8人
5
獣を引き付けつつ駆けていったジャマールが戻ってくることは、ついになかった。
安全圏と思われる場所まで退避したハルトたちは、その場で一晩過ごした。
黒い塔からはかなりの距離を取っていたが、念のためにハルトとベックが交代で見張りをした。
夜が明け、陽が昇り、傾きはじめても、獣も、ジャマールの姿も見つけることが出来なかった。
「どうする、ベック?」
土色の顔を上げることなく、ハルトは声をこぼす。
「待ちてえが……俺以外にも怪我をしている奴がいる。応急処置だけで放置するわけにはいかねえ」
「……そうだね」
「道の先へ行こう。ジャマールは闇雲に逃げるほど馬鹿じゃねえ。生きていれば道に戻って、道を辿るはずだ」
ベックの言葉に、ハルトは頷く。
立ち上がり、共に休んでいた六人を見た。
ブライという名の、背が高く肌の白い男が周囲を窺っている。
ジャマールと共に石の廊下を探索していた男だ。
その傍で、ルーファウスも辺りを窺ってくれていた。
ザイドという名の、褐色肌の男は力なく俯いている。
昨日からずっとだ。それを気遣ってか、同様に褐色肌の女性トゥイがザイドを励ましていた。
アリアとレニーは、互いに寄り添い合い、静かに過ごしていた。
自分たちがすぐに逃げなかったためにジャマールが犠牲になったのだと、悔いているらしい。
ハルトとベックが何度も励ましたが、アリアはともかく、レニーが気を取りもどすには時間がかかりそうに思えた。
「行くのかい? ハルト」
涼しげな声が鳴った。ルーファウスの声だ。
身体が弱く、怯えやすいルーファウスであったが、生き残った八人の中で誰よりも早く気持ちを切り替えていた。
涼しげな声と、涼しげな瞳。
茶色の長い髪も、涼し気に揺れている気がする。
「そのほうがいいと思う。ベックたちの怪我が少し心配だ。ちゃんと治療したほうがいいかも」
「そうだね。せめて清潔にしてあげないと。水を探しながら行こう」
「わかった」
ハルトはベックに向き直る。
ルーファウスとの会話を聞いていたらしいベックの目が、ハルトへ向いていた。
片眉を上げ、無言で頷いてくる。
ハルトも無言で頷き返すと、大きく息を吸いこんでからアリアとレニーの傍へ寄った。
「アリア。レニー。元気出してなんて適当なことをボクは言えない。けど、進もう。こんな訳の分からないところでこれ以上誰も死なないために」
言いながら手を差し伸べる。
アリアとレニーは、しばらく逡巡していた。
しかし互いに目を合わせた後に意を決し、ハルトの手を取ってくれた。
そうしてまた、ハルトたちは森を進みはじめた。
ルーファウスとブライが先頭になって進み、最後尾にはハルトが付いた。
小道は延々と続いていた。
しかし進めば進むほどに、道が綺麗になっていくのがわかった。
最近人が通ったような跡もいくつか見つかる。
あとは水を見つけるだけであったが、一日進んでも泉や川を見つけることが出来なかった。
「明日には街か村に着けると良いんだけどね」
暗くなりはじめたころ、焚火の前でモサモサした食感の木の実を食べながらルーファウスが言った。
顔をしかめてはいるが、やはり声だけは涼し気だ。
「水がないまま進むのは限界だね」
「石室から出発する前に用意しておけば良かったけど、あの時は私も含め、誰も気付けなかったね。残念だよ」
「仕方ないよ。水が無いだけじゃない……もっと危険なことがあることも、気付けなかったんだから」
「……自分を責めないほうがいい。ハルト。どうしようもないことだったのだよ」
「分かっているつもりだよ」
視線をルーファウスから反らす。
隣で眠っているベックが目に映り、ハルトは息を飲んだ。
ベックの傷は思いのほか酷かった。
歩くほどに弱っていて、息をするのも辛いようであった。
今も眠りながら呻き、額に汗している。
額に触れると熱が高くなっていた。これ以上の放置は命に係わるかもしれない。
「……ところでハルト。気付いていたかい?」
「何を?」
「小道に足跡があったのさ。二種類の足跡だった」
「二人っていうこと?」
「そうじゃない。まったく違う形の二種類だ。それがいくつもあった」
言いながらルーファウスは自身の足を指差した。
ルーファウスが言うには、ひとつは自分たちのような人間に近い形の足。
もうひとつは前後に長い形をした足があるということであった。
「石の廊下にあった壁画を覚えているかい?」
「あの壁画に描かれていたたくさんの種族のうちふたつが、この近くにいるっていうこと?」
「その可能性が高いね。どんな性質を持つ人々かは分からない。いや、人間ですらないかもしれない。用心をしておこうじゃないか」
ルーファウスの涼しげな瞳が、焚火に向けられる。
どことなく心ここにあらずといった印象のルーファウスであったが、観察力が高く、頼もしい。
ベックが弱っている今なら尚のこと、ハルトの中でルーファウスの存在は大きくなっていった。
夜が深くなり、食事を終えた者が一人、また一人と眠りについていく。
あとから見張りを交代するブライとルーファウスも先に眠り、ハルト一人、静かな森の闇に残された。
息吹に似た風が、草葉を揺らし、抜けていく。
そのたびに血に濡れた獣の姿を思い出し、ハルトは身震いした。
――ジャマール、死んでいないよな。
目を閉じる。
火の勢いが弱まった焚火の明かりが、瞼の裏をくすぐった。
そのぼやりとした赤が揺れ、滲む。
涙を流しているのだと気付いたのは、だいぶ経ってからであった。
夜が明け、歩きだせるほど明るくなった頃。
草葉が激しく揺れる音に、ハルトは目を覚ますこととなった。
もしや、あの獣か。
ブライとルーファウス、アリアも目を覚まし、音がした方に視線を向けている。
「何かいる? ブライ」
太い棍棒を手にしているブライに、ハルトはそっと声をかけた。
しかしブライは首を横に振り、小さく息をついた。
「特に害のない動物のようだ。もう、遠くへ行った」
「ボクたちに驚いて逃げたの?」
「いや、違うように見えた。俺たち以外の誰かが、近くにいるのかもしれないな」
森の奥を覗きながらブライが唸る。
ハルトも森の奥に視線を送ってみたが、特に何かを見つけることは出来なかった。
ところがルーファウスだけが、何かを視認したらしい。
ハルトたちに静かにするよう促してから、そっと身を低くした。
何が見えたのか。
ハルトも身を屈めてから、ルーファウスが見ているものを探す。
「……見えるかい? ハルト」
「どこ?」
「あの隙間だよ。子供のような人影が見える」
「……もしかして、あれのこと?」
ハルトは草葉の隙間から見えた影に向け、人差し指を伸ばしてみた。
ルーファウスが小さく頷く。
隙間から見えた子供のような人影は、よくよく見ると髭を生やした中年の男であった。
ただ背の低いだけの男なのだろうかと思ったが、どうやらそうではない。
身体の大きさに釣り合わない大きな手と、大きな足を持っていた。
背の低い男の手には、小さな鎌が握られていた。朝一の仕事を始めるためにここへ来たといったところか。
背の低い男の身なりは、ハルトたちが着ている簡易な衣服に比べ、上等な衣を纏っていた。
少なくとも野人などではない。すぐ近くに街か村があって、そこから来ているのだろう。
「声をかけてみよう。様子見できるほど、こちらに余裕はないし」
ハルトの言葉に、ルーファウスとブライが同意してくれた。
念のために棍棒を持っているブライが潜み、ハルトとルーファウスが背の低い男に近付いていく。
山菜を取ることに夢中なのだろうか。
背の低い男はハルトたちが身近に寄ってもなかなか気付いてはくれなかった。
仕方なくハルトが声をかけた瞬間、背の低い男は喉を潰したような悲鳴をあげ、飛び上がった。
ハルトは素早く、背の低い男をなだめる。
そうして丁寧に挨拶をし、近くに街か村がないかを尋ねた。
「もちろんあるが、来るのかい? 君たちが?」
背の低い男が、眉根を寄せつつ唸る。
見知らぬ相手を歓迎するなどの奇特な地域ではないらしい。当然ではあるが。
「怪我人がいるんです。軒先でも構いません。少しの間、休める場所を貸してくれませんか」
そう言ったハルトの言葉を強めるように、ルーファウスが背の低い男に跪いた。
出来る限り上体を低くし、背の低い男の頭より下へ身を屈めている。
ハルトははっとしてルーファウスに倣い、自らも背の低い男に向かって跪いた。
頭上から、唸り声が降ってくる。
しかしどことなく、先ほどより軽やかな唸り声に聞こえた。
やがて背の低い男が頷いた。
渋々といった様子であったため、ハルトは感謝の言葉を並べ尽くして背の低い男の機嫌を取った。
そうするうちに満更でもなくなったのか、背の低い男が上機嫌に案内を始めてくれた。
背の低い男が住む村に着くまで、ハルトとルーファウスは男の機嫌を取りつづけた。
やりすぎではないかとブライとアリアが怪訝な表情を投げつけてきたが、構わずに男を敬いつづけた。
そうしてついに、ハルトたちは小さな村へ辿り着くのだった。
第一幕はこれで終わりとなります。
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