 避けろ!!!」



咄嗟にハルトは叫んだ。

ハルトの存在に気付いていなかったザイドとブライの目が、一瞬だけハルトへ向いた。

なぜだと、思考を停止させた表情。

その直後。ザイドとブライ、そしてルーファウスの身体が吹き飛んだ。

野次馬の人々を数人巻き込み、地面の上を数回転がっていく。



「は! はっはっは!! 馬鹿が!! 稀人種は這いつくばっていろ!!!」



輝く拳を構えた月人種の男が高らかに笑う。

吹き飛ばされたザイドとブライが、よろよろと立ち上がった。

ルーファウスはぐったりと伏せている。



「殴られ足りねぇらしい」


「……もう、十分だ。すぐに出て行く。だからやめてくれ」



ブライの声が途切れ途切れにこぼれた。

月人種の男がにやりと笑う。



「そうするがいい。だが、俺の怒りが収まってからだ! 前から目障りだったんだ、稀人種どもが! 毎夜毎夜、酒が不味くなるんだよ!」



怒鳴り声がひびく。

群がる人々から、賛同するような声が続いた。

それに気を良くした月人種の男が、再び拳を振り上げる。



「やめてくれ!」



ブライが叫んだ。

隣にいるザイドの顔が歪む。



「はっは!! 吹っ飛べ、稀人種が!!」



振り上げた拳が輝いた。先ほどより強い光。

もはや怪我では済まないだろうと、ハルトも顔を歪め、目を閉じた。


ところがいつまで経っても、殴られたような鈍い音はしなかった。

ハルトは恐る恐る目を開く。



「……ル、ルーファウス?」



声が震え、落ちた。

身構えていたザイドとブライも、目と口を大きく開き、小刻みに震えている。


つい先ほどまで倒れていたルーファウスが、月人種の男を刺していた。

拳を振り上げていた月人種の男が、びくりびくりと身体を痙攣させている。

その様子をしばらく眺めていたルーファウスが、男を蹴り飛ばした。

ルーファウスの手に、ナイフ。血に染まっている。

蹴り飛ばされた男の胸からも、血が噴き出していた。



「……ルーファウス」



ハルトの声が再び落ちる。

気付いたルーファウスの目が、ハルトへ向けられた。



「ああ、ハルト」


「こ、殺さなくても……」


「私が殺されそうだった。ザイドも、ブライも」


「だ、だけど」



震えた声が、途切れた。

それ以上、何も言うことは出来ない。

実際そうなっていたかもしれないからだ。


押し黙ったハルトを見ていたルーファウスの目が、ハルトの後ろへ向いた。

アリアと、マリーがいるのだろう。

ルーファウスはそのまましばらく考え、短く目を閉じた。



「優しいハルト。君には分からないだろう」



涼しげな声が通り抜けた。

ルーファウスの目が、ゆっくりと開く。

涼しげな瞳。

いや、冷たい瞳か。



「……なにを?」


「君は上手くやっている。何事も」


「やれていないよ。今日だって殴られた」


「殴られた分、君は得ている」



ルーファウスの目が、アリアに向いた。

無感情な光が、冷たい瞳に揺れている。



「怒っているのか、ルーファウス」


「怒ってはいないよ。ただ、分かっただけ。そう、私は分かったんだ。どうするべきかを」



涼しげな声をひびかせ、ルーファウスの足が一歩前へ進んだ。

蹴り飛ばされた月人種の男が、ルーファウスを見上げている。

怒りと恐怖を混ぜた表情を貼り付け、言葉にならない声を上げていた。



「まずは、こうしよう」



ルーファウスが涼しげな声とともにナイフを突き下ろした。

刃が、月人種の男の首を貫く。

瞬間、鮮血が噴いた。ルーファウスの身体が、血で染められていく。

周囲の大地も、赤く濡れていく。


夕陽の赤が、ルーファウスと、血を照らした。

間を置いて、群衆が悲鳴をあげた。

逃げる者、その場でうずくまる者。怒りと恐怖の狭間で身動きが取れない者。



「ああ。やはり」



血に濡れたルーファウスが顔を上げた。

冷たい瞳が、赤い空へ向く。



「ハルト。あの言葉通りだ」


「……言葉って?」


「≪ 人を殺せば、黒を生み、万魔を得る ≫」



ルーファウスが涼し気な声をひびかせた直後。ハルトの背中と首筋に痛みが走った。

それはあまりに強烈で、気を失うほどであった。

ハルトの後ろでアリアの叫び声も聞こえる。同様の痛みを感じているのだろう。

ザイドとブライに至っては、最初から弱っていたこともあって一瞬で気を失ったようであった。



――あの獣と遭遇した時と同じ!?



周囲に獣がいるのか。

ハルトは痛みに耐えながら辺りを見渡す。

しかしどこにも獣らしき姿はなかった。



「そうじゃないよ。ハルト」



ルーファウスの声が鳴った。

涼しげな声が、わずかに乱れている。

見るとルーファウスの身体に異変が生じていた。

手足が歪み、背中が大きく盛り上がっていく。

そのうちに背中が破れ、黒い翼が生えでた。

茶色の長い髪は白く染まり、血に染まった肌には黒い紋様が浮き上がった。



「私が獣だ。いや、獣の主というべきかな」


「ル、ルーファウス……その姿は、なに??」


「まだ分からないのかい、ハルト」



ルーファウスが涼しげな表情でハルトを見る。

次いで自らの腕を高く掲げた。

すると黒い紋様で飾られた腕から、黒い色の細長い石が生じた。

ルーファウスが自らの腕から生じた黒い石を掴む。

黒い石に、禍々しい光が宿った。



「私は万の魔を得た存在だ。この黒い石が、その証」


「万の魔……、まさか、人を殺した、から……?」


「少し違うよ。ハルト。それだけじゃない。私は数日前から、自らの中になにかが目覚めたことに気付いていたんだ。そしてどうすれば魔を得られるか、模索していた」



黒い石を見せながら、ルーファウスの口の端が上がる。

人間の表情ではない。まさに魔獣の顔である。



「模索して……仕上げに人を殺したのか」


「だいたい、そうと言える。だが私は最後まで耐えていたんだよ。今となっては耐えていたことが愚かしく思えるけどね。しかし耐えに耐えた私を揺るがしたのは、この世界であり、村人であり、ハルトであり、アリアであり、マリーだった」


「ボクたちも……」


「慰めのために言うならばそれぞれは小さなことだ、ハルト。だがね。小さなことと大きなことに、対した差はない。差を決めるのは、世界であり、自分自身だ」



魔獣の顔に、かすかな憂いの色が滲んだ。

しかしそれは一瞬であった。

すぐに人間らしい表情を消し、歪んだ笑みを浮かべる。



「……もう、戻れないのか。……ルーファウス」


「戻る必要はない。時が来たのだ、ハルト。ここからは万魔による宴の時間だ」



ルーファウスの両腕が左右へ広がった。同時に黒い翼が大きく広がる。

なにが起こるのかと、ハルトは身構えた。

いつの間にかすぐ傍にアリアが来ていて、ハルトの服を掴んでいた。

マリーも同様にして、震えている。


ルーファウスの手にある、黒い石が禍々しく光った。

眩いものではなかったが、見てはならないものである気がして、ハルトは咄嗟に目を伏せる。

アリアとマリーも同様に目を伏せ、身を屈めた。



「≪現れ出でよ 南門の兵達 巡回し 均せ≫」



歪みを混ぜた涼しげな声が、周囲に広がった。

首と背中を襲っていた痛みが増していく。


目を伏せていても、なにが起こったのか分かった。

周囲から獣の声が上がっている。

ひとつふたつではない。数十、いや数百の声が湧きあがっていた。

そうしてこれからなにが起こるのか。一瞬にしてその場にいるすべての人々に理解させていった。

第二幕はこれで終わりとなります。


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